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2011年1月

2011年1月31日 (月)

サッカーアジアカップ優勝、すべてがすばらしいザッケローニ監督

 今日のワイドショー・ニュースでもサッカーのアジアカップでザッケローニ・ジャパンの優勝に多くの時間を割いていた。


 
テレビで騒ぎ立てるものだから、私もテレビで観戦していたのだが、試合開始10分後には寝てしまっていた。

 
目覚めたらどのチャンネルもサッカーばかり、ハラハラすることもなく心地よく試合の結果を見ることができた。


 昨日は試合の結果をくり返しくり返し報道していたが、今日は試合の結果の分析をしている番組が多かった。


 
一番の話題の中心は、ザッケローニ監督の采配だった。


 ザッケ
ローニさんの一挙手一投足のすべてが絶賛され、ザッケローニさんの性格・人格そのものが称賛されていた。


 解説者
を始めとして、話題にかかわる人すべてがザッケローニさん絶賛である。


 
あなたたち全員、自分の発した言葉を記憶しておいてほしい。


 
もし次の試合で第一回戦敗退でもしたならば、手のひらを返したように、くそみそにこき下ろすのがテレビ業界の常。



 
政治家の言葉も軽いが、テレビ人たちの言葉も軽い。



 
目の前の空気を読んで、受けることだけを考えて発言できる人がもてはやされるのがテレビの悪行。


 
ザッケローニさん、油断なさるな。

 

小沢さん強制起訴、離党勧告はいつ?

 小沢一郎さんが強制起訴された。


 
年明けに菅さんの強気の発言の中にも、小沢さんの問題は入っていた。

 それなのに、このところ小沢さんに関するニュースは社会、芸能ニュースの陰に隠れていて余り表に出て来なかった。




 
鳥インフルエンザ、霧島の火山爆発。

 そして、この1週間はサッカーアジアカップと沢尻エリカさん。

 なんでテレビ全部が同じ方向に走るのかは毎度の疑問だ。



 
それはさておき、菅さんは、小沢さんが起訴されたら離党宣告をすると宣言していたが、離党勧告はいつするのだろうか。



 
菅さんが「命をかけて」という明言したのは、代表選、総理就任、そして今年になって増税とTPPに言及し、小沢さん問題について強気な発言をする中で、またしても「命をかけた」。

 テレビゲームじゃあるまいし、菅さんの命はいつくあるのだろう。



 
年頭に表明した言葉の中で、さっそく小沢さんの問題に対しての発言について責任を果たす期限が到来した。



 
まずは、この発言を実行できるのかどうか注視したい。

2011年1月29日 (土)

新聞ななめ読みの続き、殺人件数が戦後最低になったの、なぜ新聞は明るい面をみないのか

ということで、昨日の池上彰さんの「新聞ななめ読み」の続き。


昨日の「新聞ななめ読み」のテーマは「新聞はどうして悲観的な話ばかり取り上げるのか」というものだった。

池上さんは、警察庁が発表した、2010年に全国で起きた刑法犯の件数の速報値の報道を例に取って話を進めていた。

1月14日の朝日新聞には、「『ひったくりワースト1』は千葉」という見出しの記事が掲載されていた。



それによると、ひったくりが34年連続で全国最多だった大阪府が前年より33%降り、減り方が少なかった千葉県がワースト1になってしまった。

そして「この記事には、さりげなく「殺人件数は戦後最小の前年よりさらに27県減って1067件」と書いてある」

「一昨年は戦後最低だったことを、どれだけの人が知っているだろうか。しかも昨年は、さらに減ったというのだ」

「テレビや新聞で殺人事件のニュースばかりを見ていると、殺人事件が急増していると誤解している人も多いだろうから、殺人事件が戦後最低というのは、驚きのはず。少なくとも明るいニュースだ。なぜこれを大きく取り上げないのだろうか。」と疑問を抱かれていた。



そして、これが朝日だけのことなのかと、他紙の扱いも紹介されていた。


毎日新聞は「昨年の刑法犯、平成最小」の見出しで、「殺人事件は戦後最小を更新した」と買ってあったが、掲載されている場所が4面と目立ちにくく、しかも大変小さい記事だったそうだ。



読売新聞の見出しは「高齢者の殺人増加」。殺人事件が減っていることよりも、高齢者の比率が増えていることを取り上げていた。

それに対して池上さんは、「社会の高齢化が進めば、高齢者の絶対数が増加するから、事件の発生件数が増えてもおかしくない。年齢ごとの発生の比率で比較しなければ意味がないのだが、それに関する言及はない」と解説している。



日経新聞の見出しは「刑法犯、23年ぶり低水準」各紙の中では一番大きな扱いになっていた。

ただし、もうひとつの見出しには、「わいせつ事件は増加」とあり、ここでも殺人事件の件数が戦後最低を更新したことは、見出しになっていなかったと言っておられる。


そして「どうして新聞は、ニュースの明るい面を見ないで、暗い部分ばかりにスポットを当てるのか。そんな不満をもってしまった。」と締めくくっていた。



この意見にはまったく同感である。

池上さんはマスコミ側の人だから、まだ優しくおっしゃっているが、私は常々マスコミが国を崩壊させていると主張している。

暗い部分にスポットを当てるどころではなく、事実を曲げて、人を不安に陥れる方向に力をいれる。

現在の日本の政治家が無茶苦茶で統治能力に欠けるのは明白だが、それをことさらに暴きたて国内のみならず海外にも喧伝している。

今回の、日本の長期国債の格付け問題での管総理の「疎い」発言にしても、あれは話全体の流れから見て、私は管総理の「国語力の不足」だと思った。


私は、早朝の第一報のニュースで見たわけだが、衆議院の本会議を終えたばかりで詳しいことがよく分からないというように感じた。

まだ発言が大問題化する前で、総理の言い訳の弁が報じられる前のニュースで、人の意見に影響される前の私の意見は「国語力不足による言葉の選択違い」だった。


しかしテレビも新聞も、管総理の立場を擁護する意見は、私が見る限り皆無だ。

そして世界中に、「我が国の総理大臣は無能力だ」とふれまわっている。


これではますます格付けが下がってしまう。


もし菅さんが本当に無能力なら、諸外国には隠せるだけ隠しておいて、こっそり能力のある人を総理にすえることを考えた方が良い。


民間企業において社長に能力がなかった場合、その社長に経営をまかせたまま、「当社の社長は能力がないのだ」などと公表する会社はないだろう。

そんなときは極秘裏に社長交替を図るはずだ。

政治の世界だから極秘裏にということは難しいだろうが、自らの首を締めるような、騒ぎを大きくして面しければ良いというような報道は慎むべきだ、などと予定よりちょっと長くなりすぎた今日は1月29日。

2011年1月28日 (金)

新聞ななめ読み、池上さんテレビ・ラジオ降板について

池上彰さんの話わかりやすいことで定評がある。

難しい内容の話でも、平易な言葉だけを使って優しくゆっくり解説してくれる。

難しい単語や英語がたっしゃな人でないとわからないようなカタカナ語はほとんど使わない。

だから人気があるのだろう。

その池上さんが、3月いっぱいで、すべてのテレビやラジオのレギュラー番組を降板するという。

非常に残念なことだ。

池上さんは話と同様にわかりやすい文章をお書きになる。

朝日新聞の「池上彰の新聞ななめ読み」というコラムを連載されているが、今日のコラムでご自分の降板にからんで、1部のメディアについて「優しく」警鐘を鳴らされていた。

池上さん自身がお話しになっていた降板の理由は、取材・執筆に専念したいということであったが、3月告示の東京都知事戦に出馬するという憶測にがひろがった。

1部のスポーツ紙やネットのニュース等では、池上さんが政治関係者と会ったなどと、本人も知らない話が次々に飛び出して、あっけにとられたそうだ。

記者時代に、裏付けを取ることと、本人に確認することを徹底的にたたき込まれた池上さんとしては、本人に取材せず、「憶測で原稿を書く」メディアがあることに驚きを感じたという。

さすがに大手新聞は、直接確認を求めてきたから、選挙に出る意志がないことをきちんと説明できたが、取材しないまま書いてしまうメディアには対策のとりようがないと嘆いておられた。

さらに、「それでも私は、こうして否定できる場を持っているが、反論する場がないまま悔しい思いをしている人が、きっと大勢いることだろう」とおっしゃっている。

じつにその通りだ。

しかし私は、それに加えて、もっとたちが悪いのがテレビのワイドショーであること付け加えたい。

池上さんもこのことには触れていないが、テレビのワイドショーは、「憶測で原稿を書く」メディアの記事をそのまま報道している。

「と○○スポーツ新聞では言っています」だとか「○○週刊誌によると○○だということです」というような取り上げ方をする。

「憶測で」書かれた記事を、まったく検証することなく、面白おかしく読み上げる。

「憶測で原稿を書いた」メディアは、損害賠償の裁判を受けるリスクを承知で書いている。

一方のワイドショーは、○○スポーツ新聞がこう言っていると読み上げているだけで、記事に対する責任は○○スポーツ新聞に負わせたまま、ワイドシーョネタとして利用している。

さらにたちが悪いのは、自らの手を汚さないでインチキ記事の話を煽り立てていながら、自分はジャーナリスト風を演じることだ。

池上さんの今日のコラムは「殺人件数が戦後最低 なぜ明るい面を見ないのか」という主題で、私が書いたことはその導入部だったのだが、池上さんの書いていた本論についてはまた明日書くことにした今日は1月28日。

日本の長期国債格下げで、管首相「疎い」発言

マスコミが管首相の「疎い」発言に集中砲火をあびせている。

日本の長期国債が格下げになったことについてへの記者団に対するコメントの中での「疎い」という言葉をほじくっている。

私が一番最初に見たのは早朝5時のニュースだった。

菅さんは、「今、初めて聞いた。衆議院本会議から出てきたばかりで、そういうことに疎いので改めてにしてほしい」と回答を避けたように感じた。

私の印象では、衆議院本会議に出席していて詳しい情報を聞いていてないということを、(情報に)疎いという言葉になったのだろうと思った。

しかし、「疎い」という単語の持つ意味としては、そういう捕らえかたはしてもらえないだろう。

私は、この「疎い」発言は、言葉尻を捕らえられて大きなワイドショーネタに発展していくだろうなと思いつつテレビを眺めていた。

案の定、その後の朝のワイドショーでは「疎い」は経済に疎くて長期国債の格下げが日本にどのような影響を及ぼすのかわからないという発言をしたかのように取り上げられていた。

