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2010年9月14日 (火)

尊厳死の宣言書

 私は、まだ死を現実問題として実感するほどの年齢でもないのだが、遺言を書いている。

 遺言というとまず思うのは、財産の分け方についてだろう。

 私も、遺言には相続方法について書いてある。

 併せて、借金状況についても詳しく書いている。

 借金といっても、私の職業柄、その大半は収益を得ている不動産購入のためのもので、支払いに困難をきたすものではない。

 また、不動産の購入にあたっては、その都度その内容を妻には話をしている。

 当面の生活に困らないようにはしているのだが、突然私が死んでしまったら、妻や子供たちは借金をどのように返済していったらいいのか途方にくれることだろう。

 そのために、財産の相続方法と同時に借金の返済方法も書いているわけだ。

 そして、当然かもしれないが家族、お世話になった方への感謝の気持も書いてある。

 私は、遺言は元気なうちに書くことが大事だという思いを強くもっているのだが、このことについては今後の課題として書いていこうと思っている。



 今日の話題だが、私は遺言書とは別に「尊厳死の宣言書」なるものを書いている。

 「尊厳死の宣言書」については、「日本尊厳死協会」のホームページにあったものをそのまま使用させていただいている。

 「尊厳死の宣言書」については5年前にその存在を知って、その日にその内容をそのまま自筆で書いて、手帳にはさんで常に持ち歩いている。

 そしてこのことは家族にも伝えている。

 私は、遺言書を元気なうちに書くべきだと思うのだが、それ以上にこの「尊厳死の宣言書」こそ元気なうちに書いておくべきだと思っている。


 そのことを通説に感じたのは、3年前に父を亡くした時のことだった。

 80歳を過ぎても元気だった父だったが、体調を壊し入院して1カ月足らずの期間で亡くなった。

 まだ父が亡くなるなんて誰も思っていなかったのだが、入院して10日くらいでみるみる病状が悪化してしまった。

 それでも父が「死ぬ」などとは思っていなかったのだが、私は医者から病室の外に呼ばれ「まだ今すぐということではないが、この先必要になったら延命措置をとるか、それとも延命措置はとらないかを決めておいて欲しい」と言われた。

 私自身は「尊厳死の宣言書」をすでに携帯していた。

 医者は私の同級生だったので、日頃も率直に自分の意見を言っていた。


 それで、私は自分が携帯している「尊厳死の宣言書」を見せ、「自分は自分が死に直面した場合に延命措置はとってほしくないと思っているが、父の意志は分からない」と答えた。

 医者からは、「今すぐ返答はできないだろうが、家族で話し合って明日までには方針を決めておいてもらいたい」と言われた。

 家族(弟、妹)に相談したが、弟も妹も、私の判断にまかせると言う。

 まかせると言われても、まかされる私の責任は重い。

 私は、自分自身では延命措置は不要と思っていることを二人に説明し、父の延命措置は不要と思うがそれでいいかと聞いたところ、答えは私の意見に従うと言う。

 これまた、従うと言う。

 従うと言うのではなくて、同意見だと言って欲しい。



 次の日に医者から看護師の詰め所に呼ばれ、再度の意志の確認をされた。

 そこには医者だけではなく5、6人の看護師が同席していた。
 
 医者と看護師に囲まれる形で答えなければならないわけだ。

 深刻な話しなだけに、その全員が固唾をのんで私の答えを待っている。

 私は「延命措置不要」と結論を出していたのだが、大勢の看護師さんたちの中でその言葉を発するのには相当なためらいを感じた。

 正直なところ、「延命措置不要」と言うと冷たい子供だと思われるのではないかと思って、答えるのを躊躇した。

 医者が同級生でなかったら、ためらいはもっと大きかったように思う。



 このとき改めて「尊厳死の宣言書」の大切さを感じた。

 「尊厳死の宣言書」は自分自身のために書いたのだが、延命措置が必要な状況になったときの家族のためにも「宣言書」を持つべきだと思う。

 「宣言書」があれば、延命措置をどうするかの決定を迫られた家族の心の痛みをずいぶん和らげてくれるだろう。
 
 ぜひ元気なうちに「尊厳死の宣言書」を書いて携帯することをお勧めしたい。




 私が携帯している「尊厳死の宣言書」は下記の通りです。

 これは「一般社団法人日本尊厳死協会」のホームページにあったものをそのまま書き写したものです。

 もし持たれる場合は、ワープロ等で書くのではなく自筆で書くことが必須条件です。

                     
尊厳死の宣言書(全文)
(リビング・ウイル・Living Will)

 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。
 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
 従って、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。 
  
① 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期が迫って
いると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は
一切おことわりいたします。

②但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。
そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとして
も、一向にかまいません。

③私が数ケ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切
の生命維持装置を取りやめて下さい。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
                               平成  年  月  日

   フリガナ                                          、
   氏  名                  (印)   年  月  日  生
   住  所
                                          、

 

 尊厳死と安楽死とは違います

 安楽死は、助かる見込みがないのに、耐え難い苦痛から逃れることもできない患者の自発的要請にこたえて、医師が積極的な医療行為で患者を早く死なせることです。

 尊厳死は、傷病により「不治かつ末期」になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。

 高齢化社会に入り、「生と死」について、語り合う機会が多くなりました。

 元気なうちに、いざという時に備えて、自分の「死に方」について考えてみませんか?

 というのが尊厳死協会の考え方です。

 ちなみに、私は「尊厳死協会」には加入していません。

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