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2010年10月

2010年10月31日 (日)

うかつにも、ギャラクシーの発売を知らなかった。

 明日iphoneを買いにいくのに、どんな契約プランがあるのかを見ようと思ってネット検索してみたら、ドコモのギャラクシーが28日に発売になっていたことを知った。

  11月末の発売予定だと聞いていたので、それまで待てなくてiphoneにすっかり気持が行ってしまっていた。

 28日に発売されたなんて知らなかった。

 価格comでは、すでに2000件以上の口コミ情報と34人からのユーザーレビューが投稿されているではないか。

  iphonehは電波状況が悪くて受信できない場所が多いらしいから、ドコモは電話とメールをそのまま使って、インターネットと仕事上の情報整理をiphoneでなんて思っていたのだけど、ギャラクシーへ変更する案が急浮上。

 価格comで、すでに使って見た人からの書き込みを見ると、これはよさそうだ。

 ということで、たった今ドコモショップに電話してみたら、予約がいっぱいで入荷が来年になるということ。

 入荷時期が未定ということだが、しばらくギャラクシーの評判を見ていくことにした。

 この2、3日の気持の高まりは、とりあえずダウン。

 当面は、調子の悪い今の携帯を使っていく。




 それにしても、インターネットの世界はつくづくすごい。

 発売から3日で、34人からの感想の書き込みがあるのだから。

 それを鵜呑みにできないのがインターネットの恐さ。

 ドコモの関係者が自社宣伝のために書き込んだり、ドコモのライバル会社の人が欠点をあげつらう書き込みをしているのかもしれない。

 長短とりまぜて、インターネットはすごい世界だと、改めて思いいたった今日の出来事だった。

 

2010年10月30日 (土)

頭の中はiphonとipad

  このところ携帯電話の調子が悪い。

  カメラモードにすると固まってしまって、動かなくなる。

  カメラは余り使わないから、電話とメールとネットをする分にはまだ使えるのだが、間違ってカメラモードのボタンに触ってしまうと電話もできなくなる。

  だから、やっぱり買換えないといけないわけなんだけど、そうなって気になりだしたのがiphoneとipad。

 今、ジャスコに買い物に行ったついでに本屋に寄って、ipadの使いこなし方みたいな本を読んでみた。

  その中で、堀江氏の使いこなし方法が数ページにわたって紹介されていたが、iphoneとipadを連携して使っていた。

  堀江氏が、日常的に頻繁に使うのはiphoneの方だということだった。

  それで、ジャスコ内のソフトバンクの売り場に行ってiphoneのデモ機をさわってみた。

  iphonが最初に出たときにもさわってみたのだが、internet の動きがドコモと大差なかったので、使い慣れたiモードでいいな、なんて感じだった。

  しかし、現行のiphoneをさわってみると、格段に使い勝手がよくなっているように感じた。

  来週あたり、契約方法を検討してiphoneを導入していることだろう。

2010年10月29日 (金)

究極の無料相談

 さっき、遅い昼ごはんにしようかな、なんて思っていたら、お客様が入って来られた。

 ん?一度来店されているお客さんじゃないかな?

 と思いつつ「いらっしゃいませ」と声をかけると、「あのー、以前相談に来たことがあるのですけど覚えてらっしゃいますかね?」と言われる。

 その声で、私の記憶がよみがえった。

 一年くらい前突然来店されたお客様で、宮崎の不動産会社が売りに出しているマンションを買おうと思っているのだけど、買った方がいいだろうか、なにか問題点はないだろうか、という相談に来られた方だった。

 そのマンションは当市内(延岡市)にあるもので、宮崎市の不動産会社が新聞に入れていたチラシ広告は私も見ていた。
  
 それを買おうと思って、その不動産会社と商談をしているのだが意見を聞かせてくれというのだ。

 自分が商談をしていたお客様が、他の不動産会社で良い物件を見つけて、それをどう思うかと聞かれたことはある。

 しかし、このお客さんのように、飛込みで来店して、いきなり「このマンションを他の不動産会社で買おうと思っているのだけど、どう思いますか」なんて相談を受けたのは、30年の不動産業歴で初めてのことだった。

 答えようもない相談だったから、私に相談をされても困るといってお引き取りをお願いするのだが、私の意向を無視してなかなか帰らない。

 私にとっては害こそあれ、まったく益のない相談であったが、マンション経営についての注意点を話してあげて、あとは自分で判断してくださいということしか言えなかった。

 ご年配のご婦人だったので厳しい言葉も言えず、最大限に親切に答えていたつもりだったが、その答えには満足できず、「専門家として儲かるか。買ってもいいか」を答えてくれという。

 買った方がいいと言って経営が上手くいかないときは恨まれるだろうし、買わない方がいいと言って他の人が買って上手くいっても恨まれるだろうし、答えられる話ではない。

 それで、「私も忙しいし、お引き取りください」と言っても引き下がらない。

 自分の聞きたい答えを聞くまでは買えりそうもない。

 しかたなく、「あなたが買った方がいいか、買わない方がいいかは答えられない。敢えて言えることは、私だったら買わない」と答えて、それを最終の答として強引にお引き取り願った。

 やっと帰ってもらってほっとしたのだが、次の日に再度来店されて、「あなたはなぜ買わないのか」「なにか問題があるのか」と言うのだ。

 さすがに私も迷惑だから、「私は今からでかけますので」と言って早々にお帰り願った。

 そのお客さんが、突然の来店。

 なにごとだろう。去年の不愉快な記憶がまざまざと思い浮かぶ。

 こわごわ、「きょうはどういうご要件で?」と切り出すと。

 実は、あの物件は買わなかった。

 そのかわりに、もっと良い物件があるというので宮崎市のマンションを見に行った。

 そのマンションが非常に気に入って30万円払ったけど、それはどういうお金だったのだろうという、わけのわからない相談だった。

 前以上に迷惑な相談である。

 なんで私に相談に来たのかと聞くと、銀行に相談したら、私が詳しいから私に相談したらいいと言われたから来たのだという。

 私の取引のある金融機関だったのでむげにもできず、一応話を聞いてみたが、話がよくわからない。

 例によって長々と自分の話をされるので、「要するに何が相談したいのか」と尋ねた。

 すると、要は支払った申込金?30万円を取り戻す方法はないかということ。

 面倒な話に巻き込まれてもこまるから、「それは警察か弁護士に相談した方がいいんじゃないですか」といって、それ以上詳しい話は聞かないようにした。

 そう言って相手にしないでいるのに、いろいろと状況を話す。

 契約書みたいなものは返した。領収書はくれなかった。見晴らしのいい物件だった。等々、ランダムに相手の不動産業者がおかしいということを私に訴える。

 私も以前のいきさつもあるし、ちょっと言葉を荒らげて「そんな問題を私に解決してくれといってもできないからこれ以上話は聞かない」「警察か弁護士に相談に行きなさい」と話を遮った。

 すると、なんということだろう。

 「警察に相談に行ったら、弁護士に相談に行けと言われた」

 それで、弁護士に相談に行ったら「30万円を取り戻すために、弁護士費用が同額くらいはかかる。低額訴訟という方法があるから、自分でやってみてはどうか」と言われたというではないか。

 そんな相談をいろいろやった上で、私のところに来たというわけだ。

 あきれて、「警察でも、弁護士でもだめなものを、私に相談されても無理ですよ。お帰りください。」と答えたのだが、警察や弁護士には相手にされなかったが不動産の専門家として何か方法はないか考えてくれと言ってすんなりとは帰らない。

 「とにかく、警察でも弁護士でもだめだったものは、私にはどうしようもないんです。お引き取りください!」と言って帰っていただいた。

 このところ、無料相談が続いているが、究極の無料相談を受けた今日の昼休みだった。

2010年10月28日 (木)

今日は寒いが、そんなに寒くはない

 今朝は寒かった。

 それは私の感想。

 そして、みんなそう感じたみたいだ。

 朝起きて、家族に「おはよう。今朝は寒いな」と言う。

 「うん、寒いね」と返事が返ってくる。

 出勤して、社員にも「おはようございます。今日は寒いね-」と言う。

 「寒いですね」と返事が返る。
 
 今日の寒さは、そんなにたいした寒さではない。

 日常の挨拶に、「暑い、寒い」から切り出すとスムーズに会話が始まるから「寒いね」って言っているだけだ

 テレビが寒いと騒ぐのは、それとはちょっと違っている。

 今年一番の冷え込み。

 11月下旬の寒さ。

 この時期の気温としては、○十年振りの寒さ。

 体調を崩す人が続出。

 こんな寒さでも、大騒ぎ。

 そして、例によって街頭インタビュー。
 
 インタビューを受けるひとも、”空気を読んで”、「さ-むーい-」とオーバーに答える。

 暑い、寒いなんてオーバーに言わなくても、勝手に感じるんだ!

 「ちょっと寒いなあ」と思っていたのに、テレビが騒ぎ立てるから、心底寒く感じてしまいそうになるではないか!
 そんなに大したことではないのだけど、各局が「寒い映像」競い合あって、トップニュースとして報道するのを見て、いつものように単純構造の脳味噌をもったテレビおじさんは少々怒りを感じる今日の一日。

 暑い、寒いなんてオーバーに言わなくても、勝手に感じるんだ!

 「ちょっと寒いなあ」と思っていたのに、テレビが騒ぎ立てるから、心底寒く感じてしまいそうになるではないか!