ただし、私が見た限り朝の時点ではどの局も、た。

「衆議院本会議から出てきたばかりで」までの部分をカットして報道をしている局はないかとチャンネルを回したが、私が見た限りでは「今、初めて聞いた。衆議院本会議から出てきたばかりで、そういうことに疎いので改めてにしてほしい」というコメントをそのまま報じていた。

しかし、これはやはり想像とおりになった。

昼のニュースでトップで取り上げられていたが、そこでは早速「そういうことに疎いので」というコメントだけを切り取って報じていた。

またしてもマスコミの悪行である。

国民全部が「政局的な攻防だけをしていないで、政策について論じてほしい」と思っている。

テレビのコメンテーターも口を揃えてそう言っている。

そう言いながら政局がらみの権力闘争が激化するような報道ばかりに時間を割いている。

「疎い」という言葉の言葉尻を捕まえてその言葉のみを追求していないで、改めて「格下げ」についての意見と対策を聞くのが筋だろう。

マスコミというものは、正義の仮面をかぶった芸能レポーターみたいなものだから仕方がないと言えばそれまでだが、1つくらいは、馬鹿みたいに生真面目な番組があってもいいと、いつも思っている今日は1月28日。

2011年1月27日 (木)

快適エクスペリア

携帯電話をスマートフォン・エクスペリアにして2カ月余り。

去年秋から立て続けに新型スマートフォンが発売されて、エクスペリアは影が薄い。

私がエクスペリアにしたのは、予約したギャラクシーの入荷がいつになるかわからなかったからだ。

ギャラクシーの発売は昨年10月28日。

発売を知って私がドコモショップに行ったのが10月31日。

入荷が発売前の予約分にも足りなくて、その日の私の予約番号は10数番目だった。

しかも年内の入荷はないとのこと。

1月には入荷があるが、恐らく数量が足りなくて私には順番がまわって来ないだろうという話だった。

1月27日の今日現在でも、まだ予約をまかなうだけの品物の入荷がないということだ。

期限がわからないというのがなんとも困りもので、スマートフォン熱にとりつかれた私は、知人が使いこなせないまま放置していたエクスペリアでスマートフォンを始めた次第。

そろそろギャラクシーの人気も落ち着いてきたようで、来月あたりになると手に入りやすくなるようだ。

動作がキビキビしているという評判だから、ギャラクシーの買い換えも気になるところ。

それでデモ機をいじって、エクスペリアと比較してみたが、なんのなんのエクスペリアも遜色ない動きをする。

この2カ月余り、エクスペリアを使い倒して愛着もわいてきた。

当面はエクスペリアでいくことに決めている。


スマートフォンは使う前に想像していたよりもはるかに快適で、このところドコモのデータ通信カードの出番が無くなった。

データカードを契約していたことも忘れていた。

今日、遅ればせながらデータカードの契約解除をした今日は1月27日。

2011年1月26日 (水)

大分パルコ閉店、シャッター通商店街と、シャッタービルの地方都市の憂鬱

今日の日経新聞九州版に、大分パルコ31日閉店の記事があった。

大分パルコ閉店については、随分以前にも大きく報道されていた。

大分パルコは1977年に開店し、若者文化の発信地として市街地の核となる店舗であった。

その後、大分郊外に出店した大型ショッピングセンターとの競争が激化。

また、福岡までの高速道路が整備されたことでお客が博多・天神に流出したことで、ここ数年は赤字が続いていたそうである。

営業再開のメドはたっておらず、空きビル状態が長期化しそうで、大分市が作成した中心市街地活性化基本計画への影響は必至だろう。

昨日は、長崎大丸閉店のニュース。

私の地元宮崎県でも、都城大丸が民事再生法の適用を申請して休業している。

先週の日経(だったと思うが)では、仙台のイトーヨーカ堂の撤退が報じられていた。

そのときの新聞のサブ見出しに「シャッタービル」という新語が使われていた。

当地、延岡市でも商店街の2~3割の店舗がシャッターを降ろしている。

私は、そのど真ん中で不動産業をやっていて、なんとか空き店舗を埋めたいのだが、なかなかまままならない。

地元の人と話をすると、延岡市の景気の悪さは全国でも一番だというようなことを言う人が多い。

ついついそう思いたくなるのだろうが、それはまったくの勉強不足というもの。

日本中の地方都市が不景気にあえいでいる。

ここ一カ月の新聞の報道だけでも、前述のような店舗閉鎖の記事が目白押しだ。

一極集中、格差拡大は個人間だけの問題ではなく、企業間でも、都市の間においても拡大し続けている。

そんな中でどうやって生き残ろうかと、考えあぐねている今日は1月26日。
 

2011年1月25日 (火)

ジャスミン革命はフェイスブックから?

チュニジアで、23年の長期にわたって独裁的に国を支配していたベンアリ政権が崩壊した。

その発端は、街頭で野菜を売っていた成年が、販売許可がないということで警察に商品を没収されたのに抗議して焼身自殺を図った事件にある。

この事件を契機として、職のない若者が中心となって、発言の自由を求め、大統領の腐敗政治やを追求する反政府暴動へとつながった。

フェイスブックやツイッター、ユーチューブ、ウィキリークスといったインターネットの力がその声を爆発的に拡大し、不満のつのっていた若者たち街頭に駆り立て、各地でデモの嵐が巻き起こったのだという。

私は昨日、今の日本の為政者が自分たちの身を削ることなく安易に増税に走るのなら、チュニジアの革命まではいかなくても、国民が怒りを行動に表すべきで、それをインターネットの力に期待した意見を書いた。

しかし、それは実現されることのない期待でしかなった。

痩せ犬の遠吠えでしかない。

今朝のワイドショーのチュニジアの運動家が、政変についてのインタビューにこう答えていた。

「フェイスブックを始めとするインターネットが政権を転覆させたと言われているが、そうではない。国を変えるには(パソコンの)画面の前にいることではなく、街頭に出ることだ。」

その通りである。

しかし私は、最初に街頭に出る勇気はない。




でも、
チュニジアの運動家が言ったとおり、画面の前にいるだけでは国は変わらないが、ひ弱なつぶやきが大きなさざ波に変わらないとは言えない、と秘かに期待している今日は1月25日。

2011年1月24日 (月)

「税金の無駄遣いを垂れ流しにしたままの増税は許さない」と叫ぼう

 今日招集された通常国会で、「管首相は社会保障と税の一体改革で、消費税増税を含めた国民の負担増は避けられないと宣言した」

「首相はまず、閉塞(へいそく)感が漂う日本経済、社会を打開するため、『内向きの姿勢や従来の固定観念から脱却する』と決意を表明。」

「そのうえで、国づくりの理念に(1)平成の開国(2)最小不幸社会の実現(3)不条理をただす政治-の3つを掲げた。」

「平成の開国」は具体的にはTPP参入問題だ。
TPP参加で影響が懸念される農業分野には、戸別所得補償制度の拡大などで再生に取り組むと訴えた。

 社会保障と税の一体改革では、政府として抜本改革の基本方針を6月までに示すとしつつ、「国民生活の安心を高めるため、ある程度の負担をお願いすることは避けられない」と述べ、消費税増税を含めた負担増への理解を求めた。

 また、首相は自民、公明両党による過去の社会保障や税制の議論を引用し、「問題意識と論点の多くは共有されている」「(責任は)与野党の国会議員全員が負っている」と与野党協議を提唱した。国会議員の定数削減に取り組む姿勢も示した。

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設に関しては、名護市辺野古への移設を確認した日米合意を踏まえ、「沖縄の皆様に誠心誠意説明し、理解を求めながら、危険性の除去に向け最優先で取り組む」と述べた。

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で関係が冷え込んだ中国については、戦略的互恵関係の充実と同時に、国際社会の一員として「建設的な役割」を求めるとの表現に抑えた。

 「政治とカネ」の問題を抱える小沢一郎元代表には直接言及せず、政治改革に関して政治家の「不断の努力」を訴えるにとどめた。(以上、産経新聞)




 菅さんは
いろいろと総論的に喋っているが、一番の問題は「国民に、ある程度の負担をお願いすることは避けられない」という言葉だ。

 国民への負担を課すことについては、国会の数をもって一気に決めることができる。

 しかし国会議員の定数削減や、税金の無駄遣いの削減、天下りの完全撤廃等の自分たちの痛みについて負担を負うことについては手をつけないのでは国民は納得しない。

 国民は納得しないと思うのだが、ニュース報道を見ていると「消費税やむなし」という意見も多い。

 私も「消費税やむなし」という考えなのだが、その前に税金の無駄遣いを徹底して削減することなしには納得できない。

 これは国民全員が感じていることだろう。

 それなのに、多くの国民はこのまま消費税が上がってもしょうがないというあきらめムードのようだ。



 
諫早湾の潮止め堤防。全国で引き続き計画続行中の多くのダム。「しごと館」を始めとする巨額の税金を投入した箱もの群。格安家賃の役人の宿舎。視察に名を借りた議員の大名観光旅行。
 なによりも、その財源を断つべきは税金を浪費し続ける公務員の天下り機関である特殊法人、独立行政法人。

 保険料をドブに捨てた実績のある「グリンピア」のような設備も、まだまだ数限りなく存続している。

 そのような税金・公費をじゃぶじゃぶと垂れ流すシステムをそのままにしての増税は、絶対に許さない。



 
蓮舫さんを代表とする事業仕分けはパフォーマンスでしかなかった。

 増税の前に、国民が仕分人・監査人となった真の事業仕分けをする機関を作って、徹底した税金泥棒たちを排除してからでないと納得すべきではないだろう。



 かく言う私も、旗を降ったりプラカードを掲げて国会議事堂を押しかけることはできない。


 ブログやツイッター、フェイスブックなんかで、怒りの声をの波が起こらないものかと、いじいじと思いつめている今日は1月24日。

2011年1月22日 (土)

自らの痛みを放置しての増税を許すな!

