« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

2011年7月30日 (土)

中国のパクリ問題。原発は大丈夫?

 週刊文春の新聞広告の見出しに、「中国『パクリ最先端技術」次は原発が危ない!」というのがあったけど、考えられること。 

 原発がつぎはぎのパクリ先端技術で原発を作っていたとしたら、事故が起きたときは新幹線どころの騒ぎではないだろう。

 

官手動の「やらせ」 私の勝手な見解。

 九州電力の「やらせ」は社長を辞任に追い込むほどの大きな問題になったが、中部電力、四国電力がやっていた「やらせ」も問題になっている。

 こちらは、原子力安全・保安院から「やらせ」の指示が出ていたという。

 おどろくほどのことではない。

 国民はこんなことだろうと、みんな思っているはずだ。

 わかっていたことだけど、報道の時期が今になっただけ。

 中国の新幹線事故隠しは、中国特有の問題ではない。

 日本の原発の事故隠しは、中国の新幹線事故隠しと同じこと。

 いや、むしろ日本の隠匿工作の方がたちが悪いとも言える。

 中国では都合の悪いことは発表しない。

 だから、事故隠しは当然のこととして、国の発表を鵜呑みにする者はいない。

 しかし、日本におけるそれは、ほとんどの人が騙されてしまう。

 なんども、なんども、懲りずに騙されてしまう。


 ところで、日本における官主導とも言える「やらせ」の問題について、
監督省庁の長である海江田さんが責任を追及されて泣いていたが、私には海江田さんの涙は演技に見えてしまう。

 起こったことには自分は責任は無いんだけど、立場上責任をとらされているという場作りをしているように思えて仕方がない。

 あくまでも、勝手な見解なのだが、ポスト菅を狙っての台本を演じているように思える。

 私は、少々霊能力的な(私は例の存在は否定している立場なので、正確には直感力なのだが)力があるようなのだが、海江田さんの無く姿を見ると、心が冷え冷えとし虫酸が走ってしまう。

 あくまでも、題名の通り「私の個人的見解」 

 

 

 

2011年7月29日 (金)

慣れない多忙

 ここ数日、忙しい。

 成約につながりそうな商談が相次いでいる。

 これが数カ月前のことだったら、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)不動産屋の私は、今やっている商談のうち2つ3つは来月のお楽しみって感じでやっていたことだろう。

 しかし、今は7月の終り。

 8月の決算月に突入寸前。

 そして、今年は現在開業以来の大不振。

 それでこの2カ月余り、あせりまくって仕事に邁進していた。

 その成果が実りそうなのだ。

 どれも落としたくはない。

 ということで、今まで仕事をやっていた。

 今日は、円高、原発はどうなっているのだろう?

2011年7月28日 (木)

アメリカも同じ。国家の危機より政権争い。

 昨日から今日のニュースで驚かされるのが、アメリカが債務不履行になるかもしれないということ。

 ドル安。

 おかげで、つぶれかかっていると思っている日本なのに、円高。

 ユーロも安い。

 こんなごたごたしている日本の方が、まだまし、ということでの円高。

 アメリカもねじれ国会。

 それで国債発行高を増額する法案が、宙ぶらりんのまま国会を通過していないとのこと。

 このまま、法案を通さないと債務不履行になるという。

 日本の赤字国債を認める法案が、いまだに審議にもかからないのと同様な事態のようだ。

 日本はどうしてしまったのかと嘆いていたのだが、これは人類全体の問題のようだ。

 

2011年7月27日 (水)

恒例。決算前に大慌て。

 当社は、8月決算。

 よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)の私は、追い込まれないと仕事をしない悪いクセがなおらない。

 毎年、決算月が近づくと大慌てで仕事に戻る。

 連休が明けて、6月が近づいてきてやっとのことで決算の準備にかかる。

 いつもことながら、売り上げが足りない。

 心臓がばくばくするほどあせることになる。

 経営上の借入の都合もあって決算を赤字にはしたくない。

 それで、そこからの3カ月、なんとか黒字にするためにバタ狂うことになる。

 で、なんとか赤字にならないようにやってきているののだが、この3カ月は本当に冷や汗ものなのだ。

 そして、来年こそはと思いつつ、なんとか決算をすませる。

 そのまま、仕事に没頭すればいいのだけど、また同じことの繰り返し。

 思えば、小学校の頃からそうだった。

 夏休みの宿題を、休みが終わる3日前くらいから泣きたい気持でやっていた。

 試験の前日に、徹夜して一夜漬けで勉強していた。

 そんなことの繰り返しで、なんとかやってきた。

 そろそろ人生の終末気の準備。

 このままでは終われないと思っている。

2011年7月26日 (火)

なでしこに国民栄誉賞?

 政治も、なでしこ人気にあやかろうとしているのか、突如わいた、なでしこジャパンに国民栄誉賞受賞の話。

 国民栄誉賞とは、「ひろく国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」ということで創設された。

 私の印象では、国民栄誉賞は何十年もの間一つのことに専念し、功を成し名を挙げた人に贈る賞という気がする。

 実際、没後に受賞するケースが多いし、勲章をもらった後に受賞することも多い。

 

 イチロウ選手が、、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と言って辞退したことは有名な話だが、しごく納得させられるセリフだった。

 歴代の受賞者の中で、高橋尚子選手の受賞には違和感を感じたが、なでしこの受賞にも同じような違和感を感じる。

 高橋尚子選手はこの時がピークで、その後大きな成果を挙げることなく選手生命を終えてしまった。

 なでしこもその二の舞になりはせぬか。

 今、なでしこに必要なのは、勲章ではなく活動費ではないだろうか。

 日本代表の選手でさえ、アルバイトをしながら、やっとのことで選手生活を維持しているのだ。

 試合に出るときに仕事を休んだ分給料が下がってしまう選手もいる。

 せめて遠征費くらい国が支援してやるといい。

 「花より団子」はなでしこの選手たちの切なる思いだろうなどと、つい代弁をしたい、今日は7月36日。

2011年7月25日 (月)

今日、久々にうれしかったこと

 私は初代のエクスペリアを使っている。

 エクスペリアを使いはじめたいきさつは、去年の11月27日のブログに書いている。

 エクスペリアには非常に満足していて、スマートフォンの便利さを享有させてもらっている。

 しかし、グッズマニアおじさんとしては、今年の6月に相次いで発表されたスマートフォンの新機種発表に、性能がアップしたスマートフォンに買い換えたいなという衝動を抑えきれない。

 それで、何度かドコモショップによって新製品の性能テストをやってみた。

 さくさく動くというギャラクシーⅡ。

 エクスペリアにガラケー機能を追加した、エスクペリアアクロス。

 薄いのが魅力のメディア。

 何度かドコモショップに行って試してみたが、今使っているエクスペリアと格段の性能の差は感じられない。

 ウェブサイトの閲覧も、各アプリの起動も、大した差は感じない。

 不動産不況の時期でもあり、無駄な出費は控えるべきだし、しばらくは買い換えは見合わせるという結論に達した。

 で、今日嬉しい発見をした。

 エクスペリアで不満だったのが、ウェブサイトの閲覧をしているときの画面の大きさの調整方法だった。

 iphoneを始めとする他のスマートフォンは画面にタッチした日本の指の間隔を拡げると画面が大きくなり、指をつまむと画面が小さくなる。

 それが非常に魅力的に見える。

 エクスペアでは、画面をタタッとタップし、画面にあらわれた+記号と-記号にタッチして画面の大きさを調整する。

 このやり方では画面を好みの大きさにするのに若干テクニックを要するのだった。

 ま、このくらの不便は我慢してエスクペリアを使い続けようと思っていた矢先、今日なにげなくエクスペリアに触れてみると、他のスマートフォンのような操作で画面の拡縮ができるではないか。