2010年10月27日 (水)

黒毛和牛 滅亡の危機

 今朝のワイドショーを見ていて、あれこれチャンネルを回していたら、黒毛和牛に滅亡の危機がせまっているという話をしていた。

 食用の和牛は4種で、そのうち「黒毛和牛」が全体の95%だそうだ。

 テレビは大げさで一方向にだけ話が偏るので、ウィキペディアを見てみたら、黒毛和牛が80%となっていた。

 数字に若干の差があるが、和牛の大半が黒毛和牛であることは間違いない。

 ちなみに、ウィキペディアを調べたついでに、残りの3種の和牛の記事を転記しておく。

 黒毛和牛に続く2番手は、「褐毛和種」(あかげわしゅ)
 毛色は黄褐色単色。
 国内食用種の10 %を占めると推測される。
 熊本と高知で飼われているということ。
 阿蘇の草原で見かける、褐色の牛がこれなのだろうか。
 
 3番手が「日本短角種」
 毛色は濃赤褐色単色で、そけい部白斑のものもいる。
 国内肉用種の1 - 2 %ほどがこの種であると推測される。
 東北に大部分が、次いで北海道に少数が飼育されている。

 最期が、「無角和種国内肉用種」
 毛色は黒。無角。(だから無角和種なのだろう)
 体格は小型。
 ほとんどが山口県阿武郡で多く飼育されている。
 これは、国内肉用種の1%にも満たない。

 この結果を見ても、和牛といえば、黒毛和牛ということになるようだ。

 そのわけは、日本人の霜降り肉信仰によるものだ。

 霜降り肉として育てるのに最適なのが黒毛和牛ということだ。

 ワイドショーに赤毛和牛を飼育している農家の方が出ていたが、経営的なことだけを考えたら黒毛和牛が一番いいのだという。

 褐毛和牛は黒毛和牛より1割から2割価格が安い。

 それでも、褐毛和牛を育てているのは、褐毛和牛が好きだからという話だった。

 他の種類の牛を飼っている農家の方々も、きっと同じ気持なのだろう。

 ところで、日本の大多数の酪農家が飼育している黒毛和牛が滅亡の危機にあるとはどういうことなのだろう。

 それは、消費者の霜降り肉嗜好にあわせて品種改良を続けてきたことが、種の滅亡の原因になるという。

 管理者が暮らす宮崎での口蹄疫問題で、宮崎牛の種牛の処分方法について東国原知事と農水大臣が対立したのは記憶に新しい。

 あの時わかったことだが、宮崎県家畜改良事業団が飼育する種牛が55頭。その種牛の中から6頭だけの種牛から、農家に供給している冷凍精液が9割を占めているということだった。

 その6頭の殺処分の特例措置をめぐって大騒動になったわけだ。

 極端に言うと、宮崎牛の父親は6頭に限られていると言ってもいいのだろう。

 美味しいサシの入った肉牛を育てるために、全国で同じように肉牛の生産が行なわれいてる。
 その結果、現在、黒毛和牛の個体種は50系統になってしまっているそうだ。

 自然界では50系統を下回ると、その種の生物は絶滅するらしい。

 近親交配を続けていると、内臓疾患や骨格異常などの先天性異常の弊害が発生しやすくなるり、種の滅亡につながるという。

 近親交配については、競走馬の世界では古来から行なわれているわけで、早々に黒毛和牛が滅亡するなんてことはないだろう。

 それより美味い牛を育てるのに、人間が食べる大豆やトウモロコシといった穀物を餌として大量に消費することのほうが心配だ。

 牛肉1㎏を作るのに、トウモロコシが8㎏もいるという。

 高級黒毛和牛ともなるともっとたくさんのトウモロコシを食べさせる。

 おまけに、ビールまで飲ませているところもある。

 中国のめざましい経済発展にからんで、資源・食糧問題を話題にしているが、中国に続く発展途上国と言われる国が、みんな豊になってきて、その国の人たちがみんな美味しいものを求めるようになると、食料危機は深刻な問題になるだろう。

 そう遠くない将来に滅亡するのは人間の方だろう。

2010年10月26日 (火)

「いい気候」という言葉は死語?

 この季節は、私の一番好きな季節だ。

 暑くもなく、寒くもない。

 それでいて、朝夕はちょっと肌寒くて、それが空気が澄みきった感じで心地よい。

 そんな素敵な季節だというのに、このところ「いい気候」という言葉を聞くことが少なくなった。

 暑くもない、寒くもないというのは、現代人にとって刺激が無くて「いい気候」とは感じられないのかもしれない。

 ひとつには、テレビのおせっかいのせいだと思う。

 私は、9月の終わり頃にもブログに書いたのだが、「暑い」だとか「寒い」だとかは、わざわざ教えてくれなくても、自分で感じるものだ。

 「今日は暑いですね」とか「いい気候になりましたね」「寒くなりましたね」なと挨拶のきっかけに気候の話をするのはいい。

 テレビでは、「いい気候になりましたね」と言うことは少ない。

 今年は、9月の中旬までは「猛暑」「猛暑」と騒ぎ立てていた。

 9月の終わりまでは猛暑が続きそうなことも言っていた。

 今年は秋が来ないというような騒ぎ方をしていた。

 確か、「『暑さ寒さも彼岸まで』という言葉があるように、お彼岸までは昔から暑い日があってあたり前なのに、なんでもかんでも異常気象にしてしまうな」というようなことを9月下旬のブログに書いたはずだ。

 昨日からは、ワイドショーや天気予報では、「冬の足音が聞こえてきた」「今晩からはぐっと冷え込む」「寒さ対策をしたほうがいい」などと騒いでいる。

 暑い、寒いは言われなくてもみんな感じることだ。

 突然の異常気象で、凍死するような冷え込みが突然にやってくるのなら、大騒ぎして注意喚起してほしいが、今日くらいの気温の変化は季節とおりのものじゃないか。

 「暑くもなく寒くもない、いい気候になりましたが、朝夕の温度差にはお気をつけください」って、さらっと触れる程度でいい。

 ちょっと寒い日がくると、北海道で雪が舞う光景をとりあげたり、霜がおりたことを騒ぎ立てたり、日本中があっという間に冬になってしまうかのように大騒ぎするのはやめにしてほしい。
 人心を騒がせるのがテレビの役目だと勘違いしているのではないか。

 と、怒りつつ、テレビ大好きで、チャンネルを回し続ける、なさけないおじさんなのだ。
 

銀だら 価格高騰 と 米政策

 「銀だら」の価格が高騰しているという。

 「銀だら」というのは、鱈(たら)ではなくて、大型の深海魚。

 大きな魚で、切り身でしか見かけることはない。

 見た目はちょっと鱈に似ていて、白身で脂肪分が多く、煮つけにしても塩焼きにしてもなかなかおいしい。

 市販の弁当のフライなんかで使われている。

 この「銀だら」がこのところ値上がりしているという。

 原因は、またしても中国である。

 中国がコンテナごと買い占めたりしているという。

 その影響で、銀だらにとどまらず、冷凍の魚全体の価格も上昇している。



 2005年には、中国が水産物輸入量でトップに立った。

 中国の漁獲高は日本の4倍もあるというのに、それでも自国での需要をまかないきれずに輸入しているというわけだ。

 1980年に一人当たり5.2㎏だった一人当たりの魚の消費が、2005年には25.6㎏に増えている。

 経済が豊になって動物性のタンパク質の需要が増えたことと、魚の美味しさがわかってきたことが原因なのだろう。



 中国の抱える人口は13億5千万人。

 まだまだ、全人口の半分以上は低所得層だと思われるが、このまま中国の経済発展が続けば、もっと食料の奪い合いが激化するのだろう。

 尖閣諸島だけでなく、ベトナム、インドネシア、マレーシアとも強引な領海主張をしているのは、石油資源だけではなくて食糧問題も関わっていてのことだろう。

 これは中国だけが引き起こす問題ではない。

 今まで発展途上国と言われてきた国々が、みんな豊になりつつある。

 日本は、絶対に米だけは、国策で保護してでも自給できるようにしておくべきだろうなあ。

 米さえあれば、なんとかなるさと、毎度のことながら変な心配をしている今日の私なのだ。

 

2010年10月25日 (月)

羽田新国際ターミナル

 羽田空港が21日、新国際線ターミナルを開業した。
 
 新しくできたD滑走路を使って、31日から32年ぶりに国際線を復活させる。

 アジアのハブ空港を目指すというわけだ。

 開港をひかえて、報道各社はいっせいに新国際ターミナルを取り上げていた。

 どの局も、モノレールと電車からのアクセスの良さや、江戸の町並みを再現したという飲食店を賑々しく報道していた。

 都心からのアクセスがいい、外国から来たお客さんに日本の良さをわかってもらえる店作りをしていると、各局ともに絶賛していた。

 また、街頭インタビューで、利用者に感想をを聞いていたが、全員が非常に便利になって海外旅行がしやすくなるという意見だった。

 ところがである、昨日のサンデーモーニングで放送されていた街頭インタビューでは、「ターミナルが小さい」「商業施設も規模が小さい」「仁川空港なんかと比べると、羽生空港としては、はるかに見劣りする」という意見だけを報道していた。

 さらに、航空評論家にも意見を聞いていたが、国際的にはハブ空港といえる規模ではない。
 成田と羽田を連携してハブ空港化することを考えていかなければならないと言っていた。

 これがテレビの恐いところだ。

 テレビで報道する街頭インタビューは、それが全体を代表する意見のように感じてしまう。

 10人に聞いて賛否が半々だとしても、放送する側が自分に都合のいい意見や感想だけを放送している。

 自称「テレビおじさん」の私は、テレビをずっと見ていたのだが、開業前の報道で新国際線開業に否定的な意見はまったく見ていない。

 昨日のサンデーモーニングで初めて、利用者からの若干否定的な感想を聞いた。

 良好慣れしているような利用者が全員、「小さい」という感想だった。

 そして、評論家のハブ空港にはなり得ないというような意見を重ねていた。

 開業前の放送でのインタビューの際にも否定的な意見を述べる利用者がいただろうし、サンデーモーニングが取材した際にも肯定的な意見を述べる人が多数いたのだと思う。

 それを放送の主旨に沿った意見のみを切り取って放送しているわけだ。

 それを重々承知しているのだが、テレビでの露出時間の長短が世間の体制だと思い込まされてしまう。

 あらためて、テレビの恐さを再確認した昨日の私だった。

2010年10月24日 (日)

チリ落盤事故と中国経済と日本外交

 チリ落盤事故に関連して、日本の外交が心配になってきた


 
チリは銅の産出高は世界第一位で、世界の34.4%を産出している。

 ちなみに、2位のペルーが8.1%。3位がアメリカで7.8%となっている。

 このところの銅価格の高騰で、いったん閉山していた鉱山までが操業を再開しているのだという。

 今回落盤があった鉱山も、そんな鉱山で、安全面の問題は指摘されていた。

 そんな劣悪な労働環境なのに、銅価格の高騰にともない、他の仕事より給料が高いということで、銅採掘の仕事に従事する人は多いという。

 銅価格は、2004年の4倍にも高騰しているということだが、その一番の原因は中国での銅の消費が急増しいてることにあるそうだ。

 ここでも、中国が大いに影響を与えているわけだ。

 言い意味でも、悪い意味でも、中国が世界経済を牽引していると言える。

 中国の急激な経済発展は想像を超えるものがある。

 なにせ、人口は13億5千万人。

  自国内に、世界人口の5分の1にあたる消費人口を抱えているのだ。
 
  今は急激な経済発展の過渡期で、貧富差が大きく、富裕層と言われる人が1割程度なのだろうが、残りの9割の貧困層の何割かが中流階級的な暮しをするようになったとき、世界の資源はあっというまに枯渇してくるのではないだろうか。
 
