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2011年3月13日 (日)

ついに起こってしまった?原子力発電所事故。福島第一原子力発電所。

 福島第一原子力発電所で爆発事故があった。

 25年前の、チェルノブイリの原子力発電所事故の惨状は私の記憶にしっかりと焼きついている。

 チェルノブイリ事故では、発電所の周囲数十㎞の住民がその地を捨てた。

 そこから飛び出した放射能は、永遠に消えることはなく、人間はそこ近づくことはできない。

 多くの犠牲者を出し、その後遺症は、いまだに深刻な問題を残している。


 
私たちの生活に電力は欠かせない。

 増え続ける電力需要を確保するためには、原子力もまた欠かせない手段なのかもしれない。


 私が子供のころに、クリーンで永遠のエネルギー発生手段だと思っていた水力発電も、生態系を破壊する手段だった。

 化石燃料を燃やしての発電も二酸化炭素を発生させることは周知の事実だ。

そもそも、人間が快適な暮しを求めるということは、自らの生活環境を傷つけることになるという矛盾をはらんでいる。

 人が快適さを求めるための電力は供給のためには、原子力に頼ることもやむを得ないのかもしれないが、原子力は、取り返しのつかない災害を引き起こすことになることも忘れてはならない事実なのだ。


 私が納得できないのは、原子力発電は安全でクリーンなエネルギーだといういつわりの宣伝である。

 原子力は危険きわまりない代物だという前提で、それでも原子力発電に頼らなくてはならないという説明をするべきだ。

 万一、事故を発生させたら、その修復は他のどんな手段によるものよりも困難を極める。

 それを真っ向から認めて、その上で原子力発電に取り組むべきだろう。


 原子力発電所建設にあたっては、常に地元住民の反対を受ける。

 それに対して、過大な保証金というアメと同時に、原子力発電は安全だという理論をもって反対する住民を説き伏せていく。

 この過程が私が納得できないやり方だ。

 原子力は確かに危険極まりなく、万一事故を起こしてしまえば大惨事になる。

 だから、私たちは細心の注意をもって建設にあたるので、なんとかご理解いただきたいというのが正しいやり方であろう。

 安全だという理論を全面に立てていると、説明する側自身がその言葉に錯覚をしてしまって、安全基準に微妙なゆるみを生じさせかねない。

 地元の賛成を得んがために、絶対に事故は起こさないなどというが、絶対に事故が起きないのなら、電力の最大消費地である東京近郊に発電所を作ればいい。


 原子力は、一端暴走してしまうと地球上で最大のやっかい者になる。

それを重々承知の上でつきあうべき相手なのだ。

 危険を承知の上で、それに対応した厳しすぎる基準で建設運営にあたることが肝要だろう。

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