 知らない間にOSのバージョンアップがあったのだろうか。

 結構、スマートフォン関連記事の載った雑誌も購入しているのだが、うれしい無知だった。

 うれしくなって、意味もなく画面を拡大したり縮小したり、腹の立つことばかりだった日々の中のうれしい発見をした、今日は7月25日。

2011年7月24日 (日)

大鹿村騒動記 感想

大鹿村騒動記を観てきた。

映画の内容はさておき、会場の感想を書こう。書かずにいれない。

宮崎キネマ館が会場だった。

大鹿村騒動記をやっている映画館を検索して始めて宮崎キネマ館の存在を知った。

宮崎の中心市街地にあるホテルメリージュの2階のテナントの一つとして営業している。


売店のカウンターみたいな切符売り場で切符を買って入場。

座席数60くらい。

スクリーンが通常の映画館の3分の1といったところ。

観客の平均年齢は60歳を越えていそう。

原田芳雄年代が原田芳雄の死去のニュースを見て観に来たのではないかと思った。


狭い場内がざわついている。

嫌な予感がよぎる。


果たして映画が始まった。

嫌な予感が的中。

意味もなく、笑いとは関係のないところで笑う。

何でもいいから楽しまなくては損と思っているのか、とにかく最初から最後まで曖昧な笑い声がここかしこでわき起こる。

そして同伴者との無駄話。

的はずれな講釈をたれる話し声。

家庭でテレビを見ている感覚というか、町内会の茶話会といった感じ。

ということで、いまいち映画に入り込めなかった、今日は7月24日。

原田芳雄さんを忍んで、宮崎まで電車で「大鹿村騒動記」を見に行くことにした

 この数日、「なでしこ」と並んでとりあげられていたのが原田芳雄さん死去のニュース。

 原田さんのお通夜、葬儀には、年齢、職業を問わず、いろいろな方面の方々が参列していた。

 映画やテレビで見る印象とはまったく違う人間味のある面倒見のいい人だったそうだ。

 原田さんの家を訪ねると、いつもいろんな人が集って、飲んで食べて話をしていたそうだ。

 だから、1200人を超す参列者がいたのだろう。

 人間づきあいを大事にする、尊敬に値する人だ。

 そう思いつつも、私はというと人付き合いを極力削って、世間を狭く生きている。

 原田さん死去の報道で、いつも出てくる遺作となった「大鹿村騒動記」を検索してみたところ、宮崎市で上映している映画館があった。

 宮崎市にはイオンの中のシネコンしかないと思っていたのだが。宮崎キネマ館というのがあるようだ。

 ホームページを見ると、NPO宮崎文化本舗というところが運営しているようだ。

 宮崎市で1995年から開催している「宮崎映画祭」を企画運営してきた、「宮崎映画祭実行委員会」のメンバーが中心になって設立されたNPO法人だそうだ。

 これまで、自主事業として「宮崎映画祭」や文化講演会等の様々なイベントを行なってきたが、これまでの事業に加えて宮崎県内で行なわれている様々な文化的イベントを開催している個人・団体の磁力となり、事務昨日の中枢を果たす役割を担うことを目的としているらしい。

 で、場所はホテルメリージュの二階にあるとのこと。

 宮崎キネマ館もそこにあるようだ。

 見たい映画があると、宮崎市まで車で2時間かけて見に行くのだが、今日は運転が”よだきくて”(宮崎弁でおっくうの意)電車を使って見に行ってます。

 なぜだか映画料金は1000円とのこと。

 電車賃が5000円(特急料金含む)かけて見に行くのには少々疑問をいだきつつ、電車で宮崎まで向かっている、今日は7月24日。

 宮崎文化本舗は、これまで自主事業として“宮崎映画祭”、“文化講演会”等、様々なイベントを行ってまいりました。設立にあたって、これまでの事業に加え、宮崎県内で行われている様々な文化的イベントを開催している個人・団体の"磁力"となり、事務機能の中枢を果たす役割を担うことを目的としてホテルメリージュのビルの2階にあるようだ。

 市にはイオンの

2011年7月23日 (土)

なでしこに救われているかな?菅さん

 今日は、朝9時から中古住宅の案内。

 朝9時から物件案内をずるってことは珍しい。

 早くても10時過ぎってところだろう。

 そんなこんなで、今日は朝のワイドショーをゆっくり見れなかった。

 見ている限りでは、今日のトップニュースも「なでしこ」みたいだった。

 どの局も似たような話が多くて、チャンネルをあれこれ変えて見るのだが、「なでしこ」と遭遇することが多い。

 辞めると言ったはずの菅さんは一向に辞めそうもない。

 おそらく辞める気は無いのだとお見受けする。

 自分でなければ日本は救えないと勘違いしている菅さんの姿を見るて、日本中が耐えられない欲求不満に陥っている。

 そんな菅さんだが、「なでしこ」のおかげで、菅さん批判の時間が少なくなってしまっている。

 「なでしこ」の優勝を日本で一番喜んでいるのは、菅さんなのかもしれないなどと思っている、今日は7月23日。

2011年7月22日 (金)

なでしこ日本。宮間選手に注目している。

 なでしこジャパンのフィーバーはいつまで続くのか。

 今朝のワイドショーも「なでしこ」が一番。

 なでしこリーグが始まるということで、日本代表がそろってテレビに登場することは少なくなった。

 そんな中で、私は宮間選手に注目している。

 私は、宮間さんは天才的な勘と技を持っている選手だと感ている。

 (こうまで騒がれると私も、にわかサッカー評論家になったようで面はゆいのだが) 


 その宮間選手の、地に足のついた話しにも感心してしまった。

 曰く。「女子サッカーをフィーバーで終わらせない」「テレビで大きく出ることよりも、自分たちが生きるのはピッチの中」

 すごい言葉だ。

 なぜか、私は反省。 

基準値を超す放射線セシウムが検出された汚染牛は国が買い上げる

 国の基準値を超す放射線セシウムが検出された牛肉は国が買い上げるということになった。

 国の基準値は1キロあたり500ベクレル。

 490ベクレルだったら買い上げてはもらえないのだろう。

 1キロあたり500ベクレルというのが、どんな量なのか皆目わからないのだが、「基準値以下の300ベクレルしか汚染されてません」なんて表示した肉を消費者は買うのだろうか。

 風評被害で下落した価格についての補償はどうなるのだろう。

 中途半端な数値のセシウムが検知されるより、基準値以上のセシウムが検出された方がましなんてことになりはしないか。

 400ベクレルが検知されるくらいなら、いっそのこと汚染ワラをないしょで食べさせて基準値以上の汚染牛にした方が金銭的に得することになるんじゃないか、なんて思っている今日は7月22日。