  ちなみに、経済発展の著しいブリックスと言われる、ブラジルの人口は2億人で世界第5位。
 ロシアが1億4千万人で9位。インドが12億人で世界第2位。
 そして中国が13億5千万人で1位。

 これらのブリックス諸国の人口は世界の45%になる。

 中国に続いて、12億の人口を抱えるインドも経済発展にめざましいものがあるわけで、これから先は資源の取り合いになっていくことだろう。

 資源のない日本は、これまでは経済大国という立場で、世界中の資源をかき集めていたのだが、これから先は資源の独占はままならなくなるだろう。

 金があるからなんでも買えた時代は終わりつつある。

 資源の奪い合いが始まっているし、資源を重要な武器ともなり得る。

 中国のレアアースの輸出制限などがその典型だ。

 食料、水資源も奪い合う時代がすぐそこまで来ている。

 経済大国の名のもとに、輸入した資源で作った工業製品を輸出し、儲けた金でなんでも手に入れてきたのが日本だ。

 世界中の食材を買いあさり、途上国で安く生産した食料に依存してきた。

 その結果、日本の農業はすっかり崩壊しつつある。

 その途上国は、徐々に経済発展をしつつある。

 中国は今や食料輸入国となっている。



 そんな時代だから、
せめて、食料、とりわけ米だけは完全自給を続けるべきだ。

 日本の米は高いから、安いところから輸入すればいいなどと、のんきなことを言っていて、米まで輸入にたよることになったら、近い将来には兵糧攻めで攻撃されかねない。



 さらに、一番肝心なことは、日本の政治家がもっと外交問題に真剣に取り組むことだ。

 驚異なのは、中国だけではない。

 このところの、各国の通貨安競争を見ていてもわかることだが、世界中が自国の利益のみしか考えない、生き残り競争が始まりつつある。

 アメリカに言われてふらふら、中国に言われておろおろ、首脳会議や国連では、良い国ぶって格好ばかりつけているのでは、これからの日本は立ち行かなくなってしまう。

 選挙のときは、「国のために命をかけて」と言う言葉を、どなたも連発していらっしゃったが、言葉通り「命をかけて」他国と交渉していく気概をもっていただかないと、日本の将来は危うい。

 などと、大上段に大きなことを言ってしまい、また「傘がない」が頭の中をかけめぐる今日の私なのだ。

2010年10月23日 (土)

サザエさんをさがして、冤罪事件

今日の朝日新聞土曜版「be」の「サザエさんをさがして」に興味あるネタが載っていた。


 まずは、1956年4月20日朝日新聞朝刊掲載の漫画。

  ちゃぶ台を前に、波平が週刊誌を読みながら、「また無実のつみで殺人罪・・」とつぶやく。
  隣の部屋からカツオの大きな泣き声が。
  「ボクじゃない」「ボクじゃない」「ワーン」「ワーン」
  その声に波平が、「いきなりしかるな!ここつれてきなさい」と言う。
 
  サザエ連れられて波平の前に引っ張りだされたカツオは、「ボクがおはぎをたべたというんです。わーん」と泣きながら無実を訴える。
  しかし、カツオの口の周りはおはぎのあんこがべっとりとついている。
 
  それを見た波平は、「却下」といって二人を下がらせる。
 
  という4コマ。
 
  この時期に取り上げられていた冤罪事件は、「京都・五番町事件」。
 
  1955年4月、京都市で発生した傷害致死事件で、1年後の56年4月に真犯人が凶器を持って京都地検に自首してきて、裁判中だった4人の少年の冤罪が明らかになったというものだ。
 
  この事件はずさんな捜査とともに、真犯人が名乗り出た理由として、一本の映画が原因となっていたことで注目された。
 
  その映画は、今井正監督の「真昼の暗黒」という映画だ。
 
  そのときまだ裁判が続いていた「八海事件」を題材とした作品だった。

  「八海事件」は、51年、山口県麻郷村で老夫婦か犠牲になった強盗殺人事件で、単独犯だった犯人が極刑を免れるため、知り合い4人との共犯だったと供述し、5人が起訴されたという事件。

  また、このころは松川事件が裁判で冤罪が明白になりつつある時代だった。
 
  それで、1コマ目の、波平の「また無実のつみで殺人罪」というセリフになったというわけだ。




  八海事件の裁判は、その後も迷走を続けた。
 
  差し戻しの広島高裁で一度は4人が無罪になったが、検察側が再上告したため、再び差し戻しになり、4人の無罪が確定したのは事件から17年後のことだった。
 
  この事件の真犯人は、2審で無期判決を受け、71年に仮出所した。その5年後に病死したが、残された獄中ノートは、法廷での証言が検察の脚本にあわせたものだったことを教えてくれた。

 現実の裁判では、 「疑わしきは被告人の利益」という言葉は存在しない。
 
  「疑わしきを罰せざるは、(検察官の)出世にひびく」なのだろう。


  ところで、この事件でぬれぎぬの罪で3度も死刑判決を受けた阿藤修平さんは83歳で、今も健在だそうだ。
 
  その阿藤さんは、無罪判決が出た郵政不正事件について、「検察のやり方は昔と全く変わってない。都合の悪い証拠は隠すし、証人は脅かされる。こういうことを訴えていくために、まだまだ死ねない」と言っている。
(以上、朝日新聞 10.10.23 土曜版be)
 


  何度も言うが、こんな記事を読むと、同じようなことが、自分の身に降りかかるってきそうな恐怖を感じてしまうのだ。
 
  こんなとき、私は「無実だ」と言い続ける自信がない。
 
  疲労と恐怖から、警察や検察の脚本とおりに喋ってしまうだろう。
 
  警察が書いてきた自分の意にそぐわない被害届に、いやいやながらに署名させられた30年前の記憶が今でもちらちらよみがえる。
 
   被害者としての立場でも警察の人の言動に恐怖を覚えた。
   
   そんな気の弱い私だから、頼る者がいない取調室の中で、一人で闘つ続けることはできないだろう。
   
   だから、そうならない仕組みを作ってもらいたいのだ。

 そして、こんなことを言える今が長く続くように、小さな声で言い続ける今日の私なのだ。
   

チリ落盤事故 その後

 さすがに、チリ落盤事故のニュースは落ち着きを見せてきた。

 33人が救出されるまでは、世界中がが奇跡の救出を待ち望んだ。

 マスコミも、無事救出されることだけを報道していた。

 マスコミとしては、しばらくは話題のつきない大きな事件で、しばらくは続けられるおいしいネタだっただろう。

 救出されて一段落すると、予想通りにいろんなネタの競演が始まった。

 愛人問題だとか、シェルターの中で喧嘩があっただとか、食べ物をとりあったのだとか、美談だけではないさまざまな報道が飛び交った。

 すでに映画化は決定しているということだし、出版も予定されているという。

 一節によると、事故に遭った33人が共同で版権を持つという話で、印税が一人あたま3億円になるという話もある。

 一方で、落盤事故を起こした会社は破産宣告をしており、この33人以外の社員は全員解雇をされているという報道もある。

 救出された33人は、衆目にさらされ、羨望と嫉妬の入り交じった好奇の視線を浴びながら生きていかなくのだろう。

 そして、予想もできないような人生が待ち受けていることだろう。

 全員が、災い転じて福となることを祈りたい。

2010年10月22日 (金)

大阪地検、証拠改ざん事件と検事総長

 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、検事総長が陳謝の会見をしたことで久し振りに大きく取り上げられていた。

 この問題は、めずらしく長期にわたってマスコミが取り上げ続けている。

 ぜひぜひ、ずっと注目し続けて欲しい。

 私も、この問題は重大な問題だと思って何度も書いている。

 それは私の正義感からではなく、恐いからだ。

 私は、冤罪事件に巻き込まれかかった例を身近に経験していて、自分にも無関係な事件ではないと、心底恐怖を感じている。



 検事総長の陳謝会見にともなって、総長の進退問題や関係した検事の処分についてに目が行ってしまいがちだが、検察が無実とわかりつつ罪人を作り出そうとしていたことが怖いのだ。

 今回の事件に関連した検事や、その監督責任者の責任追及にばかり目がいってしまうことが心配でたまらない。

 私は、権力や暴力にはからっきし弱い人間だ。

 だから、権力者や暴力で支配する連中に捕らえられて、「言う通りにしろ!」と命じられたら、すごすごと従ってしまうだろう。

 幸い、今の日本は言論の自由が保証されている。

 だから、自分の意見が言える立場であるうちに、言いたいことを言っておこうと思うわけだ。
 今回の事件重要なことは、やったことについての責任追及ではなくて、こういった事件を起こさないために、どのようにすればよいのかを検証することだ。

 私は、検事は公益の代表者であり、社会秩序の番人だと思っていた。

 しかし、今回の事件で改めて知らされたことは、検事も一国家公務員であり、組織の中で組織のルールのもとに生きているということ。

 そして、彼らは国家公務員報酬を糧に生きているということだった。

 正義の使者というのは幻想で、検察といえども生身の人間の集団なのだ。

 人間が法という名の元に強力な権限を持たされるわけだ。

 法律を少しだけ学んだ私だが、法の強さと法の恐さはちょっとはわかっている。

 権限を持つ人が暴走しないような制度はできないものかと考える今日の私なのだ。

2010年10月21日 (木)

クマ出没

 日本各地でクマ出没情報が相次いでいる。

 18日までに朝日新聞がまとめた情報によると、今年クマに襲われ4人が死亡、100人がケガをしている。
 
 一方、クマの方も2399頭が捕獲・駆除されている。

 原因はいろいろと言われている。

 クマの餌であるブナなどのドングリが不作なこと。

 猛暑でその実が早く熟して落ちてしまったこと。

 人とクマなどの動物を隔てる緩衝地帯としての里山が荒廃し、山からそのまま人里に現れるようになったということ。

 いろいろと原因は言われているが、もう一つの原因として散弾銃やライフルを扱う免許を持った「猟友会」の会員の減少があげらている。

 ここ数年、イノシシや鹿などが人間の居住地に現れたという報道をちょくちょく見かけるが、狩猟人口の減少にともなって、獣類の個体数が増加しているのかもしれない。

 人間が動物たちの生活の場を奪い、彼らを絶滅の危機に追いやっておきながら、一方では保護運動をする。

 増えたら増えたで、間引きしろという。

 人間が生きていくということは、実にやっかいなことだ。

 地球にとって一番の問題児は人間なんだと思い知らされた、今日の私なのだ

2010年10月20日 (水)

