秋に5連休を作ることが重大事項か?
秋に5連休ができるかもしれない。
なんでも、民主党がプロジェクトチームを作って計画をしているという。
夕方のニュースで結構な時間を割いて報じていたけどそんなことやっているヒマないだろう?
東日本大震災の復興や原発問題、景気、医療、年金、外交と急を要する重大な案件をほったらかしで政局に明け暮れているのを嘆いていたら、休日を増やすためにプロジェクトチームを作って真剣に協議しているなんて、わけがわからない。
どうかしてるぜ。
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秋に5連休ができるかもしれない。
なんでも、民主党がプロジェクトチームを作って計画をしているという。
夕方のニュースで結構な時間を割いて報じていたけどそんなことやっているヒマないだろう?
東日本大震災の復興や原発問題、景気、医療、年金、外交と急を要する重大な案件をほったらかしで政局に明け暮れているのを嘆いていたら、休日を増やすためにプロジェクトチームを作って真剣に協議しているなんて、わけがわからない。
どうかしてるぜ。
一昨日、言いたくないけど(言いたくなかったら言わなきゃいいんだけど)言ってしまった政治屋軍団に対する愚痴だったけど、あれはニュースをちらっと聞いて書いたわけで、自民・公明で提出していた問責決議案が可決されていたと思っていたのに、自公以外の野党7会派が提出した問責決議案が可決されていて、それは消費税増税と自公民の3党合意による国会運営を批判しての問責決議案で、3党合意で消費税増税法案を可決した自民党・公明党が、その案に賛成するということは、自己矛盾以外のなにものでもなく、もうこれは支離滅裂で、開いた口がふさがらなくて口の中がカラカラになってしまいそうだ。
これで、曖昧模糊としていた「近いうちの選挙」も遠ざかって、ある意味与党議員も野党議員もホッとしていたりして、とにかく議員の職が何ヶ月かでものびたわけで、1億の国民より唯一我が身が大事というのは人間の性で、そんな政治家を選んできたのは、やっぱり国全体のことより自分の利益で政治屋に投票してきた国民であって、私の身の回りにも補助金や助成金をふんだくって自慢している友人もいたりして、気がつかないけど、みんなが税金の無駄遣いはやめろと言いながら自分のためは税金の恩恵を得たいと思っているのだから、一概に政治屋軍団のあがきを責めることはできない。
増税だけが残ってしまった。ふーっ。
夕方のニュースで、南海トラフが大地震を引き起こした場合の被害状況の想定が発表されていた。
南海トラフでは100年か150年ごとに大地震が起きているということで、最悪の場合、36万人が死亡するという予想だ。
死亡の一番の原因は津波。
最大の津波が予想されているのが高知県の黒潮町で、34mの津波が襲いかかるらしい。
太平洋に面する東海、近畿、四国、九州の全域が津波の被害を被る。
この想定の津波が発生した場合、津波の被害は海岸線から数㎞にも及ぶ。
当地(宮崎県の北端の街、延岡市)の市役所は市街地の中心部にあるのだが、海岸線からは3㎞半くらいの距離でしかない。
市街地のほとんどが津波の被害を受けることになる。
当地が特別な地域ではない。
日本のほとんどの都市が海岸線に沿って発達してきている。
テレビのインタビューに対して、そんな大地震がきたらあきらめるしかないと答えている人もいたが、CGによる想定される映像を見ていると、そう思ってあきらめざるを得ないような状況だ。
私の事務所兼自宅は鉄筋コンクリートの4階建て。
屋上に避難すればなんとか命だけは助かるかもしれないと期待するしかない。
それにしても、いつかは起こるかもしれない大震災も心配しなくてはいけないのだろうが、実際に起きてしまった大震災の被災者の救済の方が先だろう。
現実に抱えている被災者を救えない政治が、これから起こるかもしれない震災の予防ができるのだろうか。
一部の被災地では復興特需の恩恵を受けている企業もあるらしいから、防災目的特需を期待する企業の策謀ではないかと、つい、猜疑心のつよいおじさんとしては勘繰ってしまうニュースでもある。
何を言ってもどうしようもないから、もう言いたくは無いのだけど、日本の政治屋集団は何をやっているのだろう。
どこまで行っても政局のみ。
民主党は、衆議院の公職選挙改正特別委員会に、まとまるはずもない選挙制度改革法案を提出し、全野党が欠席したまま可決した。