2011年7月21日 (木)

誰もが思うことだろうけど、またしても内容がなかった菅さんの「脱原発」

 誰もが思うことで、新鮮味のない意見なのだろうが、菅さんの「脱原発」発言は内容の薄いものだった。

 誰もが菅さんの「脱原発」宣言は唐突に感じただろうし、根拠もなく国民へのウケを狙ったかのような発言にはみんな辟易しているわけだけど、それにしても菅さんの無責任発言はいつまで続くのだろう。

 国会で、当然のごとく菅さんへ「脱原発」の具体策を問われることになったわけだが、すべての質問に「議論していくべき」だとか「議論すべき」だとか、なんとも曖昧な答弁を繰り返すだけ。

 これが私たちの国の最高決定権者だと思い知らされるのも毎度のことで、こんな総理大臣を選んでしまった自分たちの失態をもまた思い知らされて、悔しがるべきか悔やむべきかなんともやるせないこの数カ月である。

 「原発をゼロにする、廃止することでいいのか」という質問には、「将来のどの段階でどういうところまて進めるか、議論を進めていくことが必要だ」との返答。

 質問に対する答えになっていない。

 「送電分離なくして脱原発はないと思わないか」という質問には、「太陽光、風力など小規模なものを集めていくには、今のようなものがいいのか、余談なく論議していくべきだ」と答える。

 これまた答えにはなっていない。というか、日本語として分析してみても意味不明な回答だ。

 「核燃料サイクル、再処理は辞めるというのが整合性がある結論では」と言われると、「核燃料サイクルを従来の計画に沿って進めるのか、見直すのか、余談なく議論すべきだ」と答える。

 「将来は原発をゼロにするということでいいのか」との質問には、「最終的に地球を救うのは植物だ。46億年の歴史を地球は経ているが、原子力に依存してきたのはわずか数十年。未来永劫、依存していかなければ成り立たないとは思っていない」との回答。

 さらに、「言い方が曖昧だ。総理の見通しを聞かせてほしい」とつめられると、「将来のどういう段階、どういうところまで進めるか議論を進めていくことが大切だ」と答える。

 この他、総理の「脱原発」の具体策について質問が続いたが、全部の質問に「議論を続けていくべきこと」との答えを繰り返すのみ。

 こんなことを私の実生活でやられたら、私は間違いなくちゃぶ台をひっくり返すだろう。

 と言っても、今はちゃぶ台なんてないからテーブルをひっくり返すか、事務所であればデスクをひっくり返して怒りまくるだろう。

 福島原発は予定通り終息に向かっているという発表があっていたが、嘘をつくのは当たり前になってしまった今の日本で、こんな発表を信じている国民などいるわけがない。

 最悪の震災が発生し、最悪の宰相が、日本を崩壊に向かわせているようで、いたたまれない毎日の、今日は7月21日。

2011年7月20日 (水)

大飯原子力発電所、手動で停止の秘める問題。

2、3日前、新聞の一面に、関西電力の大飯原子力発電所1号機の緊急炉心冷却装置の蓄圧タンクの不具合を受けて手導で停止したというニュースが報じられていた。

朝日新聞、日経新聞、読売新聞ともに一面で取り上げていた。

どの新聞も、関電の保有する11機の原発のうち2機が七月下旬に定期検査に入るため、現在停止中の原発をいれると11機のうち7機が使えなくなるということで、いずれも電力不足を強調するものだ。

新聞各紙では余り強調していなかったが、緊急炉心冷却装置を主導で停めたということのほうが重大なのではないだろうか。

蓄圧タンクというのがどういう代物かはわからないが、「緊急炉心冷却装置」というのは、炉心が異常に熱を発して、それを「緊急」に冷やさなければならない状況になったのに、その機会が作動しなかったから、あわてて手動で停めたということではないのか?

大飯原発も稼動を始めて30年以上の古い原発だ。

電力会社が事故につて本当のことを言わないのは経験済み。

その後、大飯原発についてとりたてて報道がないのが気になる。

大きな事故につながらなければいいのだが。

台風一過

 こちら(宮崎県延岡市)は、台風一過、さわやかな空。

Rimg0035

夏の空なのだけど、なぜかさわやかさを感じる。

朝のワイドショーは、こぞって「なでしこ」称賛の話だったし、今日は気分良くスタートしよう。

今、そして今から、台風の影響をうける地方の皆様の大過のないことをお祈りします。

2011年7月19日 (火)

なでしこ W杯優勝

サッカーの女子ワールドカップで、日本が優勝した。

昨日からのワイドショーニュースはこの話題で持ちっきり。

ワールドカップへの出発は話題にもならなかった。

それが、優勝となると大騒ぎ。

日頃サッカーを見ない人までが騒ぎの輪に入っている。

私もサッカーのテレビ観戦もしないし、あまり興味を持っていたわけではない。 

だから、未明に行なわれていた実況放送は見ていない。

それで、朝のワイドショーで試合のダイジェスト版見たのだが、「なでしこ」メンバーの気迫に満ちた試合には感動させられた。

絶対に優勝するんだという気迫がテレビの画面を通じてさえ伝わってきた。

そのひたむきさに大衆は歓喜し、感動し、称賛しているのだろう。



今日の朝日新聞はカラーの特集4面を含む全8面で「なでしこ軍団」の優勝を祝っていた。

そんな記事のなかにちらっと紹介されていたのが、女子サッカーの待遇の悪さ。

日本代表選手でさえ、通常勤務やパート勤務、アルバイトで生活を支えながら選手活動を続けているというのだ。

国内女子最高峰のなでしこリーグの選手約220人のうち、サッカーだけで生活が成り立っているプロは1割程度だそうだ。

年間を通じて使えるグランドを持たないチームもある。

シャワーがない施設で練習して、水道で顔を洗うだけで帰路につく生活。

最多得点と最優秀選手になったキャプテン澤選手の年俸が300万円という話しもある。

女子サッカー選手の不遇は海外も似た状況ではあるらしい。

こんな恵まれない状況を苦にもせず、サッカーを愛し、ひたむきにサッカーに取り組む姿が私たちを感動させたのだろう。


人生残り少なくなってきた私だが、これほどひたむきに何かに取り組んだことはなかったなあと反省。

「猿でもできる」反省ばかりの、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)おじさんの私だが、少なくなった残りの人生にちょっと思いをめぐらしたりしている今日このごろ、今日は7月19日。


それにしても、全国民を感動・歓喜させてくれた女子サッカー選手を、国は手厚く資援するべきだろう。

台風は大過なく

 大型で強力な台風ということだったが、私の住む宮崎県北地方では大きな被害なくすんだようだ。

 それにしても、どうしてテレビの記者は海岸から台風の状況報告をするのだろう。

 報じるアナウンサーは100m走でもしてきたかのように息をせっきって台風の凄さを報じる。

 猛烈な台風の状況がとれたほうが面白いのだろうけど、港からの中継だと海が穏やかなときもある。

 東電は大きな事故をひたすら隠すのだけど、テレビは現実以上に危機感を煽る。

 冷静に、正確な情報を伝えることが一番大事なのだ。

2011年7月18日 (月)