クレジットカード現金化商法

 クレジット現金化という商売があるそうだ。

 クレジットカードでの支払代金の一部を利用者にキャッシュバックし、手数料をとるのだという。

 クレジットカードのショッピング枠を利用して、価値のないものを高額で購入させ、手数料を差し引いた現金をキャッシュバックするという手法だ。

 例えば、ビー玉やゴルフのティーといったほとんど価値のないものを10万円で購入させ、1万円の手数料を引いて9万円をキャッシュバックする。

 お客は、クレジット会社に返済するまでの間、現金を手にすることができる。

 業者は形式上は通販会社で、クレジット会社から商品代金が支払われる。

 顧客が返済できなくなっても、クレジット会社が損失を被るだけという仕組みだ。

 当然のことながら、利用者は多重債務者が多いようだ。

 貸金業法改正以降、このようなクレジットカードを使った不正な現金化が法規制をかいくぐる新手の「ヤミ金」として横行している。

 クレジットカードの現金化業者は全国に200業者以上いるとされるが、取り締まる法律がないため、事実上の野放し状態だった。

 そんな中、今日のニュースで、クレジットカード現金化業者が東京国税局から所得税法違反で東京地検に告発されたことが報道されていた。

 告発されたのは、インターネット上で「ユニティーワン」などの名称で複数のサイトを運営している福場秀樹ふくば・ひでき氏(32)で、既に修正申告に応じているという。

 「ユニティーワン」のサイトでは最高93%までキャッシュバックすると宣伝していた。

 2008年までの3年間で1億3千万円の手数料を得て、4300万円を脱税したというからすごい。

 新手のヤミ金みたいだが、あくまでも商品販売をしてクレジット会社から商品代金を受け取っているだけで、取り締まる法律はないようだ。

 ヤミ金でさえ多少の自己資金を貸し付けるわけで、この現金化商法は貸し付けるための資金もいらないわけだ。

 利用者の多くが多重債務者ということで、クレジット会社も被害者になることが想像できる。

任意の商取引だから、値打ちのないものを購入者が納得の上で10万円といった高額で購入することについて、法律で取り締まることはできないだろう。

 また、業者が自らクレジット会社からお金を借りるのであれば、返す意志が無くて借りたのであれば詐欺罪が成立するのかもしれないが、支払いするのは商品を購入した顧客であるから、業者が詐欺罪に問われることもないわけだ。

 今後、被害にあったクレジットカード会社がなんからのアクションがを起こし、対応する法改正を検討するということになるのかもしれない。

 対応策ができたとしても、新たな詐偽まがい商法が編み出せれていくわけで、法の目をかいくぐる人とそれを取り締まる側の追いかけっこだ。

 私たちができるのは、こんな情報をしっかり収集して、自分が被害者にならないようにすることだ。



 試みに、グーグルで「クレジット 現金 即日」のキーワードで検索してみたら、513万件の検索結果だった。

 その中の2つ3つのサイトを見てみたが、どれも実に立派な一流会社みたいなホームページである。



 それにしても、うまいことを考えるものだと、悪人とはいえども感心してしまう今日の私だ。

 

2010年10月19日 (火)

保育園が迷惑施設に?&防音グッズ

 保育園や学童保育施設の増設を望む声が高まる一方で、近隣住民の反対にあう事例が相次いでいるという。(10.10.19 朝日新聞)

 「子供の声がうるさい」「景観や日当たりが悪くなる」など、まるで「迷惑施設」扱いだそうだ。

 「絶対ここにはつくらせない」「子供の声は時には電車のガード下並にうるさい」と、川崎市のある保育園は、隣にある築30年のマンション住人の反対で開設が半年遅れた。

 条例で住民への説明義務はあるが、法的には同意は必要ない。地域の理解がないと円滑に運営ができないという配慮から開設を遅らせたのだろう。

 ここに限らず、たびたび反対運動が起こっているようだ。

 さいたま市の住宅地の学童保育「かぜの子クラブ」では、夏場もほとんど窓を開けられない。近所から苦情が絶えないためで、七夕祭りは外のテラスや駐車場を使わず、50人が狭い室内で大汗をかきながらクレープを焼いたということだ。

 少子化対策として保育園や幼稚園の拡充が叫ばれているが、資金の問題を解決しても、新たな問題を抱えることもあるわけだ。

 日本は豊になって、個人の権利意識にが高まってきて、他人に対する寛容さを失ってきているのではないだろうか。

 「少子化で子どもと接する機会がないから、(子供の)声をうるさく感じる」(前田正子 甲南大学教授)

 「子どもの声をうるさく感じるかどうかは、心の持ちようで変わる」(橋本典久 八戸大学工業教授)

 といった言葉のとおり、騒音の問題は加害者と被害者の人間関係によって大きく変わってくる。

 顔見知りなら少々の音は気にならない。

 以前アパートの騒音問題のことに触れて、騒音を出す側の人が被害を受ける側の人に対してコミュニケーションをもつことが必要だということを書いたが、同じことだと思う。

 保育園の行事の際の、保護者のマナー違反が地域住民の反感をかっていた例もある。

 一方では、毎月地元の高齢者と園児の食事会を開いたり、敷地内に高齢者が集って運動や料理教室をしたり、子どもたちと遊んだりする「介護予防・多世代交流サロン」を作るといったように、積極的に地域住民と積極的に交流をはかり、逆に地域から支援を受けている園もある。

 騒音は本当に、心の持ちようで大きく変わってくるものだ。

 ついでに、たまには不動産屋のブログらしく、住宅での簡単な防音グッズについて一言。

 ①カーテン。音の出入りが大きい窓部分には遮音効果の高いカーテンを使う。外から入る音とともに、中から出る音も抑えることができる。

  防音効果の高いものほど重いため、カーテンレールを補強するなどの必要が出る場合がある。

 ②壁に遮音シート。壁に鉛などの金属を含んだ遮音シートを張る。両面テープの接着で、大掛かりな工事の必要のないものが多い。

 ③床に防音カーペット。一枚型と、パネルをつなぎあわせて埋めるタイプがある。効果は音の種類によるが、軽減はできる。

 いずれも、賃貸住宅などで壁や床を工事できないところでも防音に取り組めるのがポイント。
 いろんな防音グッズが開発されているけど、一番簡単で一番効果があるのは近隣との人間関係。

 そこを見逃してはいけないと、ちょっとましなことを言う今日の私だ。

2010年10月18日 (月)

エクスペンダブルズ。よかった。

 行ってきました。「エクスペンダブルズ」

 結論から言って、期待外れに?面白かった。

 つまり、期待を大きく上回る面白さだったってこと。

 ロートルスーパースターをかき集めて、その話題性だけで観客を引っ張ろうとしているんだろうなと思っていたのだが、文句無しに楽しめる映画になっていた。

 オープニングの字幕が切れるとすぐに始まる第一発目の銃撃シーンから、最終最期までど派手な銃撃戦と爆発シーンの連続。

 その中に競演しているビックネームのスター達にもしっかり出番がある。

 ミッキーロークがいい味を出していた。

 といっても、私の記憶には、生っちろいミッキーロークしかなかったもので、映画を見終わって、やっぱりあれがミッキーロークだったんだなとわかったのだけど。

 ジェイソン・ステイムが、彼女のために格闘するってのも良かったし、ジェットリーも見せ場を作っていた。

 とにかく、豪華食材を使った食べ放題のバイキング料理って感じで、なんでもありだけど、しっかり美味い料理も食べられるといった感じ。

 それにしても、このおじさん達、強いの何のって、5人で一国の軍隊を全滅させてしまうんだから。

 しかも、5人の誰一人も大きな怪我もない。

 今回の「エクスペンダブルス」の特徴は、強敵がいないからハラハラドキドキしなくてすむのもいい。

 ただただ、安心して観ていられる。
 (本当は、あんなに人を殺してはいけないんだけどなどとは思うヒマもない)

 そして、スタローンとステイサムのしゃれた会話でエンディングとなる。

 個人的には、このエンディングは効いた。

 ガソリン代と2時間を費やして、1800円払って観てもよかったなと思えた映画だった。

 こんなアクション映画は、映画館で観てこそ楽しめる。

 それにしても、封切り初回の日曜日だというのに、150人定員の劇場に入場者は38人。

 イオンでは9スクリーンあるのだが、なんとかこのままやっていってもらいたいものだ。

2010年10月17日 (日)

エクスペンダブルズに往復4時間。

 今日は、宮崎に映画を見に行くので、出発前にちょっとだけ書き記すなり。

 見に行く映画は「エクスペンだブルズ」。

 前にも書いたが、私が住む町延岡市には映画館が一つしかない。

 スクリーンは3つあるのだが、「エクスペンダブルズ」みたいな話題作でさえ上映されない。

 だから、1時間45分の映画を往復4時間もかけて見に行かなければならない。



 この「エクスペンダブルズ」、監督・脚本はスタローン。
 
 キャストが、シルベスター・スタローン、「トランスポーター」のジェイソン・ステイサム、「少林寺」「リー猿ウェポン4」のジェット・リー、「レッド・スコルピオン」のドルフ・ラングレンそれにミッキー・ローク。

 さらには、アーノルド・シュワルツェネッガーにブルース・ウィリスまで出演するという。

 アーノルド・シュワルツェネッガーとブルース・ウィリスは「カメオ出演」といって、ちょこっと顔を出す程度らしいが、こんなに役者が揃っていたのでは見に行かないわけにはいけない

 今月は、トムクルーズ&キャメロンディアスの「ナイト&デイ」もやっていて、先週はそれを見に行こうと思っていたのだけど、ワイドショーで「エクスペンダブルズ」が取り上げられていて、どちらか一つを選ぶとなると「エクスペンダブルズ」になった。

 ということで、片道2時間もかけて映画を見に行くわけだ。


 映画の内容は、傭兵舞台の「エクスペンダブルズ」(消耗品という意味らしい)が軍事政権下の国に潜入して国家転覆を図るというもので、よくある話なのであるが、そもそもストーリーをうんぬんする映画でないのだ。

 主人公たちが、敵をばったばったと切り倒す?(撃ち殺して)のう単純に応援していればいいのだ。


 ちなみに、私は戦争絶対反対論者なのだけど、こんな映画はそれと矛盾するものではない。映画に出てくるような超人が現れて、行き詰まった閉塞感の真っ只中の現実を、いっきに変えてくれないかなという願望があるのかもしれない。

 なんて理屈はどうでもいいことで、理屈抜きでスカッとしたい今日の私なのだ。いってきます。

2010年10月16日 (土)

