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2011年6月

2011年6月30日 (木)

被災地で助成対象外の壁。被災者雇用開発助成金と地域雇用開発助成金

 被災者雇用雇用開発助成金というのは、震災で離職した人を雇った企業に賃金除染として、中小企業は90万円、大企業は50万円を支給するというもの。

 地域雇用開発助成金とは、雇い入れた人数と設備投資の額に応じて120万円から2700万円を支給するというもの。

 東日本大震災の被災地の企業が、この助成金を使えないという問題が生じているという。

 震災後、復帰の予定もたたない状況の時に、事業所が再開したときには呼び戻すということでいったん解雇した企業がたくさんあった。

 事業所だけの都合ではなく、従業員も現金が必要だろうから、いったん退職金の形で現金を支給したという善意に基づく解雇もたくさん見受けられた。

 震災から3カ月以上経過し、ようやく事業所の再開のめどがたって、元従業員を再雇用しようとして、制度上の壁にぶつかった。

 両法いずれも、再雇用は助成の対象外なのだ。

 その話だけ聞くと法のようにも思えるが、再雇用に助成金がでないのは当然のこととも言える。

 もし再雇用に助成金を出すのであれば、企業の多くは、いったん社員を解雇して再雇用することになるだろう。

 だから、再雇用は助成の対象外になるというのは、しごく当然のことだ。


 しかし、今回の震災ではどの企業も、誰の目にも明らかに甚大な被災をしている。

 震災直後は廃業を考えざるを得ないほどの大打撃を受けていた。

 従業員たちも、目先のお金を必要としていた。

 そんななかで、一時しのぎではあるが退職金出して、もし会社が立ち直ったときは戻ってきてくれという言葉をかけて、やむなく解雇した企業がほとんどだったことだろう。

 震災復興のための地域限定の時限立法的な救済措置をとればいい。

 法律を作る国会議員がその気になれば、こんな法律すぐにでもできるだろう。

 未曽有の震災にかこつけて、ここぞとばかりに政権争いにあけくれていないで、もっと本来の立法の仕事をやってもらいたいと、国民全部が切に願っている。

 

玄海原子力発電所 運転再開

 停止中の玄海原子力発電所の2号機、3号機の運転歳か問題で、古川康佐賀県知事が「安全性の確認はクリアーできた」と話していた。

 この発言は、海江田万里 経済産業大臣との会談後の言葉だ。

 そもそも古川知事は原発再開を押し進めたい意向だった。

 海江田さんは経済界の原発再開の要望をお引受になっている方。

 原発再開したい人どおしの会談で、「安全性の確認」をしたというわけだ。

 その会談の内容も疑問だが、「安全性の確認はクリアーできた」という古川知事の言葉が、日本語的にがひっかかるものを感じる。

 「安全性が確認できた」という言い方が普通ではないだろうか。

 「安全性の確認」が「クリアー」できたというのはどういうことなのだろうか。

 「安全性の確認」の「形を」とったことで、後日事故が起こってもその責任問題は「クリアー」できるということなのだろうか。

 原発の運転再開という目標があって、その前に立ちふさがるハードルを「クリアー」することを念頭においていたために「クリアー」という単語がついてきたのだろう。

 運転再開したい、したいと思っていた中で、やっと再開につなげたという安堵感が「クリアー」という言葉になったのだろう。




 この会談で海江田さんが「玄海2号、3号の安全性には『国が責任を持つ』」と言っているが、その言葉が蚤の糞くらいにも信じられないのが今の日本の政治屋さんたちの言葉。

 国会議員を辞めると言って辞めない元首相、それを受け継いで辞任するといって続投に執念を見せる現首相。

 自分に都合がいいときはテレビカメラの前でヒトを批判するが、都合が悪くなると地下にもぐってでて来ないモグラみたいな(顔もモグラみたいに見えてきた)大物政治屋さん。



 ほんとうに「国家のために身を捨て」「国民のために命をかける」のであれば、法案の審議に集中するときではないだろうか。

2011年6月29日 (水)

今日の「傘がない」は境界問題。境界紛争の問題は深刻。

 政治は、被災者や原発問題をそっちのけで、あいもかわらず権力争いにあけくれている。

 何を言っても蛙の面にションベンの政治家の態度に、国民は無力感に陥るばかり。

 昨日の民主党の両院総会で、菅さんが激しく追求されていたが、都合の悪い質問には返事をしない。

 質問を無視して答えることをしない菅さんの態度に、質問した議員はあっけにとられるのみ。

 質問者は、被災地からの悲痛な声でさえ無視して政争に奔走する政治屋に対して国民が感じていたと同じ無力感を感じたことだろう。

 私の今の境遇は、天下国家のことを言っていどころではないのは今日も同じこと。

 今日は、境界問題の解決を最大重要事項として動いたが、まだ解決のメドはたたない。

 土地の境界紛争の問題は、その経済的価値をはるかに超える大きな問題に発展することがある。

 銀座なら数センチの土地境界の違いで数千万円の財産的違いが出てくることもあるのだろうが、ここ宮崎県の片田舎、延岡市だと数センチの境界の違いが引き起こす土地価格はせいぜい数万円にしかならないことが多い。

 しかし、お金だけでは換算できない深刻な人間関係のこじれを引き起こすのが境界問題である。

 土地境界については、また詳しくかいてみたい問題である。

2011年6月28日 (火)

今日の「傘がない」は土地の境界問題、相続問題、融資の問題

 自分の頭の蠅も追えない身で、天下国家のことを言うのはおこがましいと思いつつ、言わずにいれないもどかしさから、つい政治屋さんたちへの愚痴を書きつらねる毎日。

 福島第一原発では、循環注水冷却がまわり始めたと思ったら、漏水ですぐにストップして、そしてまた再開したとか。

 放射能の問題は一向に治まる気配はないとか。

 小笠原と平泉が世界遺産に登録されたとか。

 菅総理が、いよいよ退陣の条件を明言したとか。

 なんだかわからないけど、どたばたと内閣人事をいじったり。

 人気のある細野さんを入閣させたのはまだしも、自民党から引き抜きいて総務政務官にしたり。

 退陣の条件は出したものの、辞任の時期を明言しない菅さんが批判されたり。

 だから、民主党の両院委員会で自分たちが選んだ菅さんをやりだまにあげたり。

 日本が大きな変化の波にもまれているというのに、私の今日の重大事「傘がない(井上陽水)」問題は、

 売買寸前になっている土地の境界でもめていること、売ってくださいと頼まれた土地があって、売れそうな土地なんだけど相続の問題の解決が必要だということ、ビルを買いたいというお客さんがいるのだけど希望する額の融資が出そうにないこと。

 問題が三つ、今日、集中して発生した。

 久々に、頭の中で井上陽水の「傘がない」がかかっている。

 「だけども 問題は 今日の雨 傘がない」

2011年6月27日 (月)

玄海原発再開説明会での佐賀県知事の発言「ファースト インプレッション」

 玄海原発再開の問題については一言言いたいのだが、今日は本業が忙しくて思いのすべてを書く時間がない。

 先日、海江田経済産業大臣が安全宣言をしていたのは、玄海原発再開のための布石。

 福島第一原発では、東電が嘘をいって責任追及から逃げたいのはわかるとしても、原子力保安委員だとか原子力安全委員という名称の安心と安全を守ってくれそうな国の機関までが嘘を言っていて、3カ月前についた嘘が今ころになってばれたりしている。

 福島以外の原発の安全性は大丈夫だって言われても、それを調査した保安委員だか安全委員だか知らないけど、そのどちらかが安全だって言っているわけで、現在進行形で嘘つきな機関だということがばればれの機関が安全だって言っていることが私には理解がいかない。

 原発保安委員会だか安全委員会だか知らないけど、今や国民はここの言うことをまったく信じられなくなっていることに気がつかないのだろうか。

 国民をだまそうと思うのだったら、例えば「日本原子力学術委員会(仮称)」なんて、もっともらしい名称をつけた機関を作って、そこに調査させたことにして安全宣言をさせるくらいの、もっと頭をひねった嘘のつき方を研究した方がいい。


 原発再開については、今日は忙しくて長々と書けないから、このくらいにして、今日の記事の見出しとカテゴリーについてに話を戻そう。

 玄海原発再開に向けての政府の説明会を受けての佐賀県知事がコメントで発した言葉。

 「今日の説明会を聞いて、ファースト インプレッション つまり第一印象は・・」とおっしゃった。

 なんで「ファースト インプレッション」と言っておいて、第一印象はと翻訳するのだろう。

 佐賀県知事は、第一印象って単語よりファースト インプレッションという英語の方が会話の中にスムーズに出てきてしまうほど英語が堪能なのだろうか。

 私は、相手にわかりやすい言葉を選ぶのが本当の知識人だと思っている。

 でも、今日の佐賀県知事は「ファースト インプレッション つまり第一印象」と、すぐに翻訳してくれたので、英語苦手おじさんの私としては、単語を一つ覚えさせてもらったことを感謝している。

 

2011年6月26日 (日)