台風接近

台風が近づいている。

大型で強い台風らしい。

テレビが、大きな台風が来るぞと注意喚起をしてくれるのはいい。

退部に備えて対策をとれということだ。

しかし情報は正確に伝えてほしい。

被害がないことを祈りますと言ってはいるが、視聴者の、常ならぬ映像を求める好奇心を満足させる悲惨なシーンを追い求める。

被害がないことがいいのだが、被害が少ないとガッカリしているようにも見えるときがある。

今度の台風、日本列島に沿って北上するという予測のようだが、東北に大きな影響のないことを祈る。

2011年7月16日 (土)

カラカラカラと音が聞こえそうな、やることなすこと空回りの菅総理。

 「またしても」だった。

 菅総理が脱原発宣言を表明したが、これは菅さんの個人的な考え方だったという。

 総理のマスコミを招集しての記者会見で「私が責任を持っている間は私の段階で計画を立案する」とおっしゃったというのに、「個人的な考え方」だっと苦しい釈明。

 四面楚歌、瀕死の総理が、起死回生をはかっての脱原発宣言だったはずなのに、支持率は回復どころかさらに下落してしまった。

 大見得を切った言葉が、「個人的な考え方」だったと言葉を後退させた今世論調査をしたら10%を切るのではないだろうか。

 菅総理は、病理学的には精神的疾患とは言えないのかもしれないが、社会通念上の物差しではかると精神を病んでおられる。

 このところ、やることなすこと空回りで、国の命運を握る運転手としては病気療養を要する。

 近々辞めるはずの人が、大幅な内閣改造をすると言って驚かせたとおもったら、結果は一人入れ換えただけ。

 復興担当大臣の松本さんは方言問題を起こし、就任後9日で辞任。

 それについて任命責任は自分にあると認めたのに、責任はとらない。

 海江田経産大臣が、玄海原発再開について地元の同意をとった直後に、ストレステスト導入を突然のように言い出す。

 怒った海江田経産大臣は辞意を表明。

 まったく支離滅裂な言動をしながらも、自分でなければ日本は立て直せないと思っていらっしゃるようだ。

 松本前震災復興大臣の暴言は軽い躁状態が原因だかもしれないという発表があっていたが、菅さんの盲動の方が病状は重いのでは?

 民主党の若手・中堅議員が菅さんの辞任要求決議をしたというが、そんなことで菅さんは辞めるはずがない。

 辞めない菅さんを辞めさせようとしても時間の無駄。

 本当に国を救おうと思うのだったら、菅さんに「辞めなくてもいいから、これをしてください」と解決策をどしどし提案することだ。

2011年7月15日 (金)

ニュースを見ない日

 今日は朝から取引が入っていて、それを終わらせてそのまま大分に向かった。

 大分市に行ったのは、大分に転居された売主さんとの商談を煮詰めに行ったのだが、会えずじまいに帰ってくる結果になってしまった。

 電話で前もってアポイントをとると、電話で話せと言われるから、連絡無しに行ったのだが連絡がとれず、売主さんを待つこと4時間。

 待ち時間に、マリンパレス水族館に行ってみた。

 今年の正月に鹿児島の「いおワールド水族館」に行って、水族館に魅せられて、各地の水族館に行ってみたいなとおもっていたので、待ち時間を利用して水族館に足を伸ばしてみた次第。

 大分市内をうろちょろしてみたりもしたが、売主さんとは連絡がとれず、ただいま帰宅。

 ということで、今日はテレビのニュースを見ていない。

 震災のことも原発問題も、いっこうに進展していないのだろうが、テレビを見ないでいるといらいらしないですむということがわかった。



 事務所に戻って、事務員さんからの連絡事項を確認したが、特記事項は無し。

 今から自宅に戻って、テレビを見たらまた、いらいらさせられるのだろうか。

 いっそのこと、今日はテレビをつけないでおこうかと思っている。

 

 

2011年7月14日 (木)

菅内閣、支持率急下降、12.5%。

  時事通信が実施した世論調査によると、菅内閣の支持率は前月から9.4ポイント急落し12.5%になったという。

  民主党政権発足以降、最低を更新したわけだ。

不支持率は11.66ポイント増の71.12%というから、もう瀕死の状態だ。

再生可能エネルギー法案だとか、ストレステストだとか、昨日にいたっては反原発依存宣言ともとれる記者会見を開いたり、国民に受けそうなことを付け焼き刃的にあれこれやってきたのだが、国民は馬鹿ではなかった。

延命を図る菅さんの目論見に反して、国民は駄目を出した。

  支持率12.5%というと、10パーセントを割って歴代内閣最低の支持率で辞任に追い込まれた森喜朗さんの記録を破りそうな勢いだ。

  不支持率71%は森嘉郎さんの74%にすでに肩を並べている。

森さんが最低の総理大臣という印象を残していたが、菅さんはその比ではないだろう。

菅さんのお陰で森さんは若干名誉回復できることだろう。

それにしても、自分の能力の無さにまったく気がつかないというのは、最悪のお粗末さだ。

それを選んだ私たちもお粗末な国民なのだろう。

  年がら年中世論調査を実施する昨今、早晩菅さんの支持率は10パーセントを切ることだろうが、菅さんは本当に支持率1%でも総理大臣を続けるのだろうか。

2011年7月13日 (水)

双葉郡被災者住民がデモ行進。被災者数万人が団結して国会をデモすれば政治は変わる。

福島第1原発事故で避難を強いられている福島県双葉郡8町村の住民が、事故の早期収拾や補償を訴えて「ふたばぐんの住民を忘れるな!緊急決起大会」を開き、その後国会議事堂周辺でデモ行進をした。

決起大会では「双葉郡の子どもたちに未来を取り戻そう」というメッセージを採択し、その後参加した避難者約500人が、「避難者の生活保証を」「双葉郡を忘れるな」「東京電力はうそをつくな」などの横断幕を掲げ国会周辺を行進した。

日比谷公園で開かれた決起集会では、「(世間の)関心が薄れると復興が遅れてしまう。まず声を上げよう」と呼びかけ、与野党の国会議員が壇上に上がると「政治家は仕事をしろ」と、怒りの声も上がったという。

毎日のように、テレビも新聞も、菅政権や国会議員に対して、政局を忘れて被災者のことを考えろと言い続けている。

国民の全員が、まずは復興に専念してくれと悲痛な声を上げている。

政治家も、復興に専念すべきだと言っている。

しかし一向に復興への対策は進まない。

すでに震災から4カ月、ずっと堂々巡りだ。

なぜ国民は怒らないのだろう。

昨日の双葉郡の被災者の方々のデモが、この4カ月間で始めて見た怒りの行動だった。

マスコミが、ほんとうに菅さんを代表とする日本の政治を糾弾しようとするのであれば、もっとこのデモを大きく取り上げるべきではないのだろう。

デモの参加者を取材し、デモを支援する姿勢で報道して、国民の怒りに火をつけるべきだろう。

平和ボケした日本は怒ることを忘れてしまっている。

なんがかんだといっても平穏に暮らせているから、不満が爆発して暴動が起こるようなことはない。

国民がいっせいに怒りを行動に移し、国会議事堂前に数十万人が集結することができたら、日本の政治も変わるのかもしれない。

震災に無関係な人たちを集結させるのは無理だろうが、被災地の方々は怒りを行動に移すべきだ。

おとなしく修復してくれるのを待っていても、政治屋たちは被災者の救済より自分たちの権力闘争を続けることだろう。

今回声を上げた双葉郡の方々は、被災地の中でも忘れられた存在になっていることに怒りを感じて行動を起こしたようだが、500人では大衆の好奇心を煽るニュースにはならなかった。

