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2011年9月

2011年9月30日 (金)

心の痛む広告

 当地(宮崎県の北端の街、延岡市)の夕刊デイリー新聞というローカル夕刊紙に下記のよう広告が掲載されていた。

 全文は次のとおり。

 『9月中旬、ある山奥で親犬と小犬3匹(生後1カ月~2カ月位)が捨て犬になっておりました。骨と皮になった親犬で雨の中お乳もでないであろうそんな体で小犬にお乳を飲ませている姿を見つけ、あまりの姿に胸が締め付けられそうな思いでした。餌を与えるのをためらいましたがそんな姿に耐えられず何度か与えました。子度瀬を護るのは人間だけでなく動物も同じなんだと涙が出てきました。先日、あの親子が延岡保健所に保護されたと聞き、あの犬はこの先どうなるのだろうか、飼ってあげられない事に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私共も歳が若くないのと、保護した犬と猫を何匹も飼っております。どうしてもこれ以上は飼えず、もし広告を見てくれた元の買主の方が現れてくれて延岡保健所に迎えに行ってもらえればと思う気持ちと、新しい買主の方が見つかればとの思いです。   一読者』

  1万円の広告代を払って、広告として動物愛護を訴えておられた。

  私の家でも今、捨てられていた猫を2匹飼っている。

 この20数年間に、捨て犬3匹、捨て猫3匹を飼ってきたけど、せいぜい1度に変えるのは3匹くらいが限度だ。


やせさらばえた親犬や、出ない乳にしゃぶりついている小犬の姿を思うと、心が痛む。

 そして、広告代を負担してまで訴えておられる「一読者」さんに頭が下がる思いだった。

 

2011年9月29日 (木)

懸案の仕事、一応無事終了。

 この1カ月追いまくられてきた仕事が、今日終わった。

 何度も屈辱感を味わわされながらの仕事だった。

 自分一人での仕事だったら、取っ掛かりの時点で謹んでご辞退申し上げていた商談だっただろう。

 仲のいい不動産会社とのチームプレーだったから、追いまくられながらなんとか今日を迎えさせていただいた。


 高い授業料を支払い、屈辱感と自己嫌悪にまみれた仕事になったが、私にとっては良い薬だったとも思える。

 常日頃、平気でよだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)不動産なんてうそぶいている怠惰な私に強烈な活を入れていただいた。

 そして、これまでこんな私を許してくれて生かしてくれてきた多くの人々に心から深く感謝させられた、今日は9月29日。

 

2011年9月27日 (火)

延岡市主審の木村庄之助さん引退

 今朝、当社事務所に、建物の売却のご依頼をいただいていたお客様がお見えになった。

 ご依頼を「いただいていた」と過去形なのは、つい先日「しばらく売るのをやめる」と言って来られたからだ。

 売却の以来を受けて1年近く売れなかったもので、業を煮やして売り中止にされるのだろう。

 自分の努力不足を痛感し申し訳なく思っていたから、お客様の顔を直視できない気持ちだった。

 「どうかしたのかな?」と一瞬不安がよぎった。

 あんにはからずも、お客様は、「東京に行っていたから、気持ちだけのお土産を買ってきたよ」とお土産を置いていかれた。

 東京には、当地(宮崎県延岡市)出身の大相撲立行司 木村庄之助さんの引退相撲の観覧ツアーで行って来られたということだった。

 立行司 木村庄之助というのは、大相撲の行事の最高位。

 相撲取りで言うと、東の横綱だ。

 その木村庄之助さんが今場所で定年をむかえ引退するということで、最後のさばきを観戦するツアーが催されたということだった。

 木村庄之助さんは、延岡市民栄誉賞、県民栄誉賞を受賞されたいるのだが、私はそれほど大きな感心を抱いてはいなかった。

 しかし、千秋楽の優勝決定にかかる結びの一番で、NHKテレビのアナウンサーが、庄之助の引退相撲になると紹介し、その中で「宮崎県延岡市の出身」という言葉を何度も発するのを聞いていたら、嬉しく、誇らしい気持ちにさせられた。

