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2012年5月24日 (木)

祝 貴乃花部屋から関取誕生

 私が、大のファンだった貴乃花の部屋から、初の関取が誕生した。

 私が子どもの頃は、お相撲さんは野球選手と並ぶ一番のヒーローのだった。

 栃錦と若乃花が競い合う栃若時代で、私は土俵の鬼と呼ばれていた初代の若乃花の大ファンだった。

 年の離れた弟が初代の貴乃花で、小さな身体で大きな力士を相手に大関を張る貴乃花を応援していた。

 この貴乃花、水泳のバタフライでオリンピック候補選手にまでなったのだが、水泳では飯は食えないといって相撲界に入った。

 本名の「花田」として国内外の水泳大会でその名をはせていた。

 当時、当地(宮崎県の北端の街、延岡市)の私と同じ中学校出身の高田選手とオリンピック出場を競っていたのだが、地元の高田選手を応援すべきか、大好きだった若乃花の弟の花田選手を応援するか、悩んだものである。

 そして、その花田選手の子どもが貴乃花親方。

 若貴時代で史上最高の相撲人気を築いたのはまだ記憶に新しい。

 私は、若の花、貴乃花ともに応援したのだが、どちらかと言えば貴乃花の方が好きであった。

 貴乃花は大横綱となった。

 その功績から1代年寄りを認められて貴乃花部屋を興して8年。

 現役時代の人気をそのままに、人気のある親方としてマスコミに登場する機会は多かった。

 古い伝統に縛られている相撲界に新しい協会運営を提案したり、親方と弟子とのありかたも新しいものを取り入れたりして、話題にことこくことはなかったが一人の関取も育ってていなかった。

 貴乃花ファンとしては、「名横綱すなわち名親方ならず」かと少々寂しい思いをしていた。

 待望の関取誕生のニュースは嬉しくてたまらない。

 のだが、やっとのことで関取 貴ノ岩が誕生した。

 週刊誌等であらぬ噂をたてられた貴乃花部屋だが、「師匠の弟子であることを誇りに思っています」という弁を聞いて、噂は噂でしかないことを確信した。

 貴乃花親方の、「十両で満足していてはいけない。さらに上を目指して、今まで以上に厳しい稽古をしなくてはいけない」という言葉通り、親方に負けないような力士を目指して精進してもらいたい。

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