500人よりは、5000人。

5000人よりは、5万人。

そんな動きになれば、テレビが動く。

もし、10万人が国会周辺に集結することになれば、必ず政治は動く。

2011年7月12日 (火)

菅おろしを言う人は、おろしたあとのことも言うべき。

震災から4カ月になる。

被災者の方のみならず国民全部が、政治に対して憤っている。

政局を捨てて被災地の復興に専念してくれと声高に叫んでいる。

テレビ、新聞、週刊誌、全てのメディア、全てのコメンテータ、評論家が同じことを言い続けている。

しかしどんな声も菅さんには届かない。

菅さんは精神的に病んでいるのだ。

医学的には精神病とは言えないのだろうが、できもしないことをできると思っているというのは精神的障害と言うべきだろう。

菅さんが市井の一市民ならいい。

しかし国を動かす最高責任者としてはまったく不適な人なのだ。

強制的な措置入院が必要な状況だと思うのだ。

それにしても、菅さんでは駄目だとは思うのだが、それでは他に自分が総理大臣になって日本を救う明確な表明をする人が一人もいない。

菅さんでは駄目だという。

では、菅さんを辞めさせて誰が最高責任者としての責任を担うのかというと、いまだに誰も手を挙げる人はいない。

菅さんの代わりに誰かを指示して、その人を先頭に復興にむけて政策を振るうという話しもない。

菅さんでは駄目なのは明白だけど、菅さんが辞めるとなったら菅さんの後釜争いを繰り広げることになるのだろう。

菅さんでは駄目だという人は、菅さんの後の人事や政策を語るべきだ。

与野党口を揃えて辞めろと言っている菅さんだけが「総理大臣をやる!」と言っていて、他のどなたも「俺が総理大臣をやる!」とは言わない。

菅おろしを口にするのなら、おろした後のことも同時に言うべきだろう。

2011年7月11日 (月)

天下国家の前に、自分の足元が危うい。

 今日は、忙しかった。

 収入につながる忙しさじゃなくて、内部的な問題でいろいろありました。

 自分のブログで何度かぼやいたことがあるが、本来の私は、天下国家を論じているどころの立場ではない。

 自分の足元も危ういのに、天下国家を憂う余裕などないのだ。



 今日は、自分に降りかかったトラブル処理で一日忙殺された。

 起こったことはしょうがない。

 前向きに立て直す気力がなんとかわいてきました。




 
ということで、明日はまた天下国家に口をはさむかもしれない、今日は7月11日。

2011年7月10日 (日)

「ストレステスト」とは?

「ストレステスト」とは、めったに起こらない事態で生じる負荷(ストレス)に耐えられるか、安全性の余裕度をコンピュータで計算して調べる検査のこと。

欧州連合(EU)ではすでに実施されている。

EUは、東日本大震災のような大規模な地震、洪水などの自然災害のほか、飛行機墜落事故などの事故や仁最適な被害をも想定している。

原子炉の素材や厚さなどのデータをもとに余裕度を計算する。

ただし、コンピュータで余裕度を計算するわけで、EUでのストレステストは原発を動かしながらやっている。(以上、日経新聞7.9)

というのが「ストレステスト」の意味合いだ。

なんで「ストレステスト」というわかりにくい単語を使うのだろう。

実験の内容からも言うと「過重負荷実験」とでも言ったら良いのだろうか。

単純に「負荷実験」とでも言った方がわかりやすい。

そもそも「ストレス」と言う言葉は、日常では「ストレスがたまる」とか「ストレスのせいで体調を壊した」というような言い方でしか使われない。

広辞苑でも、①[言]語のある音節を際立たせるために強化される力の程度。②[理]応力。③[医]・・・心身の機能変化。④俗に、説心的緊張をいう。という解説で、今回のストレステストにふさわしい意味合いはない。

ひまなもので、英和辞典を引いてみたら、一番最初の意味が、圧迫、圧力、重圧、とある。

これならなんとなくわかる。

圧力や重圧をかけてテストするというわけだ。

英語に堪能な人はストレスというと、この語感を感じているのだろうが、私のような一般大衆はストレスという言葉には心身に以上をもたらす「ストレス」という語感しか感じない。

言い続けているとなんとなく慣れてしまうカタカナ語もあるのだが、「ストレステスト」という言葉は、慣れ親しめそうにないカタカナ語である。

2011年7月 9日 (土)

延岡市、山下通り新天街「七夕祭り」

 今日から1週間、私の町延岡市山下通新店街では七夕祭りが開催されています。

Rimg0016

 Rimg0020_2

  仙台や平塚のものに比べると、ちょっと負けているような気がします。

  ちょっとじゃないかもしれません。

  でも、結構頑張っている人もいます。

Rimg0021 Rimg0022 Rimg0023 Rimg0024 Rimg0026 Rimg0028 Rimg0029 Rimg0030

 この山下通新店街には、私の実家がありす。

 今も家はあるのですが、私が実家の跡を次がなかったものですから、今は商売はやめてシャッターをおろしたままです。

 昔はもっと大掛かりな飾りつけができていました。

 延岡市で一番の商店街で、どんな小さなお店でも従業員が2~3人はいましたから、みんなで花を折って、競い合って飾りつけをしたものでした。

 今は、3割くらいのお店がシャッターを閉じたままです。

 従業員のいる店も少なくなってしまって、シルバー世代の経営者だけの店が多くなって、飾りつけも年々小さくなってきています。

 でも、最近は商店街以外からの出展もあったりして、結構頑張っています。

 写真にある力作は、どれも個々の商店の手作りですよ。

 来週の土曜日まで展示してますので、ぜひお越しください。

 

菅総理は精神的な病気かもしれない。総理大臣が精神的に異常をきたしたときに、辞めさせる手段はあるのだろうか。②

昨日は、急に用事がはいってしまって書きかけたブログをそのままアップしてしまった。

で、続きだが、私は菅総理大臣は精神的に病んでいるのだろうと想像している。

そのことは、震災から1カ月の4月にそう感じて、ブログにも書いた。

それからさらに2カ月。

菅さんのやっていることは、まったく一貫性が無い。

自分が世間に受け入れられると思いついたら、即断即決、思いつきのまま発言する。

一国の総理大臣の言葉の重みをわかっていらっしゃるのだろうか。

G8では突然に、「20年代の早い時期に、日本の発電量に占める太陽光などの自然エネルギーの割合を20%超にひきあげる」と演説をぶった。

20%という数字の根拠は、どこにも見当たらなかった。

そして、ある時には突然に、浜岡原発を止めてしまった。

浜岡原発だけがなぜという説明は希釈なものだった。

もう震災から4カ月になる。

菅さんの復興に対する根幹になる思想がまったく見えない。

これは私が言うまでもなく、国民みんなが思っているし、マスコミ、評論家、コメンテーター、菅さん以外の政治屋も同じことを言っている。

内閣不信任案が通るかもしれないと思っていたら、辞任を匂わせて延命し、その後も迷走を続ける。

今回の「ストレステスト」発言は異常としか思えない。

尋常の沙汰ではない。

海江田経産相は佐賀県知事に対して「危険性のない所は政治の判断で動かす、本当に危ない所は責任を持って止める」「玄海2、3号機の安全性には国が責任を持つ」と運転再開を要請した。