参議院で否決されることを折り込み済みのでの法案提出、法案可決で、自らの身を削っているというカモフラージュでしかないのは、誰の目にも明らか。
一方、自民党は野田総理に対する問責決議案を参議院に提出。
赤字国際を発行するための特例公債法案の成立のめども立たない。
恥も外聞もなく政局のみに明け暮れている政治屋の姿を見せつけられていても、国民は何の手出しもできない。
ただただ欲求不満が積もるばかりだから、もう口にすまいと思っていたのだが、なんと腹立たしいことか。
こんな混乱の中で、橋下徹大阪市長が衆議院議員の定数半減を維新の会の公約に掲げるとぶち上げた。
いかにも国民受けのする花火だが、これも政局を睨んでのこと。
居間占拠があったら維新の会の圧勝ということにもなりかねない。
今の政治に辟易している国民は、言いっぱなしの間のある橋下さんの政策を精査することもなく、雪崩をうって維新の会を指示することになることだろう。
しかし、民主党が圧勝した前回の選挙にしても、小泉さん人気で自民党が圧勝したときも、首を傾げるような政治屋がたくさん誕生した。
私は、人気に乗じた橋下さんの言いっぱなしの政策にも恐怖を感じているのだが、今の政治屋集団にまかせていても何にもできないのかもしれない。
それなら、いっそのこと橋下さんに、良くも悪くも大きな変化を期待するほうがいいのかもしれない。
利益誘導の政治屋しかいないのは、選挙民が自分の利益を求めた結果なのだ。
私のせめてもの誓いは、自分への見返りのみを考えて投票をしないことだ。
最近の天気には閉口している。
大気が不安定という状態がずっと続いていて、天気予報がはずれることが多い。
大気が不安定だということは、確かに実感できる。
曇っていて雨が降るのかなと思っていたら、太陽が顔を出しジリジリと照りつける。
と思いきや、そらが急に暗くなってきたなと思っていると、どしゃっと雨が降る。
今日の天気は台風の影響で雨模様。
瞬間最大風速70mという最大級の台風だということで、どうなることかと思っていたが、幸い日本への影響は少なかった。
それでも影響はあって、時折強い風が吹き荒れ、急にどかっと雨を降らせた。
日本の気候が亜熱帯化しているのかと思うことが度々で、急にどかっと雨が落ちてくる。
今日の雨が典型で、事務所を出て駐車場にいくまでの数秒の間に、ぽつりと雨が落ちてきたと感じると同時に、パチンコ玉くらいの雨がいっきに落下してきた。
鍵を開けて車に乗り込んだときは、全身びしょ濡れだった。
だけど、体がびしょ濡れになるだけだったらいい。
ゲリラ豪雨と称される雨が降らないことを祈るだけだ。
先日、熊本、大分での集中豪雨によるJR九州豊肥線の被害写真が朝日新聞に掲載されていたが、なにがどうなっているのか信じられない水の力だった。
水の力で、トンネル内の線路がトンネルの外間ではじき出されている。
しかも、もともと真っ直ぐになる性質のある線路が、ゼンマイのようにぐるぐる巻になっている。
急な下り坂にあるトンネルに、一気に水が流れ込んだ。
大量に流れ込んだ大量の水でトンネルが膨らんだ。
トンネルは上からの圧力に耐えるように作られているが、内部からの圧力は計算していない。
そのため、膨らんだ水の圧力に耐えられなくなったトンネルが崩壊して、山が崩壊してきて、一気に押し出された水の圧力で線路がはじき出されたと考えられている。
ただ、ただ、自然の猛威にはひれ伏すしかない
今日は、朝の8時から草刈りのボランティア。
私の恩人が企画している街づくり計画の一つで、当地(宮崎県の北端の街、延岡市)を流れる五ヶ瀬川河畔の数㎞を桜並木にしようというものがある。
数年計画で、堤防の雑木を切り取り、そこに桜の苗を植えていっている。
私も一年に一回、草刈りに参加している。
今日の参加者は二百数十人。
ガソリンエンジンで動く草刈機数十台で刈り取った草を、みんなで車に積み込む。
予定通り、きっちり3時間、目一杯、汗を流した。
持ち場の膨大な草の量を前にすると、とても3時間では終わらないと思って作業をしていた。
積み込んでも積み込んでも刈り取られた草が片づかない。
積み込み作業は手作業で、少しずつでも積み込むしかない。
猛暑の中、休む人はいない。
参加者全部が、ひたすら草を刈り、それを集めて車に積み込む。
そして3時間。
予定通りの時間で、堤防が見違えるようにきれいになった。
