サザエさんをさがして、冤罪事件
今日の朝日新聞土曜版「be」の「サザエさんをさがして」に興味あるネタが載っていた。
まずは、1956年4月20日朝日新聞朝刊掲載の漫画。
ちゃぶ台を前に、波平が週刊誌を読みながら、「また無実のつみで殺人罪・・」とつぶやく。
隣の部屋からカツオの大きな泣き声が。
「ボクじゃない」「ボクじゃない」「ワーン」「ワーン」
その声に波平が、「いきなりしかるな!ここつれてきなさい」と言う。
サザエ連れられて波平の前に引っ張りだされたカツオは、「ボクがおはぎをたべたというんです。わーん」と泣きながら無実を訴える。
しかし、カツオの口の周りはおはぎのあんこがべっとりとついている。
それを見た波平は、「却下」といって二人を下がらせる。
という4コマ。
この時期に取り上げられていた冤罪事件は、「京都・五番町事件」。
1955年4月、京都市で発生した傷害致死事件で、1年後の56年4月に真犯人が凶器を持って京都地検に自首してきて、裁判中だった4人の少年の冤罪が明らかになったというものだ。
この事件はずさんな捜査とともに、真犯人が名乗り出た理由として、一本の映画が原因となっていたことで注目された。
その映画は、今井正監督の「真昼の暗黒」という映画だ。
そのときまだ裁判が続いていた「八海事件」を題材とした作品だった。
「八海事件」は、51年、山口県麻郷村で老夫婦か犠牲になった強盗殺人事件で、単独犯だった犯人が極刑を免れるため、知り合い4人との共犯だったと供述し、5人が起訴されたという事件。 現実の裁判では、 「疑わしきは被告人の利益」という言葉は存在しない。
また、このころは松川事件が裁判で冤罪が明白になりつつある時代だった。
それで、1コマ目の、波平の「また無実のつみで殺人罪」というセリフになったというわけだ。
八海事件の裁判は、その後も迷走を続けた。
差し戻しの広島高裁で一度は4人が無罪になったが、検察側が再上告したため、再び差し戻しになり、4人の無罪が確定したのは事件から17年後のことだった。
この事件の真犯人は、2審で無期判決を受け、71年に仮出所した。その5年後に病死したが、残された獄中ノートは、法廷での証言が検察の脚本にあわせたものだったことを教えてくれた。
「疑わしきを罰せざるは、(検察官の)出世にひびく」なのだろう。
ところで、この事件でぬれぎぬの罪で3度も死刑判決を受けた阿藤修平さんは83歳で、今も健在だそうだ。
その阿藤さんは、無罪判決が出た郵政不正事件について、「検察のやり方は昔と全く変わってない。都合の悪い証拠は隠すし、証人は脅かされる。こういうことを訴えていくために、まだまだ死ねない」と言っている。
(以上、朝日新聞 10.10.23 土曜版be)
何度も言うが、こんな記事を読むと、同じようなことが、自分の身に降りかかるってきそうな恐怖を感じてしまうのだ。
こんなとき、私は「無実だ」と言い続ける自信がない。
疲労と恐怖から、警察や検察の脚本とおりに喋ってしまうだろう。
警察が書いてきた自分の意にそぐわない被害届に、いやいやながらに署名させられた30年前の記憶が今でもちらちらよみがえる。
被害者としての立場でも警察の人の言動に恐怖を覚えた。
そんな気の弱い私だから、頼る者がいない取調室の中で、一人で闘つ続けることはできないだろう。
だから、そうならない仕組みを作ってもらいたいのだ。
そして、こんなことを言える今が長く続くように、小さな声で言い続ける今日の私なのだ。
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