 行事の最高位、木村庄之助の偉大さを改めて知らされた。

 テレビの画面にも、郷土延岡市からの応援ツアーの観客がアップで放映されていた。

 なんでも会場までバス3台を連ねる大人数での応援だったそうだ。

 お客様もその一員だったということ。

 お客様の思わぬ来訪に感じた不安が、一変して楽しい木村庄之助談義になった。

お帰りになって中を見ると、「帝国ホテル」の包装で、中身は帝国ホテルブランドのチョコレート。

 二重に嬉しい、お客様の来訪だった、今日は9月27日。 

2011年9月26日 (月)

上関町長選、原発推進派が勝利。

 上関町長選挙は、原発推進派の柏原重海氏が、原発反対派の山戸貞夫氏を破って3選を果たした。

 東日本大震災の、あの津波の映像を見て、原発の爆発シーンを見て、その後一向に進まない原発処理の状況を知った上で、なおかつ原発推進の動きは完全には止まらなかった。
 
 ただし、これが上関町の民意が原発続行の意を表明したものと言えるわけではない。

 福島原発事故により、新規の原発建設が予定通りに実施されるわけではない。

 この選挙でも、推進派の柏原氏も原発ができなかった場合の街づくりを訴えての選挙だった。

 原発ができないのではないかという思惑が、中間派の有権者の票も獲得することになったのではないだろうか。

 柏原氏は選挙中、「原発の是非は国に判断を委ね、街づくりをすすめる」と訴えた。
 
 当選後、「原子力財源に代わるものはないと今も思う。福島の事故以来、上関原発がどのような扱いになるのかは不透明だが、我々は30年、国を信じ、一生懸命推進してきた。国はしっかり受けとめてほしい」との声明を発している。

 新聞の調査によると、原発建設続行を望む住民が少なくないようだ。

 原発は経済的に疲弊した町とって喉から手をだしたくなるようなご馳走なのだろう。

 国も電力会社も、そんな貧しい町に莫大な保証金という餌をもって乗り込んでいく。

 ただ、福島の原発事故を見ると、原発建設の保証金の交付や原発建設の賛否は、原発建設の周辺の数県単位で考えなくてはいけない問題だろう。

2011年9月24日 (土)

人口3000人ちょっとの上関町の町長選に注目

 明日が投票日の上関町長選挙が注目をあびている。

 人口3000人ちょっとの小さな町の町長選が、どうして注目をあびているのかというと、上関町に原子力発電所の建設予定があるからだ。

 原発推進派と原発反対派が町を二分して争っている。

 3月11日以前は、推進派が7割を占めていたという。

 福島原発事故の後、いっきに反対の声が高くなったかというと、そうではない。

 第三者として考えると、すべての町民が原発反対になりそうに思うのだが、安全よりお金の方が重みのある世の中なのかもしれない。

 上関町の人口を調べてみると、3300人余。

 新聞に載っていた有権者数は3200人ちょっとだった。

 産業がなくて若い人がいない町になっているのだろう。

 じっとしていて町が消滅するのを待つより、原発マネーで生き残りをはかることのほうが現実的なのかもしれない。



 ここのところ、自分の仕事に追いまくられていて、それ以外のことを考える余裕もなかったが、明日の選挙は大いに興味をもって見つめてみたい。

 

2011年9月21日 (水)

基準地価発表。固定資産税、路線価、公示地価、時価、評価って何?

今日、全国の基準地価が発表されました。

日本には土地の評価なるものが、いくつもあります。

「固定資産税評価額」「路線価」「公示地価」「基準地価」「時価」

土地の「評価」と呼ばれるものが5つもあるのです。

不動産取引になじみのない人には、なにがなんだかわからないのが当たり前です。

不動産業に携わっている者にも、その意味合いをはっきりとわからないまま使っている人が少なくありません。

一度書いたことかもしれませんが、簡単にそれらの違いをお話しします。

「固定資産税評価額」は、わかりやすくいうと、固定資産税を徴収するために、国が定めた「固定資産評価基準」に基づいて市町村が算定します。

「固定資産税評価額」は、後述する「公示価格」の約70%程度が目安になると言われています。

不動産を取得したときにかかる不動産取得税(県税)、不動産登記の際の登録免許税も固定資産税を基準として課税されます。

「路線価」は、簡単に言うと相続税、贈与税の算定基準となる価格です。

 これは、相続税法に基づいて、国税庁が調査し、価格を決定します。

 評価時点は1月1日で、発表されるのは7月1日となっています。

 この「路線価」は「公示地価」の約80%程度が目安になると言われます。

 次に「公示地価」ですが、これは地価公示法に基づき、国土交通省が調査・算定する価格です。

公示価格は公共事業用地の取得価格算定の基準とされ、一般の土地取引の際に価格の指標となることを目的としています。

最後に、今日発表になった「基準地価」とは、評価の方法などは公示地価とほぼ同じものであると考えていいものです。

国土交通省が主務官庁であるのも「公示地価」と同じですが、調査の主体が都道府県となること、また価格の基準日が「公示地価」は1月1日であるのに対して基準地価の基準日は7月1日となることが大きく異なる点と言えます。