カタカナ語「チルドレン ファースト」 理解はできたけど、なぜわざわざカタカナ語で言うのかと思った。

 昨日のモーニングワイドショーでのこと。

 放射線物質除去の問題を取り上げたコメントの中で、「チルドレン ファーストで...」というカタカナ語が使われた。

 英語チョー苦手おじさんではあるが、違和感は感じつつ、一瞬の時間差はあったが意味はわかった。

 チルドレン=子どもたち 

 一瞬の時間差がでたのは、チルドレンに続く「ファースト」の意味。

 しかし、瞬時に「レディー ファースト」=淑女優先という言葉がひらめき、それから類推して「チルドレン ファースト」=子ども優先だなと理解するにいたった。

 なぜ「子ども優先で・・」と言わないのだろう。

 私は意味を日本語に翻訳して理解するのに0.52秒を要した。

  これを母国語の日本語と同様の感覚で意味の理解ができる人は、全国民の何%になるのだろう。

  「子ども優先で・・」という言い方を聞いて「ああ、チルドレン ファースト」のことかと思う国民は、絶対に一人もいないだろうと断定する。

  テレビでお喋りになる方は国際的な方が多くいらっしゃって、日本語が不自由になっているのかもしれないが、聡明な頭脳をお持ちなのだから、誰にでもわかる言葉で解説していただきたい。

  それができないのは、愚昧な人が聡明に見せかけることに他ならないのですぞ。

   先日、テレビから身を引いてしまわれた池上彰さんは、やさしい言葉で難しいことを解説してくれることで絶大な人気をあびていた。

  テレビに出演する知識人の方々は、ぜひぜひ池上さんを見習うべきだ。

2011年6月25日 (土)

菅(管)おろし

 私のブログにコメントをいただくことはめったに無いのだが、4月23日の記事には複数のコメントをいただいている。

 不思議に思いアクセス解析を見てみたら、「管おろし」でグーグル検索すると私の記事が一番に検索されている。

 「管」はまちがいで「菅」が正しい。

 私のブログは、震災以後、政治関連が多くなってしまって、ずっと漢字変換ミスで「管総理」と書いていた。

 途中で気がついて「菅総理」に変えたのだが、私と同じ変換間違いをしている人が多いみたいで、「菅おろし」での検索結果は200万サイトを超している。

 そんな中でどういうわけか、私のブログがトップで検索されている。

 間違って、「管おろし」で検索する方も多いみたいで、間違った方が私のブログを見てコメントをくださるという流れのようだ。


 ところで本題の私のブログのことであるが、
私の基本的な意見は、大多数の国民が抱いている思いと同じ思いで、菅さんが総理であろうがなかろうがかまわない、国民のための政治を挙国一致でやってほしいということでしかない。

 この4カ月を見ていて、菅さんに総理の資質はないとは思っている。

 しかし、菅おろしを声高にいう人たちのどなたも、菅さんを辞めさせたあとの政策の展開を明言する人はいない。

 菅さんが辞めたらすべてがうまくいくと言っていた谷垣さんも、一瞬菅さんが辞めそうになったら、次の総理が誰になるかわからないと民主党に全面的に協力はできないと、意見を変えた。

 菅さん辞めろと叫ぶ人たちのすべてが、、菅さんが辞めればうまくいくというだけで、では誰がどんな政策を勧めるのかに言及はしない。

 菅さんではなくて誰が良いのかを聞いても、それにも答えられない。

 「自分が総理になったら、こうする」と手をあげる人は一人もいない。

 被災者、被災地の救済はそっちのけで、権力と利権争いのみを3カ月以上も続けている。


 私は、震災後すぐに、挙国一致で国家存亡の危機を救ってほしいと書いた。

 そして大震災から一カ月、一向に対策をうたない菅さんを見ていて、とにかく菅さんを辞めさせることが先だと思ったのが4月23日の記事だった。

 それからさらに2カ月が経過した。

 菅さんは辞めず、「菅おろし」の人たちも菅さんを辞めさせることができない。

 両方とも「国民のために」とおっしゃるが、国民のことを考えてくれていると感じている国民は一人もいないだろう。

 私もそんな国民の一人として、政治屋さんたちに何度も意見を書いている。

 とにかく政治屋はこんなときくらい政治家になって、文字どおり国民のために働いてほしいのだ。



  私のブログのカテゴリー「ニュース」「経済・政治・国際」を見ていただけば、コメントをいただいた皆様と同じ意見の記事も、いくつも書いている。

 コメントをいただいた皆様で時間の許される方がいらっしゃったら、一度見ていただければ幸いです。

2011年6月24日 (金)

暑さも、すこしは我慢が必要。身体を甘やかすと、順応機能が退化する。

 昨晩のニュースでは、さすがに猛暑報道に割く時間は少なかった。

 しかし、今日の宮崎地方は朝から暑い。

 私の事務所内の温度計はすでに29度を突破している。

 出社して机の回りを片づけているだけで汗が吹き出してきた。

 思わずエアコンのリモコンに手をかけたが、スイッチを入れるのは辞めておいた。

 あと、30分もしたら外出しなければいけないから、その間だけにエアコンをつけるのももったいないと思ったからだ。



 
昨日のブログに書いたのだが、一昨日の猛暑報道は凄まじかった。

 暑い空気をかき混ぜて、ことさらに暑さを倍加させるような報道の中で、節電が叫ばれているからといってエアコンを我慢してはいけない。

 特に老人や子どもは熱中症の恐れがあるから、迷うことなくエアコンを使用した方がいいという話を複数の局で報じていた。

 その報道に影響されて、昨日は事務所ではエアコンを終日つけていた。

 今朝も、やはりテレビ報道の影響でエアコンに手が伸びたというわけだ。

 これがテレビのもつ影響力だ。


 体調不調の人や体力の弱っているヒトに対して熱中症の注意喚起ということで、暑いときはためらわずにエアコンをつけたほうがいいと報じることは悪いことではない。

 しかし、当地では、数日前までは肌寒く、いつまでも夏が来そうにないなと思っていた。

 そこに突然の夏日が来たというだけのこと。

 ちょっと暑くなったらすぐにエアコンに頼るというのでは、本来人間の持っている順応能力をますます退化させることになる。

 私たちが子供の頃、熱中症で死亡したという話は聞いたことが無い。

 エアコンのある家庭なんて全然なかったし、扇風機が家庭に一台あればいい方だった。

 子供の頃、暑くて寝つけない夜は母親が枕元でウチワであおいでいてくれた。

 そんな環境の中で暮らしていて、夏の暑さに順応し、冬の寒さにも順応してきた。

 毎度のことで恐縮なのだが、メディアは極論ばかり言って大騒ぎさせるのではなく、正確な情報を交えた報道につとめてもらえないものだろうか。

 今のところ、少なくとも私は、暑さに身体を慣れさせるという提案をしている番組を見たことが無い。 

 

沖縄普天間問題に見る民主政権のもたらした政治停滞

 日米閣僚会合で、沖縄の普天間飛行場移転問題は、名護市の辺野古に「V字」の滑走路をつくることで合意したという報道があった。

 普天間飛行場の問題は、政権交代で鳩山政権が誕生して、大きく舵を切るかのように見えた。

 鳩山さんの、「少なくても県外」に始まり、一向に移転先が見えなくてそれを追求されると、「腹案がある」と明言した。

 しかし、その言葉は一切実行される様子は無く、それを追求されたことも辞任の大きな一因だった。

 菅政権に交替してからは、その問題には余り触れることなく過ごしてきていた。

 そして、ここに来ての日米閣僚合意。

 2年以上の月日をかけて、国内政治の混乱と日米関係をぎくしゃくしたものにした結果を残して、結局自公政権時代の案に戻っただけ。

 国民が大いに期待した政権交代は、混乱をもたらせただけ。



 阪神大震災の際、政権のトップに経っていたのは社会党の村山富三郎さん。

 慣れない政権運営で震災の初期対応が遅いことを責められ、「なれないもので」と発言し、国民は情け無いことになったものだとなげいたが、「なれていない」ことを自覚した当時の村山総理は、震災対策を潔くヒトにまかせた。

 結果的に復興法は1カ月という短期間に成立している。


 今、国民にとって一番不幸なことは、菅さんが自分の能力を過信していること。

 能力のない人が、それに気付かず権力を振るい続けることの恐怖を、国民はいやというほど味わわされている。

 

2011年6月23日 (木)

「ドメスチック」、DVだけじゃない。

 今朝のワイドショーで聞いた意味不明のカタカナ語、「ドメスチック」

 福島第一発電所から放出された放射性物質が偏西風にのって北米を横断し、10日たらずでスイスに到着する様子を、九州大学と東京大学の研究チームがコンピュータで再現したことに関したコメントで、コメンテータが発生した言葉だ。