海江田さんは、産業界からの要請を受け、悪役をかって出て現実路線を通そうとしたはずだ。

そして、菅総理はそれを指示する見解を発表した。

その結果、玄海町町長は玄海原発再開原発の容認を表明し、佐賀県知事も容認の姿勢をとった。

菅さんが「ストレステスト」を行なうと言い出したのは、その直後のことだ。

「安全性には国が責任を持つ」と言って原発再開に踏み切ろうとした矢先に、「危ないかもしれないからストレステストを行なうことにする」と言うのでは、混乱が起こるのは当たり前のこと。

マスメディアのどなたも触れることがないようだが、私は菅さんは精神的に病んでいらっしゃるのだと思う。

総理大臣を辞めたくないのだ。

そして、総理大臣の職務は自分以外のものではできないと勘違いされている。

これだけ明白に混乱を招いても,その異常さを自覚することは無く反省することも無い。

民主党の重鎮たちが辞任の要請に行くというが、菅さんは絶対に辞めないだろう。

唯一辞めさせる方法としては、全閣僚を始めとする政府養殖についている議員が全員辞表を提出すしてはどうだろう。

今回の海江田さんなど、なぜ即座に辞表を提出しなかったのだろう。

腹立ち真切れに辞めたのでは大人げないが、国会で辞任を要求されたときがチャンスだった。

野党の追及に答えて、「おっしゃるとおり、責任をとらせていただきます」と辞めてしまえばよかったのだ。

菅さんは辞めろといっても絶対に辞めない。

「民主党はすでに政権政党の態をなしていない」というのは与党からも出ている言葉だ。

政権担当能力がない集団が政権の座にいても、混乱は深まるばかり。

それは、この4カ月が実証している。

こんなことだったら、2カ月前に総選挙をして新たな政権で復興政策をやり直した方が良かったかもしれない。

ここは、ひとつ、菅総理が精神を病んでおられるのだと理解して、荒療治をして、精神を病んだ菅さんが解散と叫んでしまったら、そのときは総選挙の道を行くしかない。

結果的にその方が早いのかもしれないと思う、今日は7月9日。

2011年7月 8日 (金)

菅総理は精神的な病気かもしれない。総理大臣が精神的に異常をきたしたときに、辞めさせる手段はあるのだろうか。

 今回のストレステストを大問題化してしまった菅総理の言動は、精神的な病気を患っているとしか思えない。

 もし、総理大臣が精神的に異常をきたした場合、現行の憲法その他関係法規に照らし合わせて、総理大臣を辞めさせる手段はあるのだろうか。

 

2011年7月 7日 (木)

地デジのなぞ

 地デジ終了まであと17日だそうだ。

 スマップの草薙さんがCMで、「ご協力ありがとうございました」とお礼をいっているところを見ると、移行は滞りなく行なわれているのだろう。

 私の家でも、5月に地デジに変えたのだが、地デジのよさはまったく享受していない。

 チャンネルが複雑で、使いにくいこと限りない。

 私は、パソコン歴20年だ。

 パソコンの達人ではないが、器械音痴でも無い。

 新し物グッズマニアと言われ(自分ではそうはおもっていないが)、スマートフォンも使いこなしている。

 そんな私だが、地デジのチャンネルは不可解きわまりない代物だ。

 ボタンを押し間違うとテレビが見れない。

 ハイビジョンだかなんだかしらないが、画面がチョーきれいになると言っていたが、いままでだって充分きれいだった。

 今まで以上のきれいさは感じられない。

 それどころか、画面が乱れることが多いような気がする。

 テレビなんてのは、「娯楽の王様」(少なくとも私にとっては)なんだから、そんなに複雑な操作なんて無しであつかいたい。

 パチッとつけて、チャンネルボタンをポンと押すだけがいい。

 国家の一台プロジェクトとして、一挙にデジタル放送にすることに何の意味があったのか、理解できている国民は何人いるのだろうか。

 大きな利権を生み出すことが最大の目的だったのではないかとしか思えないのだけど、いかがなものか。

原子力発電、本当は何がおこっているのだろう。

 だれもか感じたことだろうが、

 つい1週間ほどまえに、海江田経済産業大臣と会見した古川康 佐賀県知事が、「安全性の確認はクリアー」できたと、ちょっとおかしな日本語ではあったが、安全宣言ともいえる発言をした。

 それを受けて玄海町長は原発運転再開の容認を宣言した。

 その後、原発の「ストレステスト」を行なうとのこと。

 一体、これまで発表してきた安全性に問題ないという発表はなんだったのだろう?

 海江田大臣との会見後の古川知事の「安全性の確認はクリアーできた」発言はおかしいということは会見の次の日に書いた。

 そのときにも言ったが、国の言う「安全」と言う言葉を信じている国民はいない。

 信じたいけど信じられない不幸な国民に成り下がらされているのが、いまの日本の現状だ。

 だれもが感じていることだろうが、

 すでに安全宣言をしているのに、いまさら「ストレステスト」をやって安全性をチェックするということでは、国民は不安に陥る。

 国民に原発不信を招くことを承知で、こんな不自然極まりないことをやらざるを得ないほど、日本の原子力発電所は危機に瀕しているのだろう。

玄海原発、発電再開容認のメールを依頼した事件発覚での、九電真部利応社長は誰の指示で動いているのだろう

 誰もが感じたことだろうけど、玄海発電所再開を容認するメールを依頼した「やらせメール」についての記者会見での、九州電力真部利応社長の言動はおかしい。

 やらせメールは社長の指示があったのかという質問に対して、「それについてはノーコメントにしたい」と答えた。

 それに対してさらに同じ質問を受けると、「誰が指示しようが、指示をしてなからろうが、責任は社長にある」

 「社長が最高責任者だ」と答えた。

 「ノーコメントというのは、関与しているということととらえていいのか」

 「関与指定なのならば、していないと言えばいい」と、記者団の追求は続き、ノーコメントを続ける社長との間にどうどう巡りの質疑がつづいていたところに、社員の方から社長にメモが届けられた。

 そのメモを読むなり、社長は「責任は社長にあるが、指示はしていない」と、それまでの発言を変えた。

 その一部始終はテレビカメラの前で演じられた。

 いったい、この社長は、だれの指示の元で会社を運営されているのだろう?