基準日が7月ずれることで、その土地の地価動向を見る指標にされます。

また、「公示地価」で「標準値」と言われる調査対象地が、「基準地価」においては「基準値」と呼びのも違いですね。

そして、実際に取引される価格が「時価」です。

公示地価は、土地の取引を行なう際の指標となるように定められているのですが、公示価格が売買価格の基準になることはほとんどありません。

不動産バブルの頃は、公示地価をはるかに上回る価格で取引されていましたし、バブル崩壊後20年を経過した今、売れにくい物件につきましては、公示価格はおろか固定資産税価格を下回る価格での取引も見かけます。

価格上昇期、価格下落期、いずれにしても公的価格は実勢価格を後追いする傾向にあります。

以上が、「固定資産税」「路線価」「公示地価」「基準地価」「時価」の簡単な説明です。

不動産業者にとっては、緩やかなる土地価格の上昇がが続くときの方が仕事がやりやすいと思います。

バブル崩壊からの20年余、すべての公的価格は下がり続けています。

当地(宮崎県の北端の街、延岡市)では、バブルの恩恵を受けた金額も期間も本の一瞬でした。

しかし、バブル崩壊後の苦しみは今も続いています。

「路線価」「公示地価」「基準地価」が発表されるたびに、地価が下がり続けているという報道が行なわれる。

それを見た消費者の方々が買い控え傾向に向かわれます。

併せて、少子化傾向。地価の下落傾向が完全にとまることはないように思えます。

と、ちょっと弱気なつぶやきをしてしまった、今日は9月21日。

2011年9月20日 (火)

台風禍

 台風15号の影響で、 当地(宮崎県の北端の街、延岡市)でも被害が出ている。

 県内各所で避難勧告が出ている。

 当地(宮崎県の北端の街、延岡市)でも、北川町全域とその周辺17,000人に非難勧告が出ている。

 当地(宮崎県の北端の街、延岡市)では、5年前に100年に1度と呼ばれる大洪水を経験している。

 私の事務所は、町の中心部にあるのだが、このときは事務所内まで冠水して、泥水の処理に苦労した記憶も新しい。

 100年に1度だから、私が生きている間に2度目が来るのはおかしいのだが、気象は確実に大きく変わってしまっている。

 これから明日の未明までが台風の影響はピークを迎えるということだが、なにもないことを心から願っている。

 併せて、先日の大雨で大きな被害を受けた南紀地方の方々に被害のないことを真に願っている。

2011年9月19日 (月)

「脱原発」集会に6万人

 大江健三郎などを呼びかけ人とする、原発の廃炉を訴える集会が今日開かれた。

 主催者側発表で6万人。(夕方のニュースで警備側の発表では2万5千人。いつものことだが、この差はなんだろう。双方の恣意的なものを感じる数字だ)

 とにかく、数万人の人が「原発反対」のデモ行進をしていた。

 大江さんは集会で「私たちにできることは、民主主義の集会、市民のデモしかない」と呼びかけていた。

 現実問題として、すべての原子炉をいっせいに休止することは無理だろう。

 しかし、政府や原発関係者のようなのんびりした計画ではいけない。

 福島原発事故の解決のメドはまったくついていないと言ってもよい。

 正常な状態での原子炉を廃炉するのにでさえ20年の月日がかかる。 

 爆発を起こし、メルトダウン、メルトスルーという重大事故を起こしてしまった福島の原子炉の廃炉にどれだけの時間を要するかは、だれも予想ができていないというのが真実ではないのだろうか。

 原発は人智の及ばない危険極まりない代物だったとわかった。

 また、福島原発事故にかかる費用は20兆円になるとも言われている。

 いったん事故が起こってしまうと、原子力発電は「安い」というのもウソだとばれてしまった。

原子力発電は、「安全」だというウソと「安い電力」というウソが明らかになった今、「脱原発」は変えることのできない流れだろう。

 大江さんの言う「私たちにできることは、民主主義の集会、市民のデモしかない」の流れを大きくしたい。

2011年9月17日 (土)