 1月14日のブログで、私は、消費税増税はやむを得ないと書いた。

 ただし、その前に無駄遣いをやめる、無駄な予算を見直すということに真剣に立ち向かってもらいたいものだ、と、誰でも思っていることを書いた。

それに対して、次のようなコメントをいただいた。

「与謝野氏の入閣は完全に消費税を引き上げるための布陣固めです。そして消費税増税の責任者と菅総理が仰ったとおり、責任転嫁させるためでもあります。責任転嫁で済む話ではないのでしょうが、その気持ちが十二分にある事が明確に伝わりました。

また、失礼を承知の上でこの記事に異議を唱えたいのですが、決して行政の無駄遣いを徹底すれば消費税を引き上げていいことにはなりません。格差が拡大し仕事が減少している現代社会ですから、格差を是正しインフラ整備をすることが最重要課題なのです。加えてそれと平行して無駄の撲滅、役人の天下り天国を撲滅、公務員改革、国会議員定数と給与の大幅削減、現派遣法や後期高齢者医療制度等々の即時見直し、地域主権を達成させるというのが理想です。そうした上で社会保障のあり方を初めて議論できる土壌が出来上がります。釘を刺しておきたいことは、エコポイント等が限界を向かえ経済がまた低迷しそうな時期に増税含みの社会保障のあり方を議論するのは自殺行為です。」

今、増税することは自殺行為だというご意見だ。

これは、もっともな意見だ。

だが、今の日本、そしてヨーロッパを始めとする先進諸国の景気低迷は一時的なものではく、経済の発展が膨れ上がってしまい、出口のない壁に阻まれているのではないかと思っている。

だか、かつての高度成長のときのような景気の浮揚は当面起こり得ないとも思う。

だから、早晩、増税無しに不足する財源をおぎなう方法はないだろう。

それに対して私は、増税にとりかかるのは、コメントの方の意見のように「無駄の撲滅、役人の天下り天国を撲滅、公務員改革、国会議員定数と給与の大幅削減等に力をつくして」もうこれ以上絞っても一滴の水もでないという姿をみせてからのことだという意見を書いた。

それに対して、再度次のようなコメントをいただいた。

「こちらこそ私の拙い文言や主張に御返信頂き、ありがとうございます。

先ず、コメント欄で語るべきではないのかもしれませんが、あえて語らせて頂きます事をお許し下さい。気分を害された場合は削除してください。

私も最後の手段として消費税の増税は已む無し派でした。しかし、現状痛みの強い社会が長年にわたって続いております。

過去を振り返ればバブル絶頂期に消費税を導入または増税し経済が低迷したことは事実であり、不動産に関する悪改によって価格が下落し多額の負債を多くの人が抱えたこと、派遣法の悪改によって賃金格差が開き製造業にも門戸を開いたことでグッドウィルのような非人道的なビジネスを横行させたこと、小泉竹中内閣による痛みの強い構造改革、規制を大幅に緩和したことによって競争が激化し賃金格差も開いたこと、そしてリーマンショックによる世界金融危機が日本の経済にも悪影響を及ぼしました。

リーマンショックによる影響は治まりつつありますが、未だ路上暮らしの弱者がおります。それも老若男女問わずで御座います。これらのセーフティネットを敷かずに大増税を強行するようなやり方は許すことはできず、庶民生活を見捨てることはあってはならないのです。私は何度も何度も菅総理には訴えてまいりました。その声は残念ながら届かなかったことが悔しくてなりません。

戦後焼け野原から復興を果たし、豊かになった日本で餓死者や自殺者が続出していることを恥と受け止めずして政治は語れません。いえ、語ってはならんのです。なんとしても増税路線から離れ希望ある未来像を描かなくてはならんのです。」

さらに、「増税に向かう前には、『無駄の撲滅、役人の天下り天国を撲滅、公務員改革、国会議員定数と給与の大幅削減』を徹底してやること。

この主張を考えますと、裏切られたことが明白となりつつあります。と言うのも菅内閣は昨年、事業仕分けを廃止し新年を迎えると官僚に頭を下げています。これでは到底、改革など実行に移せません。無駄の削減を棚上げし、無能であることを世間に晒しています。そればかりかgooに本日公開された慶応義塾大の岸教授が執筆しているコラムに落胆する内容を指摘しています。コラムには、これまでの民主党のマニフェストと菅第2次内閣が主張していることに温度差があり、「今回の与謝野氏の入閣は、民主党政権の国民に対する裏切りの第一歩と考えざるを得ません」としており、与謝野氏の入閣では正しい増税の道筋さえ期待できないと危機感を募らせています。

また、菅第2次内閣の大臣は平成24年度に増税を断行することへの含みを正式に発表しています。昨年の参院選までは次期衆議院解散総選挙で国民に真を問うてからとしながらも、それを否定する浅はかで軽い発言を公に認めたことを意味します。それに加えて与謝野大臣は年金の支給年齢を引き上げるよう進言しています。このままでは最悪、民主主義が崩壊してしまいます。

悉く国民を裏切る空き缶内閣には、憤りだけでは済まない感情が込み上がります。それは、あの悲劇が再び訪れることを意味しています。あの悲劇を繰り返してはなりません。恐ろしくて口にはできませんが。」というコメントもいただいている。

このコメントには、「上述したコラムについては誠に勝手ながら、URLを指定欄に記述いたします。失礼します。」とあって、匿名さんが参考にしたサイトを紹介してもらった。

そのURLを開いてみたら、岸博幸さんのコラムであった。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/politics/2011012107-diamond.html

さすが、手短に重要なことを伝えておられる。

その後に書いた私はコメントで以下の意見を書き込んでいる。

「まずやるべきは、あなたの仰るとおり無駄の撲滅、役人の天下り天国を撲滅、公務員改革、国会議員定数と給与の大幅削減です。

そして一方、医療・福祉・年金問題は緊急を要する課題でもあります。

その財源としての消費税の増税について検討することは必要なことだと思っています。

ただ、増税に向かう前には、「無駄の撲滅、役人の天下り天国を撲滅、公務員改革、国会議員定数と給与の大幅削減」を徹底してやること。

それなくして、増税のみに走る場合は、国民が怒りの声をあげなければならないと思います。

そのときは、私の学生時代にあったような激しい行動で反対運動を起こすべきです。

いまの日本国民はおとなしすぎます。」

岸さんのコラムを読むと、管政権は自らを正すことなく増税に走ろうとしているのを認めざるを得ません。

官僚、政治家、役人の既得権になんら手をつけることなく増税に走るとき、国民は立ち上がって怒りを結集するべきです。

こう思いつつ、また何も起こそうとはしないのだろうか。

怒れる大衆を出現させる運動を、なんとか起こせないものか!

と、内容の割に長くなりすぎた、今日は1月22日。

2011年1月21日 (金)

賃貸物件のエアコンの修理代は?

 管理しているマンションの入居者から、エアコンが故障したという連絡が入った。

 このマンションは、賃貸専用のマンションではなく、分譲マンションの所有者が自室を賃貸にしているものだ。

 賃貸にする際、今まで自分が使っていたエアコンをそのまま賃借人が使っていたもの。

 当市の場合、どういうわけか1ルームマンションはエアコンが標準装備だが、2DK,3DKにはエアコンがついていないというのが標準だ。

 もともとはエアコンがついていなかった部屋でも、前の入居者が自分で設置したものをそのまま残して言ったり、今回の場合のように家主が使っていたものをそのままにしているものがある。

 そういった場合に問題になるのが、エアコンの修理代が家主の負担にするのか借主が負担するのかということだ。

 エアコン付ということで賃貸借契約を締結していれば、エアコンは物件の付帯設備であり修理は当然家主の負担となる。

 ここで問題になるのは、本体の修理は家主だが、小修理は入居者が行なうということだ。

 通常、賃貸借契約書では、電気のスイッチが故障しただとか水道のパッキンが磨耗して軽い水漏れするというな、小さな修理は入居者の負担で行なうこととなっていることが多い。

 しかし、できればお金は出したくないというのが人の常。

 いざ修理が発生すると、借主は家主の責任だと主張し、家主は借主が修理すべきと、一悶着あることが少なくない。

 ただし、ほとんどの場合は私たちの判断に従っていただいて決着する。

 しかし、金輪際出すものは出さない。出すのは舌を出すのもいや。という人たちがぶつかり合うと、間に入った私たちは大変なのだ。

 経験上、「通常これは借主(もしくは家主)の負担ですよ」と助言しても、なんだかんだと理屈を並べて相手側の負担にしようとする。

 それぞれが当事者なのだが、相手が強行だと、被害を被る側の人は間に入った私たち不動産業者に責任を転嫁してくる。

 そうならないように、契約の時に具体的に家主が負担するべきものと借主が負担するべきもの説明をするようにしている。

 今回問題になったエアコンは、家主が使っていたエアコンがまだ使えるものだったので、入居者の方がそのまま使われるのなら使ってください。

 ただし以後の修理は入居者で行なって下さい。
 
 それが嫌で自分で新しいものをつけたいという場合は、今あるエアコンは家主のほうで撤去します、というものだった。

 明確にこんな説明をしておけば、ほとんどもめることはない。

 さらに、それを明文化しておく必要がある。

 自分にとって都合のいいことは覚えているが、都合の悪いことは忘れる人がいるようで、「そんな話は聞いていない」ということが、まれに起こる。

 今回のエアコンの場合、それに似た問題が起こった。

 契約の際案内した担当社員が、そのことについて大きな問題意識をもっていなかったのだ。

 そういう説明をしたかもしれないし、してないかもしれないというのだ。

 契約書の前に説明する重要事項説明書にはエアコン有りとなっている。

 エアコンがあったから、なにも思わずエアコン有りとしたようだ。
 
 この書面からいくと、エアコン付きで貸したことになり修理は家主の負担になる。

 幸い家主さんが非常に良い方で、「入居者の人に気持ちよく住んでもらいたいから私がしゅうりしますよ」ということで事なきを得た。

 普通の家主さんだったらこんなにすんなりは納まらなかったところだ。

 注意をしていてもミスは起こる。

 ミスをしても、一所懸命仕事をしていて犯したミスで軽微なものなら、きちんと説明すれば許してくださるお客様がほとんどだ。

 しかし、ミスは一切許さないというお客様に出会ったとき、泣きたくなるくらい困ってしまうこともある。

 そうならないように、細心の注意を払わなければならないことを再認識させられた。

 担当者まかせにしていた自分を反省した、昨日1月14の出来事だった。

2011年1月20日 (木)

中国がGDPで日本を追い抜き、世界第2位の経済大国に

 中国国家統計局の発表によると、2010年のGDPが日本を抜いたことが確実となったそうだ。
 日本は42年もの間保ってきた世界第2位の経済大国の座を明け渡すことになった。
 