2㎞余りの堤防に繁った雑草と灌木のボリュームは膨大で、自分が片づけていく量はほんの一部で、こんなことで終わるのかと思いながら、刈り取られた草を集めて車に積み込む作業を続けていた。
果たして、予定通り3時間で2㎞余りの堤防が、見違えるようにきれいになっていた。
自分が積み込んだ量は全体の一部だったが、それでも確実に時間内で終わるための一役をになっていたのだと実感した。
腰につけていた歩数計は9200歩を記録していた。
スマートフォンに押されて市場が縮小気味のコンパクトデジカメだが、生き残りをかけてさまざまな工夫をしているようだ。
スマートフォンのカメラ機能が攻めてくるのなら、カメラにスマートフォン機能をつけてしまえとばかりにAndoroid OSを搭載したデジカメが発表された。
ニコンのクールピクスS88Cだが、ご覧の通りスマートフォンとみまがう液晶画面だ。
画面タッチで操作でき、撮った写真を即後にSNSへ投稿できる。
スマートフォンでは撮れない高画質の写真が撮れて、スマートフォンと同じ活用ができるデジカメというわけだ。
デジカメも普及してしまっているから、新たな販路を切り開くのにメーカーは懸命な努力をしているんだと再認識させられた。
自分も、懸命な努力をしなくては!
カシオ計算機から、女性に照準を絞った小型デジタルカメラ「EXILIM(エクシリム) EX-JE10」というやつが発売される。
女性社員のアイデアで、上下左右に動かせるレバー式のボタンを採用して、長い爪でも操作しやすいようにした。
首からかけるストラップ付き専用カバーもついている。店頭想定価格は2万円前後。
ストラップ付で首からぶら下げておいて、いつでも写真を撮れるというのもいい。
カバーの色は、ピンクのほかにブラック、ホワイトもある。
新し物好きのおじさんとしては、ちょっとぶら下げてみたいななんて思ってしまう。
スマートフォンの普及で、コンパクトデジカメ市場は圧迫されている。
顧客を絞り込んだニッチ市場(隙間市場)に目をやった企画はなかなかいい。
「これからの田舎暮らし」という日経新聞の連載コラムがある。
エッセイストの玉村豊男さんが書かれているもので、田舎不動産屋の私には仕事にも関連する話があって面白く読ませてもらっている。
今日は「他人の土地見」という話だった。
玉村さんは東京生まれの東京育ちだが、1991年から長野県に居を移して田舎暮らしにひたっておられる。
最近になって、団塊の世代である玉村さんの友人たちが、「隠居世代に入ったせいか」田舎暮らしへの移住を希望する者が増えてきているという。
それで、久し振りに旧知の不動産業者と会い、いくつかの物件を見せてもらった話だ。
一つは、町から離れた森の中にある4000坪の山林。価格は坪6000円。
上下水道は来ているが、下水道は無いので浄化槽をつくらなくてはいけない。
しかし舗装道路に接しているし、伐採された平面が多いからほとんど造成の必要がない。
二つ目は、周囲は農地だが、そこだけが転用済みの宅地になっている800坪。坪3万円。
上下水道は引けるが、とりつけ道路は簡易舗装の必要がある。
三つ目が、町に近い、眺めの良い山麓の宅地。150坪で坪10万円。
「もっと安い山林の土地なら坪5000円くらいからあるが、安い土地は使えるようにするのが大変で、土地の造成や給排水の確保、接道義務などの要件を満たすのに多額の経費がかかるから、坪5000円のつもりが5万円になった、というのはよく聞く話だ」と言っておられる。
だから「田舎の土地は額面だけでは簡単に判断できない」とも言っておられるのだが、これは「田舎の土地」だけのことではない。
都会の土地でも、土地の中までは水道管の入っていない土地もあるし、浄化槽の設置が必要な土地もある。
建物を建てるときに、道路に埋設している水道管から自分の土地に水道を引き込む工事に十数万円から数十万円かかる。
古い家が建っていた土地でも、その家を取り壊して建て直そうとすると、建築の許可が出ない土地もある。
都市計画法や建築基準法その他数々の法令で、思い通りの建物が立てられないこともある。
以前話をしたことがあるが、大都会でも工事中に土地の中から文化遺産が出てきて工事がストップしたという話は珍しい話ではない。
かくのごとくに、土地の価格は額面だけでは判断できないのは、田舎も都会も同じなんだなあと思った、今日は8月23日。