理想のリタイア

 昨日までの1週間、仕事でぎりぎりまで追い詰められた。

 完全な解決を見たわけではないが、なんとか修正した。

 とにかく、この連休は小休止。

 ということで、1週間ぶりに別な仕事にかかった。

 先日から商談のかかっていた土地の売主様のところに訪問し、商談の経緯を報告し、買い手様から出た条件ですり合わせをさせていただく。

 売主様の希望を充分満足させる条件はないのだが、快く了解していただいた。

 この売主様とお会いすると、本当にホッとさせられる。

 70歳をいつくか越した御夫婦なのだが、見た目はおふたりとも60歳代後半にしか見えない。

 温厚できれいなお顔をしている。

 66歳で会社を精算し、リタイヤされている。

 今でも週に1、2度はゴルフに行き、人生を充分楽しまれている。

 話をしていると、お友達の数も私よりはるかに多いようだ。

 仕事を通じての友達ではなく、仕事を離れたなかでの友達がたくさんいらっししゃる。



 私は生涯現役を目指している。

 目指しているというのは言い訳で、生涯現役でいなけばならないというのが実態だ。

 会社勤めで定年で退職された方で急に老け込む方がおおいけど、このお客様はいきいきとした積極的なリタイヤ人生を送られている。

 この1週間、とにかく理論と数字に追いまくられて精神的が毛羽立っていた私の気持ちを、ほっとさせていただいた商談だった。



 このお客様のようなリタイヤ人生は、「リタイヤ」という言葉で表現する方がふさわしい。

 日本語にすると「退職」という言葉になるのだろうが、退職=定年退職=意に反した退職=生きがいの喪失 という語感につながるような気がする。

 週に1、2度はゴルフに行って、年に何度かは旅行に出かけ、ときどき集う友達がいて、健康で、美味しくものが食べられて、人の悪口を言わず、楽しく暮らす。

 反カタカナ語主義の私だが、こんな生活は、「退職生活」という言葉より「リタイア人生」という言葉でしか表現できないような気がする。

 日本では、仕事至上主義的な生き方が主流で、仕事での現役を早期に引退してゆっくり楽しんで人生を過ごすという生き方は少ないから、「リタイヤ人生」に代わる言葉がないのではないだろうか。

 

2011年9月16日 (金)

大雨。雨もまた良き哉。

 台風の影響で、一日中雨が降り続けている。

 強くなったり、弱くなったり。ときには止んだり。

 強く振るときは、すさまじく振る。

 雨粒ではなくて、水がスクリーンみたいになって落ちてくるという感じ。

 耳をつんざくような雨音で、窓の外を見ると水に潜っているかのように感じるときがある。

 当地(宮崎県延岡市)の近隣にはまた災害情報はでていないようだが、この雨1週間も続くという。

 災害がないことを祈りたい。



 ハードだったこの1週間。

 なんとか解決の方向に向かっているが、明日からの連休は小休止の様子。

 もともとは身からでた錆び。

 だけど、問題解決に最善は尽くした。

 あとは、天命を待つ。

 かといって、遠出する気分ではないから、雨もまた良き哉。

2011年9月15日 (木)

30年の澱が一気に舞い上がっている

 昨日、問題点の処理を全部終えたと思っていたら、またまた出てきたミス。

 今まではミスとして出て来なかったことが、私の不手際として指摘される。

 理論的にも、原則論としても不手際と指摘されたら弁解の余地がない。

 つい、延岡市という小さな街で、なんとなく身内の中で仕事をしていて、「こんなものさ」とついなれ合いになってやり過ごしてきていたことが、正式に行なえば許されないという現実。

 30年余、大きな問題を起こすことなくやってこれたのもひとえに人の情に甘えさせてもらっていたのだと、強烈に認識させられた。

 言い訳の言葉の一つもでない。ただ申しわけありませんとしかいう言葉がない。

 ここまで追い込まれた経験は、記憶にはない。

 いわば、やっつけ仕事で乗りきることも多かった30年余。

 長年沈殿していた澱が一気に舞い上がってきたのだろう。

 今までなら、なんとか切り抜けて、静かに澱が再び沈んでいくのを待っているのだろうけど、これが終わったら澱をすくい取って、そこまできれいな水にしなければならないなあと思っている。