 このニュース報道で、テレビがまた馬鹿なインタビューをしていた。

 歓喜の涙を流す中国国民の映像と、抜かれたことにくやしがる日本人の声を報道していた。

 中国人が喜ぶのはよくわかる。

 貧しかった発展途上国から、ようやく脱却できたひとつの証と言えるからだ。

 しかし、それを聞いて心の底から悔しがる日本人がどれだけいるだろう。

 中国の人口は13億。

 国民1人あたりのGDPは、日本にはるかに及ばない。

 長期にわたって世界第2位の経済大国の座を明け渡すのは、少し寂しいきはするが、地団駄踏んで悔しがる人はそう多くはないだろう。

 それなのに、テレビのニュースでは街行く人にこのニュースを伝え、そしてマイクを突きつけ「どう思いますか」と質問する。

 そう聞かれれば「悔しいですね」と答えるしかない。

 そこを切り取って「悔しい」のオンパレード。

 さらに馬鹿なレポーターが、閣僚にもマイクを向け感想を聞いていた。

 取り立てて大きな反応を示さずに行き過ぎようとしたとき、「悔しくないですか?」と言葉をあびせていた。

 そんな馬鹿な質問している自分が、自国を卑しめていることに気がつかない愚かさ。

 三流の芸能レポーターでもあるまいし、自らももっと勉強し、もう少しまともな質問をして欲しいものだ。

2011年1月19日 (水)

延命治療を拒否した和田勉さん、事前指示書作成のすすめ

 和田勉さんの死去の報道が印象深かかった。

「ガハハ」という大きな笑い声と、おやじギャグを連発するのが印象的な方だった。

 私はNHKは見ないからNHKのディレクターとしての和田さんは知らない。

 私が知っているのはNHKを退職してからの和田さんだ。

 民放のバラエティー番組に出ていて、やたら大きな声だったことと、「ガハハ」の笑い声、つまらない駄洒落を絶え間なく繰り出す、へんなおじさんだとしか思っていなかった。

 とにかく、「豪放磊落」という言葉がぴったりのおじさんだった。

 この度の訃報で、NHKで多くのドラマを手がけ、昭和のテレビドラマに新風を吹き込んだた超大物ディレクターだったことを改めて知らされた。

 私が和田さんの死去報道を印象深く思ったのは、和田さんが2年半前に食道上皮ガンの告知を受け、手術も延命治療も拒否し、病院や老人福祉施設で緩和ケアを受けながら最期をむかえたということだ。

 ワイドしーょでも大きく取り上げられ、そんな和田さんの生き方(死に方)について「なぜ一切の治療を拒否したのだろう?」と不思議そうに疑問を呈する人たちがたくさんいた。

 しかし、私は和田さんの身の処し方は私にとっての手本であると感じている。

 このように潔く死にたいと思っている。

 和田さんは享年80歳。

 ガンの告知を受けたときは77歳だった。

 そして、手術や延命治療は一切拒否して、痛みや苦しみをとる緩和ケアを受けながら最期をむかえたわけだ。

 手術を受けていたら、あと何年生きられたのだろう。

 和田さんは、手術をして声を失い、抗ガン剤の苦しみに耐えながら、病院のベッドにしばりつけになって数年長生きするよりも、痛みや苦しみは極力和らげて最期まで自分らしく生きて寿命を迎えようと決断されたわけだ。

 父と母の最期を看取って以来、まだ漠然とだが自分の死に方についてあれこれ考えることがある。

 そんな本もよく読む。

 「死ぬときに後悔すること25」「達者でポックリ」「平穏死のすすめ」等々。

 いずれも看取りを手がける医師の書いた本だ。

 本の内容については、別の機会に詳しく触れたいと思っているが、「達者でポックリ」というにある「死に時を間違ってはいけない「「生きたくないと思っても死なせてもらえないことになる」という言葉に実に同感するのである。

 団塊の世代が高齢化を迎えることになって需要?が多いからなのか、このところこんな内容の本が数多く出版されている。

 最近、曽野綾子さんの「老いの才覚」だとか、中村メイコさんの「人生の終いじたく」がベストセラーになっている。

 いずれも立ち読みしかしていないのだが、中村メイコさんの「人生の終いじたく」は私が言いたかったことがそのまま文章になっているような気がする。

 また、本だけではなく新聞、週刊誌や雑誌でも同じような内容の特集がよく組まれている。

 朝日新聞に「患者を生きる」という連載コラムがあって、さまざまな病気を題材にしてきたが、今年1月11日から始まったテーマは「命のともしび そのままで」。

 その第一回目の副題は「『自然に逝く』願い通り」というものだ。

 それぞれのテーマは5回から6回連載されており、昨日からは「命のともしび 事前指示書」となっている。

 「指示書」とは自分の死に方についての遺言のこと。

 意識していない人にとってはまったくの他人事で気がつかないだろうが、新聞に掲載される週刊誌や雑誌でも、しょっちゅう同様の特集が組まれている。

 私は、「事前指示書」は数年前に作成して常に携帯している。

 こんなことは元気だからできること。いざ、本当に自分が死に直面したときには、うろたえて何にもできないだろう。

 かく言う私だが、いざ自分がその場に立たされたとき、和田勉さんみたいに潔い決断をする自信はない。

阿久根市でアート騒動 マスコミが対立を煽る

 阿久根市の出直し選挙が終わった。

 結果は竹原さんの負け。

 しかし854票という僅差だったことから、西平新市長の関係者から「市民の市政を見る目は厳しい」という感想も聞かれた。

 新市長に新しい市政運営をまかせたいという市民が854人多かったということだが、それと同じくらい竹原前市長を支持する人が多いことを念頭にいれた市政改革をしていこうという気持の表れだと感じた。

 これからどのような手法で改革を進めていくのか、新市長のお手並み拝見というところだろう。

 そんな新体制がまだ整わないところなのに、今日の朝日新聞で、竹原前市長の決めた公共施設の壁にスプレーで絵を描く事業を問題視して大きく取り上げていた。

 昨年度行なった「シャッターアート事業」を継続するもので、今年度は防波堤の岸壁や消防署の車庫外壁等の公共施設に絵を描く事業を委託していたものだという。

 色彩が奇抜だったり、描かれたキャラクターの著作権の問題もあるというわけだ。

 新聞では、批判的な意見を多く取り上げ、肯定的な意見も多少取り上げるという構成だった。
 この問題については、今日のテレビ朝日「スーパーモーニング」でも大きく取り上げていた。
 インスタントラーメン「チャルメラ」の「チャルメラおじさん」や、不二家の「ペコチャン人形」なども描かれており、それらの企業にキャラクター使用の是非についてインタビューをしていた。

 企業としては、テレビカメラ付きの取材でインタビューを受ければ、「問題ない」とは答えられないだろう。

 「どうぞ自由に使って下さい」と言えば、今後は商標権等が無茶苦茶になる。

 しかし、映像を見る限り商標権を侵害するというより、商品の宣伝に効果があると思われる使われ方で、マスコミが大騒ぎしなければ、むしろ歓迎の気持を込めた黙認という処理になっただろう。

 商業的な利用ではなく、しかも鹿児島の小さな町の中だけの話だ。

 昨年度の「シャッター・アート事業」でシャッターにキャラクターを描いて街を明るくするというのは妙案だと思う。

 その絵を見ると、シャッター通りと化した商店街が多少なりと楽しく感じられる。

 ここがマスコミの悪行で、問題の本質はそっちのけで、面白おかしく視聴者や読者の興味を煽ればいいと思っている。

 「人の喧嘩と火事は大きければ大きいほど面白い」から、それぞれの悪口をことさらに悪意を持って伝えたり、消えかかった火種を煽いだりするのだ。

 阿久根市出直し選挙の結果で、マスコミの悪行を再認識した、今日は1月19日。

2011年1月18日 (火)

異常寒波で想像外の被害を被った

この数日の寒さは尋常ではなかったようだ。

一昨日、16日の朝、私の管理しているビルでお湯がでないという騒ぎがあった。

駆けつけると、お湯が出ないのではなくて、給湯からの水が一滴も出ないのだ。

そのビルは、屋上のボイラーから全室のお湯をまかなうシステムになっている。

設備が古いので、てっきり給湯設備の故障だと思った。

ビル全体の配管のやりかえとなると、莫大な費用がかかる。

費用のことを考えると頭が痛い。

そんなことを思いつつ、工事会社に電話をしたところ、「おそらく凍結のせいです」との回答。
凍結?

水道管が凍結したということは記憶になかった。

工事会社の担当の「朝から同じような電話がじゃんじゃん入っていて、てんてこ舞いですよ。多分、昼から暖かくなれば回復するはずですから様子をみてください」という返事が変に嬉しかった。

工事会社の言った通り、昼からお湯が出るようになった。

これで、ひと安心といった日曜日だった。

そういえば、このビルの露出している水道管や排水管には凍結防止の断熱テープが巻いてあった。

当地、延岡市(宮崎県)で凍結なんてすることはないのに、なんでこんなに仰々しく凍結防止テープを巻いてあるんだろうと思っていた。

このビルは建築後30年以上になる。

思い起こせば、自分たちの子供の頃には室内に汲み置きしていた水が凍っていたものだ。

学校に行く途中の水たまりが凍っていて、スケートのまねごとをして遊んだりしたものだった。
異常な寒波と大騒ぎしていたが、気がつかない間に温暖化していたことを確認させられた次第。
ともあれなにごともなく日曜日が終わるかと思っていたのだが、夜9時半に事件が起こった。

管理しているビルで、3階の部屋からの水漏れで2階の部屋が水浸しになっているという連絡があった。

部屋中が水浸しということなので、とりあえずは出動。

かけつけると、天井のあちこちから水がボタボタと漏れていて部屋は水浸し。

なんとその原因が凍結。

午前中、凍結のせいで流しの蛇口をひねっても水がでなくて蛇口を解放したままにしていたところ、午後から水が出初めて水が流れっぱなしになっていた。

流しの水だから、しばらくは流れっぱなしになっていたのだが、そのうち流しに置きっぱなしにしていた食器が排水口を塞いで、流しから水があふれだしたことが原因だった。

水漏れの被害者は使えなくなった布団や室内の補修を弁償してくれと言っていた。

水漏れを起こした人は、蛇口を解放したままだったのは凍結が原因で、これは天災であって自分の責任ではないと主張していた。

警察を呼ぶの呼ばないのと大騒ぎになっている。

このアパートは私が家主で、入居者の状況がわかっているわけだが、水漏れを起こした方の経済状況では損害賠償を求めても支払い能力はないだろう。

といって、被害を受けた方はおさまらない。

それで、被害についての当面の補償は私がすることにした。

ただし、私の過失ではないので、被害者の方には布団とか、畳の交換等の最小限の損害賠償と、補修が終わるまでの代替の住居費用を負担することで納得してもらった。

そして加害者の方にも話をして、かかる費用の一部を分割で支払うことを納得してもらった。

責任のない私が補償するということで、被害者の方の要求も最小限のものだったが、それでも私の負担は10万円では納まらないだろう。

加害者の人には3万円か、できれば5万円くらいの負担をお願いしたいと思っている。

私の手出しをゼロにして解決しようと思ったら、ずっとゴタゴタが続くことを考えると、この程度ですんでよかったと、ほっと胸をなで下ろしたというところだ。

アパート経営をしていれば、これも必要経費ということだ。

とんだ異常寒波の被害であった。

2011年1月17日 (月)

