6歳児の脳死による臓器移植
6歳未満の子どもからの臓器提供が行なわれた。
2010年7月の改正臓器移植法施行以来、初めてのことだ。
改正臓器移植法施行により、15歳未満の子どもからの臓器移植が可能になった。
私は、臓器提供を明確に拒否している。
先週、自動二輪の免許をとって、新しい免許証を交付してもらったが、その免許証の裏側に臓器提供の意思表示をできるようになっていた。
私は、「私は、臓器を提供しません」に丸をつけた。
「臓器を提供しない」と明言することにためらいを感じ、明確な意思表示をできない人もいるのではないだろうか。
かくいう私はといえば、「臓器を提供しない」に丸をつけるのには若干のためらいを感じた。
臓器提供については、ブログで以前書いたことがあると思って、自分のブログを検索してみたところ、2010年8月10日のブログに改正臓器移植法について書いてあった。
読みなおしてみたが、考えはまったく変わっていない。
むしろ、あの時書いた意見に今の自分が納得させられる思いであった。
今回、6歳未満の自分の子どもの臓器を提供する決断を下した親御さんの「息子が誰かの身体の一部になって生きてくれる。息子を誇りに思う」という言葉が、へそ曲がり的ともいえる私の心を不安にさせた。
臓器移植が美談となって広まっていくことが、脳死状態の人の家族を無言の圧力で臓器移植を断りきれない環境をつくりださないかと心配になる。
一昨年の8月10日のブログにあるように、
「あなたの息子さんは脳死状態です」
「絶対に回復の見込みはありません」
「あなたの息子さんの臓器移植をすることによって助かる命がたくさんあるのです」
と説得されて、断りきれなくなることがあってはならない。
脳死は「ほぼ死亡した」状態ではあるが、「100%の死亡」だとは断言できないものがある。
脳死状態と思えた人が、「奇跡的」に生き返ったという報道もあった。
意識を取り戻すことも無く、身体にチューブを巻き付けられて、器械で生かされているだけの人も、身体に触れれば人の温もりが感じられる。
そして、単なる筋肉の反射でしかないのかもしれないが、顔をしかめたり、ぴくつかせたりすることもある。
それを命とするのであれば、移植で奪われる命があることを忘れてはならないと思う。
臓器提供に多少でも迷いのある人が、「提供したくない」と言える環境作りをすることが、正常な臓器移植の発展のためにも必要なことだと思う。
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