お彼岸の墓参り
お彼岸の墓参りに行ってきた。
お昼前に行ったのだが、お参りしている人と何組もすれ違った。
私は、妻の仕事の関係で一人でお参りしたのだが、ほとんどの方は夫婦や家族で来られていた。
ふと感じたことなのだが、家族でお参りに来ていても、子どもさんや若い人が少ない。
私は、物心かついたときから、ひと月かふた月に一度、父に墓参りに連れて来られていた。
連れてこられていたわけで、すすんで墓参りに来ていたわけではなかった。
墓参りのことだけではなく、なにごとにつけ父の言いつけには逆らえなくて「墓掃除に行くぞ」と言われると、従うしかなかった。
それが習慣となっていて、父がなくなってからも墓参りは続けている。
しかし私は、子どもたちには墓参りをさせていない。
子どもが小さいときに、「お墓参りに行くぞ」と声をかけても、「めんどくさい」と言ってついてこなかった。
これにかぎらず、子どもに強制的になにかをさせることをしてこなかった。
私は、自分が死んだら、自分は無に帰ると思っているのだが、先祖がねむっているとされるお墓には手を合せている。
私は、死んだら無なるのだから、墓はいらないと思っている。
そう思いながらも、墓参りで良心のことを思い起こしている。
お墓の前で手を合わせることがなくなったら、自分の親や先祖のことを思うことが少なくなるだろう。
子どもたちが、亡くなった自分のことにまったく思いを馳せることがなくなることはちょっと寂しいかもしれない。
それにつけても、墓参りに、子どもの姿が少ない。
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