 これはテレビを見ていた全ての人が感じたことだろう。

2011年7月 6日 (水)

復興大臣を辞任した松本龍志は、被災者に寄り添うことに責任と使命感をもっておられるのだ。

震災復興大臣を辞任した松本龍氏は、被災者に寄り添うことに責任と使命感を持っておられた。

松本龍氏が震災復興大臣を辞任された。

松本氏の問題発言は3日。

4日の午前中には、発言は「問題ない」と答え辞任の意志はないと言っていた。

4日午後には、お詫び会見。

そして、5日朝、辞任。

またしても政治空白がおこるのかと思っていたので、この突然の辞任は評価に値する。

ただ、辞任会見での言動を見ていると、まったく悪いことをしたとは思っていないことは明白だ。

お詫び会見、辞任会見ともに、さらなる反感を買うための発言を連発していた。

松本龍氏の一連の姿を見ていて、私は、松本氏は「被災者に寄り添って」おられるのだろうと思った。

松本氏は、全身全霊で「被災者を救おう」と思っておられるのだと思った。

自分の言動に一部の過ちはないと思われているのだ。

テレビ報道を見た人のすべてが絶望と嫌悪感と反感を感じているということなど、松本氏はみじんも感じていないのだ。

国民全員が感じる感情が彼にはまったく理解ができないのだ。

それは松本氏だけのことではなく、大多数の日本の政治家も同じことだ。

国民全員が声を大にして政治をしてくれと言っている言葉が聞こえていない政治家ばかりだ。

その姿を具体的に国民に見せつけてくれたのが松本氏なのだ。

いつまで国民はこれをがまんし続けるのだろう。

かくいう私も、悲しいかな、その一人なのだ。



松本人志さんがバスの中で、「どこかのだれかが、なんかええ感じにしてくれへんかなー」と嘆いている、キンチョールのコマーシャルが好きだ。

国民の多くが、民主でも自民でも、公明でも共産でも、だれでもいいから、「だれか、いい感じにしてくれないか」と思っているはずだ。

そんな国民が手をとりあって、「どこかのだれかさん」を作りだす運動が起きれば、是非参加したいと私は思っている。

どなたか、「どこかのだれかさん」になると手を挙げていただけないだろうか。

2011年7月 5日 (火)

「カップヌードルごはん」いよいよ全国発売決定

今月25日、ようやく「カップヌードルごはん」が全国発売になる。

「ようやく」というのは、この商品、昨年8月に近畿地方限定で先行発売されたのだが、予想を超える人気で、発売後すぐに発売休止になった。

ちょうどそのころ、生米からパンを作るサンヨーの「ゴパン」も予想をはるかに超す注文が殺到して発売延期になった。

そのことは、9月3日と4日のブログに書いた。

その後、ゴパンは発売再開されたが、カップヌードルごはんの噂を聞くことがなかった。

新しいもの好きの私としては、どうなっているのかとやきもきしていたのだが、今日の日経新聞に記事として紹介されていた。

「カップヌードルごはん」は、電子レンジで調理できるご飯だ。

「カップヌードル」を食べてしまったあとのスープにご飯を入れて食べる人が少なくなことから、日清がカップヌードル味の電子レンジ調理ご飯を作ってしまったというわけだ。

カップヌードルのイメージを生かした4角のカップの中に入っている、米、具、スープの素に水を加えてかき混ぜて、フタをしめたら電子レンジで5分。最後に香味油を加えてかきまぜればで出来上がり。

味は、カップヌードルの風味そのままで、米は炊飯器で焚いたものと比べても遜色ない食感を創り出しているという。

具材の効果で、チャーハンのようの味わいが楽しめ、おにぎり2個分のボリュームで、お腹も満足できるというものだ。

これから先、発売にむけてCMが展開されて、超人気になるのだろうが、またしても幻の商品になるのではないかと、少々心配している新し物好きおじさんなのである。

   詳細は、ここ(日清の商品情報サイト)をどうぞ

2011年7月 4日 (月)

松本龍震災復興大臣が宮城県知事を叱責したニュースは、菅内閣の政権担当能力欠如のあらわれ。

今朝のワイドショーの、松本龍 震災復興内閣府特命担当大臣の信じられない暴言をはく姿に、らわたが煮えくりかえる思いがすると同時に恐怖を覚えた。

松本龍震災復興大臣が宮城県知事を訪れたときに、知事が数分遅れて来たことに激怒しての発言だった。

防災大臣を兼任している松本大臣が、霞が関にいて、震災復旧にどれほどの尽力をしているのかはまったく見えていない。

しかし、知事は震災直後から被災地のど真ん中で、目の前の被災者の復興に一秒たりとも気を休める間もなく働きづめであろうことは想像できる。

そんな時間に追われている知事が、自分を出迎えていないということで激怒する姿は異様としか言いようのないものだった。

ワイドしーょに流れた、ニュースのの一部始終は次のようなものだった。

アナウンサー「松本龍復興大臣が就任後始めて、今日宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹をたて、知事を叱責しました。」

アナウンサー「宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで、顔色が変わります。」

松本大臣「(村井知事が)先にいるのが筋だよなあ」

アナウンサー「数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります」

アナウンサー「そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自分の考えを伝えます。」

このアナウンスの間、画面には最敬礼をして要望書を提出する村井知事と、それをぞんざいに受け取る松本大臣の姿が映っていた)

その後、松本龍大臣の発言が映像とともに報道されたいた。

松本大臣「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ、ちゃんとやれ」

松本大臣「今、後から自分(村井知事)は入って来たけど、お客さんが入ってくるときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序が分かっている自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」

村井知事「はい」(村井知事の顔はがちがちにこわばっていた)

松本大臣「しっかり、やれよ。」

松本大臣「今の、最後の言葉は、オフレコです。いいですか、みなさん。いいですか。はい。書いたら、もう、その社は、終わりだから。」

これがニュースに流れた一部始終。

このニュースは、ユーチューブで「松本龍」と検索すると、数個の画像が見れる。

「復興担当」大臣という立場をどう捕らえているのだろう。

被災地を救うための最高責任者が、被災地で秒単位で奔走する知事が、ほんの数分遅れたことでこれだけ激怒するというのは、職務のなんかるかをわかっていないのではないか。

こんな人間が復興の権限を握っているということに、憤りを感じるとともに恐ろしいものを感じる。

被災者を救うための最高責任者が、「自分を大事にしないと助けてやらないぞ」と思っているのでは被災者は救われない。

さらに最悪なのは、「オフレコ」発言。

「これを書いた社は終りだから」とは、なんたる発言。

言論弾圧だ。

朝のワイドショーでは、まだマスコミの足並みがそろっていないのか、取り上げ方が小さいようだったが、これは罷免が当然の発言だろう。

これを罷免しなかったら、菅さんには、総理大臣の資格がないことの決定的な証明になるだろう。

龍復興大臣だけのことではなく、菅総理始め国会議員の多くが同様な人間なのだ。

そして、それは、それを選んできた私たちの大きな過ちなのだということを再認識しなければならない。

2011年7月 2日 (土)

IMF前専務理事、強姦未遂事件不起訴の方向。被疑者に虚偽の訴えの疑惑。

  強姦(ごうかん)未遂など七つの罪で起訴された国際通貨基金(IMF)前専務理事のドミニク・ストロスカーン被告(62)に襲われたと訴えたホテルの女性客室係(32)の供述に複数の虚偽が見つかり、起訴が取り下げられる可能性が出てきた。米ニューヨーク・タイムズ紙が6月30日、捜査当局の話として伝えた。(朝日新聞11.7.2)

