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2010年8月 1日 (日)

布川事件と冤罪

 布川事件の再審で無罪が言い渡される見通しになった。

 

 43年前の事件だ。

 

 無実の罪で無期懲役の判決を受けていた桜井さんj杉山さんは、ともに63歳。

 

 20際からの40年を罪人として過ごしてきたわけだ。

 

 無罪を勝ち取った喜びはいかばかりかと思うと同時に、犯罪者として扱われた43年間を思うと人事ながらはらわたが煮えくりかえる思いだ。

 

 昔、私は、冤罪を訴える再審請求事件を懐疑的に思うところがあった。

 

 やってもいないことを自白するはずがないと思っていた。


 しかし、私の友人の友人がある事件でまったく身に覚えのないことを自白するにいたった体験を聞いてから、冤罪はあるのだと理解した。

 

 この友人の友人は起訴前に無実がはれて釈放されたが、1ヶ月におよぶ拘留期間に会社は解雇され、本人も復職を求める気力もなく、釈放後は人目を避けるように住所を変えて暮らすことになった。

 

 彼が自白にいたった経験談は、信じがたい話だった。

 

 そもそも変な事件だった。

 

 この事件は新聞で知ることになった。

 

 信じられないような強姦事件だった。

 

 友人のアパートに遊びに行って、そこに友人と友人の彼女がいた。

 

 遊びに寄った彼をもてなすために、男性の友人の方が近くの自販機に飲物を買いにいった。

 

 その間に友人の彼女を強姦したという報道だった。

 

 あり得ない話だった。

 

 自分の友人は近くに買物に行っただけ。

 

 すぐに返ってくるかもしれないのに、その友人の彼女を強姦したというのだ。

 

 
 新聞報道の犯人の名前は私の友人の友人と同姓同名だった。

 

 「あいつがそんなことをするようなやつじゃないから、同姓同名の別人だろう」という話になっていた。


 数カ月後、犯人とされた男から聞いた話はこうだった。

 

 突然警察が来て逮捕された。

 

 逮捕の理由は、強姦。

 

 強姦されたという女性は、その男の友人の彼女。

 

 そして犯行の内容は前述のとおりの内容だった。

 

 逮捕された男は、まったく覚えのないことで、わけがわからないまま警察に連行された。

 

 その後は、とにかく、「白状しろ、白状しろ」と朝から晩まで取調室で強要される。

 

 最初のうちは、まったく身に覚えのないことなので、やってないと答えていた。

 

 答えていたというより、そう答える以外になかったわけだ。

 

 しかし、取調べは連日のようにくりかえされた。

 

 その間誰にも会わせてもらえないし、連絡もとらせてはもらえない。

 

 テレビで見ていたままの、何にもない取調べ室に缶詰になって、ただただ白状しろの繰り返し。

 

 机を叩いて大声でどなったり、襟首をつかまれて壁に押しつけられたりというのもテレビでみたのと同じだったそうだ。

 

 何日間も、他の誰とも会わずに独房と取調べ室だけの毎日になった。

 

 「白状するまでは誰にも会わせない、誰とも連絡がとれないんだぞ」と言われる。

 

 そんな状態が1週間以上も続くと、猛烈な不安が襲ってくるそうだ。

 

 「とにかく白状しろ」「白状したら家族に会わせてやる」

 

 「おまえがここで死んでしまっても、だれにも知られないままにもできるのだ」

 

 とも言われたそうだ。

 

 その男は、本当に自分は誰にも会えずにこのままここを出られず、ここで死んでしまうのかもしれないという恐怖にかられたそうだ。

 

 それで、「自分がやりました」と白状したそうだ。

 

 そうして、これでやっと誰かに会わせてもらえるのだと思っていたら、突然「釈放だ」となったそうだ。

 

 その理由は、事件が被害者の女とその彼氏による狂言だったということがわかったからだった。

 

 そもそもあり得ないような不自然な状況の事件だった。

 

 警察が被害者の被害調べの中で、狂言だということが判明したわけだ。

 

 しかし、話を聞いて怖かったのは、その時の警官がこの無実の被疑者に言った言葉だった。

 

 「お前も、えらいなやつらにひっかかってしまったな」

 

 「運が悪かったと思ってあきらめるしかない」

 

 「警察の中であったことをどこに話をしても、だれもどうすることもできないのだから、誰にも話すな」

 

 と言われたそうだ。

 

 

 はれて無罪放免となったわけだが、拘留中に会社は解雇されていた。

 

 無実だったのだが、新聞報道は訂正報道をしてくれるわけでもなく、人は示談で釈放されたのだろうとしか見てくれない。

 

 彼は住所も変え、人目をさけるようにして暮らしていた。



 怖いのは、新聞やテレビで報道されることだ。

 

 この事件を知ってから、私は冤罪はあるということを知った。

 

 冤罪は、不可抗力で作られることもあるが、意図的に作り出されることもあることを知った。

 

 

 それまでは、私は再審請求事件を疑いの目でみていたのだが、この事件以来裁判のほうを疑うようになった。

 

 そんな私だが、松本サリン事件の時は河野さん疑った。

 

 河野さんが犯人に間違いないと思っていた。

 

 これが報道の怖さだ。

 

 報道がすべて正しいわけではないと思っていながら、マスコミの報道を信じてしまったわけだ。

 

 冤罪は、犯罪者としてとらわれて貴重な自分の人生の時間を奪われる理不尽さと同時に、無罪を勝ち取っても完全に犯罪者の汚名を払拭できない悲しさがある。


 警察、司法のあり方をただすことも大事だが、被疑者の人生を考えることなく報道するマスコミのあり方を考えることの方がもっと大切なことではないのだろうか。

 

 マスコミに、冤罪をでっちあげた警察や検察を非難する資格があるのだろうか。

 

 今回の布川事件でも、マスコミが自らの報道について省みる記事を目にしたことはない。

 

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