 「『ドメスチック』なことだけではなくて、世界的に影響を与えている」ってな発言だったと思う。

 私は、「ドメスチック」の意味がわからないもので、「ドメスチック」の意味を考えていて、話の流れを聞き逃してしまった。

 ドメスチック=DV(ドメスチック バイオレンス)しか知らない。

 ドメスチック バイオレンス=家庭内暴力

 ということは、ドメスチック=家庭

 で、今日の話の流れは「ドメスチック」なことだけではなく、世界的な・・・

 ということは、類推するとドメスチック=家庭だから、ドメスチック=身内的というような意味合いかな。

 などと思いつつ、手元のスマートフォンでヤフー辞書を立ち上げ辞書を引いた。

 それによると、ドメスチック=①家庭的であるさま。 ②自国・国内に関するさま。とある。

 私の推定は概ね正解。



 ただし、そんなことをしていたもので、その間の話の流れは聞けなかった。

 なんで、わざわざ「ドメスチック」っていう単語を使うのだろう。

 言いたくないが、私は決して知識がない人間ではない。

 宅建(宅地建物取引主任者)の試験にも受かっているし、行政書士の試験なんぞは1日の試験勉強で受かっている。

 雑学においては、そんじょそこいらの人たちよりはるかに知識豊富なのだ。

 ただ、ただ、中学校以来、英語だけは苦手なのだ。

 日常使わない、英単語をひたすら暗記するというのが性に合わない。

 それでも、なんとか大学は卒業できている。

 学校は「中央大学」で、3流ではないと思っている。

 そんな私だから、英語が苦手と言っても、私の英語の苦手さは標準的な国民の水準だろうと思っている。

 その私にわからない単語は、標準的国民の過半数は理解できないものと思っている。



 話をもどして、どうして「日本国内だけの問題ではなく」と言わないんだろう。

 聞く相手のことを考えずに、相手に理解されないかもしれない言葉を平気で発するというのは、その人の程度はあまり高いとは言えないだろう。

 無理に外国語の用語を日本語に訳して話をしてくれと言っているわけではない。

 「原子力」を「アトミック エナージー」的な言葉にするのはやめて欲しいと言っているだけなのだ。


 ともあれ、今日はDVの意味をしっかり知ったことが収穫だったということにしよう。

猛暑報道と、原発戦略

 案の定、昨晩のニュースは、どの局も夏日だったこと。

 気温のことなんて、天気予報でさらっと言えばいいと思うのだけど、なぜか各局ともトップニュースにとりあげて、今日がいかに暑かったかという証拠の映像を競って流しあう。

 確かに暑くて、私も事務所でエアコンをつけようかとも思ったのだが、6月からエアコンに頼っていたのでは、真夏が思いやられる。

 今年は、いままで暑い日がなかったから身体が暑さになれていないんだと思って、エアコンはつけなっかった。

 暑かったが、耐えられないというほどには感じなかった。

 しかし、夜のニュースで今日がいかに暑かったかという事象をいくつも見せられ、日中の最高気温が30度を突破していたと聞くと、一気に暑さが増してきた。

 昼の暑さは気にならなかったのに、急に蒸し暑く感じて、思わず扇風機をまわしてしまった。


 病は気から、という言葉もある通り、気持の持ちようは身体に大きな影響を与えるものだ。

 人心を騒がせることで視聴率を取ろうとしているテレビ局としては、一向に進展しない政治のことより、久々の真夏日の方が視聴者の興味を引けると思ったのだろうか。

 それにしても、どの局もトップニュースで大きく取り上げるというのが、私にはわからない。

 暑い、寒いなんて、言われなくてもみんなわかっていること。

 それをことさらに、「お前たちが思っているより暑いんだぞーーーー」とでも言わんがごとくに暑いシーンを切り取って見せつける。

 見るのも不愉快でチャンネルを変えても、そちらでも「猛暑」のニュース。


 ひょっとすると、見えない大きな力が動いていて、猛暑のニュースで国民に暑さを増幅して感じさせ、節電への拒否反応を喚起し、電力不足の不安を引き起こさせ、原発再開、原発容認へ流れをつくる手助けをしているのではないかと思ってしまう。

 

2011年6月22日 (水)

復興の狼煙(のろし)

「復興の狼煙(のろし)」ポスタープロジェクトという活動をしいてる人たちがいらっしゃる。

その活動が、今日の「朝ズバッ」で紹介されていた。

被災を受けた釜石市の市民の写真を撮って、そこに短いコピーが一行添えられているものだった。

被写体になっている被災者の方々は、全員カメラ目線で前を見つめている。

その目は、みんな力強い。

そして、美しい。

「心まで壊されてたまるか。」「あきらめるな、と帆立てが言う」「埃も泥も、思い出にする」「前よりいい町にしてやる」「此処でなきゃだめなんだ」

そんなコピーが添えられた写真に写る人に人間の力強さを感じさせられる。

「チョー悲しくなんかない」という写真には、悲しんでばかりはいないよと、ほっとさせてくれる。

「野球がしたいです、神様」には、涙が出た。

元ジャイアンツの槇原寛己(投手)が「朝ズバッ」に出演していたのだが、「野球がしたいです、神様」の写真に、こらえる涙が溢れだしてしまっていた。

私も、他の出演者も、槇原さんの涙につられて、涙を止められなかった。

正面を見据えた被災者の写真と、短いコピー。

たった一行だけのコピーだが、がつんと心にしみてくる。

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それに比べて、政治屋の方々の言葉のなんと空虚なことか。



このポスターを制作したのは、盛岡市の広告会社の男性と、同僚、そして友人の都内のカメラマン。

3月22日から釜石市で撮影し、感じたままの言葉をつけたそうだ。
釜石の人たちを見た人が、「自分も一生懸命やろう」と思ってくれることが、復興につながると思っているという。

この13枚のポスターが、今、大きな反響を読んでいる。

ポスターは、東京の知り合いの居酒屋さんにも貼らせていただいたが、そこでも大きな反響をえたという。

今は、第二弾の15枚のポスターもでき、13枚セットが3,675円、15枚セットが3,990円(いづれも送料別)で発売され、収益は義援金にしている。

現在、「復興の狼煙」ポスタープロジェクトのサイトがつくられている。

そこに、プロジェクトのきっかけや、全部の写真も掲載されているので、興味のある方は訪問してみるといい。

テレビの悪行、今朝の「とくダネ」

今朝のフジテレビ「とくダネ」のトップニュースは、「列島、猛暑予想」というネタだった。

今日は日本列島が猛暑に襲われるというニュースだ。

十分以上にわたって、いかに今日が暑い日になるかということを並べてたてていたが、番組の初めに、まずは「節電でエアコン等を自粛しているという話をする。

続いて、節電しなくてはいけない状況なのに、「一足早く、暑さがやってきた」と言っていた。

まだ6月だというのに、今日は真夏な暑さになるというわけだ。

そう言われると、今年の夏は猛暑になるのかと、ふと不安になった。

でも、待てよ。

私の実感としては、6月に入っても、いつまでも寒い日が続くなあと思っていた。

私は、南国宮崎に住んでいるのだが、もう7月になろうというのに、暑くてたまらないという日がなかった。

昨日の暑さで、やっぱり夏は近づいていたんだなと思ったところだった。

そんな私でさえ、番組冒頭で「一足早く」暑さがやって来た、なんて言われると、異常気象で猛暑になるのかななんて思ってしまう。

原発事故を受けて日本中の原子力発電所が止まっているので、このままでは電力不足になる、と不安に陥れる。

夏、電力不足で電気使用料が上がると、停電する恐れがあると、不安を煽る。
節電のためには、エアコンの使用を控えたり設定温度をあげないといけないと、警告する。

そうして一方では、暑さ対策をしないと熱中症で命を失うことがあると、さらに不安を煽り立てる。

節電しないと、突然停電して生活が大混乱すると言いつつ、返す刀で暑いのを我慢していると熱中症で死んでしまうよ、と脅す。

節電と熱中症の間でどう過ごせばいいのかの対策は無い。

「どうすればいいんだ!」それを教えろ!

節電の呼びかけをすることが目的でも無く、熱中症予防の注意喚起が目的でも無く、たんなる人騒がせにしか思えない。

いつものことながら、話題を盛り上げるために、人心の不安を煽る手法をつかうテレビの悪行の典型のネタだった。

正義の仮面をかぶって、世間を混乱させるこの種のワイドショーが、政治屋さんたちより、たちが悪いとも言える。

2011年6月21日 (火)

「脱原発選挙」に騙されてはいけない

  菅さんが元気だ。

 一方、菅おろしグループの動きは鈍くなっているように見える。

 このところの菅さんは、ふっきれて、はしゃいでいるようにも見える。

 そして、ちらほら聞こえてきたのが、「脱原発選挙」の声。

 2005年、窮地にに追い込まれたかのように見えた小泉内閣が決行した「郵政選挙」。

当初の予想に反して、小泉派が、地滑り的な大勝をおさめた。

世論は圧倒的に原発反対。

そんな世論に乗じて、「脱原発」を掲げて総選挙に打って出れば、現状の劣勢を一気に逆転できるのではないかという目論見をしているのではないかという予測がある。

「再生可能エネルギー促進法」制定を求める集会での菅さんのはしゃぎぶりは異様だった。

しかし、あれ以来、菅さんはますます元気。

原発容認していたことはすっかり忘れて、再生エネルギー促進法に精力的な活動をしている。

  それが「脱原発選挙」の布石だとしたら、国民は絶対にそれにだまされてはいけない。

  人類未曽有の災害を自分の権力維持の道具にするということがあったら、絶対に許してはいけない。

  小泉さんには国民の9割以上が騙された。

 国民は絶対にその轍を踏んではいけない。

2011年6月20日 (月)

ホットスポットの呼称を改めては?

