小沢さん強制起訴に思う
小沢さんの強制起訴の問題は、感情的には当然の結果だと思う人が多いだろう。
検察審査会は1948年に法制化され、これまでにも「起訴相当」「不起訴不当」の議決により起訴されることはあった。
ただし、2009年5月20日以前は、検察審査会の議決に拘束力はなく、起訴するかどうかの判断は検察官にゆだねられていた。
2009年5月21日に検察審査法が改正されたことにより、議決に拘束力が生じるようになった。
改正に強制起訴になった事件として「明石花火大会歩道橋事故」と「JR福知山線脱線事故」が記憶に新しい。
しかし、この両件は個人を対象とした事件ではなくて、組織の責任を問うという問題だった。
多くの死傷者を出したのに誰にも責任が無いとという結果に納得できない遺族が、事故の原因と責任の所在を明確にすることが目的であった。
責任者を罰することより、事故の原因究明と責任の所在を裁判によって明らかにしてもらいたいということが最大の目的だった。
だから、この事件の際に、審査会の議決で起訴が決定したことに違和感を感じなかった。
しかし、今回の小沢さんの問題は小沢さん個人が標的になっている。
あわせて、直前に不正郵便問題で被疑者となった村木さんの事件で、被疑者となった人が長期間拘束されるということを再認識させられたことで、疑わしき人を確証もないまま起訴することにすっきりしないものを感じる。
10月8日の朝日新聞でもこのことを取り上げていた。
審査員の一人がもらした「とりあえず裁判所に投げて判断してもらえばいいんじゃないか」という言葉がとりあげられていた。
裁判員とは異なり、有罪無罪を決めるのは裁判所だから、疑わしいものは裁判所で判断してもらった方がいいという安易な判断によって起訴されたのではたまったものではない。
この記事の中にもあったが、兵庫県内の知的障害児施設で1974年に園児二人が死亡した「甲山事件」も印象に残っている事件だ。
当初、同園の保育士の女性が被疑者として逮捕された。
マスコミ報道では、彼女が犯人であるかのような報道をしていた。
しかし、証拠不十分で不起訴となった。
不起訴を不服とした男児の遺族が検察審査会に不服を申し立て、検察審査会が「不起訴不当」の決議を出した。
それを受けて、警察の再捜査が始まり、結局1978年に保育士は逮捕され、殺人罪で起訴された。
最高裁まで争われ、1999年、無罪が確定した。
事件発生から25年の歳月が経過していた。
「 疑わしきは被告人の利益」という言葉があるが、実社会では被告人になってしまうと、社会的生命は抹殺されたも同然だ。
裁判員制度では、裁判員の選択にはさまざまな制限をつけている。
そして裁判員になった方々の全員が、人を裁くことの重大さを充分認識しておられるようだ。
審査会も裁判員制度と同じように制度の明確性をもたせるために、法改正をするべきだ。
人を被疑者として裁判所に送り込むことは、人を裁くこと同じくらい重大な責任を負っていることを忘れてはならない。
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