未臨界核実験とノーベル賞

 こんなことを書くと、いつも「井上陽水の『傘がない』が頭の中でなり出すんだけど、アメリカが臨界前の核実験をしたというニュースが気になっている。

 オバマさんが大統領になり、「核無き世界」の実現を掲げてノーベル平和賞を受賞したのは去年のことだ。

 臨界前核実験(未臨界核実験)というのは、核分裂が連続的におこる臨界にいたらない条件において行なう核実験のことで、爆発を伴わないから、包括的核実験禁止条約(CTBT)には抵触しないと説明している。

 私には、この説明の意味はよくわからないが、「核無き世界」をスローガンに抱えてノーベル平和賞をとったことには矛盾するように感じる。

 結局は、中間選挙を控えての選挙対策ではないのかと思っている。

 これに対して、日本政府の反応も、民主党左派であるはずの千谷官房長官が「講義や申し入れは考えてない」と言っていた。

 これは、このところ若干ぎくしゃくしているアメリカに対しては当然の形だろう。



 日本の自分の身の振り方優先の政治家を情け無い思っていたけど、アメリカ大統領も似たようなものかと感じさせられた。

 日本が政権交替を経験してわかったことは、「国を変える」と言って政権をとった人たちが、国のためになにをすべきかではなくて、自分たちの政権を守るためになにをしたらいいかを考えているということがわかったこと。

 オバマさんも、大統領になってなにがしたいかではなく、大統領になるためには何をしたらいいのということだったようだ。



 話はそれるが、日本では佐藤栄作元首相が、「非核三原則」を唱えてノーベル平和賞を受賞している。
 
 最近、「非核三原則」はインチキだったことが明らかにされている。

 ノーベル平和賞というのは、なんのなだろう。



 話を戻して、今回のオバマ政権下での核実験の抱える意味は大きいものがあると思うのだけど、その後の報道は静かすぎるような気がする。

 そして、頭の中では『傘がない』の歌が流れている、今日の私。
 

2010年10月15日 (金)

無料トラブル相談所

 昨日会社の決算の段取りが終わったし、今朝はちょっとのんびりしていた。

 のんびりしていたのは今朝だけじゃなくて、いつものんびりしていて、仕事をなんでも後回しにしていて、そうすると仕事が溜まってきて、追い詰められてあわてまくるというのが私の悪癖で、決算を迎えて税理士事務所の職員さんに追いまくられて、数日仕事に集中したというのが実態。

 で、今日はいつものように朝からのんびりしていた。

 そんな朝だったけど、お客様のほうから電話があって商談について詳細の打合せをしたいということだった。

 そのお客様かおみえになる。

 今までの経緯で、商談成立となる話のはずで、決算は終わったし契約はまとまるだろうし、今日はいい一日になりそうだなと思いながら、そのお客様の来店を待った。

 まもなくお客様がいらっしゃって、商談はすんなりとまとまった。

 のんびりしていて、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)の私ではあるが、やるときはやるんであって、ちょっとした土地の売買がまとまった。

 そんな嬉しい打合せをしている最中に、知人から携帯に電話が入った。

 商談中に付き、「電話に出れません」コールのボタンを押しておいた。

 ところが、再度電話が入る。

 商談は、今までの話の確認的なことだったので二度目の電話にはでた。

 なんでも、おりいった相談があるとのこと。

 その電話を契機にお客様はお帰りになり、入れ代わりに知人が来社。

 手には手紙を持っている。

 ぴんときた。

 「なんですか、内容証明郵便を受け取ったんですか?」と私。

 「なんでわかるの?」と知人。

 「なんか赤いスタンプがみえたから、そうかなと思って」

 内容は、借家の賃借人の連帯保証人になっていて、賃借人が退去したのだが、家が傷んでいるからその補修費用を賃借人に代わって支払ってほしいという内容だった。

 今日のところは、その内容と対策については省略する。

 私の法律的見解を述べる。

 相談に乗っていたら、対抗する内容証明書での回答書の文案を考えてやらなくてはいけなくなった。

 親しい知人のため、当然のごとく無料相談。

 私は行政書士の看板もあげているのだから、内容証明書作成費用はいただきたいと思ったりするのだが、これも無料の可能性が高い。

 昨日も、賃貸物件の退去でもめている人への立合いと助言。

 続くときは続くものだと思いつつ、知人のために内容証明による回答書をつくるために、相手方からの内容証明を読みなおしていた。

 そこに親しい友人から電話が入る。

 なんと、その友人は親戚の人からトラブルの相談を受けていたのだが、その親戚の人が弁護士からの内容証明郵便が届いているので、どのように対応すればいいのかという相談だった。

 なんと、似たような相談が続くものだろう。

 この友人の相談内容は、弁護士からのものであり、民事・刑事の両方の訴訟に入る要素があるので内容は話せないが、なかなかややこしくて小さくはない事件だった。

 そんなこんなで、ブログに時間をさけなかった今日の一日だった。

 書きたかったのは、106歳で亡くなった方が遺言で神戸市に約13億円相当の寄付をした話。

 遺言についてはちょっと思うところがあるが、またの機会にしよう。

2010年10月14日 (木)

チリ落盤事故救出と決算②

 今、パソコンを立ち上げて、インターネットにつないでみたら、チリ落盤事故の33人全員が救出されたことが報じられていた。

 落盤事故救出は、世界中でトップニュースで大きく取り上げられているようだ。

 中国もトップニュースとして詳しく報道しているのを見て、しかも報じている女性アナウンサーがきれいなヒトで、中国の変化を実感させられた。

 昨日の朝のテレビは、どのチャンネルを回してもチリ落盤事故救出だった。

 「だけども 問題は今日の雨 傘がない」

 私は、今日も終日決算処理に追われいた。

 それにしても、落盤事故フィバーはしばらくはおさまりそうもない。

 33人の全員がマスコミに追いかけ回されることになるだろう。

 救助されるまでは、無事救助されることだけが話題になっていた。

 無事救助されると、さまざまな事情をほじくり出して新たな話題を掘り起こす作業が始まっている。

 本妻と愛人が鉢合わせになっただの、救出したら結婚する人がいるだの、テレビの出演料がいくらだの、映画化の権利料が数千万円だの、話題はつきることを知らない。

 これをきっかけに、人生が開ける人もいるのかもしれないが、当面はプライバシーは犠牲になってしまうことだろう。



 今回わかったことは、マスコミの傍若無人さは日本だけのものではないということ。



 まだまだ、書きたいことはあるのだが、決算の処理がまだ終わっていない。

 土壇場で後悔の念でいっぱいの今日の一日。

2010年10月13日 (水)

チリ落盤事故救出と決算

 今日は、なんと言ってもチリの落盤事故の救出のニュースだろう。

 だけど、私は会社の決算の書類が整ってなくて、この時間になっても事務所から帰れない。

 お昼のニュースで最初の人の救出の場面はみたけど、なぜだか感激でうるるときてしまった。

 その日のことをその日に終わらせない生活をしているもので、いつも土壇場でばたばたするのが私の最大の悪癖で、会計事務所のひとに絶対に明日までには書類を渡してください!とキツク言われているので、なんとか仕上げなくては。

 と言いつつ、なんとかめどが立ったので今から家に帰って夜のニュースを見ることにする。

 それにしても、奇跡が重なった、劇的救出劇だ。

 今回の事件は映画化されるということだが、「事実は小説より奇なり」を地で行く事件だった。

 ということで、今日の足跡だけ残して帰ることにしよう!

2010年10月12日 (火)

退去立合い

 毎度のことではあるが、また敷金精算の相談を受けている。

 相談の内容といえば、これも毎度のことではあるが、家主さんは敷金を返したくなくて、借主は全額返還を要求しているという問題だ。

 そして、これも毎度のことではあるが、当然のように相談料はない。

 現在の入居者の契約については当社はまったく関係していない。

 賃貸物件は店舗で、その店舗が当社のすぐ近くなので、退去後の入居者との契約を当社に依頼したいという。

 ついては、今まで借りていた人の退去について面倒を見てほしいということだ。


 建物の賃貸借契約で一番もめるのは退去のときだ。

 入居の際に契約のお世話をしていても、管理物件でなければ、退去立合いは本来は私たちの仕事ではない。

 入居の際にいただいた手数料は、入居者を斡旋したことに対する報酬だ。

 ただし、入居の際のタッチした物件についてはサービスとして、退去の立合いをすることが多い。



 しかし、今回の物件については当社で入居を斡旋した物件ではない。
 
 だから、契約書の内容もわからないし、一番面倒な退去立合いの話し合いを無料でやるのは気が重い。

 特に賃貸物件が店舗の場合は、物件を改造・改装していることが多く、現況回復の取り扱いで必ずもめる。

 本音はお断りしたい相談である。

 しかし、家主さんが近所の方で、むげに断れない。

 案の定、家主さんは「長年貸していたのだから、家も傷んでいて敷金は戻せない」という考え。

 一方、借主は全額返還を要求している。

 これも毎度のこと。

 当初、「退去は私のと権限はおよばない話なので、当事者同士で話し合って下さい」と申し上げていたのだが、結局立合いに巻き込まれてしまった。

 これも毎度のこと。


 物件内にはまだ賃貸人の品物や廃棄物が多量残っている。

 家主さんには、それを撤去してからでないと敷金は返さなくていいと指導していたのだが、いまだに鍵の返還もない。

 その後、借主から片づけは終わっているので、家主に中を見てくれという連絡があり、家主さんは私にも立ち会ってほしいというわけだ。

 飲食店をしていたので、厨房器具、業務用冷蔵庫、イス、テーブル等々、沢山の荷物が残っている。

 それについては、今回退去する賃貸人が借り手を探していて、その人が全部残してくれと言っているという。

 ところが、その次の借り手は当社に来社されていて、一部の品物は必要だが不要な物がたくさん残っていて片付けてほしいと言っていたのだ。

 旧賃貸人と新賃貸人は知り合いで、自分たちで引き継ぎの話をしているのだから、当事者同士で話し合えばいいのに、新賃貸人はなぜか無関係の私にいろいろと要望を言ってくる。

 家主、退去者、新賃貸人のみんなが自分の都合のいい条件をかなえたくて、全員が私になんとか自分の要望を叶えてほしいと言っているわけだ。



 果たして立合いの当日、賃貸人を目の前にして家主さんが言った言葉は、「次の入居者のために早く立合いをしたかった」ということだった。

 毎日のように私の事務所に来て、まだ鍵を返しに来ないとか、電話で何度もレ楽をとるけど連絡がつかないと、さんざん不満を言っていたのにである

 思わず私は、「違うでしょ、自分のためでしょう」と、つい言ってしまった。


 これも私の悪い癖なのだが、一言多いのである。

 しかし、多くの人が問題をこじらせるのは、腹の中の汚い部分を隠そうとして本音を語らないことだと思う。

 自分がうらまれたくないから、人のせいにして物をいうから話が混乱するのだ。

 本気で解決しようとする場合は、本音で話し合わないと完全な解決はできないと思っている。
 それで、なぜか私がもめごとの解決を頼まれた場合は、もめてる双方から憎まれてしまう結果になることが多い。
 