阿久根市長出直し選挙、竹原前市長落選、私の予想はみごとにはずれた

 私の予想はみごとにはずれてしまった。

 阿久根市のリコールに伴う出直し選挙で、竹原前市長が落選した。

 竹原さんの改革に対する思いは認めるが、行き過ぎた独善的手法は受け入れられなかったということだろう。

 しかしその差は854票と僅差だった。

 有権者数1万9715人。投票率.82.39%という選挙の結果の845票の差。

 私は、今回の結果のような僅差で竹原さんが再選されると想定していた。

 行き過ぎた手法は認め難いがが、改革の姿勢は継続してほしいという思いの方が若干上回るのではないかと想像していたのだ。

 結果は、市民が竹原さんの行政手法を行き過ぎたものであると判定を下したというこだ。

 だが、半数近い市民が荒っぽすぎる手法であっても、竹原さんの行政改革を支持していた事実を新市長は真摯に受けとめて、改革を継続していく必要があるだろう。

 職員や議員と対話しつつ緩やかに改革を進めることは困難を究めるだろう。

 穏やかに波風立てずには改革はなし得ない。

 竹原さんは性急すぎて手段を見誤ったが、職員にも議員にも痛みを分かち合ってもらうことを納得させるのは容易ではない。

 今後は、選挙で支援を受けた職員や議員に対して、給与や議員定数の削減をお願いしていかなくてはならないことを忘れてはならない。

 改革目標の数値を緩やかなものにしたとしても、職員や議員にはすんなりと受け入れられないだろう。

 現場で行政を行なっている役人を意に従えるのは簡単なことではない。

 市という最小の行政単位の中で、市長のリーダーシップに期待したい。

 国をみると、政治主導を錦の御旗にした民主党は官僚に手玉にとられている。

 徹底した行政改革の必要性を訴え政権交代を果たした民主党は、目指した改革のひとつも実行ができないまま、国民をだまし討ちにするような政策転換をはかっている。

 総理大臣といえども、巨大な国家官僚組織にはおいそれと太刀打ちできないようだ。

 そんな今の政権をみていると、竹原さんのような強権を発揮する指導者を求めたくなるのは私だけだろうか。

2011年1月15日 (土)

吉野家「牛丼270円」、不毛の価格競争にまきこまれるな。

 今日の昼食は「吉野家」の牛丼にした。

 なんと牛丼が270円。

 大手牛丼チェーン3社が11日から一斉に期間限定の値下げセールを始めたのだ。

 「松屋」は320円の「牛めし」を240円に、「すき家」は280円の「牛丼」を250円に下げた。

 私の住む延岡市には吉野家しかない。

 他の都市では3社が同じような場所で競合しているから、値下げ競争で顧客の獲得合戦をしているのだろうが、当市のように競合店がないところは値下げをしなくてもいいのではないだろうか。

 そもそも吉野家の牛丼は、他社の牛丼とは一線を画していると思う。

 吉野家は、狂牛病問題でアメリカ牛の輸入が止まったときに牛丼販売休止を続けたほど味にこだわりをもっていた。

 そして、それは長期的な視野から見たら賢明な選択だった。

 そんな吉野家だから、不毛な価格競争には巻き込まれないほうがいい。

 とはいうものの、吉野家ファンである私も値下げのニュースを見て今日の昼食を吉野家にしたのだが。

 いつもは閑散としているのだが、今日は満席状態。

 そう、当市の吉野家はいつもはがらがらなのだ。

 私の家族全員、吉野家の牛丼は好きではない。

 当地のすき焼きは極甘で、地元のうどん屋さんや定食屋さんのメニューにある「牛めし」もすごく甘いのだ。

 その味になれている当地では、吉野家の牛丼は辛いというイメージなのだろう。

 そんな町田から、値段だけに惹かれて来ているお客さんがリピーターになる確率は低いだろう。

 270円の価格を経験してしまうと、380円が高く感る。

 吉野家の牛丼は380円でも採算的にはいっぱいいっぱいだろうに、こんな不毛な価格競争に巻き込まれていてはますます経営が厳しくなっていくことは明白だ。

 どう考えても吉野家の経営戦略は間違った方向に進んでいるような気がする。

 牛丼を食べながら店の外を眺めていると、何本もの「牛丼270円」のノボリが強風に煽られてちぎれそうになっていた。

 そんなノボリが、価格競争の嵐に翻弄されている吉野家の姿のようだった。

 会社更生法を適用し事実上の倒産から再生した吉野家が無くなることのないことを願っている。

2011年1月14日 (金)

与謝野馨さん、経済財政大臣就任!

与謝野馨さんが立ち上がれ日本を離党して経済財政大臣になった。

なった与謝野さんも、させた菅さんも相当の覚悟をもってのことだろう。

立ち上がれ日本は反民主だったはず。

与党に入って自分の政策実現をはかるということなのだろう。

政治家の方の言葉は将来に向かって責任を持つものではなくて、そのときそのときの瞬間にしかその意味を持たない。

政治家は本当のことを言ってはいけないのだろう。私の生き方とは正反対だ。

私は零細商売人で、守らなければならない社員も抱えていないし、自分の好きなように仕事をしてもいい。

士農工商の一番下の零細商売人が言うのはおこがましいが、「武士に二言は無い」「武士は食わねど高楊枝」で生きている。

言ったことには責任をとる。

仕事上で間違えたら、即座に詫びて責任をとっている。

政治家は1億2000万人もの命を抱えているから、なんでも思った通り口にはできない職業だと理解している。

与党からも野党からも、国民からの批判を受けることは承知での与謝野さんの経済財政相就任は、消費税増税の道筋を作るという菅さんと与謝野さんの覚悟のことであろう。

消費税増税はやむを得ないということはわかっていることだが、その前に無駄遣いをやめる、無駄な予算を見直すということに真剣に立ち向かってもらいたいものだ、と、誰でも思っていることを書いただけの今日は1月14日。

2011年1月13日 (木)

食料自給率の正しいデーターは?

 マスコミの情報がすべて正しいとは思っていない。

 マスコミの情報は信用できないところがあると思っている。

 といって、マスコミ抜きに情報を手にいれることもできない。

 マスコミの情報から真実を読み取るということも簡単ではない。



 
私は、食料問題について自国の農業を保護してでも食料自給を確保すべきだと思っている。

 それは農業すべてにおいて保護貿易をするという意味ではない。

 今の若い年代の人はどうなのか多少の疑問はあるが、日本人は米があったらなんとか生きられるというのが私の思いなのだ。

 米については、一夜漬けのにわか勉強ではあったが、数十冊の本を読んだことがある。

 相当昔の話になるが、宮崎県が支援する団体に加入していて、その25周年記念行事で「米米輸入自由化問題」を題材にしたディベート大会があった。

 学習ディベートなので、賛成・反対いずれの立場でもディベートできるように勉強する必要があった。

 それで、米問題についてありとあらゆる方面の書籍をかき集め、1カ月くらいの期間集中して真剣に勉強した。

 ディベート大会においては、米自由化賛成・反対どちらの立場についての知識が必要となるので、双方の立場の本を読みあさった。

 地方予選を経て、県での決勝大会まで4戦か5戦を闘って、結果は準優勝だった。

 地方予選からのトーナメント選で勝ち上がっていく過程では米自由化賛成に立ったことも何度かあったわけで、自由化賛成の理論も充分理解できたものだった。

 しかし、その勉強の結果、私は米だけは完全自由化はすべきでないと思った。

 その時の思いはそのまま残っている。

 私が米だけは絶対自給を保持するべきだというのは、難しい理論空ではない。

 世界的な食料危機があって輸入にたよっている食品が高騰して庶民の手に入らなくなったとしても、米さえあればとりあえずは生きられると思うからだ。

 若い人の間で米離れが進んでいると言うが、子どもたちもおにぎりは喜んで食べる。

 おにぎりに塩と海苔でもあれば、なんとか生きられる。

 肉がなくても、マグロはなくても、近海でとれる雑魚の干物でもあれば、なんとかしのげる。
 米離れをしているといえども米があればなんとかなる、と思うのだ。

 できたら農産物の多くが自給できた方がいい。

 しかし、現実問題としてすべての農産物を自給することは不可能だろう。

 日本に不足する飼料や食用油の原料や小麦などは輸入に頼るしかないだろうが、その輸入先はアメリカやオーストラリアなどの先進国だ。

 先進国だからといって安心はできないが、農産物の輸出を生業とする多数の輸入先を確保し、より安定した食料外交を計ればいい。

 と、ムキになって自論を長々と主張したのは、今日の日経新聞の社説を読んでのことなのだ。
 社説は「食料自給率、本当のところは?」という題で、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加を巡る議論について論じていた。

 それによると、マスコミがこぞって報道している日本の「食料自給率」はカロリーベースだということ。

 カロリーベースによると自給率は40%だという。

 確かにこの数字は何度も聞かされている。

 しかし、社説では生産額比率は70%だという。

 この生産額比率の意味合いは何度読んでも、今ひとつ理解ができなかったのだが、「輸入も含めた国内総供給に対する国内生産額の比率」ということだ。

 わかるような、わからないような説明だが、とにかく生産額比率では70%ということなのだ。

 この生産額比率という言葉は、私にとっては初耳のこと。

 日経新聞もマスコミのひとつだが、冒頭の「マスコミ報道がすべて正しいとは思っていない」というのがここにある。

 インターネットのおかげで、ヒントをもらえばより詳しい情報を手に入れることはできる。

 ともあれ、米の自給だけはなにがあっても死守すべき。

 それはディベート大会の際の勉強で学んだ知識からのもの。

 詳細については、別の機会に譲ることにする。

 ただし、米以外の農・畜・水産物については、社説にもあったように、複数の輸入先と安定した関係作りを目指すべきだろう。

2011年1月12日 (水)

今日の、民主党両院議員総会はどうなっているのか?

