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2012年3月21日 (水)

お墓について

 昨日、お彼岸のお墓参りについて書いたが、墓について続きを書こう。

 昨日書いたことだが、私は人が死んだら無になるのではないかと思っている。

 それなのに墓参りに行くのは、子どものころに父から与えられた習慣からのこと。

 とはいえ、死後の世界がまったくないとは思っていないのもまた事実。

 なんせ、まだ死んだことがないから、ほんとうのことはわからない。

 私は、予知的能力は人より強いものを持っている。

 ときどき自分でも不思議に思う経験をしている。

 私が詐欺師になるふんぎりがつけば、私の経験を霊能力と称して人をたぶらかすに充分な予知経験をいくつかもっている。

 しかし、これは霊的な力ではなく、直感力だと思っている。

 本題に戻って、死後の世界の話だが、私は死後の世界は無いと思っている。

 私は、一瞬の期間であったが宗教に興味をもったことがある。

 仏教、キリスト教、イスラム教について、ごく入門書的な本を何冊か読んでみた。

 それで、自分なりに勝手に納得したのは、人が死んだあとは無ではないかということだった。

 お釈迦様もそう言っていると理解している。

 宗教の話はこじれるから、これ以上ふみこむことはやめたい。

 私は、宗教を論じることはしたくはない。

 宗教を信じている人は宗教に救われていてうらやましく思っている。

 ただし、宗教を押しつけられることは御免であるし、宗教について人に自分の考えを押しつけることもしたくはない。

 ただ、私が宗教について思い、そして思いいたったのは、自分が死んだら無に帰るのだろうなということだ。

 そして、お釈迦様もそう考えていたのだろうなと考えている。

 お釈迦様は人間だった。

 そして、病気(食あたりと言われている)で死んで行った。

 死に際して、お釈迦様は自分を信仰の対象として祀ることをゆるさなかったという。

 私は、釈迦が説いたのは宗教ではなく哲学だったと理解している。

 すべては無に帰る。それをそのまま受け入れることを悟った人ではなかったかと思っている。

 私は、人間として大したことはしていない、というよりぐうたらのよだきんぼ(宮崎弁でなまけもの)だが、死生観においてだけはお釈迦様の域に達しているのではないかと自己満足している。

 

  

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