« 食欲の秋 | トップページ | 尊厳死の宣言書 »

2010年9月13日 (月)

村木さん無罪判決と冤罪と憲法

 郵政不正事件の村木さんが無罪になったことを先日書いた。

 自分の経験からも、冤罪は起こり得ると思っている。

 そしてその危険は人ごとではなく、いつ自分の身のまわりに降りかかってきてもおかしくないことなのだということも実感として感じている。

 一昨日、供述調書(と思う)に署名させられた自分自身の経験を書いたが、この時は被害届けの供述だったにもかかわらず、自分の意に反して署名捺印を強要されたという感覚が残っている。

 警察側の意に沿った被害届がすでに創作されていて、それに署名捺印を求められたわけだ。

 私としては訂正してほしい文言が少なからずあったのだが、それを許してはもらえなかった。

 それどころか、署名捺印しないということは、事件に加担しているように思われるのではないかという不安を覚えた。

 被害者でさえ自由を束縛されるように感じさせるのだから、被疑者の取り扱いがどれほど過酷なものになるか想像に難くない。



 私たちは、誰もが、何かの陰謀や間違いで被疑者として逮捕される危険をもっている。

 逮捕されて拘留されると、警察の希望する答えを認めるまでは、一切誰にも会えないし、連絡もとれない状況に置かれる。

 アメリカ映画のように、「弁護士を呼んでくれ」「弁護士が来ないと何にも喋らない」などというのは、日本では通用しなだ。

 「何もしていないんだから、行けばすぐにわかる」そして、「すぐに帰れる」と思っていては間違いだ。

 逮捕拘留されると、罪を認めるまでは帰れなくなってしまう。

 何もしていないから罪を認めないと拘留期間は長くなる。

 罪を認めれば保釈してくれるようだし、裁判になれば簡単に無実は証明されると思って自白調書に署名してしまうと、重要な証拠とされてしまい、裁判でこれを覆すのは非常に難しいことだ。

 このことは、平穏に暮らしている一般庶民の私たちが、絶対に知っておいた方がいいことだと思う。



 私は憲法をしっかり勉強したことがないので、憲法解釈について詳しくないのだが、憲法の条文に目を通したことはある。

 日本国憲法では、第34条「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。」とある。

 この「直ちに弁護人に依頼する権利を与えなければ、抑留又は拘禁されない」という文言があるのに、なぜ逮捕されて何日間も弁護士に依頼することもできずに拘留されるのだろうか。

 つい先日、鈴木宗男さんに最高裁で実刑判決が確定したが、鈴木さんの未決拘留期間が437日にもなっている。

 刑が確定するまでは無罪のはずなのだが、なんと無罪の期間中に437日という長期間にわたって拘留されている。

 否認をするといつまでも保釈が認められず、罪を認めるとすぐに保釈される。

 村木さんの場合でも、警察は「大した罪ではないから早く認めて保釈を受けたらどうか」と持ちかけたという。

 「大した罪」というのは殺人や傷害だというわけだ。

 しかし村木さんは、「偽の証明書を発行した罪を認めるくらいなら、恋に狂って相手の男を刺した方がまし」だと言って否認を続けたそうだ。

 私は村木さんのように強い意志を持ち続ける自信はない。

 それにしても、憲法第34条の条文の意味はどう解釈するべきなのだろうか。



 さらに、日本国憲法第38条では、①「何人も自己に不利益な供述を強要されない」
②「強制、拷問もしくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることはできない」③「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」とある。

 これはどういう意味なのだろう。

 私は、職業柄、民法は専門の教科書や参考書で勉強をしたことがあるのだが、憲法の勉強をしたことはない。

 しかし、憲法はたった103条しかないので、簡単にだが何度か目を通している。

 それで先の条文(第34条と第38条)が記憶にあって、今回六法を引っ張りだして読みなおしてみたという次第。

 法律の素人である私は、34条では「弁護士を依頼する権利を与えられなくては拘留や拘禁はされない」と単純に解釈している。

 38条では「自己に不利益な供述を強要されない」とある。

 さらには「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることはできない」とある。

 「不当に長い拘留」とは何日くらいになるのだろう。

 だから、その「不当な拘留」になる前になんとしてでも自白を強要するのだろうか。

 村木さんや鈴木さんの拘留は「不当な拘留」ではなかったのだろうか。

 もっとわからないのは、「唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされたり刑罰を科せられない」とあるのに、自白だけを証拠として有罪とする裁判が行なわれていることだ。

 法を守るべき裁判所が憲法に違反する行為をするわけがないわけで、それはどういう憲法解釈の元に行なわれている行為なのだろうか。

 今回の村木さんの無罪判決で、ふと思いついて憲法を読みなおしてみて、いっそう頭が混乱してきた、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)おじさんの今日一日でした。

« 食欲の秋 | トップページ | 尊厳死の宣言書 »

ニュース」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

先日、とある会合での話題ですが、中国資本(表面は一般会社)が日本の山林を買っている状況があるとの事で非常に危惧しておりました。ある日突然、山林の木材が切り倒されハゲ山になって放置され治水も国土保全も大変な事になるのではないか?
日本は個人所有の山林が多いので売買に関しては規制制限が出来ない?ゴルフ場が海外資本に買われている状況も怖いがそれ以上に心配との事です。どうなんでしょうか?

 そうですね。

 私も気になっていた記事です。

 木材が目的ではなくて、水資源の権利が目的なのかもしれないという説もあります。

 世界的には、食料不足と同様に水が不足しているのですね。

 オイルマネーが石油価格を高騰させて混乱させましたが、水も同じような危険をはらんでいるということです。

 お金が全ての世界になってきて、こわいですね。
 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 村木さん無罪判決と冤罪と憲法:

« 食欲の秋 | トップページ | 尊厳死の宣言書 »

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