今日、民主党の両院議員総会が開かれる。

小沢さんの問題で紛糾は必至。

明日は、民主党の党大会。

そして、24日から通常国会。

果たして菅さんは、年初からの強気の発言の実行ができるのだろうか。

まずは、新たな年の初戦とも言える今日の両議院総会はどうなっているのだろう。

それにしても小沢さんは潔さのかけらもない。

10数年前、小沢さんの「日本改造計画」を読んだ。

そのときから小沢さんは政権交代を叫んでいた。

政権交代をして政権を担当させてくれ。

「その結果、駄目だと思ったら政権の座から引き下ろせばいい」

「そのときは潔く政権の座を降りる」と言っていた。

私はその政策はわからないが、小沢さんの潔さに対して一度政権をとってもらいたいと思った。
しかし、それは裏切られた。

世論調査で国民の大多数が小沢さんに説明責任があると言っているのに、説明の場にさえたたない。

都合が悪いと雲隠れ。

これが一番質が悪い。

自分の言葉に責任を持つのならば、「説明責任」を果たすのではなく「説明の権利」を行使するべきだろう。

「正しいから説明をする責任はない」というのでなく、「正しいことを説明する権利」を行使することだ。

菅さんは年初から力強い発言を続けてきた。

それが実行を期待している。

その第一陣が今日の両院議員総会だ。

まずは小沢さんの処理。

続く約束の実行は並大抵ではない。

「平成23年を平成の開国元年にする」
「消費税について真剣に考える」
「OPPへの取り組みと、日本の農業のあり方を考える」
「6月を目処に結論を出す」
「普天間問題」
「防衛問題」

生命をかけて実行すると言った言葉をどう実行するのか。

心から期待している。

2011年1月11日 (火)

タイガーマスク運動?

昨年12月25日、群馬県高崎市の養護施設にタイガーマスク伊達直人の名でランドセルのプレゼントが届けられ、それ以後全国各地で同様のプレゼントが相次いでいる。

こんな流行ならどんどん流行るといい。



電車に乗っていて、老人や身重の産婦さんに席をゆずろうと思っていても、なかなか気恥ずかしくて言い出せないものだ。

席を譲りたいのだが「どうぞ」の一言を口にするのには勇気がいるものだ。

みんなそう思っていて、気まずい空気に押しつぶされそうになる。

そんな恥ずかしがり屋の人が多いのが日本の国民性なのではないかと思う。

そこに現れたのが一番目のタイガーマスク。

それを見て、こんな人助けの方法があったのかと思って、次々とタイガーマスクが現れたのではないか。


評論家やコメンテーターの人たちが、いろいろ解説しているけど、テレビで堂々と自己主張のできる彼らには、私の感じる気恥ずかしいという心情はわからないだろう。

私は、次々と現れたタイガーマスクさんたちは、愛すべき恥ずかしがり屋さんだと思う。

恩きせがましく「してやった」という顔をしないで、ひそやかに心からのプレゼントを贈りたい、そう思ってのことだろう。

テレビや新聞に通知して、贈る側も贈られる側も相手の顔を見るのではなくて、カメラの方を見て横向きに贈答の品を手渡す寄付のニュースで見る偽善に比べて、見ていてなんとさわやかなことだろう。

日本もまだまだ捨てたものではないと、明るい気持にさせてくれるタイガーマスク運動?である。

残念な資産家姉妹の孤独死

大阪府豊中市で、61歳と63歳の姉妹が餓死状態で発見された。

ニュースで、事件のあったマンションがはっきりと報道されているのを見て、一瞬その家主さんのことが心配になった。

事件を気にする退去しれがでるだろうし、今後、入居者がなかなか決まらず空き室が増えて経営困難になるのではないかと思った。

しかし、ニュースを見ていると、このマンションは亡くなった姉妹のものだったという。

親が土地やマンションなど、相当な資産を残してくれていたようで、このマンションも姉妹の生活を維持するために10年前に新築したものだった。

こんな立派なマンションを持っていて、なぜ餓死するまでに困窮して行ったのか不思議でならなかった。

10年前にマンションを立てさせた建築屋さんや、それを管理している不動産会社はなにもしてあげられなっかったのだろうか。

私は、このマンションの立地的なものがわからないが、まだ充分新しいマンションなのに半分以上が空室だったということも理解がいかない。

大きな資産を抱えていて人が信用できなくなり、まわりの人の意見を素直に聞くことができなくなっていたのだろうか。

今回の事件では、このマンションが競売にかかっており、執行官が何度も訪問していても会えず、市に協力を要請した経緯もある。

それに対して市は、警察に同行してもらうよう助言しただけ。

いつものことだが、役所の対応には歯がゆいものを感じる。

自分が管理会社だったらこうはさせなかったのではないかという気がする。

こういった事故を起こすと、本人もかわいそうだし、家主にとっても悲劇だし、そこに住む人たちもかわいそうだ。

相手のいやがる「おせっかい」も必要なときがあると思っている。

2011年1月10日 (月)

新年の管総理の元気は本物か?

新年を迎えて、菅首相の強気の発言がめだつ。

耳に残っている言葉をならべてみる。

「平成23年を平成の開国元年にする」
「消費税について真剣に考える」
「OPPへの取り組みと、日本の農業のあり方を考える」
「6月を目処に結論を出す」

小沢さんの離党勧告にも言及している。

そして、またしても「政治生命をかける」とのこと。

衆議院選のときにも、民主党の代表者選挙のときにも「政治生命をかけて」いた。

命は一つしかないはずだが、政治生命はいくつあるのだろう。

小泉さんがワンフレーズポリティクスで成功したのを真似て、それ以後の総理大臣たちが国民の耳障りのいいスローガンを掲げて政権を取った。

しかし、スローガンを掲げただけで次々と短期間で交替して行った。

多くの国民が政権交代に期待をしていた。

その期待は完全に裏切られた。

民主党に政権担当能力がなかったことを思い知らされた。

だからといって自民党の政権に戻そうとも思えない。

見た目は派手な格好をした新成人から「日本の将来が不安だけど、自分たちもなんとか力になりたい」という声もあった。

菅さんの力強い発言が、また言葉だけで終わらないことを切に願っている。

2011年1月 9日 (日)

阿久根市、出直し市長選

 阿久根市のリコールに伴う出直し選挙が今日告示された。

 リコール後、3選を目指す竹原信一 前市長と、リコール運動を進めた市民団体の西平良将氏の一騎討ちになる。

 私の想像では、竹原前市長が再選されるだろう。

 議会を招集せずに専決処分をくり返した竹原前市長のやりかたは認められることではないが、高すぎると言われる職員のボーナスカットや、固定資産税の軽減、市役所の窓口手数料減額等々、強引さを除けばその政策には同意できるところも少なくない。

 国会レベルでも民主党のマニフェストにあった、公務員や国会議員の定数削減、給与引下げと政策的には変わりがない。

 国家的規模と官僚という巨大組織の中では、総理大臣といえどもなかなか刃をふるうことができないでいる。

 市長といえども、自分の身の安泰を優先で考えたら、役人や議員と真っ向から対立するのは得策ではない。

 相手の話に、一切聞く耳持たず、という竹原さんの姿勢はいかがなものかと思うが、やっている内容的には「あっぱれ」と声援を送りたい心情もある。

 恐らくは、竹原さんが3選を果たされることになるのだろうが、3選を後ろ楯にして今までどおりの恐怖政治的な手法での市政運営は見直されてはどうだろうか。

 もうすこしうまく立ち回って、これだけ説得しても市議会が動かないからやむを得ず強権を発効させるという演技も必要だと思う。

 専決処分で選任した副市長も強硬派のようだから、もうひとりもっと狡猾な演出家を隠れた補佐役として選任されてはどうか

2011年1月 8日 (土)

朝日新聞土曜版「be」「うたの旅人」で、イエスタデイとビートルズ、そしてサザンオールスターズ「愛しのエリー」

 朝日新聞の土曜版「be」に「うたの旅人」という連載記事がある。

  毎週、1つの楽曲をとりあげてその歌にまつわるエピソードを綴っている。
 
  今日は、ビートルズ「イエスタデイ」をとりあげていた。
 
  私は、ビートルズ世代。
 
  熱烈なファンではないが、私の洋楽との接点を結んでくれたのはビートルズだ。
 
  学生時代にビートルズのベスト盤ともいえる赤盤、青盤を買って、それはすり切れるくらい聞いていた。
 
  だから、ビートルズのヒット曲はだいたい口ずさめる。
 
  その程度のファンだが、今日の「うたの旅人」の記事は面白い読み物だった。
 
  熱烈なファンではない私は知らなかったのだが、「イエスタデイ」の旋律は記事によるとポール(マッカートニー)の夢の中で生まれたというのだ。
 
  その話はファンの間ではよく知られた話だというではないか。
 
  やはり私はこの程度のファンなのだ。
 
  それはさておき、この記事によると、目覚めたポールは当惑した。本当に自分の曲なのか?どこかで聞いた曲を思い出しただけなのではないか?
 
  旅公演のマネージャーのトニー・ブラムウェルさんに、彼は「こんな曲、聞いたことある?」と言ってギターを弾きはじめたそうだ。
 
  そして、会う人、会う人に同じ質問をしていた。
 
  当時のマネジメント方針でジョン・レノンとの共作となっているが、ポールで完成させた。
 
  当初は、ポールとジョンが旅公演のバスの車内などで文字どおり共作していたのだが、「イエスタデイ」を境に、これはポールの曲、これはジョンの曲と、はっきりわかるようになった。
 
  それでも表向きは2人の連名になっていたが、音楽に精通していない私にも、ポールの曲だとかジョンの曲だとかはなんとなくわかるものがある。
 
  この記事の中に、子供の頃からファンのサンドラ・ジョーンズさん(56)の逸話があった。
 
  1965年のクリスマス前、母親と彼女が美容院に行ったときのこと。美容師が髪をいじりながら「イエスタデイ」を口ずさんだ。
 
  「いい歌ね。誰が作ったの?」中年の女性客がたずねた。
 
  ビートルズと聞いて、そこにいた客みんなが「ホント?」と驚きの声を上げたという。
 
  「それまで騒々しいロックバンドと思われていて、ファンは私みたいな子どもや若者ばかり。『イエスタデイ』が、すべての世代に愛される真のスターの道を開いたんです」
 
  私も、この話の通りにビートルズのファンになった。
 
  それは、サザンオールスターズの「愛しのエリー」にもつながるものを感じる。
 
  ということで、ちょっとロマンティックな?話を書いた、今日は1月8日。

「追い出し規制法案」について思う

 昨日の朝日新聞に「追い出し屋 なお横行」との見出しで、「追い出し規制法案」の問題を取り上げていた。
 
 弱者である家賃滞納者を救うために、緊急に「追い出し規制法案」を仮説するべきだという趣旨の記事だ。

 「追い出し法案」がたなざらしになっている間に、被害はなお続いているというのだ。

 この「被害者」というのは家賃を滞納した人のことなのだ。

 「被害者」といわれる「家賃滞納者」に家賃を滞納されて「被害」を受けているのは家主は加害者扱いなのだろうか。

 確かに、家賃が1日遅れただけで脅迫的な督促をしたり、追い出しにかかったりするようなやり方があるとすれば問題だ。

 しかし、それは本当に一部の業者なのだ。

 朝日新聞の記事によると、「追い出し屋規制法案」がたなざらしになっていて、一方では不動産業者ら10万2千社が加盟する政治団体の全国不動産政治連盟が、小規模な個人家主を法案の規制対象から外すことなどを求め、12万5千人分の署名を集めたことを批判的に論評している。
 