 このところ「ホットスポット」という言葉を頻繁に聞く。

 そもそも「ホットスポット」とは、局地的に何らかの値が高かったり、局地的に何らかの活動が活発な地域のことを言う。(ウィキペディアより)


 しかし、今の日本で「ホットスポット」というのは、放射能汚染の激しい場所のことを言っている。

 似たような流行り言葉に「パワースポット」というのがあり、これは大地や自然が人間に癒しや気を与えてくれる霊的な場所のことのようだ。

 「パワースポット」という、ちょっといかがわしい言葉は、曖昧な方がごまかしがきいていいのだろうが、放射能汚染地域のことを「ホットスポット」なんて曖昧なことばでごまかすのはよくない。

 私みたいなカタカナ語苦手おじさんとしては、「ホットスポット」というと語感があったかく感じて、「放射能汚染地域」という危機感が伝わって来ない。

 なんと言い訳しようが、「ホットスポット」というのは結局「放射能汚染地域」のこと。

 国民をパニックに陥らせないためという言い訳のもとに、政府、原発責任者、その他関係拡張は、危険なことは全部隠匿してきた。

 国民を一番安心させるのは、嘘の無い正確な情報の提供を受けること。

 嘘の情報でその場を取り繕って、結局嘘がばれるから国民は不安になっている。



 せめて、嘘をつくなら墓場まで持って行ってはどうだ。

原発シニア隊

「原発シニア隊」なるものが結成されているそうだ。

これを提案したのは、山田恭輝(やすてる)さん(72)。

元技術者だということだ。

山田さんが「原発シニア隊」の原形を思いついたのは、福島第一原子力発電所が爆発する様をテレビで見たときだった。

被曝により放射能の影響が出てくるのは何年も先のこと。

だから、先の比較的短い高齢者は放射能の被害が少なくて済むという発想だった。

高齢であっても、事故現場で生かせる蓄積した知識や能力があるのではないか。

次の世代に負の遺産を残さないために働きたい退役者がいるのではないかと思い、手紙やメールで同世代の知人たちに呼びかけた。

その結果、数百人もの賛同者を得た。

原発事故の回収については、東電と関係会社の社員の方々が中心となって必死の活動にあたっておられるが、被曝線量の上限を超えて作業をすることはできないため、長期的には作業員不足が必至だ。

そんな現実の中で、山田さんの呼びかけで集っている「原発シニア隊」の存在は願ってもないことのように思える。

原発での作業経験がないとことが不安視され、もろ手を挙げて受け入れるという体制はすぐにはとれないようだが、支援希望者の資格等を検討し、受け入れの方向に進んでいるようだ。

山田さんは、事故のありさまをみて技術者魂がうずいたとおっしゃっていた。

それか技術者魂だ、とまで言っておられた。

高齢だから、原発の影響を受けてもかまわない。

自分たちが次の世代の捨て石になるという高尚なご決意には、ほとほと頭が下がる。

それにくらべて、政治屋さんたちのなんと不甲斐ないことか。

政治屋さんたちは、選挙の度に、演説の度に、ことあるごとに「命を賭して」という言葉を軽々に発せられておられる。

政治屋さんにはご高齢の方が多い。

ここは自分の言葉に責任をとっていただいて、被災地に居を構えて被災者と生活をともにして、被災地が何を欲しているかを体験し、それを国政に反映してはいかがなものか。

そうすれば、きっと歴史に名を残す政治家になれると思う。

2011年6月19日 (日)

菅総理が復活した理由

 辞めると言ったはずの菅総理だが、このところふっきれたかのような強気の発言が続いている。

 辞めろ辞めろと言っていた人の声が小さくなっているように思う。

 私も菅さんは総理としての資質は無いと思っている。

 菅さんは、総理になってなにをやりたかったではなく、総理になることが目的だった人だから、念願の総理大臣のイスに一日でも長く座っていたいのは当然の理だ。

 マスメディアも、新聞も、そこに登場されるコメンテータや知識人の人たちも余り言わないのだが、私は、辞めたくない菅さんを利用して財務官僚が増税をはかっているのではないかと思えてしょうがない。

 日本の財政を考えると増税はやむを得ないことだとは思うが、大震災と原発事故という危機的災害のどさくさにまぎれての増税を許してはいけないだろう。

 そこには、増税といっしょにやるべき税金の無駄遣いの排除ということがすっかり抜け落ちている。

 自分たちに降りかかってくる痛みは回避して、国民だけに痛みを強要するというやり方を許してはいけない。

2011年6月18日 (土)

世界遺産 屋久島縄文杉立ち入り制限案。心配になる小笠原。

 屋久島町で、縄文杉周辺など指定地への観光客の立ち入りを制限する条例が町議会に提出されている。

 23日の本会議で可決されれば、入山が規制される。

 条例案によると、指定地域への立ち入りは町長への事前申請と承認が必要になる。

 承認手数料として400円が徴収される。

 維持に従わない場合は、30万円以下の罰金が課せられる。

 制限人数や期間は条例案には無いが、登山客の多い3月から11月の期間、1日429つ人に制限するよう検討しているという。

 世界遺産登録以来、観光客が増え、縄文杉方面への入山者は年間約9万人。

 多い日には、1日に約千人の入山者がある。

 登山者のし尿しょり等環境悪化が問題視されているわけだ。

 ただし、規制は観光客の減少につながるのではないかということから、慎重な町議もいて、採決の動向が気になるところだ。(朝日新聞6月6日参考)


 私は前々から「世界遺産」の登録に疑問を抱いている。

 そもそも「世界遺産」へのと登録は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて登録される。

 当初の目的は「保護」だったわけだ。

 それが、登録されることによって世界中の注目を集め、観光客が爆発的に増えるという結果になっている。

 それで、いまや観光戦略として「世界遺産」登録は観光地の垂涎の的と化している。

 自然遺産に登録されると、観光客が増え、観光地の経済は潤う。

 それにともなって、環境は悪化するというのが常態化している。

 それでも「金儲け」をしたがる人々が世界遺産登録を目指す。


 今年は小笠原諸島と平泉が世界遺産登録されそうだが、小笠原の自然破壊が心配だ。

 小笠原は東洋のガラパゴスとも言われ、小笠原独自に進化した小笠原だけの固有種の存在が知られている。

 植物の40%。樹木の70%。鳥類は26%。カタツムリは90%以上が小笠原独自の固有種だ。

 外界から隔離されて育ってきた固有種は、外来種の動植物の進入によってその生命の存続が危うくなっている。

 

 先日、その小笠原の自然を守るボランティアの活躍ぶりが報道されていた。

 島外からの人との交流は、外来種の動植物を持ち込むことになるので、島に上陸するときには靴の裏まで消毒して外来種の持ち込みを防いでいた。

 資材等の持ち込みの際にも、外来種の動植物の進入を防ぐため細心の注意をはらっていた。

 そんな彼らの行動と、小笠原の世界遺産登録運動とは、まったく矛盾するように思える。

 縄文杉同様、世界遺産登録により観光客が増加し、小笠原本来の自然の破壊につながることになるであろう。

 真に自然を守ろうとするのであれば、その存在を人間に知られることを防ぐことだ。

 真に自然のことを考えるのであれば、観光の経済効果はすてることが正しいように思う。

 観光と環境の保護は相矛盾する問題だろう。



 人がここちよく生きていくということは悩ましいことだ。


2011年6月17日 (金)

辞任しそうに見えない菅首相

 菅さんが辞めそうに無い。

 内閣不信任案の投票前の演説では確かに、辞意を表明したようにあったのだが、その後、いつ辞めるのかを明言しないで2週間が経った。

 内閣不信任案の投票前には、すぐに辞めそうだった。

 不信任案が否決されると、辞めるのは来年と思える発言をした。

 それについて、一斉に非難の声が上がると、2・3カ月以内に辞めるような発言をした。

 さらに非難の声が上がると、すぐにでも辞めそうに見えた。

 しかし、菅首相は一度も辞任の時期を明言していない。

 そして、このところの菅さんは続投の意欲満々に見える。

 私は昨日のブログに、「再生可能エネルギー促進法」制定を求める集会ではしゃいでいるように見えた菅首相のことを書いた。

 今日のワイドショーやニュースを見ていると、そんな菅さんの姿を応援するかのような取り上げ方をしているメディアもある。

 マスコミは、内容はどうあれ、面白可笑しく、大衆の興味をそそればいいだけだから、ことの是非には関係なく騒動が大きくなればいいと思っているだけだ。



 菅さんが辞任したほうがいいと思うのは、菅さんにリーダーシップにかけるというのが一番の理由だったはずだった。

 何を考えているのか、どうしようと思っているのかまったくわからなかった。

 辞めるのか辞めないのか、いつ辞めるのかさえわからなかった。

 そんな菅さんだったが、このところの菅さんは「絶対に辞めないぞ」と主張しているように見えてきた。

 皮肉なことに、土俵際に追い詰められて始めて菅さんははっきりした自己主張をしているようにも見える。


 菅さんが強気になってきているのは、辞めろと言っている人たちの誰一人として、確たる信念をもった政策を持っている者がいないのがわかったからだろう。

 菅さんさえ辞めたら明るい展望があると言っていたのだが、菅さんが辞めそうになると、また権力闘争を始めただけ。

 政策を提示するどころか、菅さんの後に誰が座るかさえ決まっていない。

 「自分がやる」と言う人もいない。

 菅さんが辞めることが一番の論点で、菅さんが辞めたらそれから次のことを考えよういうことでしかない。

 それを見て、菅さんは自分も何もやれなかったけど、自分以上にやれる人もいないことに気がついたのだろう。

 それなら自分が居すわって、やるだけやったほうがいいと思ったのかもしれない。

 菅さんを応援するような取り上げ方をしているマスコミがいるのも、菅おろしのあとの展望が、どこからも出ないからだろう。


 国民は、国家の危機を救ってくれる政治家がいないことを再認識させられた結果になってしまいそうなドタバタ劇だ。

2011年6月16日 (木)