  

2011年9月14日 (水)

期待外れの野田新総理の所信表明。それにつけても、今日も仕事に終われていた。

 今日も朝から夕方まで仕事に追われた。

 昨日、不備を指摘された書類を整備して、なんとか送り終えたのが午後4時前。

 かえすがえすも、日ごろの怠慢を反省するしかない。

 そんな私が総理大臣に物申す資格はないが、野田さんの所信表明演説はちょっとがっかりだった。

 代表選の時の演説は自分の言葉でおしゃべりになって、閉塞状態を打破してくれそうな期待感をもっていただけに、具体性のない抽象的な表現の多い演説は残念だった。

 一国を動かすことのできる総理大臣という立場に立つと、心情で発言することはできなくなるのかもしれないが、国民が今リーダーに求めているのは実行力だろう。

 ともあれ、早く明日の段取りを終えて帰ることにしようと思っている、今日は9月14日。

2011年9月13日 (火)

気合をいれられた一日

 朝9時から7時まで、昼食の時間もとれないまま仕事に追いまくられていた。

 慣れしょうになって安易に仕事に取り組んでいて、始めて組んだ仕事の相手に細かいところまで説明を求められて、たびたび答えに窮してしまった。

 相手の方は、東京のゼネコンの担当社員の方だったのだが、なるほどそこまで慎重に調べなくてはならないと、ひとつひとつ納得させられた。

 この数年、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)不動産を標榜して恥じることなく過ごしていたが、よくぞ大きなトラブルを起こさずにきたものだと、心から反省させられた一日だった。

 数年ぶりに気合の入った、今日は9月13日。

2011年9月12日 (月)

仕事の慣れを反省。初心に戻れ!

 このところ仕事で忙しい日々が続いている。

 何度も言ったことだが、日ごろ怠けているもので、私にとっては忙しいということなのかもしれない。

 今日は、今やっている仕事で大いに反省させられた。

 買主様が県外の方との商談があっているのだが、こちらには何度も来られないので、物件の説明や契約内容の説明をメールやFAXでのやりとりをしていた。

 遠方だから買主様も、今まで私が経験したことのないくらい詳しい質問を求めて来られる。

 通常なら指摘されないことを指摘されて、気がつかないでいたことが沢山あったことに改めて気づかされた。

 日ごろいかにマンネリで仕事をしていたかということを猛反省させられている。

 当地(延岡市)では、他の不動産業者から相談を受けることも多く、専門家として過剰なくらいの自信をもっていたのだが、ここ数年は勉強から遠ざかっていた。

 専門家(プロ)としての勉強に終りはないことを深く感じている、今日は9月12日。

2011年9月11日 (日)

松下政経塾出身者の欠点と、政治家の不穏当発言。

 鉢呂吉雄産経相が辞任した。

 「死の町」発言より「放射能をつけてやろうか」発言の方が問題視されていたのは当然のことだろう。

  ごたごたせずに辞任したことは不幸中の幸い。


 それにしても、国民の期待を担って船出したばかりの野田新政権だが、鉢呂さんだけではなく、ぽろぽろと問題発言が漏れでている。

 平野博文国対委員長は「今の内閣は不完全で」という思慮の足りない発言。

 政調会長である前原氏は、ワシントンでの講演で、武器輸出3原則の見直しや、自衛隊派遣時の武器使用緩和の必要性を主張してた。

 政調会長という役職は、野田新政権の人事で権限を増している。

 前原さんは総理大臣や外務大臣でないが、その発言は政権運営に影響を及ぼしてくる。

 そもそも前原さんの過激な発言は、自分が目立ちたいがためではないかと信じている。

 国交相に就任するや、すぐに八ツ場ダム建設の現場を訪問し、工事中止を明言した。

 自分の発する言葉が、どんな影響を与えるのかはまったく関知しないという姿勢だ。

 あるワイドショーで、「松下政経塾出身者は、みんなシュートを打ちたがってパスをする者がいない。籠に乗りたがるやつばかりで、籠を担ぐやつがいない」と揶揄されていた。

 言い得て妙!その通り!と思わず手を叩いた。

 前原さんはその典型とも思えるが、今の政治家全体がその傾向にあるようにも思えて、政治にがっかり続きの今日は9月11日。

2011年9月10日 (土)