 全国不動産政治連盟や全国賃貸住宅経営管理協会政治連盟が「一部の悪徳業者を規制するために、善良で零細な個人家主まで対象にするのは納得できない」という訴えを、「追い出し規制法案を事実上骨主にする動きである」と報じている。

 これまた、すべてを十把ひとからげにした単視眼的な考え方だ。

 これにからむ問題として、私は「家賃滞納者のデータベース化」(10.12.21)について書いた。
 家賃滞納者を弱者として家賃滞納を甘受せよというが、家賃滞納は将来に向かって増え続け家主の経営を逼迫させるのだ。

 正当な家賃の督促ができなくなるかもしれないから、入居審査を厳しくして家賃滞納を防衛するというのは当然の流れだろう。

 それで、広がりつつあるのが「家賃滞納者のデータベース化」なのだ。

 家賃滞納歴のある人の入居を制限しようというわけだ。

 朝日新聞はこれについても弱者いじめという理論展開をしていた。

 しかし、再度声を大にして言いたいのは、多くの家主もまた弱小なのだということだ。

 10世帯12世帯の小さなアパートを経営していて、1、2件家賃滞納をされることは家主にとっても死活問題なのだ。

 家賃滞納者は滞納家賃が負債として溜まるだけだが、家主がアパート建築のために借りているローンの支払いを滞納したら、金融機関は家主に対してローンの残債務の一括返還を求めてくる。

 家賃滞納者がいて支払えないから待ってくれと言っても、金融機関は待ってはくれない。

 借り入れ残債務の一括返還を求められ、次には競売にかけられることになる。

 土地・建物といった財産を失い、さらに借金が残ってしまうこともある。

 家主にとって家賃収入は命の綱なのだ。

 家賃滞納者は弱者だから家賃の猶予をしてやれと言われても、余裕のある家主は少ない。

 家賃滞納も入金の目処があればまだしも、いつになったら払えるようになるかわからない状態の滞納者は、家主に対する被害を増大させていくわけだ。

 悪質な家賃滞納者も少なくない。

 私もそんな家賃滞納者に出くわしたこともあるが、最終的には溜まった家賃はどうでもいいから早く退去してもらいたいという気分になる。

 1カ月分の家賃が払えない人が3カ月、6カ月分の滞納家賃を払えるわけがない。

 早く退去してもらって、次の入居者を入れてアパート経営を健全化したいという気持になる。

 法的な手順を踏んで退去の手続きをすると、半年1年とかかってしまう。

 その間、滞納家賃は膨らむ一方なのだ。

 家主にそれを甘受せよというのであれば、行政が滞納者を受け入れる施設を作るべきだろう。

 ただ、ごく1部の業者とはいえ「追い出し屋」と呼ばれる強引な取り立てをする業者があるのも事実。

 私のブログの「全国自死遺族会」(10.9.28)や「自殺者遺族に高額慰謝料」(10.11.8)に、ぽつりぽつりではあるが訪問者がとぎれない。

  強者とされる家主さんから、私の意見に同感というコメントもいくつかいただいている。
 
  私は、どちらか一方に与する(くみする)ものではない。
   
  ただ、一部の突出した事象をとりあげて、十把ひとからげで法規制するという流れにならないよう、双方の立場を冷静に判断してもらいたいと切に願っている。
 

2011年1月 7日 (金)

驚異の、ドキュメントスキャナー、キャノンimageFORMULA DR-2510C

「ドキュメントスキャナー」なるものが話題になっている。

紙資料をすべてドキュメントスキャナーで取り込んで、雑誌を始めとした紙資料は廃棄するという整理法が流行っているようだ。

スキャナーで取り込んだ資料を、「エバーノート」という「クラウド・ソフト」に保存すると、これまた話題のスマートフォンでその資料を共有できるという話なのだ。

「スキャナー」だの「エバーノート」だの「クラウド」だの、わからない人に説明するほど私も詳しくはない。

ただ、なんとなく便利が良さそうで、そう思いはじめるととにかく欲しくなるのが私の悪いクセ。

ということで、「ドキュメントスキャナー」を購入してしまった。

私の買ったドキュメントスキャナーはキャノンの「image FORMURA DR-2510C」というもの。

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「ドキュメントスキャナー」と言えば、なんといっても売れているのは富士通の「Scan Snap」だ。

「スキャナーで資料整理」的な本でも「Scan Snap」ばかりが紹介されている。

で、私がなぜキャノンにしたのかといえば、これまで使っていたスキャナーがキャノン製だったからだ。

フラットベットスキャナーと言われるもので、通常スキャナーと言えばこれを指す。

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価格は1万円程度と安いのだが、付属しているOCRソフトがなかなかすぐれものだったのだ。

OCRソフトと言うのはスキャナーで読み取った情報の文字情報を読み取ってテキストデータ(文字データ)に返還してくれるソフトのことである。

スキャナーが読み取るのは、文字であっても画像としてしか読み取らないので、それを文字として認識させてくれるソフトなのである。

わかっている人には幼稚な説明だが、わからない人にはまったく伝わらない説明になっているかもしれない。

とにかく、そういう事情でキャノンのドキュメントスキャナーを買ったのだが、これか想像を絶するすぐれものだった。

なにせ読み取りが早い。

今までのフラットベットスキャナーだとA4の原稿1枚を読み込むのに数秒かかっていたものが、1枚の読み込み時間は0.1秒といった感覚なのだ。

両面を勝手に読み取ってくれて、両面10枚の原稿を1秒程度で読み取ってしまう。

さらに驚いたのが、A3 の原稿の読み取りだ。

以前使っていたフラットベットのスキャナーでもA3 の原稿も読み取れた。

A3 の原稿の場合、それを2つ折して半分をスキャンして、次に残りの半分をスキャンする。

つまりA42枚に分けてスキャンすることになる。

それを重ね合わせてA3にするのだが、重なる部分を手動で調整することになり、1枚スキャンするのに数分を要していた。

ドキュメントスキャナーはその作業をコンマ1秒でやってくれるのだ。

A3の原稿を2つ折してスキャンするだけ。

A4 の原稿同様、あっというまにスキャンが終り、なんとできあがったものは勝手にA3に合成してくれているのだ。

これには、管理人大感激であった。

本や雑誌で紹介されてあって、ほしくなって買ってしまったものの期待外れという文具や事務機器も少ないないのだが、このドキュメントスキャナーは期待を超えたすぐれもの事務機器だった。

管理人は、スクラップしたくて新聞や雑誌を切り抜くのだが、スクラップするのが面倒で切り抜きが溜まりっぱなしになっている。

溜まった切り抜きを整理しようと思ってフラットベットスキャナーを買ったのだが、スキャンするのに時間がかかりすぎて、切り抜きが増える一方だった。

ドキュメントスキャナーだったら、瞬速でスキャンできる。

いろんな本でドキュメントスキャナーを勧めている意味がわかった今日は1月7日。

新年のカレンダー、不要なカレンダーの処理方法

 新しい年を迎えて、壁のカレンダーも新しくなった。

 私の事務所にかけているのは、自社製のカレンダーだ。

 横幅52㎝、縦76㎝。その名も「ジャンボカレンダー」。

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左側が当社謹製「ジャンボカレンダー」




右側が標準的なカレンダー。








 このカレンダーが、すこぶる評判がいい。

 遠くからでもよく見えるし、行事予定などの書き込み欄が広い。さらに上部は年間カレンダーになっている。

 これを事務所全体から見えるところに掛け、自分の事務机の脇にこの形式で一回り小さいものを掛ける。
 
 そして応接室兼契約室に、取引会社からいただいたカレンダーを掛ける。このカレンダーは私の会社が作っているカレンダーと同じ形式のものだ。

 そして自宅の居間に、普通サイズの記入式のカレンダーを掛ける。

 私の場合、会社の事務所と併せて4冊のカレンダーを使っている。

 毎年、年末には10数冊のカレンダーをもらう。

 使わないカレンダーはそのままごみ箱行きになるのだが、これがなかなか心が痛むものだ。

 写真や絵柄のきれいなものは、切り抜いて壁に貼ろうかとも思うのだが、家はそんなに広くない。

 カレンダーの裏をメモ用紙として使おうかとも思うのだが、不要になったダイレクトメールやコピー用紙がこれまた使い切れないくらいあって、結局は燃えるゴミとして出さざるを得ない。
 しかし、今年からは悩まずにすむ方法を考えた。

 以前ブログにも書いた「不用品プレゼントコーナー」の活用だ。

 「不用品プレゼントコーナー」というのは、私の事務所の店頭に小さな物置棚に「ご入り用の方は自由にお持ちください」と書いたポスターを張って、自分は使わないけど捨てるには惜しい品物を品物を置いておくコーナーだ。

 ノベルティでもらったボールペンやメモ帳、キャラクターグッズ等、自分が使わないものを置いておく。

 新しいうちに出すのがポイントで、放りっぱなしにしていてホコリをかぶったようなものはダメ。

 自分が使いたいと思うようなもので、きれいで、タダで持っていっていいのだろうかと迷うような品物を置くようにしている。

 朝置くと、だいたい夕方までにはなくなっている。

 不要なカレンダーも、この「無料プレゼントコーナー」に置くことにしている。

 月別になった立派なカレンダーだと、置いて1時間か2時間で無くなっている。

 銀行からいただく、一年分が一枚になった私には魅力のないものに思えるものでも、その日の内にどなたかが持っていってくれる。

 これで毎年の、カレンダーを捨てる罪悪感から逃れることができるというものだ。

 商売をしていると、使い切れないほどのカレンダーをもらうが、企業のカレンダーとはご縁のない方も多いことに気がついた。

 毎年この時期になると、「不要カレンダー処分」とか「使わないカレンダーの捨て方」といったキーワードで、当ブログのアクセスが増える。

 不要なカレンダーの処分に悩む方々は、私の方法を真似て、自宅の前に洗濯カゴにでも「自由にお持ちください」と張り紙をつけて、不要なカレンダーをおいてみてはどうだろう。