菅総理 顔を見たくないなら法案通せ

 菅総理が、国会内の集会で「菅の顔を見たくない人という人がたくさんいるが、それならこの法案を早く通した方がいい」と言っていた。

 「菅の顔を見たくない人がたくさんいる」というフレーズを2度も3度もくり返して、「見たくないならこの法案を早く通した方がいい」と続けた。

 その姿は、はしゃいでいるようにも見えた。

 この集会は「再生可能エネルギー促進法」の制定を求める超党派の集会で、国会議員のほかに、太陽光発電に名乗りをあげているソフトバンクの孫社長など300人以上が参加していた。

 参加者を応援する内容の演説だから、参加者から「菅さん辞めないで」という声がでると、それに向かってピースサインをしたという。

 追い詰められているように思えた菅総理だが、このところの粘り腰は驚くべきものがある。

 窮鼠ネコを噛むというのか、「辞めたくない」という菅さんの意志だけが、強く明確に伝わってくる。


 一方の、菅おろし軍団は、いっせいに腰砕けしているように感じる。

 「辞める時期が来ても辞めないときは辞めてくださいと申し上げる」と言っていた岡田さんは、いまだになんにも「申し上げない」。

 「菅おろし」の発言をしまくっていた、仙石さんもすっかりなりを潜めてしまった。

 官房長官でありながらも、菅さんの退陣について微妙な発言をしていた枝野さんも口を閉ざした。



 自分に風が吹いていると思ったらしゃしゃり出まくって、風が止むと物陰にかくれてしまう人だらけ。


 
そして、つきつめると、こんな気概のない人に国政をまかせた我々国民が悪いのだと反省してしまう。

  

2011年6月15日 (水)

東日本大震災の被災地の土地の買い占めが進んでいる。久々に復権する国土利用計画法。

 東日本大震災からの復興に向けての思惑から、被災地の土地の買い占めが行われているらしい。

 岩手県の大船渡市などでは買い占めが進んでいるとの話がある。

 「よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)不動産屋」を自称する私には思い浮かばない発想だが、不動産業に携わっているのであれば当然のことなのかもしれない。

 そう言えば、最高裁の有罪判決を受けて、先週久し振りにテレビに登場した「村上ファンド」の村上世彰さんの言葉を思い出す。

 逮捕前に報道陣の追求に、「金儲けが悪いことですか?」「ぼくが儲けすぎたから騒がれるんでしょう」返した。

 被災地の土地の買い占めに走っている人たちは、買い占めについて非難したら、村上氏と同じ返答をしてくるのだろう。

 しかし、買い占めによる土地の取引が増えてくると、実態価格以上に土地価格が上昇し、被災地の復興計画に支障をきたすことになる。

 それで、国土交通省は被災地の土地の買い占めに対する監視を強化する方針だという。

 すでに、岩手、宮城、福島の各件に対して実態調査を始めるように要請している。

 高台や沿岸部などの土地売買について震災前の実勢価格を調査し、不正な取引がないかを点検している。

 不正な取引を見つけた場合、国交省は国土利用計画法の注視区域に指定するよう県に要請する。

 注視区域というのは、この区域に指定されると、一定以上の面積の土地取引について事前に知事に届け出なければならなくる。(朝日新聞6月2日)



 以上のように、朝日新聞によると被災地の土地の買い占めが進みつつあり、それに対して国交省は対策をはかっているというのであるが、もし土地の買い占めが進んでいるのであったら、調査をして不正な取引を見つけたら注視区域にするというのは生ぬるい。

 早急に、監視区域や規制区域に指定して、投機的な買い占めを排除するべきだろう。

 国土利用計画法というのは、バブル期の土地高騰を抑制するために制定された法律だ。

 事前届出をさせることによって投機的な土地取引を抑制しようとしたが、この法律はほとんど効果を発揮できなかった。

 「金儲けは悪いことですか?」という人々は、法律の穴をかいくぐって土地投機に明け暮れた。

 不動産業者のみならず、一般サラリーマンまでがバブルに踊り狂った。

 あの時私は、不動産業界にいたにもかかわらずバブルの恩恵にはあずからなかった。

 恩恵にあずからなかったら見えたことだが、行政の対応はすべて後手後手だった。

 金儲けに走る人は、先回りをして投機的売買に走る。

 「金儲けは悪いことですか?」の軍団が、「金儲け」めがけてまっしぐらに駆けめぐる勢いに、法律はあまりにも無力だった。

 法律は、「金儲けは悪いことですか?」の親玉に気をつかって、わざと抜け穴を作っているかのようにも見えた。


 バブルが崩壊して、この国土利用計画法は意味を無くし廃案も検討されたのだが、そこは官僚、一度作った規制を手放すことはなかった。

 何の意味があるのだろうと思いつつ、規制だけが残っていて、ときどき不動産取引にかかわってくることのある法律だった。

 しかし、東日本大震災からの復興を見越しての土地の買い占めという事態を受けて、その力を発揮できる舞台ができた。

 私見を言わせていただけば、行政は「金儲けは悪いことですか?」集団への先手を打って、規制を強化するべきであろう。

 国交省の動きは、各自治体に不正な取引が行なわれていないか実態調査を指示し、もし行なわれていれば注視区域に指定するというものだが、これでは遅すぎるのだ。

 不正な取引が行なわれていないかの実態調査を指示するというとは、すでにそのような取引が行なわれているということを国交省その他関係機関も承知しているはずだ。

 ここは「お金儲けは割ることですか?」集団からの攻撃を恐れることなく、早急に、投機的な取引を規制する方向に動くことだ。

 そのためには、前述したように、「注視区域」なんて生ぬるい規制ではなく、「監視区域」「規制区域」に指定し、人の不幸に乗じた金儲けを阻止するべきだろう。

 そのことで通常の土地取引が制限されるわけではない。

 未曽有の大震災に遭遇しているのだから、思い切った決断をしないと、今度の復旧に余計な時間とお金がかかることになる。

 早急なる大英断を望む。



 「金儲けは割ることですか?」の大物集団は、政治家や官僚とつるんでいることが多いから、今回も無理なのかもしれない。

2011年6月14日 (火)

イタリア、国民投票で原発凍結

イタリアで、原発再開の是非を問う国民投票で原発凍結が決定した。

投票率が50%に達しないと国民投票は成立しないという制度の中、投票率55.6%、原発凍結賛成票が94.3%で凍結が決定した。

イタリアはチェルノブイリ原発事故後、国内の原発をすべて閉鎖していたのだが、このところ原発復活を検討していた。

原発凍結については「原発凍結法」で、「安全性に関する科学的見解が得られるまで」凍結していたものだが、今回の国民投票では「安全性に関する科学的見解が得られるまで」という前提条件の削除することへの賛否を問うたものだった。

今回の国民投票の結果、原発の新設や際稼動が無条件で凍結されることになったわけだ。

これは東日本大震災における福島原発事故が多大なる影響を与えていると思う。

現実問題として、日本の原発の全てを直ちに停止するということは無理だろう。

しかし、原発は徐々に廃止していくべきだろう。

原発の発電コストが安いのは稼動中のことだけ。

建設については建設費と建設地に対する補償費に多大な費用が必要となる。

一番の問題は事故が起こったときの復旧に関する時間と費用だ。

チェルノブイリでは周辺では居住不能となり16万人が移住させられた。

爆発した4号炉は「石棺」と呼ばれるコンクリートの構造物で覆っているが、その「石棺」の耐用年数は30年と言われ、さらなる補修の必要性に迫られている。

いったん暴走を始めた放射能を操縦する方法は無く、永遠に閉じ込めておくしか手段がない。

想定外の災害は必ず起こるし、人間が作るものであるから、絶対に事故が起こらないものは作れない。

だから、原発はこれ以上建設するべきではないだろうし、今稼動してるものについても、なんらかの代替エネルギーの開発と引き換えに徐々に全廃に向かうべきだろう。

一番の問題点は、原発の利権に浴する人たちが国を動かしているということ。

その人たちを排除するのが最大の難題だ。

最近「物言う株主」という言葉が復活してきたが、国民のすべてが「物言う国民」にならなくてはいけない。



それにつけても、憲法改正を想定した国民投票法案が問題視されていたが、重要事項について国民投票で賛否をとえる法律の制定ができないものだろうか。

2011年6月13日 (月)