 今回も、大いにその傾向で話が進みつつある。



 ちなみに、新しく入居する方については当社で賃貸借契約を締結することになっている。当社が頂戴する手数料は45,000円。

 物件は建築後35年以上の古い建物なので、建物についていろいろと問題が出てくることが予想される。
 
 家主さんは管理料を払ってまで管理はしてもらわなくてもいいと言う。

 45,000円で、今後何年間にもわたって賃貸人との交渉ごとを頼まれることになると思う。

 だから?私はお客さんから頭が高くて不愉快な不動産屋だと言われている態度をとってしまうのだ。

2010年10月11日 (月)

モデル蓮舫氏と田中角栄さん

 蓮舫行政刷新担当相 蓮舫氏がファッション誌「ヴォーグ・ニッポン」でのインタビュー記事が物議をかもしている。

 問題になったのは蓮舫氏の発言内容ではなくて、国会議事堂で撮影された写真だ。

 自民党の片山さつき氏が、参議院本会議で「事業仕分けをやった方が1着百数十万円のドレスを着ておられる。これを国民はなんと見るでしょうね」皮肉った。

 その後、当の片山議員も国会内で写真撮影をしており、そのときに数十万円の衣装を着ていたことについて記者団に質問されていた。

 それに対しては、「私は仕分けする大臣をしたことはないから」と言い訳をしていた。

 さらに、この件に関して野党議員の何人の批判的なインタビューの場面が報道されていた。

 いい加減にワイドショーをよろこばせるだけの国会討論はやめにしてもらいたい。

 日本の困難な現状を解決する特効薬的な政策をもたないから、つまらないことで揚げ足取りばかりしているのだろう。

 1日の運営費が3億円になるという国会で、無駄な口論をしている場合ではないだろう。

 元総理大臣の田中角栄さんが言った「ダメだダメだと言うなら、代案を出しなさい」という言葉は鮮烈な記憶として私の頭に焼きついている。

 実に、名言だ。

 国会議員の皆様には、芸能誌の記事をそのまま国会に持ち込んで、芸能記者みたいな質問をするのはやめにしてもらいたい。

 テレビ放送で人気を取ろうと思っているのなら、国民に実現可能と思わせる安心できる政策をぶちあげることだ。

2010年10月10日 (日)

警察の取り調べの恐怖

 警察の暴力的な取り調べが問題視されている。

 これは特別な例ではないはずだ。

 多かれ少なかれ、こういった取り調べが日常茶飯事的に行なわれている。

 このことは今初めてわかったことではなくて、こういう取り調べが行なわれているだろうということは、みんなうすうすわかっていたことだ。

 テレビドラマや映画での取り調べはフィクションの世界のことだけだなんて、誰も思ってはいなかった。

 私たちも、マスコミも、ひょっとしたら裁判官も。

 わかっていたけど、黙っていた。

 犯罪者を相手にするのだから、多少暴力的になってもしかたがないことだと思っていた。

 やさしく、「あなたがやったんでしょう?」「本当のことを言いなさい」なんて言っていたら、白状する人はいないだろう。

 「お前がやったんだろう!」「いい加減に白状しろ!」と怒鳴ってしまうのはあたり前だ。

 しかし、今回の録音にあるような、「(白状しないと)お前の人生をめちゃくちゃにしてやる」とか「お前の家にガサ入れをするぞ」「家族がトイレに行く回数も全部調べ上げる」といった恐喝まがいの脅しまでしているとは思っていなかった。

 これは許しがいたことであると同時に恐怖でもある。

 誰かが自分を陥れようとして、でたらめな被害届を出されたらと思うと本当にぞっとする。

 私は、自分の身の回りで、偽の被害届を出されて逮捕拘留された人を見ているし、偽のたれ込み情報で逮捕され2週間の拘留を受けた人も見ている。

 いずれも、無実とわかり不起訴になったが、二人とも新聞にでかでかと実名が掲載された。

 一人は、まったくやっていない事件の自白調書にサインをしてしまった。

 このことは先日私のブログに書いたことだが、連日の生命の危機を感じるような脅迫的な取り調べに耐えきれずサインしてしまったということだった。

 犯罪者は、罪を免れようと必死だから、紳士的な取り調べでは自白にはいたらないだろう。

 だから、取り調べが激しくなるのはいたし方がないのだろうが、脅迫的な手段をつかうことは許されない。

2010年10月 9日 (土)

小沢さん強制起訴に思う

 小沢さんの強制起訴の問題は、感情的には当然の結果だと思う人が多いだろう。

 検察審査会は1948年に法制化され、これまでにも「起訴相当」「不起訴不当」の議決により起訴されることはあった。

 ただし、2009年5月20日以前は、検察審査会の議決に拘束力はなく、起訴するかどうかの判断は検察官にゆだねられていた。

2009年5月21日に検察審査法が改正されたことにより、議決に拘束力が生じるようになった。

改正に強制起訴になった事件として「明石花火大会歩道橋事故」と「JR福知山線脱線事故」が記憶に新しい。

  しかし、この両件は個人を対象とした事件ではなくて、組織の責任を問うという問題だった。
  多くの死傷者を出したのに誰にも責任が無いとという結果に納得できない遺族が、事故の原因と責任の所在を明確にすることが目的であった。
 
  責任者を罰することより、事故の原因究明と責任の所在を裁判によって明らかにしてもらいたいということが最大の目的だった。
 
  だから、この事件の際に、審査会の議決で起訴が決定したことに違和感を感じなかった。
 
  しかし、今回の小沢さんの問題は小沢さん個人が標的になっている。
 
  あわせて、直前に不正郵便問題で被疑者となった村木さんの事件で、被疑者となった人が長期間拘束されるということを再認識させられたことで、疑わしき人を確証もないまま起訴することにすっきりしないものを感じる。
 
  10月8日の朝日新聞でもこのことを取り上げていた。
 
  審査員の一人がもらした「とりあえず裁判所に投げて判断してもらえばいいんじゃないか」という言葉がとりあげられていた。
 
  裁判員とは異なり、有罪無罪を決めるのは裁判所だから、疑わしいものは裁判所で判断してもらった方がいいという安易な判断によって起訴されたのではたまったものではない。
 
  この記事の中にもあったが、兵庫県内の知的障害児施設で1974年に園児二人が死亡した「甲山事件」も印象に残っている事件だ。
 
  当初、同園の保育士の女性が被疑者として逮捕された。
 
  マスコミ報道では、彼女が犯人であるかのような報道をしていた。
 
  しかし、証拠不十分で不起訴となった。
 
  不起訴を不服とした男児の遺族が検察審査会に不服を申し立て、検察審査会が「不起訴不当」の決議を出した。
 
  それを受けて、警察の再捜査が始まり、結局1978年に保育士は逮捕され、殺人罪で起訴された。
 
  最高裁まで争われ、1999年、無罪が確定した。
 
  事件発生から25年の歳月が経過していた。
 
「 疑わしきは被告人の利益」という言葉があるが、実社会では被告人になってしまうと、社会的生命は抹殺されたも同然だ。

  裁判員制度では、裁判員の選択にはさまざまな制限をつけている。
 
  そして裁判員になった方々の全員が、人を裁くことの重大さを充分認識しておられるようだ。
  審査会も裁判員制度と同じように制度の明確性をもたせるために、法改正をするべきだ。
 
  人を被疑者として裁判所に送り込むことは、人を裁くこと同じくらい重大な責任を負っていることを忘れてはならない。

2010年10月 8日 (金)

臓器移植と検察庁

 改正臓器移植法の施行後、7日までにすでに提供は15例に達した。

 治療していた間者か脳死になり、摘出手術が行なわれた病院の院長が朝日新聞の取材に応じ、家族や医師らの思い、提供にいたった経緯を詳しく語っていた。(朝日新聞10.10.8)

 臓器提供した男性患者は事故に遇い、意識不明で搬送され、病院の集中治療室で懸命の治療を受けていた。

 主治医は、CT(コンピュータ断層撮影)や脳波検査の結果、脳死に近い状態になっていると伝えた。

 脳死というのは能全体の昨日が失われた状態。

 どれだけの時間が続くかは人によって違うが、やがて心停止に至って亡くなるとされている。
 両親は動揺し、「もっと治療したらなんとかなるのでは」「説明を聞くよりも、少しでもそばにいたい」と訴えた。

 主治医は治療方針を相談するつもりだった。

 この病院では、患者が脳死状態になったと判断すると、薬を追加して積極的に延命を図るか、治療内容を変えずに見守るかを家族と相談することにしている。家族の心理状態に応じ、臓器提供という選択肢を告げることもある。

 翌日、医師らはもう一度同じ検査をした。やはり脳死に近い状態だった。夜、両親に説明した。

 両親は前日より落ち着いた様子で耳を傾けた。

 「2日間もようがんばった。早く家に連れて帰ってあげたい」と言ったという。

 主治医は、今度は、治療方針の選択肢を説明し、臓器提供という道もあることを伝えて席をはずした。

 約1時間後、両親は医師らに告げた。「臓器提供について、もう少し聞かせてほしい」

 その後、連絡を受けた日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが、夜のうちに駆けつけ、脳死判定や臓器の摘出、移植手術に至る流れを1時間半ほどかけて家族に説目した。

 両親はその場で提供に応じる意向を伝え、翌日、正式に承諾書に署名した。

 「どこかで生きていて」

 「生きてたら、息子は『(臓器提供を)やれよ』というてくれる」
 
 「息子なら、どこでも生きていける強さがある」

 2人は医師や看護士らにはらして聞かせた。

 そうやって気持の整理をつけたのだと医師らは思いやった。


 「こんなに内臓が元気なのに、死んでしまうなんて」

 「『(本人の提供の)意思のないまま提供して』と中傷されることが一番怖い」と語ったという。

 臓器提供とはこんなに思い問題を含んでいる。

 本人の意思表示がないだけに、決断を求められる家族に全責任がかぶさってくる。



 臓器提供を承諾した後、判定担当の3人の医師が確認し、男性の脳死が確定した。

 その後、摘出チームが次々と臓器を摘出し、飛行機や新幹線、救急車で、移植を受ける患者が待つ病院へ。その夜、家族はきれいに縫合された男性の遺体とともに自宅に帰ったという。