 きっと、その日のうちに、どなたか必用な方がもっていってくれると思いますよ。



 ちなみに私の会社でカレンダーを配る際には、下記のような挨拶状を添えています。

「当社は、お取引いただいたお客様に毎年カレンダーをお届けしております。大きくて見やすいからいいという声を多くいただいておりますが、大きすぎて使っていないという方もいらっしゃいます。

 使わないカレンダーの処分には心が痛むものがあります。

 それで、資源保護の意味合いもありますので、不要の方にお届けするのはご遠慮しようと思っています。

 つきましては、返信用の葉書を同封しておりますので、引き続きカレンダーのお届けを希望される方は、お手数ですがお名前を書いていただきご送付ください。

 カレンダーを希望されない方は、ご返信不要です。

 葉書をいただかなかったお客様につきましては、来年からのカレンダーのお届けはご遠慮させていただきます。」

 ここでのポイントは、必要な方から返信をいただくことです。

 「ご不要の方はご連絡下さい」とすると、面倒でなかなか葉書を出してもらえないものです。

 私も、カレンダーをいただいていて、「使わないからいらないよ」なんて言うのは気が引けます。

 何社か、気の置けない会社に「カレンダーはいっぱいもらっているので使わないと思う。もったいないから持って帰って」といったのだが、仲のよい間柄とはいえ、余り良い気持ちはしないようだ。

 だから、「必要な方はお葉書を投函して下さい」としておけば、本当に必要な人にだけお届けできる。

 一昨年、お届けした全員の方にこの挨拶状を添えたのだが、希望の葉書が届いたのは6割強だった。

 3割ちょっとのお客様は不要だとおもっておられたようだ。

 来年はその分を減らして、新たにお届けすることになったお客様には挨拶状を添えてお届けすれば良いというわけだ。

 お金をかけて迷惑な品を送り届けて、お客様に捨てる心の痛みを味わわせるのでは実に申し訳ない。

 私の自己満足のナイスなアイデアだと思うのだがどうだろう。

 それと確か、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)では福祉センター?が主催して不要なカレンダーの交換会をやっていたと思う。

 不要なカレンダーの処分で心の痛む方は、そんな方法を利用してはどうだろう。

2011年1月 6日 (木)

マグロ初セリで最高値

東京の築地市場で5日、本マグロ1匹が3249万円で売れ競り落とされた。

342キログラムの超大物マグロで、築地市場で取引された本マグロでは最も大きいマグロだという。

 1キログラム当たり約9万5000円。

 100グラムが9500円。

 10グラムで950円。

 寿司関係者によると、刺身一切れの原価が、大トロで3500円、赤身で1200円程度になるという。

 この本マグロは、有名寿司店「銀座 久兵衛」と国内や香港でチェーン展開する寿司店「板前寿司」が共同購入した。

両店とも、採算を度外視した御祝儀落札だと言っていたが、その通りだろう。

それにしても、中国の経済力には驚かされる。

「板前寿司」をチェーン展開するリッキー・チェンさんは、2008年にも単独で最高額のマグロを購入し話題になった人だが、「中国人がマグロの味をわかるのか」という非難が起こったため、その後は毎年日本人と共同購入しているそうだ。

 私たちの年代は、まだ日本が世界の経済大国で、中国を始めとする東南アジアに先んじているという錯覚に陥っている。

 少なくとも、日本の平均的生活水準は世界のトップにあると思っている人が多い。

 しかし、先進国の中で貧困層の多い国に仲間入りしつつあるという統計もでてきている。

 中国は一部ではとてつもない富裕層がいるが、多くの国民は貧困にあえいでいるという思い込みもある。

 「一部の」富裕層というが、中流クラス以上の人は4億人もいると聞く。
 なにせ16億もの人口を抱える国なのだ。

 さらに経済が発展して、国民の半分が中流になり、国民の大半が貧困から抜け出したとき、彼らが必要とする資源の量はいかばかりになるのだろうか。

 日本で食料を自給できないのなら、供給が危うくならないような外交が必要になる。

 私たちの世代は、人類の一番良い時期に生かされてきた。

 そして、おそらく良い時期の中でその生涯を終えることができる、いわゆる逃げきり世代だろう。

 その逃げきり世代が、いまだに有限な資源を食い散らかし続けている。

 私たちに続く子どもたちの世代の将来は決して楽観できるものではない。

 続く世代の君たちよ、安閑としていると、食べたいものも食べられない時代が来るかもしれないぞ、などと、話が冗漫になってしまった今日は1月6日。

2011年1月 5日 (水)

新年祈願、じっとしていればジリ貧

 午前中に、近くの神社に新年祈願に行って来た。
 
 毎年新年の5日に、仲良くつきあっている同業者のグループ11社でお参りに行くのが習わしになっているのだ。

 11社20数人が集っているので、それぞれと年始の挨拶を交わす。
 
 私の師匠もおられて、年始の挨拶にお伺いすることになる。

 例年だと、決まりきった年始の挨拶だけで終わるのだが、今日は年始の挨拶の後に言葉を戴いた。

 「丁寧な年賀状ありがとう」と師匠。

 というのも、今年の年賀状に師匠の「行動には感動しております」というようなことを一言添えていたのだ。

 そのことについて「丁寧な年賀状・・・」という言葉になったのだということなのだ。

 師匠は延岡市で一番大きな不動産会社を経営しているのだが、精力的にボランティアにも参加されている。

 参加というよりも、ボランティア活動の主みたいな人で、次々にボランティア事業を立ち上げ、まわりの者を強制的にボランティア活動にかりたてるボランティアの鬼みたいな人なのだ。

 そんな師匠だが、11年前に私が独立開業して以来、私へのボランティア強制参加要請は1度もなかった。

 その師匠が「年賀状や口だけで感動しているというのではなくて、今年からは身体で感動を証明してくれ」というのだ。

 そういわれたら断ることはできないのだが、これは大きな勘違いなのだ。

 私が「感動している」と言ったのは、師匠の事業への取り組み方についてであってボランティアではなかったのだ。

 地方都市は何処も景気が悪いと言っている。

 当市も他都市に負けず景気が悪い。

 景気が悪いと、不動産取引はてきめんに悪くなる。

 公示価格を見ても、地方都市の地下は下がる一方だ。

 駅前、商店街は開き店舗だらけ。

 売れなくて、建たなくて四苦八苦している不動産会社が大半だ。

 そんな中、師匠の会社は積極的な営業展開をしている。

 土地を買い込み、建売住宅にも販路を拡げ、リストラどころか社員も増やしている。

 当然、借入金の額も増やしているようだ。

 師匠はよく、「じっとしていたら、ジリ貧」と言っていた。

 常に何か新しいことをやっていないと、会社は停滞し、ジリ貧に陥るというのだ。

 経済評論家の西村晃(あきら)が、「なにもしなければ不況」と言っていたが、同じ意味のことだ。

 その通りとは思うのだが、なかなかこの不況の時代に新たな投資をして事業を拡大する気にはならないというのが普通の人だ。

 それと間逆に積極的に事業拡大している師匠の姿に「感動」という言葉を使ってしまったのだが、師匠は自分のボランティア活動に私が「感動」したと勘違いされたようだ。

 今ブログを書いていたら、早速師匠から電話が入った。
 
 「朝の件だけど、桜の並木を作る活動と、菜の花ロードを作る活動に人手が足りないので協力して欲しい」という。

 いやだと言えるはずもなく、「よろこんでご協力させていただきます」と答えるしかなかった。

 「じっとしていたら、ジリ貧」

 師匠の渦に巻き込まれるのもまた良いのかもしれない。

 と思った今日は1月5日。

2011年1月 4日 (火)

しつこい咳も今日までにしよう

 今日から仕事始め。

 今日から仕事始めのところが多いようだ。

 私は、年末に質の悪い風邪を引いてしまって、いまだに咳が止まらないので、年末に診てもらったクリニックで再診してもらい、咳を止めることに集中した薬を処方してもらった。

 早速薬を服用したところ、少し咳がおさまったような気がするが、問題は夜。

 夜に寝るころになると咳がひどくなって眠れないのだ。

 今日の薬には、呼吸を楽にしてくれるパッチテープも入っている。

 最初に風邪の症状がでてから約2週間、時間的にも快方に向かう時期とも相まって、今晩は眠れそうな予感がする。

 今日から開かれた株式市場では株価が大幅に反発していた。

 政治の世界も、来年度の予算や沖縄米軍基地問題、年金・医療問題、景気回復、連立、連合、統一地方選挙等々問題は山積。

 それについての議論も活発化していくことだろう。

 小沢さんも自分の出所進退問題は、自分と国民の皆様の問題だと発言しているところを見ると、辞める覚悟を持たれたのだろう。

 国民の皆様の9割近くは小沢選の政治と金については問題ありとしているのだから、国民の皆様のご意向をきちんと聞いてそれに従ってくれることだろう。

 ということで、また新しい年が始まった。

 私の中では、年々お正月らしさを失ってきていたのだが、それにつけても今年は年末からの風邪のせいで、一年の計も立てていない。

 毎年守れないままこの歳になってしまっているだが、それでも明日は、今年の一年の計を立てることにしようと思っている。

 

2011年1月 2日 (日)

かごしま水族館、いおワールド

昨日も一晩中せきがとまらず、三時間くらいしか眠れなかった。

せきもこんなに続くと苦しい。

ことに眠れないのが困る。

ということで、今日は「かごしま水族館、いおワールド」だけに行っただけ。

その写真をパパっとアップして、なんとか体裁を整えようと思たのだが、Xperiaでアップできない。

で、写真はまたの機械に。

あ、
いおワールドは期待値の2.5倍くらいの好印象。

地元にあったら年間パスポートを購入したことだろう。

2011年1月 1日 (土)

2011年は大転換の予感

2011年元旦は風邪がぬけきらないまま自宅でむかえた。

体調はかんばしくないが、昼から霧島温泉に出発。

高原インターをおりてから、霧島に向かう道路では慣れない、というか初めての雪路運転になってしまった。

去年の終盤から激変の予感を感じている。

いろいろ思いはあるが、まずは年頭のおしるしだけを霧島温泉より。

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