言いたくないけど、つい愚痴が出る。被災者を人質にとっての政権争い。

 まったく、国民には醜い政権争いとしか見えていないのだけど、政権闘争の終りは見えない。

 菅さんが辞めればすぐにでも政権運営に協力すると言っていたように聞こえていたのだけど、菅さんが辞める方向に向かったら、ハードルが上がった。

 次の首相が決まらないと協力はできないと言う。

 それももっともな話だが、菅さんが辞めると言う前の話しとは随分違う。


 内閣不信任案が可決されそうになったら、その直前に辞任を表明して不信任案を否決させ、否決されてしまうと、辞めるけどすぐに辞めるとは言っていないといって居座りを続ける首相。


 正義で動いている人がいないから、お互い非難の言葉を投げ合うだけ。



 暴力で主張を通すのは許しがたい行為とされているが、こんな政治屋さんばかりだったら、暴力をもって粛清する人がいたとしても、その人を国民は一概に批判することはないかもしれない。

2011年6月11日 (土)

諫早湾開門をした場合の環境影響評価 アセスメント

 農林水産省が諫早湾干拓事業で長期の開門をした場合の環境影響評価の素案を発表した。

 「アセスメント素案」と言からなんのことだろうと思った。

 アセスメント=評価。

 「アセスメント」という単語は何度も耳にしているが、いままで意味をつかんでいなかった。

 今回の諫早湾開門のニュースでやっとその意味を知った次第。



 諫早湾の問題は、ギロチンと呼ばれた潮受け堤防の閉め切り工事が鮮明に記憶に残っている。

 もともとは戦後の食料不足の解決のための干拓事業ということから発想された事業だった。

 その後、過剰米が問題になる時代になって、干拓事業の是非が激しく争われた。

 日本最大の干潟の喪失が環境破壊につながるということで、猛反対運動が続けられた。

 しかし、結局潮受け堤防は完成し、湾は締め切られた。

 その後、有明海では養殖海苔の大凶作を始めとして、漁業に大きな不振が次々と現れ、事業との関連性が疑われた。

 漁業不振の因果関係が潮受け堤防にあるのかどうかを明らかにするために、潮受け堤防の開門を迫る訴訟も起こされている。


 その真偽は未解明なのだが、どう見ても潮受け堤防が環境に悪影響を及ぼしているように思える。

 当時、潮受け堤防の閉め切り作業(ギロチン)を阻止するために、身を挺して工事妨害をしていた反対者の姿も印象に残っている。


 総工費2533億円。

 そして、今回の環境影響評価の素案によると、全面開門するためには、水害や農業、漁業被害を防ぐ事前対策費1077億円が必要だという。

 国民の大多数が反対を無視して2533億円を費やし、その工事が環境に悪影響を与えているのかもしれないということで、その修復に1077億円がかかるという。

 事業が必要な一番の理由は、2533億円という巨額の工事費だったのではないだろうか。

 2533億円の工事にかかわる人たちにとって、工事中止は死活問題だろう。



 前々からの私の自論なのだが、無駄な巨額の公共工事は中止して、その工事から得る利権を期待している人たちに、その利権分だけのお金を支払った方が、はるかに税金の節約になる。

 巨額の公共工事には、多くの利権が絡み合っている。

 巨額の税金を投入して、それに群がる多くの人がその利権に浴している。

 工事が中止になると困る人がたくさんいるわけだ。

 ゼネコン。

 ゼネコンからの政治献金を期待する政治家。

 その他いろいろ。

 その人たちに、ごめんなさいと言って、その人たちが期待していた利益のみを分配することで工事を中止した方が、財政的にも助かるのではないだろうか。

 そんなバカな短絡的な発想が、何十年も前から私の頭を駆けめぐっている。



 なんか変だと思っても、国民の声がかき消されるのが政治の常道なのだろう。

 明日の命も危うい被災者のことはほったらかしで、我が身の保身に明け暮れる政治屋さんの今の姿を見るにつけ、それが政治の常道だと思ってしまった今日は6月10日。

2011年6月10日 (金)

被災者の相続放棄

 運転しながら国会中継を聞いていたが、被災者の救済、被災地の復旧のための議論とはほど遠い。

 あげ足取りと、自己弁護。

 不毛の議論をくり返している。

 国民はこんな人たちに命をあずけているのかと、情け無くて、悲しくなって、すぐにスイッチを切ってしまった。

 明日で、東日本発生から3カ月になる。

 民法915条で、「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った日から3カ月以内に、承認または放棄をしなければならない」と定められている。

 被災地では弁護士たちが「相続の放棄の申し立ては3カ月以内」という民法の規定に注意を呼びかけているという。(朝日新聞6月9日)

 相続は財産を相続するだけではなくて、負の遺産(借金)も相続する。

 相続財産よりも負債(借金)が多い場合は、相続を放棄することによって負債を相続することを免れることができる。

 また、民法922条では、「相続人は、相続によってえた財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済すべきことを留保して、承認をすることができる」と定められている。

 これを「限定承認」と言う。

 簡単に説明すると、相続財産より負債(借金等)の方が多い場合には相続をするが、負債(借金)が相続財産を上回る場合は相続を放棄するということもできるのだ。

 相続放棄や限定承認をするには「相続の開始があったことを知ったときから3カ月以内」にしなければ、相続を承認したことになるというわけだ。

 その判断をするためには、財産の状況及び負債の状況を精査する必要があるわけだが、被災者がたった3カ月でそれを調べるのは難しいことは容易に想像できる。

 しかし、現行の法律では3カ月以内に相続放棄の手続きをとらないと、無くなった親族の負債(借金)を相続してしまうことになる。


 これは余談だが、消費者金融等の貸し金業者は、お金を貸し付けた当人が死亡した場合、3カ月たってから相続人に借金の取り立てを始めるという話がある。

 3カ月以内に取り立てに行くと、相続の放棄をされて借金を回収できなくなるこことがあるからだ。



 この、相続を放棄するか承認するかを決める3カ月間の期間は、裁判所に申し立てることによって延長は認められる。

 財産と負債の状況がわからない場合、裁判所に期間の延長を申し立てれば期間は延長になるわけだ。

 しかし、それを知らずに、申し立てをせずに3カ月を経過してしまうと、相続を承認したことになってしまう。

 それで、今回の震災において、期間の延長を申し立てなくても、特別立法によって相続放棄の申立期間を3カ月から1年にすることを、日本弁護士連合会が法務省に要望している。

 法務省は、期間延長には消極的らしい。

 複数の相続人がいて、1人が相続するか放棄するか決めないことで、相続したいと考える人が相続できないという不都合がある。

 また、借金を回収したい人がいつまでも回収できないことにもなる、というのが法務省が消極的になる理由だ。

 なるほど、一方の立場だけではものごとは決められないということを知らされた次第。


 しかし、相続の延長を認めることで救うべき人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。

 いずれにしても、それを立法化するためには国会が動かなくてはいけないのだ。

 このことに限らず、被災者を救うため、被災地の復旧のために、多くの特別立法の制定の必要性が迫っているずだ。

 政治屋たちは、いつになったら被災者に目を向けてくれるのだろう。

2011年6月 9日 (木)

本業も大事

久し振りに本業の物件をブログにアップした。

私と事務員一人でやっている小さな会社で、良く言えばガツガツしないのが私の信条なもので、正直言うとよだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)なんだけど、ホームページは商工会議所の無料ホームページ作成サービスを利用していた。

商工会議所の会員は簡単に無料でホームページを作成できるのはいいんだけど、更新が非常に遅い。

下手すると、更新に更新ボタンを押して2分か3分くらいかかる。

実際には3分はかかっていないのかもしれないが、そんなふうに感じるくらい更新が遅い。

このホームページは雛型があって、それで簡単にできるわけで、レイアウトがブログとそっくりだっから、それをそっくりブログに移してみたのがこのブログの始まり。


ブログだもので、ブログ記事を書いていたら記事が検索サイトの上位に表示されるようになって、それが面白くてもっぱら仕事外のことばかり書いていた。

で、本業のホームページは別に作るべきとも思いつつ、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)本領発揮、ってのは自慢にならないが、ずっと何もしないできた。

で、久々に面白い物件の売却の依頼を受けたので、今日のブログにアップした。

ブログはアップした日付が入っているのだが、物件のカテゴリーを更新しても日付を変えていなかった。

そんなこんな、反省のもとに当面の仕事として、物件のカテゴリーも整備していこうと思っている。


自分で「よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)不動産」なんて言っていたら、仕事上マイナスのホームページになっているのかもしれない。

でも、不動産でなんとか30年以上飯を食って来れたのは、正直で嘘はなかったから。

これは、私の師匠の教えで唯一私が守れていることだ。

あと10年は不動産業で飯を食っていかなくてはいけないのだから、仕事のホームページも整備していく必要を痛感している。

しかし、しばらくはこの形態で行くことになるだろう。

おすすめ物件 中古住宅

            おすすめ中古住宅(成約済み)

