核、戦争、平和記念日
原爆投下から65年。
今年の広島の平和記念式典は、国連事務総長が参列、原爆投下国のアメリカの駐日大使も出席。
核保有国のイギリス、フランスからの出席もあった。
昨年のオバマ大統領の核廃絶に向けた演説もあって、核軍縮への流れが強まりつつあるのかもしれない。
しかし、その後クローリー米国務次官補は自身のツイッターで「アメリカが日本に謝罪することはなにもない」と述べている。
私は、中学校の修学旅行で長崎の原爆記念館で見た核爆弾の悲惨さ残酷さには大きな衝撃を受けた。
戦争反対、各開発反対の思いを強く抱いた。
そして、それ以来ずっと戦争反対、核の開発・保持も反対だった。
日本の平和憲法は世界に誇れる憲法で、堅持すべきだと思っていた。
学生生活を終え、社会人として生活するようになり、実社会での経験を重ねていくうちに、日本の平和憲法は人類の理想ではあるが、人間の本質からして現実的にはあり得ないことだと思うようになった。
普通に暮らしていても、正義が暴力に負けてしまうことはしょっちゅうあることだ。
いかにも暴力的な人が行列に割り込んできても、怖くて注意もできない。
仕事で、あきらかに無理難題のいちゃもんをつけられても、恐ろしくて何も言えずに相手の言い分をのまされたこともある。
いつも最後には正義が勝つ「水戸黄門」なんかが、一定の視聴率を取れるというのも、実世界で自分の正義を曲げて理不尽な強い力に負けている多くの庶民の、あこがれの裏返しだと思える。
私も、戦争は絶対に反対だ。
戦争は絶対にいけないことだと思う。
だから、人類が一切の武器を捨て、この世から戦争をなくすことは理想だ。
私も、子供の頃からずっとそう思ってきた。
でも、自分が大人になってくると、現実的には無理なことだと思うようになった。
太古の時代に、力の強いものが人を制しただろう。
位置は最初は素手で。
次に人は、素手では叶わない相手には石をもって闘ったかもしれない。
石よりは、こん棒。
こん棒よりは槍。
そして刀。
日本でも、小田信長が鉄砲を使ってからは闘い方が変わってしまった。
刀を武士の魂と呼んだ時代に、闘いに鉄砲を使うことは卑怯だと言われたのではないか。
そして鉄砲は、大砲や機関銃に。
大砲は、爆弾に。
人間の歴史は、より強い武器の開発だった。
そして、作られたのが核兵器だ。
私は、子供の頃から喧嘩が弱かった。
喧嘩の強いものに逆らえなかった。
自分なりに正義感は強いものをもっているのだが、暴力は怖かった。
そして、それは今でもそうだ。
自分は正しいのに、自分は困っている人の味方になりたいのに、暴力的な言動で恫喝されると引き下がってしまう。
それでも自分の正義感は残る。
それだけに、情け無い悔しい思いをすることがある。
理想では、争いのない、戦争のない世界を作ることが一番良い。
だけど、人間の本性はそれをゆるさないと思わざるを得ない。
暴力は、力だけではない、富めるものはより自分の富を増やすために合法的な暴力をふるうことがある。
私は、戦争は反対だ。
絶対に戦争なんかになってほしくない。
しかし、戦争は反対だが、核を始めとする武器を持ってはいけないとは言わない。
私は人間の本性は「悪」だと思っている。
本当に丸腰で、武器もない、暴力はふるわないとわかったとき、そんな生き方に同調して「絶対にあなたには闘いを挑みません」と思う相手がいるだろうか。
人間は、食べるのに困っていてなんとか食べ物を手に入れないと死んでしまいそうなときに、武器もなく絶対に抵抗しないか弱い人間がそばにいてたっぷり食料を持っていたら、迷うことなく食料を奪うことだろう。
かといって、みんなが武器を持っていて、その都度闘っていたのでは生命のおちおち暮らしてもおられない。
それを守ってくれるのが国家であり、警察だろう。
警察官は警棒を持ち拳銃を携帯している。
だから、人は警察官には逆らわないのだ。
繰り返しになるが、私戦争は反対で、核兵器にも反対なのだが、本当に世界で核廃絶が行なわれたとき、かならず自分だけが核を手にして他国を襲う国が出てくるだろう。
人間は核戦争を起こしてしまうほど愚かではないと思いたい。
いっそのこと、核を最大の抑止力として利用してしまってはどうだろう。
世界中の全部の国が核兵器をもって、武力による紛争解決は不可能なのだとしてしまうというのは暴論だろうか。
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昨日はお出で頂き、ありがとうございました。愛想のない娘が愛想なく応対したみたいですいませんでした。
現代社会で戦争賛成と発言するのは15年戦争当時に戦争反対と発言するのに比べれば楽なのではないでしょうか?
投稿: | 2010年8月 9日 (月) 00時26分