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2010年7月25日 (日)

葬儀にて

 葬儀に参列して来た。

 61歳という早すぎる別離だった。

 身体の変調を感じて、病院にかかって半年のことだったという。

 笑っている遺影が悲しすぎた。


 私にとっては、本当に突然の訃報だった。

 自分と歳が近い方の葬儀は、格別の思いがある。




 葬儀に参列して、感じたことが2つ。

 ひとつは、昨日お通夜にお伺いしたら、私の師匠が受付をされていたこと。

 私が絶対にかなわないと思っている人。

 その人がお通夜の席の受付におられた。

 「やっぱり、かなわないなあ」と思った。

 そして、「手伝います」と言えなかった自分。




 もうひとつが、今日の葬儀での、参列者に対する子供さんからのお礼の言葉。

 まだ大学生で、大勢の人の前で格式張った挨拶をしたことがないのだろう、言葉につまりながらの挨拶だった。

 話す言葉を忘れて数分間の沈黙が続いて、参列者の方がはらはらするような、本当にたどたどしい挨拶だった。

 故人は、若いときに世間を賑わすこともあった、やんちゃな人だった。

 それで、子供たちもいやな思いもしたという話もしていた。

 でも、子供さんがひとつだけはっきりと言った。

 「僕はお父さんの子供として生まれてきてよかった」と。

 故人は、子供さんがいい加減なことをしていていても、「今はいいけど、本当に自分のやりたいものを見つけなさい。本当にやりたいものを見つけたら、せいいっぱいの努力をしなさい」というような話をしてくれたと言っていたそうだ。

 だから「お父さんの子供でよかった」のだろうし、「自分のやりたいものを見つけてがんばっているのだろう」


 私の子供は、そんなことを思ってくれるだろうか。

 絶対にそうは思わないだろう。

 私は、ここまで何かに没頭したことがない。

 子供の頃から、勉強はしないのに成績はまあまあだった。

 何種類かの仕事についたが、大した努力もしないでそこそこの成績をあげた。

 師匠からは口を酸っぱくして「人付き合いを大事にしろ」と言われたが、ほどほどのつきあいをしていてもなんとかやれてきた。

 そんな私を見ている子供たちも、私同様に大した努力をしないまま、そこそこの生活ができている。

 だから、私の子供たちは「お父さんの子供でよかった」なんて思うことはないだろう。



 この故人にしても、受付をされていた私の師匠にしても、良きにつけ悪しきにつけ自分がやりたいことを全力でやり抜いている。

 自分がやりたいと思ったら、それが側から見ると無謀だと思うことでも必ず挑戦してきた。

 それが、すばらしいのだ。



 自分をふり返ると、なんとなく生きてなんとなくやれてきただけ。


 ただ、それも人生。

 いまさら反省はしたくない年代になってしまった。

 

 

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