 院長は「臓器提供の背景に、家族の思い決断とそれを支える医療者がいることをわかってほしい」と話した。




 私は、以前自分のブログでこの問題をとりあげ、「私は臓器提供はしない」と宣言している。

 それは、移植したら助かる患者に目が行ってしまって、死に直面している患者の治療がなおざりになるかもしれないという不安があるからだ。

 人間には功名心、向上心がある。

 医師にもそれはある。

  新しい移植治療を試したみたいという潜在意識が、回復不能と思われる患者の死期を早める結果になりはしないかと思うわけだ。



 数年前に、未経験の内視鏡手術で患者を死なせたという事件があって、その手術現場がビデオに撮られていて、テレビ放映されたことがある。

 その医師たちの会話は、人間の命を粗末に扱っていると感じさせるものだった。

こんなに命を軽視した医師たちに、自分のからだを触られたくはない。



 しかし、今日の朝日新聞にあったような病院だったら、臓器移植についての自分の考えを変えることがあるかもしれない。

 「脳死状態に陥ったときに、まず「臓器提供ありき」ではなかったこと」

 「家族に無理強いはしてないこと」

 「家族に思い決断を迫ることに重責を感じていること」

 「そして、臓器移植をする医療者として心の痛みを感じていること」

 こんな医療関係者のチームに出会ったとしたら、気持に変化が出るかもしれない。




 これから先、臓器移植が日常的なものになるのかもしれない。

 そのときこそ、移植関係者は、臓器移植の持つ大きな重みを忘れてはいけない。

 今、問題になっている大阪地検の証拠改ざん問題も、数人の検察官が起こした問題だと思う。

 検察官のほとんどは、法を守り悪を正すことに日夜努力をされているはずだ。

 それなのに、ほんの一部の人がおこした問題は、検察庁全体の信頼を失墜させてしまった。

 臓器移植は、目の前の人間の生命を直接左右してしまう問題だ。

 医療に携わる全ての人たちが臓器移植に慣れてしまうことなく、永遠に真摯な姿勢で命と向かい合って臓器移植に取り組んでいただくことを願う。

2010年10月 7日 (木)

ノーベル賞受賞 根岸さん・鈴木さん

 昨日からのトップニュースはノーベル賞。

 ノーベル化学賞を、北海道大学名誉教授 鈴木章さんとアメリカのデラウェア大学名誉教授をされている根岸英一さんのお二人が受賞された。

 テレビも新聞もトップニュースとして大きく取り上げていた。

 その影響で、ほかのニュースがちょっと小さくかすんでしまい、ほっとしている人もいるのだろうし、じだんだ踏んでいる人もいるのだろう。

 ノーベル賞はダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの遺産を基金にした、世界でもっとも権威のある賞だ。

 物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞及び平和賞の5部門に加え、経済学が加わっての6部門について贈られる。

 特に物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門においては、自然科学分野における最大級の栄誉とされている。

 ノーベルは遺言に、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」と残し、その意志に沿ってノーベル賞が創設されたということだ。

  下世話名話だが、各賞の賞金は約1億円。

  賞金だけでも6億円を生み出せるノーベルの残した資産はいくらあったのだろう。





 日本人の受賞は、物理学賞、化学賞において目立っている。

 特にここ数年は、化学賞の受賞が相次いでいる。

 受賞に日本中が大喜びするのは、日本がすぐれていることを実感することの喜びでもあるのだろう。

 しかし、この受賞についてちょっと気になることもある。

 受賞の対象となる研究や発見は、数十年前の業績について賞されているということだ。

 今回のお二人の受賞となった業績は、30年も前の業績だ。

 何回も何回もノミネートされて、ようやく今回の受賞にいたったわけだ。

 だから、ノーベル賞の受賞は現在の日本の業績がすぐれている証にはならないのではないかというのが一つの疑問。

 もうひとつ気になることは、受賞者の多くが海外の研究機関に在籍されていることだ。

 モノ作り、頭脳に自信をもっていた日本だが、モノ作りにはどんどん海外に拠点を移しつつあるし、頭脳も人も海外に流出しているのではないかと、喜びと同時にふと心配になった今日の出来事だ。

2010年10月 6日 (水)

小沢さん強制起訴と村木さん事件

 小沢さんの強制起訴の問題は、複雑で難しい問題だ。

 二重にも三重にも矛盾がからまりあっているようで、頭が混乱してしまいそうだ。

 検察審査会が「起訴議決」をしたことにより、強制起訴になったわけだ。

 ただ、起訴した事件の有罪率が99%ともいわれる日本の検察が、法律的に有罪にするのが難しいと判断したから起訴しなかった事件だ。

 起訴内容も、政治資金規正法の政治資金収支報告書への虚偽記入でしかない。

 不明朗な資金が贈収賄にからんでいるのではないかと思わせるような取り扱い方をされているが、あくまでも虚偽記入が争点になっているのだ。

 法律的に素人である私たちは、感情的には小沢さんがクロである可能性が高いと思っている。

 国民世論は「小沢さんはクロ」という方向に偏っている。

 今回の検察審査会の「起訴議決」は、国民世論を代表するかのような結論だった。


 私も、感情的には同じ考えだった。

 「だった」というのは、村木さんの問題があったからだ。

 村木さんの問題がなければ、強制起訴について何の疑問も感じなかった。

 村木さんの問題といっても、検察の証拠改ざんを始めとする捜査手法を問題にするわけではない。

 検察の捜査手法とは関係なく、村木さんの時に、被疑者にされた人の人権やその人の生活が破綻してしまうことの怖さを感じたことだ。

 村木さんの場合、逮捕されて1年半余り、6カ月以上も拘留された。

 「推定無罪」であるはずの被疑者は、「容疑者」という名前で、無罪を勝ち取るまでは社会的に抹殺されてしまう。

 「これ以上私の時間を奪わないでください」という村木さんの言葉は重かった。


 村木さんの事件については、国民の大部分が村木さんに同情し、司法の矛盾と怖さを感じたはずだ。



 小沢さんに対する容疑は、法律の専門家、それも専門家のなかのエリート集団がよってたかって取り調べをして、その結果が不起訴だったわけだ。

 強制起訴が決定した小沢さんは「容疑者」と呼ばれることになる。

 マスコミは、なんのためらいもなく「容疑者」として報道合戦をくりひろげる。



 強制起訴においては、弁護士が検事の役割をして裁判が行なわれる。

 プロの検事が有罪にできないと判断した材料をして、なれない検事役の弁護士が、有罪にもっていける可能性は皆無に等しいだろうと推察する。

 検察官の役割を指名された弁護士は、今までの検察で取り調べた膨大な取り調べに関する書類に全部目を通さなければならないだろうし、裁判が始まるまでには何カ月もかかるのだろう。


 そして裁判が始るのだが、裁判には多大な時間がかかることだろう。

  さらに、最高裁まで争うことになったら何年もの長い年月がかかる。

 裁判の間は「容疑者」とされるわけで、政治家として表舞台での活躍の場は奪われてしまうわけだ。

 小沢さんは68歳。

 時間の貴重さは年齢には左右されないものかもしれないが、政治家として残されている時間は多くはない。

 村木さんの「私の時間を奪わないでください」という言葉に感じたと同じ思いを、小沢さんにも感じることも必要なのではないだろうか。

 人の人生の貴重な時間を奪うことになることを心底感じなくてはならない。

 少なくとも、第一審で無罪の判決がでた場合、控訴はするべきではないのではないだろうか。




 話は変わるが、今回の小沢さんの強制起訴で、自分たちにとって不利な結果になったからといって、検察審査会の制度を批判する民主党議員は間違いだろう。

 国会議員として、自分たちが成立させたばかりの法律なのだ。

  大騒ぎして法律を作って何年も立たないうちに、自分たちが作った法律が間違いだったという発言をするのは、滑稽でもある。

  法案審議のときに今回のようなことを問題視していたのか。




 証人喚問問題でも、そう。

 天下り問題でも、そう。

 民主党は、政権与党として不都合なことを指摘されると、今まで自民党がやってきた不始末のせいにする。

  人のせいにして言い逃れしているだけではなくて、あなたたちが野党時代に自民党に要求していた言葉を思い出してほしい。

  自分たちが政権をとったら、日本を変えると言っていたことを忘れてはいけない。


 
自民党も、そう。

 与党時代に回答していた言葉を、忘れないでほしい。



 国民は政治家の言葉が信頼できないことを一番悲しんでいる。

その場限りの、自分の政治家という家業のためだけの、いいかげんな発言を戒めるべきだろう。



 自分の頭の上の蠅も追えない私であるが、そんなことを思った今日のこの日。

2010年10月 5日 (火)

小沢さん強制起訴

 今日のトップニュースは、小沢さんの強制起訴なのだろう。

 朝のワイドショーでもこの問題が一番大きく取り上げられていた。
 
 それに続くのが押尾被告の保釈のニュース。

 私は、今日の2番目に大きなニュースは、ベルギーで開かれていたASEM=アジア・ヨーロッパ首脳会議で菅総理大臣が中国の温家宝首相と会談したニュースで、これは尖閣諸島問題に関連する話で、対中問題にも関係する結構大きなニュースだと思うのだけど、これはわりとさらっと取り上げられている感じだった。

 もう一つの話題として、阿久根市と名古屋市のリコールの住民投票が始まるというニュースがあって、これも私にとって興味をそそるニュースだった。

 それにしても日本の政治は落ち着かないものだ。

 それも国の行く先についての議論で騒がれるのでなく、いつまでたっても政策外のところでガタガタしている感じだ。

 小沢さんの問題も、どちらにしても簡単に進みそうな話ではない。

 絶対に非を認めない人と、絶対に非を許さない人たちの闘いが延々と続くことだろう。

 政治が政治ではなく、政治家の身の振り方の話ばかりをしているような気がする。

 政治家だけでなく日本国民全員がぬるま湯の中のカエルになっているような状況に思える。

 早く気がついてお湯からでないと、みんないっしょに死んでしまう。

 なんて言いつつ、そういう私はなにをしているかというと、「ひねもすのたりのたり」の毎日で、それこそ国家・国論を論じている場合ではない。

 そう思ってしまうと、筆=キータッチも鈍る今日この頃だ。

2010年10月 4日 (月)

中国ニンニクバブルと日本の米

 中国産輸入ニンニクの値段が高騰しているという。

 中国は世界の生産量の8割を閉めるニンニク大国だが、今季は不作のうえ、投機的資金が流入して「ニンニクバブル」が起きているらしい。

 国産に比べて安い中国のニンニクは、スーパーなどに並ぶ家庭用のほか、食品メーカーの「食べるラー油」の素材にも使われ国内需要は高まっているが、価格の影響が出る可能性が出てきた。(朝日新聞 10月4日)