20_8  南一ケ岡

土地 123.74坪

建物 60.34坪

平成13年4月新築

  3,800万円

14

土々呂湾を見下ろす景勝の地。

家から眺める景色が素敵です。

右の写真は、庭から土々呂湾に向かって撮った写真です。

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ちょっと角度を変えて撮ってみました。

29

西・北・東の3方道路で、お隣さんは

1軒だけ。

お隣さんは南側になりますが、一段低いので眺望を全部独り占めです。

庭の一角にあるオープンデッキで、海を眺めながらのバーベキューなんてのもいいですね。

2011年6月 8日 (水)

震災による不動産賃貸のトラブル

 震災関連だが、久々の本業ネタ。

 東日本大震災に関して各地の消費者センターにさまざまな相談が寄せられている。

 震災に便乗した悪質商法や、便乗詐偽の相談にまじって不動産の賃貸借に関する相談も多いようだ。

 生活全般のトラブルの相談の中で、不動産の賃貸借の問題に関するものが14%で最も多いそうだ。

 今日の朝日新聞でこの問題に触れていたが、茨城県の60代の男性は、住んでいる借家の土台が地震でヒビが入り家が傾いたため、仲介した不動産業者に点検と修理を依頼したところ、「直す気はない。嫌なら出て行け」と言われたそうだ。

 記事だけを読むと極悪不動産業者のように感じてしまう。

 しかし書かれている文面だけのような不どさん業者がいるのだろうか。

 おそらくは、家主も被災者ではないのだろうか。

 家主の自宅はもっと大きな災害にあっているのかもしれない。

 地震で傾いた家を修復するには巨額の費用がかかることだろう。

 家主が修理の費用を捻出するのは容易ではないことは想像できる。

 だから家主としては、「修理をする力はありません。申し訳ないけど、住むに耐えないのだったらでていただくわけにはいかないでしょうか」というようなやりとりをやっていたのではないだろうか。

 しかし、借家人としては自分の権利を主張するのも当然で、家主には修繕義務があるから直してくれと主張を続けていたのではないだろうか。

 そんなやりとりの繰り返しの中で、前出の「嫌なら出て行け」発言に及んだという流れではないだろうか。


 実際に不動産仲介業をやっていると、平常時でも似たようなトラブルに遭遇することは少なくない。

   家主がなすべき家の修理について、家主に余力があればいいのだが、家主にまったく余力がないときには同様の問題が起こる。

 法律的には、「居住の用に耐えないほど、あるいは居住にいちじるしい支障を生ずるほどにいたったとき」に、家主の修繕義務が具体化することになります。

 これを「必要費」と言って、家主が修繕に応じない場合は、借家人が修繕して支払った費用を直ちに家主に請求できるということになっています。

 しかし、居住の用に耐えないほどになったとしても、それを修繕することが、物理的にも経済的にも可能であることが必要です。

 莫大な費用がかかりすぎて、家賃とのバランスが大きくくずれるような場合には修繕義務はまぬがれる場合もあります。

 不動産業者を介する賃貸借契約書には、「火災や天災地変等で建物がしよう不能となった場合は契約は終了する」となっているものが多い。

 地震保険でも家の傾きが3%で全壊として取り扱われる。

 今朝の朝日新聞の事例の傾きがどの程度かわからないが、傾きを直す費用は軽微な額ではないだろう。

 不動産業に携わる者として悩ましい問題だと双方の方に同情してしまう。


 ちなみに
、もし家主が修繕すべきとおもわれる修繕をしない場合、借家人としては修繕してくれなくて使用できない部分があるのならば、その分の賃料を拒むことができます。

 さらに、住めなくなって退去する場合は違約金は払わなくていいでしょう。


 

 

  

2011年6月 7日 (火)

早急に復旧にあたれ。

 あきれて、あいた口がふさがらない。

 どこまで党利党略、国民不在の政治屋さんたちばかりなのだろう。

 大連立はどうでもいいけど、菅さんが辞めたら復旧に向けて協力すると言っていた言葉だけは実行してもらいたい。


 地震から3カ月。

 政治屋の醜さだけが目立つ。



 こんなことを続けていたら、爆弾抱えて国会に突入する国民がでるんじゃないか?


2011年6月 6日 (月)

高速道路、割引・無料化 中止?

 今月19日に、高速道路の割引や無料化実験が中止になるという話だ。

 何度か書いたことだが、宮崎県は高速道路網から置き去りになっている。

 九州の西海岸側は早くから高速道路がつながっているのだが、宮崎県はいまだにぶっつりととぎれている。

 地図で見ると明白。

 九州の東海岸沿いには高速道路がない。

Photo_3  私の住む街、延岡市を中心にすっぽりと取り残されているのだ。

 鉄道網も同様に、九州の中心の博多から大分市までは複線化されているのだが、大分市から宮崎市までは単線。

 今年のJRのダイヤ改正で、宮崎発の特急の本数が大幅に削減された。

 九州新幹線の開通で、宮崎市は鹿児島経由で行くか、バスで八代まで行って新幹線に乗ると3時間半くらいで博多まで行けるというわけだ。

 割をくったのがわが町延岡市。

 大分まで2時間。

 宮崎まで2時間。

 熊本まで3時間。

 どこを経由しても博多まで5時間はかかってしまう。


 今日はそんな愚痴を言いたかったわけではない。

 地図が小さくてわかりにくいが、(地図をクリックすると拡大されますので、クリックしてみて下さい)地図のまんなかに九州高速道路路線図とあって、その下に延岡南ICから日向ICという路線があるのだ。

 その距離18.4㎞。

 宮崎県民としては、ことに延岡市を中心とする宮崎県北及び大分県南住民としては、高速道路網につながることが悲願としている。

 中央に近い都市では2本目の高速道路や、高速道路の複線化が行なわれようというのに、こちらでは単線でいいからお願いしますと卑屈なまでの陳情を続けた結果なんとか去年の12月に開通したのがこの18.4㎞なのだ。

 18.4㎞なんて距離は、高速道路に乗ったと思った途端に終点という感じなのだが、延岡・日向間は幹線国道が片側1車線というこれまたお粗末な状況のため国道の渋滞緩和には役立っている。



 話は今日の主題から少しそれているのだが、今日の話のメインは、今月19日をもって終了する無料化実験についてだった。

 高速道路、延岡・日向間が開通したのは去年の12月。

 全国的な無料化実験の区間に指定されていたため開通は無料で始まった。

 無料ということで、従来お金を払うのだったら利用しないという人たちまで高速道路を利用することになる。

 おかげで一般道の渋滞が緩和されることになったのだが、この高速道路、片側一車線で18㎞の区間に追い越し車線が1カ所しかない。

 それも延岡から入ると出口の直前に、ちょっとだけ追い越し車線があるだけ。

 高速道路という名前だから、一応一般道の最高速度より10㎞早い時速70㎞が制限速度になっている。 

 これも不満なのだが、信号なしだから時速70㎞で走ると5分から10分の時間短縮になる。

 しかし通行料がタダだから通るいう人がいて、しかもこれまで県外で高速道路を利用した経験のない人たちが結構いるのだ

 そんな人の車の後についてしまうと、高速道路にのったことを恨みたくさえなる。

 制限速度70㎞のところを60㎞未満で走られると、気の短くない人でもいらいらするはずだ。

 こんな車の後についてしまったら最悪。


 とうことで、私は前々から、無料はいけない。100円でも200円でもお金をとれるべきだと思っていた。

 そうすれば、急ぐ人は高速道路、急がない人は一般道路というすみわけができる。

 すみわけができてこその高速道路だろう。


 そう思っていたから、無料化実験が中止になるということは歓迎だった。

 開通時から無料化だったので、延岡・日向間の通行料金がいくらになるか高速道路事務所に電話で問い合わせをした。

 このことが今日のメインテーマなのだ。

 問い合わせ先は、延岡からの入口にあたる料金所がある事務所。

 「無料化が終了するんですよね?」という質問に対して、すこしどぎまぎした感じで「はい、そうなる予定です」と言う答え。

 苦情を言われるのかとびくびくしているのかなと思いつつ、「無料化が終わったときは料金はいくらになるですか?」と聞くと、答えられない。

 地図でご覧のとおり、この区間は延岡と日向間だけなのだ。

 途中の門川町にも出口はあるので、延岡・門川間と延岡・日向間の2つの料金しかないわけだ。

 それなのに、「少々お待ちください」と言って電話は保留になった。

 待つこと3分38秒。まつ3分はとてつもなく長い。

 今度は男性の声で(最初は女性が受け付けた)、「なんでしょうか?」ときた。

 3分38秒、どんなやりとりをしていたのだろう。

 怒りを抑えて、「延岡・日向間の通行料金を教えてください」と再度言う。

 すると驚いたことに、「調べて連絡しますので、電話番号とお名前を教えてください」と言う。

 「は?」延岡・日向間だけの料金を徴収している事務所でしょ?と言いたいのをぐっとこらえて名前と電話番号を伝える。

 待つこと1分21秒。

 今度はちょっと早かった。

 「えー、車は普通車ですか?」

 「はいそうです」

 「ETCはつけてますか?」

   おっと、ETC割引があるわけだ。

   私は、ETC をつけている車と、つけてない車をもっている。 

 それで、「ついている場合と、ついていない場合を教えてください」とたずね、やっと料金を知ることができた。

 私が、この道路会社の社長なら、この二人の社員はクビにしたい。

 というか、こんな社員は作らないだろう。


 これが公務員的、特殊法人的体質なのではないかと、腹立たしかったことを書きつらねた今日は6月6日。


 ちなみに、18.4㎞の通行料は、普通車で750円とのこと。

 750円による時間の短縮は5分から10分。

 急ぎの用事のある人以外の利用は激減することだろう。



 高速道路の料金は、作るのにかかった費用に対して決められるらしいから、待たされて遅くなった道路の料金は高くなるようだ。

 これまた腹立たしいことである。 

2011年6月 5日 (日)