政治家の資質が低すぎる。その前に人間として問題ありだ。

 新政権誕生で、これで閉塞状況にあった復興に活路が開けるかと期待していたのに、またしても新閣僚、鉢呂吉雄経産大臣の暴言で国会が紛糾している。

 視察したと東京電力福島第一原発の周辺地域について、「人っこ一人いない『死の町』だった」と発言した。

 私は、この言葉には大きな違和感を感じなかった。

 今まで、関係者もマスコミも、世論も、率直に現実を見据えた発言は控えてきた。

 それは、被災者に対しての心遣いなのであろうが、現実に目隠ししていても事態は解決しない。

 現実を見据えて、「死の町」にしてしまった、自らの失政を率直に認める発言とも言えると思ったからだ。

 とはいえ、非難を強いられている被災者の信条を思うと、ふさわしい言葉でないことは確かで、それも非難されて当然の発言だった。

 しかし、取り巻きの報道陣の一人に対して、「放射能をうつしてやる」というよう表現をして防災服をなすりつけるようなしぐさをしたというに及んでは、言語道断である。

 小学生の悪ガキがやっても許されない行動だろう。

 復興にあたる大臣たるものが悪ガキ以下の行動をとったというわけだ。

 これは、大臣や政治家としての資質を問うべき問題ではなく、人間として許されない行為だ。

 もう、情け無いこと限りないことの繰り返しだ。

2011年9月 9日 (金)

原発事故、国民は怒りを爆発させるべき。

 大震災から6カ月になろうとしている。

 いまだに解決の方向が見えない。

 それどころか、今になって国や東電が隠していた事実が露顕する。

 政治家や企業家が立場づくろいに一所懸命で、国民の命をなおざりにしてきたことは明らかだ。

 国民はもっと怒るべき。

 国会に押しかけるべき。

 この怒りをどうぶつければいいのか。

2011年9月 8日 (木)

相続と遺言書

 久々の相続の話題。

 今日、五年前に駐車場の契約をしていただいたお客様から電話があった。

 奥様からだった。

 駐車場の賃貸人であったご主人が亡くなったという。

 ご主人は私の弟の同級生だった。まだ50代の若さだ。

 死因はガン。

 5年前駐車場の賃貸借契約をさせていただいたのは、その土地が当社のすぐ近くだったことと、ご主人が私の弟と同級生だということで依頼を受けたものだった。

 賃借人は土地の隣接者の方で、地主と賃借人が知り合いだった関係で契約書など作らずに貸されていたのだが、後々のためにしっかりした契約書を作ってもらえないかということで契約書を作成し、契約の仲介をさせていただいた。

 その際、土地の名義がお祖父さんの名義のままだったので、相続登記をておかれた方がいいですよと助言をしたものだった。

 そのとき、ご主人は「戸籍上の相続人に、親戚のだれもわからない人がいて、その人の印鑑のとりようがないので相続ができない」というようなことを言っておられた。

 「ややこしくても、どこかでやっておかないと時間が経つほど余計にややこしくなりますよ。私に依頼いただければ戸籍の調査をしてみましょうか」と言ったのだが、まだいいですということでそのままになっていた。

 そのときはまだ40代の若さだったから、よもやこんなに早く逝ってしまうとは、本人様も私も思っていなかった。

 このたびの奥様からのご相談は、まずは賃貸人であるご主人が亡くなられたので駐車場の賃貸借契約を新たに締結したいということ。

 そして、土地の相続を奥様の代でしっかり終わらせておきたいということだった。

 相続は、時間が経つほどややこしくなる。

 この方の場合、お祖父さんの名義からの相続。

 おまけに存在がわからない相続人がいるということで、手間も費用も通常の数倍かかることになるだろう。

 詳細については、近々お会いするのだが、戸籍謄本をとりよせてからのスタートになる。

 何度もいうことだが、遺言は死を意識しない元気な内に書いておくべきだと改めて感じた、今日は9つく8日。

2011年9月 7日 (水)