 なんとも、間違いではすまない大きな問題だ。

  IMFのトップ人事に影響を与え、来年のフランス大統領選の行方を大きく揺るがした大きな事件だった。

 強姦や痴漢といった猥褻関連の事件は、人間の興味をそそるだけに、マスコミは大喜びで大きく取り上げ、事件をことさらに煽り立てる。

 そして、この種の事件は被害者の訴えだけを取り上げ、被疑者の抗弁をいっさい受け付けないことが多い。

 事件の多くは、被害者助成の訴えのみで逮捕に至る。

 逮捕と同時に、被疑者の社会的信用は完全に失墜してしまう。

 今回の事件はその典型だろう。

 被疑者となったストロスカーン氏は、IMFの専務理事の重責を担い、時期フランス大統領選挙ではサルコジ大統領の再選を阻む有力候補だった。

 今回不起訴となれば、大統領選に出馬するという話もあるが、事件が悪影響を及ぼすことは必至だろう。

 一国の大統領選にも大きな影響を与える事件だっただけに、欧米のマスコミでは大きく取り上げられているが、それでも逮捕の時の騒ぎぶりに比べたらその何分の一といった取り上げられ方だろう。

 日本のテレビ報道ではちょっと触れる程度の報道でしかない。

 
 起訴が取り下げられることになれば、ニューヨークの捜査当局にとっては歴史的な大失態となると言われているが、ストロスカーン氏の人生を狂わせたことの重大さと思えば、失態で済まされる問題ではない。


 
以前、私のブログに書いたことだが、私の友人の友人がこの事件同様のまったく虚偽の訴えで強姦犯として逮捕され、新聞にでかでかと報道された。

 事件は被害者の狂言ということが判明し数日間の拘留で釈放されたが、無実を報道してくれるメディアは1社もなかった。

 かれは、周囲に疑惑を持たれたままで職も無くし、ひっそりと故郷に帰って行った。

 メディアは、大衆の興味をそそる事件については大々的に報道するが、無実であったとしても何の訂正もしてはくれない。

 こんな事件を見るとき、心配性の私は、自分がこのような状況に陥れられるたらどうしようと不安になってしまう。

2011年7月 1日 (金)

猛暑報道と、増税報道

 猛暑、猛暑と、そもそも暑いなあと思っているのに、ことさらに言われると、余計に暑さが増してくる。

 佐賀県知事が、海江田万里経済産業大臣と話をして原発の安全性を確信したと言っていた。

 海江田さんは、確か法学部のご出身で、原発に精通しているとは思えないのだが、なぜか古川佐賀県知事は安全性を確認できたそうだ。

 海江田さんは経済産業界の代表として原発再開を急いでおられる。

 その意向に沿った会談だったわけで、それは古川知事の地元対策のための儀式でしかない。

 とにかく、政界・財界の上のほうでは原発再開が当面の目標のようで、見えざる力が原発再開に向けて働きかけている。

 菅総理が浜岡原発の再開を凍結したのも、浜岡原発は危険だから停止した。

 危険なものは稼動させないぞというポーズをとって、それ以外は安全がたら再稼動してもいいと言うための浜岡原発停止措置ではないのだろうか。

 とにかく、政財界のお偉いさんさちの間では、原発再開は規定の路線になっているに違いない。

 テレビは、それら大企業の広告代で経営が成り立っているわけで、ジャーナリズムという表面の顔とは別に、営利企業としての姿もあるわけで、ジャーナリズムを演じつつ国民を大企業の思う方向に誘導する、いわば羊の誘導犬みないなものではないかと思うことがある。


 という話のもとに、本題に戻るが、テレビが「暑い」「暑い」と大騒ぎして視聴者を灼熱のルツボにおとしいれようとしているのは、猛暑→電力不足→原発再開止むなし、という台本によるものではないのだろうか。

 テレビは慣れたもので、その台本をうまく演じているが、残念ながら政治屋さんたちの演技のなんと下手なことか。

 拙速な言動が目につき、原発再開に向けての魂胆が見え見えである。


 電力不足の結果、大停電が起こると脅しをかけたりもするのだが、ここは国民は冷静になって、本当の姿を見つめなければならない。

 発電コストについても、原発事故が起こったあとの修復を考えると、原発による発電が一番安いとは言えないだろう。

 原発周辺から避難されている方のことを考えて、誰も大きな声では言わないが、私は、福島原発事故はチェルノブイリより深刻な事態に向かっているのではないかと不安でしょうがない。

 テレビは庶民の味方を演じつつ、徐々に国民を企業の思惑の方向に誘導する。

 今までは、該当インタビューでも「原発反対」の意見を多く取り上げていたが、これから先は「原発の当面の存続はしかたがない」という意見を多く取り上げていくことだろう。

 当初から原発容認の報道をすると国民の反発を受けるから、当初は世論に合せた立ち位置をとり、時間をかけて原発止むなしへともっていきつつあるのだ。



 街頭インタビューの形をとると、さも一般庶民の意見を直接報道しているように見せかけられる。

 生放送ではないから、都合のいい意見の比率を多くして放送することによって、世論は簡単に誘導できるのだ。

 昨日、政府・与党が示した消費税10%増税について国民は大騒ぎになっていない。

 震災に便乗して、ここぞとばかりに増税に舵をきりつつある。

 例によってテレビの報じる該当インタビューでは、国民の多くが震災復興の為に増税はやむを得ないと思っているかのような発言が数多く放送されている。

 政治屋と官僚、公務員の無駄遣いをそのままにしての増税には、みんなで「嫌だ」と声をあげようではないか。

パナソニックが冷やごはんを利用できるホームベーカリーを発売する。サンヨーのゴパンの対抗馬になりうるか?

 パナソニックが、余ったご飯を有効に使ってパンを焼けるホームベーカリーの新製品を9月20日に発売すると発表した。

「ご飯からパン」というと、去年、サンヨーの「ゴパン」が大きな話題になった。

 これは洗った生米をいれると、それを粉にしてパンに焼き上げてくれるというものだった。

 発売前に予約が殺到して商品が間に合わず、発売日を数カ月も延期しての発売だった。

 それでも、商品の生産が間に合わず、未だに店頭ではなかなかお目にかかれない人気商品だ。

 生産が間に合わず品薄状態が続いているので、テレビCMを始めとするコマーシャルも控えているため、知らない人は知らないままだが、知る人の間ではいまだに手に入りにくい人気商品だ。

 今回パナソニックが発売したのは、余ったご飯を有効に使うというもの。
 
 小麦粉に余った冷やごはんを混ぜて作るというもので、もちもちとした触感のパンができるそうだ。

 価格は3万6千円前後になるそうで、「ゴパン」の5万円超の価格と比較するとこれまた人気商品になるかもしれない。

ゴパンの人気にあやかって、うまいこと考えたようだが、加えられるご飯の量は200グラムまでというから、そうたいした量じゃないような気がして、ゴパンのような爆発的な人気にはならないかもしれない。

そもそもホームベーカリー市場は2005年以降、毎年2ケタ成長を続けている儲かり部門で、昨今の節約志向に乗って販売拡大を目指すということのようだ。

 このパナソニックの新製品は、小麦で作るパンは、従来よりも低温でゆっくり発酵させることで、イーストの量を従来の半分にしている。

 内側の加熱素材の熱効率を高め、川が薄くてパリッとした高給食パンのように仕上がるというのも売りにしている。

 これまた買いたくなる商品だ。

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