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2010年11月26日 (金)

裁判員裁判について

 11月16日、裁判員裁判で初の死刑判決が下された。

 その後、次々と死刑求刑がからんだ裁判が大きな話題になって報道されていている。

 私の住む宮崎県においても裁判員裁判において、25日死刑が求刑された。

 起訴内容に争いは無く、裁判員は量刑の判断を求められている。

 同じ25日には仙台地裁で、男女3人を殺害した少年に対して死刑判決が下された。

 この裁判の裁判員になった人はテレビでのカメラ取材に応じていたが、その表情から審理の過程の苦悩がにじみでていた。

 裁判員裁判で初の死刑判決となった裁判で裁判員になった方は、判決を下すまでに何度も泣いたと語っていた。

 今回のカメラ取材に応じた方も、判決にいたるまでに何度も泣いたと話していた。

 法の下とはいえ、人を殺せと命じることには誰しもためらいを感じるだろう。

 被害者遺族にとっては命をもってしても許しがたいことだろう。

 その心情はわかる。

 しかし、全くの赤の他人にとって被害者遺族の怒りは理解できても、被害者遺族が抱く憎しみまで共有するものではないだろう。

 そんな中で死刑の判決を下すにいたる心理状況を、私は理解できない。

 このことについては、引き続き考えていきたい問題だ。

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