仕事は忙しい人に頼め

 「仕事は忙しい人に頼め」という言葉ある。

 その言葉の意味とはちょっと違っているのかもしれないが、このところその逆を行っていた私にとって、反省材料になる言葉だ。

 ここ1、2カ月の私は、忙しくててんてこ舞い。

 仕事が増えたことと、同時に社員が体調をこわして急に辞めたのが重なったことが忙しさに拍車をかけている。

 印鑑と通帳を預けっぱなしで、家賃管理のお金はすべてまかせっきりだったもので、その分野の仕事までとりあえず私がすることになって、これがなかなかわずらわしい。

 そんなこんなの1カ月。

 冷静になってみると、一人でも充分やれる分量の仕事でしかない。

 今まで、楽がしたくてまかせていた仕事だが、慣れてしまえば大した量ではない。

 ヒマだと、いつでも時間があると思っていて後回しにしていた仕事も、忙しいと段取りを組んでこなしていかなくてはいけない。

 そこで、冒頭の格言。

 この言葉には、忙しいという人は、仕事に熟知・鍛練しているから人が仕事の以来が多いはずだから、そんな人に仕事を頼んだ方がいいということなのだろう。

 自分が忙しくなって感じることは、忙しいからこそ手際よく仕事を片づけることができるという意味もあるなー、と感じている、今日は9月7日。

2011年9月 6日 (火)

福島産の桃

 一カ月くらい前に書こうと思っていて、書けてなかったこと。

 それは、福島産の桃が美味しかったこと。

 桃は色と姿がみるからに美味しそうで、香りも美味しそうなんだけど、買ってきて食べてみると結構あたりはずれがある果物だと思っていた。

 姿、色、形は美味そうでも、食べてみるとそうでもないってのが、間々ある。

 で、先日のことなのだけど、私の自宅件事務所のお隣のスーパー「ユーホー」に4個298円という超格安の桃があった。

 中型というより、やや大型の桃で、それが4個298円というのは安い。

 いろは、赤を通り越してちょっと黒ずみかけていて、熟し切っているという感じ。

 賞味期限ぎりぎりだから安くなっているのかなと思って近づいてみると、福島産とある。

 店頭に出回っているということは、放射能なんて関係はず。

 これが風評被害ってやつなんだろうな、なんて思いつつ1パック購入。

 それを夕食後に家族で食したのだが、その桃のなんと美味いこと。

 桃は好きな果物の一つだから、結構食べてきているのだが、私のウン十年の人生で一番美味しい桃だった。

 そういえば、当地(宮崎県延岡市)で、福島産の桃にお目にかかったという記憶がない。

 当地に出回る桃は、宮崎産を始めとする九州産か、せいぜい岡山産くらいではないかという記憶だ。

 それが原発事故の風評被害で、売れ行きが悪くて、当地まで流れてきたのではないだろうか。

 それにしても初体験の福島の桃の美味いこと。

 シロップ漬けの缶詰の甘さとは一味違うが、甘さでは缶詰にも負けないほどの甘さ。

 香りも芳醇で、ジューシー。

 家族全員、「美味い!」と絶賛。

 次の日に、もう一パック購入。

 その次の日も一パック購入したが、なぜか398円になっていた。

 前日に三パックくらい買っておけば良かったと後悔。

 さらに次の日は売り切れていた。


 調べてみると、福島の桃は美味いというのは定評のようだ。

 こんなに美味しい桃が、1個80円弱なんてとんでもない話。

 高くてもいいからもう一度食べてみたくて、2~3軒のスーパーをうろちょろと探してみるが、福島産は見つからない。

 もう二度と、当地で福島産の桃に出くわすことはないのかもしれない。

 原発事故のおかげで、福島産桃の美味さを知った幸せを感じると同時に、福島の被災者の方々のことを思うと心が痛んだ。

 重ねて言うが、福島さんの桃は最高!

  

2011年9月 5日 (月)

分厚い「アスクル」のカタログ

 今朝、「アスクル」のカタログが届けられた。

 2011年・秋冬版だ。

 その厚さ、3㎝弱。測ってみたら2㎝7㎜だった。(忙しいと言いつつこんなことをするヒマはあるようだ)