  なんでも現地での値段はこれまでの10倍になっているという。
 
  日本が輸入するニンニクのうち中国産が99%。
 
  昨年7月に1㎏100円だったもが、今年7月は196円。
 
  2倍にはねあがっている。
 
  高騰の一因は不作。
 
  主要産地の雲南省など中国南部で干ばつが続くなどの異常気象の影響を受けた。
 
  しかし、最大の原因は投機にあるというのだ。
 
  不動産に向かっていた投機資金が中国当局の引き締めの結果、市場規模が小さくて価格が上下しやすいニンニク市場に向い、買い占めが進んだという。
 
  日本では、今流行りの食べるラー油が商品によっては2倍の値上げになりそうだ。
 
  尖閣諸島問題での「レアアース」の禁輸が話題になっていたが、食料の大半を輸入に頼る日本にとって深刻な問題提起だといえる。
 
  輸入品に比べて日本の農産物は高いといわれ、ずっと日本農業はすみに追いやられてきた。
 
  かろうじて米だけは自給できているが、世界的に一番高い米になっているのも事実だ。
 
  しかし、せめて米だけはいくら高くても、保護貿易だといわれても100%自給できるように、助成金でも奨励金でもいいからつけてでも、米農家を守るべきだと思う。
 
  石油を始めとする工業資源がストップすることも日本にとっての死活問題だが、食料の輸入がストップしてしまうことは、私たち庶民にとっては最大の打撃だと思うからだ。
 
  グローバル化した国際社会の中で、食料だって安いところから仕入れればいいということを言う人もいる。
 
  今まで日本にとって最大の食料の供給国であった中国は、いまや世界第二のGDP大国になった。
 
  豊になって、人口も増え続けている中国国内での食料確保を優先しなければならない近い将来に起こり得るのではないだろうか。
 
  自由貿易をとなえながら、先進各国ともに大きな予算を使って食料自給に力を入れている。
 
  食料自給率が50%を切ってしまった日本が、すぐに自給率をあげることは難しいのかもしれない。
 
  しかし、米だけは100%自給を続けるべきだと思う。
 
  世界一高い米かもしれないが、一食あたりにすると100円程度の値段である。
 
  安いものだと思う今日この頃だ。
 
 

2010年10月 3日 (日)

大阪地検証拠改ざん⑤

 大阪地検の証拠資料改ざん事件で犯人費隠避の疑いで逮捕された元特捜部長は、無実を主張し、徹底して闘うと言っているという。

 捜査側のプロが捜査陣と真剣に闘うとどういうことになるのだろう。

 それにしても、やっぱり「傘がない症候群」。

 正義の使者としての自負はどこに行ってしまったのか。

 「法曹人をめざした若いころの自分を思い出して全てを懺悔して・・・」ということにはならないのが現実だ。

 

2010年10月 2日 (土)

大阪地検証拠改ざん④

 大阪地検の証拠改ざん事件は、特捜部長及び副部長の逮捕という重大事件に発展してしまった。

 一検事の功名心にはしったことによる犯罪だったと思いたかったが、組織的ぐるみの犯罪の疑いが強くなった。

 「法と証拠のみに基づいて正義を実現する」のが検察。

 その検察官が証拠を改ざんしたということの重大さを、この幹部二人は気がつかなかったのだろうか。

 「報道によれば」早い時期に前田検事による証拠改ざんに気付いた若手検事たちが、佐賀副部長に涙ながらに訴えたという。

 この若手検事たちの行動は、検察に対しての信頼をつなぐ細い糸のように思える。

 その正義を、組織によって無視されるということの義憤を感じた若手検事が、事実をマスコミにリークしたことによって今回の事件が明るみに出たのだろう。

 検察にかろうじて正義は残っていたのだとも言える。

 しかし、検察という組織が、組織として間違いを間違いとして正せなくなってしまったことの問題は大きい。

 今回の事件については、最高検察庁が取り調べを行なうようだが、同じ組織内の人間だけでの取りしらべでは捜査の目が曇らないのか。

 検察庁に限らず、組織が巨大化してしまうと無意識のうちに組織の権益と存続を思う余り、冷静に周りが見えなくなってしまうのではないだろうか。

 今回の検察に限らず、大きな組織の運営にあたって、オブザーバー的な形でも良いから、意見を述べたり運営をチェックできるような監視機関があるといいように思える今日この頃なのだ。

2010年10月 1日 (金)

発売延期商品④「ソニー ウォークマン」

 ソニーが、今月10日に発売予定していたウォークマンの一部について、受注が見込みを大幅に上まわったとして発売を23日に延期することになった。

Photo  


三洋のゴパンに続いて、またしてもである。

 景気の悪い話ばかりの中で、こんな景気のいい話は嬉しくなる。

 ウォークマンは、このところライバル海外製品ipodにやられっぱなしだった。

 私は、ばりばりのウォークマン世代。

 初めて耳にした、初代ウォークマンの音には衝撃を受けた。

 それまでの携帯ラジオをイヤホンで聞いていたのとは全然別物の音だった。

 あっという間に世界を席巻して、ウォークマン旋風を巻き起こしたものだった。

 おじさんになってウォークマンを聴くこともなくなっていたが、気がついたら若者の耳にはipodのイヤホーンがかかっていた。

  ウォークマンしか知らなかったおじさんにとっては「世界のソニー」なのだ。

 それが、ポット出のipodなんてのに、こてんこてんにやられていると知らされるとは、涙がちょちょ切れるというものだ。


 グローバルだかなんだか知らないけれど、おじさんとしては、「ソニー」に頑張って欲しいからipodなんかは買わなかった。

 そうしところが、さすがはソニー。

 ipodに負けない商品を開発してきた。

 先月には販売台数がipodを追い越した。

そして、今度の新製品は予想を超えた注文が入っているというわけだ。

Photo_3


 このニュースは、このところ技術の日本の座が危うくなってきていて悲しい思いをしていたおじさんにとっては嬉しいニュースなのだ。


 でも、ちょっとね、あんまりできすぎなのは、このところ人気がありすぎて発売延期になるのは、アップルやマイクロソフトのマーケッティングを真似たやりかたじゃないのだろうかと、下衆の勘繰りをしている今日この頃なのだ。

 

 

国勢調査と情報漏洩

 10月1日は国勢調査の日。

 大衆の関心を引く話題ではないので、マスコミで大きく取り上げられていない。

 国勢調査の調査員さんが情報漏洩でもしでかすと、マスコミがワッと飛びついて大騒ぎになるのだろうけどなどと不埒なことを考えたりしてしまう。


 国勢調査というものは、なんでやるのだろう。

 総務省・統計局のホームページによると
「国勢調査は、我が国の人口や実態を明らかにする国の最も基本的な統計調査として、大正9年(1920年)以来5年ごとに実施しています。

 国勢調査の結果は、選挙区の画定、議員定数の基準、地方交付税の算定の根拠となるなど、民主主義の基盤を成す統計を提供しています。

 また、国民の生活設計、企業の事業計画、学術研究機関の実証研究など、社会経済の発展を支える基盤となる統計を提供します。

 国勢調査の結果は、個人・世帯を調査大勝として社会経済の実態をとられる標本調査の標本抽出のために活用され、公的統計の体型整備に不可欠な情報を提供しています。」

 とある。

 意義あることを説明しているようだが、イマイチよくわからない。


 昨日、
私の家にも調査票が届いた。

 その封筒にも国勢調査の説明がいろいろと書いてある。

 いろいろ書いてある中に、「調査票にご記入いただいた内容は、統計法に基づき厳重に保護されます」とあった。

 さらに、「調査員をはじめとする国勢調査に従事するものには、統計法によって、個人情報を保護するための厳格な守秘義務が課せられています」とある。

 だから個人の秘密は守られるということなのだろうが、この文章が逆に私の不安をかきたてててしまう。

 国勢調査への協力は義務だと思っているから、なんの疑問もなく調査票に記入したのだが、調査票を入れる封筒に「絶対に保護します」とあるのを見てちょっと心配になってきたというわけだ。


 私の従事している不動産業でも「宅地建物取引業法」により守秘義務が課せられている。

 弁護士・税理士等の士業にも守秘義務があるし、医療関係者にも守秘義務はある。

 あらゆる業種に守秘義務なるものが課せられている。

 それなのに、秘密が漏れてしまうのが実情なのだ。

 太古の昔から「人の口に戸は立てられない」という言葉がある。

 つい最近の話題でも、細野さんの極秘での北京訪問に記者団が群がっていたし、東国原さんが「県知事を辞めるなどとは誰にも言っていない」と言っているのに、話の内容がでかでかと新聞に載っていた。

 2、3日前だって、民主党の細野豪志前幹事長代理が「極秘」の中国訪問が大きく報道されていた。

 「極秘」のはずなのに、大勢の報道陣が北京空港で待ち伏せていた。

 他人の口のみならず、身内の口も封じられないというのが世の常なのだ。



 そもそもテレビがこぞってとりあげる大きな事件なんかは、どこからともなく
取り調べ内容が垂れ流し状態で報道されている。

 法の番人であるはずの警察・検察からも秘密は漏れ出るのである。

 まさに「人の口に戸は立てられない」わけだ。


 
以前住民基本台帳カード化の際に、個人情報流失が心配されたとき、時の大臣が「公務員が取り扱うから絶対に問題はない。選ばれた人が公務員になっているし、公務員には守秘義務があるから心配はいらない」などと世間知らずなことを言っていたのを思い出す。

 公務員でも飲酒運転もするし、使い込みもする。

 児童、生徒に猥褻行為をする先生もいる。

 魔が差すのが人間の常なのだ。

 ましてや金が全ての世の中、お金に目が眩んでとんでもないことをしでかす人もいる。

 そんな人間が取り扱っても秘密が漏洩しないシステム作りが大切だ。

 情報漏洩より悪いのは、冤罪作りのために意図的に流される偽情報だ。

 以前から警察の取り調べには疑問を持っていたが、今回検察までもが信頼におけないとわかった。

 どこからともなく漏れ出て来る情報を、マスコミが見境もなく大きな声で騒ぎまくる。

 そして、その報道に群がる私たちも冤罪作りの片棒を担ぐことになる。

 人の人生を左右しかねない重大な秘密を知り得る者の情報漏洩については、窃盗罪、傷害罪、殺人罪に匹敵するような厳罰の制定も必要ではないかと思いいたった今日この頃だ。

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