みんな疲れ果てている

 疲れをしらずに闘争しているのは、国家運営を担う政治屋さんたち。

 国民のほとんどが同じ気持でいて、同じことを繰り返し言っているのだが、この連中は何も聞き入れてくれない。

 もう疲れ果てて何も言う気もしない。

 恥を忘れた人たちはどこまで仕事を放棄するのだろう。

2011年6月 4日 (土)

枝野官房長官が、菅総理の長期続投を否定。国民よ怒りを露わにしよう。

 もうこんな話しに触れたくもないのだが、やっぱり言いたくもなる。



 
枝野幸男官房長官が、菅総理の長期続投を否定する発言をした。

 「(首相は)長く居すわるつもりはない」

 「(首相が)やめるのはそう遠くない時期だ」と言及した。

 また、9月の訪米日程についても、首相は自分で出るようなことは言っていない」と発言している。

 ということは、8月には辞任するということになるわけだ。

 官房長官といえば首相の女房役。

 その官房長官の言葉だから、その意味は重い。

 女房役として、今回の菅総理の節操の無さにあきれて、辞任の鈴をつける役目を引き受けたのだろう。


  政治屋さんたちは、口を開くたびに、「国民のため」「早期復旧・早期復興」という言葉を口にするが、それは党利党略と彼らの個人的利益に合致するときのみの話し。

 早期復興のために早急に審議するべき2次補正の審議入りに応じないと脅しをかける。

 2次補正の財源となる特例公社債法案は成立の見込みも立たない。

 この法案が成立しないと当初予算も含めて赤字国債の発行もできない。

 「国民のため」と言いながら、実は「国民を人質にとって」権力闘争を続けている。



 国民が怒りを態度であらわす時期がきているのではないだろうか。

 自分自身、言葉だけで怒りを露わにできなくて、もう触れたくもないのだが言わずにおれない今日は6月4日。

2011年6月 3日 (金)

ペテン師と呼ばれる菅さん。

 もうあきれて物も言えない。

 鳩山さんは、菅さんをペテン師と呼び、嘘つきはいけないと言う。

 嘘をつくのはいけないというのが家訓だというようなことを言っていたが、普天間問題のときに行ったのは嘘じゃなくて勘違いだったのか?

 首相を辞任するとき、首相経験者が政治に影響力を与えるのはいけない。だから次の選挙には出馬しないと言ったのは嘘じゃなかったのか。


 小沢さんは、直前まで、自民党の内閣不信任議案に賛成票を入れると断言していながら、またしても逃亡した。

 自分に風が吹いているとテレビの前に現れるが、都合が悪くなるとモグラになる。

 親分としてかきあつめていた子分になんと申し訳するのだろう。


 実直な仮面をかぶった原口さんの口の上手さは天才的なのは何度か語った。

 正反対の事態に陥っても、正当化できる口実を常に携帯している。


 嘘とは無縁と思っていた岡田さんも、知らぬ存ぜぬをきめこむ。

 正直なのは、政治はそんなものというニュアンスの発言をしていたこと。


 政治家は真実だからといってなんでも喋っていいわけではない。

 国益のためには嘘も必要なときもあるだろう。

 しかし、今やっている政治屋さんたちの嘘は、自分の身の安泰のみを考えてのことにしか思えない。


 ここまで来ると、国民は疲れ果てて怒ることを忘れてしまいそうだ。

 

2011年6月 2日 (木)

見直した、大嫌いだった松木謙公議員。地に落ちた小沢一郎議員。

 どうなることかと見つめていた内閣不信任議案の採決だったが、あっけない結果だった。

 小沢さんは欠席。

 いつものことながら、女々しいことはなはだしい。

 自分が率いるグループに対して自主投票を求めるというに及んでは、あきれ果てる。

 またしても、しばらくは逃げ隠れして姿を見せなくなるのだろうか。

 菅さんは「震災対応にめどがついたら辞任する」と言う。

 対応にめどをつけられないから菅さんを引きずり下ろそうとしたはずだ。

 菅さんが引き続きめどをつけられなかったら、いつまでも辞任しないということになるという矛盾。

 菅さんに辞任を決断させたことを手柄にしたい鳩山さんは、菅さんの辞任の期限には触れたくないのだろう。


 見直したのは松木謙公議員。

 松木謙公議員はテレビ露出の多い議員だったが、私は松木議員の発言を聞くとチャンネルを変えてしまうほど松木さんが嫌いだった。

 ガチガチの小沢崇拝者で、小沢さんを擁護するためには理論もなにもあったものではない。

 大声で人の意見を制止し、ひたすらに小沢さんを擁護する。

 そんな姿を見て私は、松木議員は小沢さんに洗脳された自分の考えを持たない人ではないかとさえ思っていた。

 その松木議員だけが、内閣不信任議案に賛成票を投じた。

 力づくでも阻止しようという僚友たちの制止を振り切って賛成票を投じた。

 身を挺して救おうとした小沢さんはその場にいなかった。

 松木さんは、愚直なまでの正義感を持つ人だったのかもしれない。

 中学生の正義感と揶揄される私としては、松木さんを見直した。

 

内閣不信任議決案

 震災から3カ月になろうというのに、国会は大混乱の極み。

 昼のニュースでは鳩山さんが官邸を訪問しているという。

 昨日も菅さんと鳩山さんの話し合いがあって、双方の思惑はすれ違いだったようなのに、議決を数時間後にひかえてまだバタ狂っている。
 
 政治屋さんたちには被災者のことも国民のことも一切念頭にない。

 ただただ、自身の保身と安泰のみを考えているだけ。

 国会という公の場や、テレビカメラの前という公然の場で、見え見えの嘘を平気で喋っている。

 自分の嘘が丸見えなのに、それにはまったく気付いていないのだろう。

 菅さんでは震災後の対策が進まないというが、菅さんを辞めさせた後の代案は出さない。次の領主さえ決めてはいない。

 与党の座に居座りながら、野党の内閣不信任決議案に賛成するという矛盾。

 財源不明のばらまきと言われるマニフェストを強引に実行しようとする小沢さんと、それを非難する自民党が協力する矛盾。

 党首討論で、「大震災で国会が一丸となんて早期の復旧・復興にあたってほしい。国民はそれを強く求めている」といいながら、不信任が議決されたら解散すると言う。

 解散したら1カ月以上の政治空白を作ることになるではないか。



 当初賛成の方針を示していた共産党が議決を棄権するのは、1日の野党会談で可決した場合の展望を谷垣総裁にただしたが明確な回答がなかったため。内閣不信任は党略的で無責任だとしたため。

 党首討論での谷垣さんの弁とは大いに矛盾する話だ。



 解散総選挙などしている時間はないとみんなが言うし私もそう思っていたが、このままでも政治空白が治まりそうもない。

 いっそのこと、やぶれかぶれで解散でも総選挙でもやって、さらなる大混乱を起こして、そこから本気で収拾するしかないのかもしれない。

 テレビでは民主党で演説をする菅さんが映っているが、この人たちのどんな言葉も私の心には響かない。

 

2011年6月 1日 (水)

沢村拓一投手が完投勝利

 読売ジャイアンツの沢村拓一投手が完投勝利を挙げた。

 私は格別なプロ野球ファンというわけはない。

 プロ野球中継は、他に面白い番組が無い場合に見る程度だが、スポーツニュースは見るといった程度のファン?である。

 スポーツニュースは見るから、話題の選手は知っていて、今年はジャイアンツの沢村投手のファンになった。

 あの堂々とした風貌と物腰。

 私の理想とする男の姿だ。

 威張るわけでも無い。

 へりくだるわけでも無い。

 淡々として実に自然にふるまう。

 私が好きなスポーツ選手の石川遼君のような華麗さはないが、そこがまたいい。



 今年のプロ野球のキャンプを見て、沢村投手は大活躍をするだろうと思っていた。

 しかし、いざペナントレースが始まってみると、いいピッチングをするのだが勝ち星に恵まれない。

 斉藤投手が登板するときは味方が点をとってくれない。

 勝利投手の権利をとって降板すると救援投手が打たれて勝ち星がとれない。

 応援しているからそんな気持になるのかもしれないが、人気者の斉藤祐樹君は点をとられても味方がそれ以上に点をとってくれる。

 そして、点をとられて負け投手必至で降板しても、その後味方が点をとってくれて負け投手にならずにすむ。

 これも斉藤君の「もっている」ことの証なのだろうが、沢村投手ファンの私としては面白くなかった。


 その沢村投手が、失点1の初完投勝利。

 勝てなかった3試合を糧にして、自力でトンネルを抜け出した。

 今後の活躍を期待している。 

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