 ずしりと重い。

 総天然色(古い)で、豪華製本。

 ほとんどの人が知っていることだろうが、「アスクル」というのは、文房具や事務用品の通信販売の会社。

 今日注文した商品が次の日には届く。

 「明日(には)来る」というので、「アスクル」という社名になっている。


 行きつけの文具店で注文すると、2~3週間かかってしまうこともあるのだが、「アスクル」で注文すると、みごとに「明日来る」のだ。

 こちら、陸の孤島と思える地(宮崎県延岡市)にも、「明日来る」のだ。

 ということだが、私が利用するのは年に1回程度。

 そんな泡沫のお客である当社にも、立派なカタログが届くのだ。

 私が注文する際にはインターネットで注文するし、インターネットにもカタログが掲載されているのだから、こんな立派なカタログはもったいない。

 もったいないとは思うのだが、届けられるカタログはありがたく受け取っている。

 買う品が決まっているときは、パソコンの画面のカタログもいいのだが、何か便利な文具はないかなあ、なんて眺めるときは本になっているカタログの方がいい。

 買おうと思ったものをカタログで調べていると、ついでに目にとまった商品を注文してしまうこともある。

 それが「アスクル」さんのねらいなんだろうと思いつつ、資源の無駄遣いには逆行するとも悩みつつ、便利さを享受してしまうことに罪悪感を感じた、今日は9月5日。

2011年9月 4日 (日)

台風

 ようやく台風が日本列島を通りすぎたようだ。

 ようだ、といっても当地(宮崎県延岡市)では、そんなにひどい台風だったという実感はない。

 原発も、台風も、自分に災いがないと痛みは感じない。

 それは申し訳ないことではあるのだが、人の痛みを同じように感じ取れるわけではないことを再認識させられた、今日は9月4日。

台風

 ようやく台風が日本列島を通りすぎたようだ。

 ようだ、といっても当地(宮崎県延岡市)では、そんなにひどい台風だったという実感はない。

 原発も、台風も、自分に災いがないと痛みは感じない。

 それは申し訳ないことではあるのだが、人の痛みを同じように感じ取れるわけではないことを再認識させられた、今日は9月4日。

2011年9月 3日 (土)

中国の不動産バブル、インド経済緩かに減速

 このところ忙しくて、といっても普通の人にとっては当たり前のことかもしれないほどの忙しさなのかもしれくて、よだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)の私だから忙しいと感じているのかもしれないのだが、3日間新聞を読んでなかった。

 それで、今8月31日の日経新聞にざっと目を通していたのだが、9面に「中国 大手銀行、不良債権のリスク 不動産バブル懸念増す」なんて記事がどかっと載っている。

 日ごろは9面の国際欄なんか読みとばすのだが、9面の4分の1を割いていて、見出しが大きいので目についた。

 同じ紙面に「インド経済、緩やかに減速」の記事。

 日本の苦しい現状は20年前の不動産バブル崩壊から始まって、いまだにその影響から抜けきっていない。

 心配性の私だから、中国バブルがはじけたらどうなるものかと、あらぬ心配をしてしまった、今日は9月3日。

2011年9月 2日 (金)

サプライズがないことに安心感を覚える、野田新内閣。安心感というより安堵感かな?

 今日も忙しい一日。

 ちょっとした金額の取引があったのだが、想定していた時間より2時間近く時間をとられてしまった。

 こんなときに限って、管理アパートでちょっとしたトラブル発生。

 そんなこんなで後のスケジュールが全部ずれこんで、パソコンの前に座るひまがなかった。

 晩飯をすませて、パソコンを開いてネットにつないでみのだが、ヤフーニュースのトップに「手堅い新内閣、サプライズなし」との見出し。

 ここ数年、次々に内閣が交代してきたのは、小泉さんの幻影に惑わされてのこと。

 世論を気にして、人気とりのサプライズにとらわれすぎた。

 野田さんの鈍重な雰囲気が、重厚に見えてきた、今日は9月2日。

2011年9月 1日 (木)

野田新政権 建て直ししてくれそうな予感。そして、私は新年度 飛躍できそうな予感。

 忙しい。

 当社は8月が決算月。

 今日9月1日から新しい年度が始まる。

 決算月にばたばたと仕事をするのは毎度のこと。

 しかし、今年はちょっと違う。

 この忙しさが続きそう。

 人生の整理をする時期にかかり、滞留している仕事も整理しなくてはと思っている。

 と言いつつ、まだまだ店じまいしようと思っているわけではない。

 もう少し、店の間口を拡げてみようと思っている。



 政界では、野田さんが実のある政治をしそうな予感。

 後門の狼扱いにして、懐疑の目で眺めていただけに、少し希望を抱いている、今日は9月1日。 

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