規格はずれのおぼっちゃま
鳩山さんが退陣した。
新聞によって、「退陣」だったり「辞任」だったりしたそうだ。
辞めさせられるのか、自主的に辞めるのかの違いなのだそうだ。
ともあれ、鳩山さんの迷走というか混迷というか混沌というか、言ってることが支離滅裂な発言は目に余るものがあった。
発言がぶれると言われたが、あれはぶれるというものではない。
私の思う「ぶれる」は軌道からずれるというような語感であって、それは電車に乗っていてポイントの切り替えでがたついたり、自転車に乗っていてふらつく程度のことであって、ジェットコースターのような状態はぶれるとは言わないのではないかと思うのだ。
また、自分の口から発した言葉を、「私はそうは言っていない」と否定する。
テレビに録画機能があって、前言を並列して並べて放送しても、「私はそういった意味で言ったのではない」と意味不明な発言をする。
この傾向は、阿部さん福田さん麻生さんに共通することのように思える。
みんな、おぼっちゃまというか、御曹司というか、系譜をたどれば総理大臣の子供だったり、お孫さんだったり、そして財閥だったり、そんじょそこいらのお坊っちゃまとは桁が違う。
桁も一桁や二桁じゃなくて、十桁も百桁も違う雲の上のおぼっちゃまであったから、子供の頃から周りのものが、白いものを黒いと言ってもみんな従っていてくれていたのではないだろうか。
例えばゴルフのティーショットがOBになったときなんかは、お付きの人が、なかったことにして新しいボールをリセットしてくれて、「さあ、おぼっちゃま、ティーショットをやってみてください」なんぞという細工をしてくれていたのではないのだろうか。
普通に生きてきた通常人ならば、とてもじゃなくて、はずかしくて言えないような言い訳を平気でするが、彼らにとってはいい訳なんかではなくて、子供の頃からずっとやってきたことなのではないのだろうか。
ここ4代の総理大臣に共通するのは、映像記録に残っているのにもかかわらず、「自分は言っていない」と言い放つ、蛙の面にしょんべんみたいな、つるんとした態度。
そして、突然の辞任。
世間が、言い訳を許してくれなくて窮地に陥ってしまうと、いとも簡単に「ぼく、やめた」って感じで、あっけらかんと辞めてしまう。
そして、やめたあとのすがすがしさ。
私なんか気が小さいから、あんな大失態をしてしまったら、どこか誰も知らない遠いところに逃げ出したくなるだろうに、彼らの辞めた後の態度の堂々としたこと。
本当に尊敬に値します。
ともあれ、今日、菅さんが新しい総理大臣になることになった。
菅さんは市民運動から誕生した政治家。
このところ続いてきた、「超お坊っちゃま」とは違うようだから、根性すえてやってほしい。
自社さ連立政権時代の厚生大臣の菅さんは輝いていた。
菅さんの手腕に期待します。
« 遺言 | トップページ | 樽床さんと小沢さんの関係 »
« 遺言 | トップページ | 樽床さんと小沢さんの関係 »
コメント