今日、当社所有の売却物件の案内をした。
古い建物のついた土地である。
土地として売却の予定だが、使おうと思えば使える建物が建っている。
今年の3月、建物が使えたら購入を検討したいというお客様がいたので、建物内を片づけることにした。
建物は長年使われていなかったため、電気のメーターがはずされていて掃除屋さんの掃除の器械が使えないということで、電気のメーターをつけてもらった。
建物は10年以上使われていなかったので、ついでに漏電等の検査もしてもらった。
電気系統には異常がなく、お客様に見せられる程度には掃除をしたのだが、そのお客様は気に入られなかった。
その後、いくつか商談があったが、売れないまま半年が経ってしまった。
そして今日、久々に案内が入った。
住人不在の建物なのに、郵便受けにチラシがたくさん投げ込まれていた。
そのチラシを片づけようとしたところ、いっしょに電気の検針票も溜まっていた。
これは私の手落ち。
3月にメーターをつけてもらった後、電気を止める手続きをしていなかったのだ。
使用料ゼロの検針メーターが何枚もある。
あわてて電気を止める手続きをとった。
自分の手落ちで、6カ月間、無駄な電気料を払ってきた。
仕事に気持ちが入っていない証拠で、大いに反省した。
しかし、九州電力の検針のやり方にも疑問がある。
九州電力は、入居者がいない空き室も電気の検針に行っていて、掃除や工事のために数時間電気を使っただけでも、細かく電気使用料の請求をしてくる。
金額にして100円200円であっても、電気の無断使用に対しては非常に厳しい。
チリも積もればで、九州全体で考えると大きな金額になるのだろうから、当然といえば当然。
しかし、もらい過ぎについては黙って取り続けている。
1、2カ月間使用料がゼロだったとしても気がつかないということはあるだろうが、半年も使用料ゼロだったら、お客さんが電気を止めるのを忘れているんではないかと注意してくれても良いのではないだろうか。
連絡無しに無断で電気を使ったときは、即座に電話が入り、支払わないと何度も督促してくる。
今回、電気を止め忘れていたことによる基本料の請求金額は月額945円。
自分のミスだとは重々反省しているのだが、取り立ての厳しさに反して取り過ぎについては頬ッかむりの九州電力の姿勢には納得がいかない。
止め忘れて、料金を自動引き落としされていることにすら気がつかなかった自分が悪いのではあるけれど・・・
言ってもしょうがないコールセンターの職員さんに八つ当たりをしてしまった、今日は8月22日。
天気予報が、ずーーーっと、はずれっぱなし。
大気が不安定ということだけど、このところ、もうまったく当てにならない。
スマートフォンの天気予報アプリには、1週間分の天気予報が表示されている。
今日の天気と、明日の天気は6時間後とに表示されていて、3日目から7日目までのは、晴れが太陽、曇りは雲、雨は傘のマークで表示されている。
明日は、曇り時々雨。
そして明後日からの5日間は、ずっと曇り時々晴れ。そしてこの間の降水確率は30%となっている。
これが、明日になってみると、予想が変わっているのだ。
1ヶ月以上、ずっと、そのくり返しだ。
日常の足をバイクにしてからというもの、天気予報を注意深く観察しているもので、はずれたときの印象が強い。
天気に影響される、仕出し弁当屋さんやクリーニング店などは、もっと通説に感じているのだろう。
近年の天気予報は良く当たると感じていたのだけど、やはり人間の力は自然に観及ぶべくもないんだと再認識した、今日は8月21日。
オリンピックのメダリストたちの銀座パレードに50万人もの人が詰めかけた。
50万人といえば、わが宮崎県の人口の半分くらいの人が、銀座通りの数キロを埋めつくしたことになる。
パレードの様子を各局ともに大きく報道していたが、沿道は、人、人、人の山。想像を絶する人の数だ。
ビルの窓からも、ビル工事の人も、ビルの屋上からも、銀座中が人の塊になっていた。
暗く、重く、腹立たしく、鬱陶しい、閉塞状況の闇に射した一条の光に人は引き寄せられたのだろう。
私も彼らに感動した。
勝った選手にも感動したが、負けた選手にも感動した。
バトミントン女子シングルスの決勝トーナメントで、試合中に足に大怪我をしてもコートに立ち続けようとした佐藤冴香選手の姿には感涙した。
感動をもらった人たちが感謝の気持ちから、銀座に詰めかけたのだろう。
テレビの騒ぎ立て方は気に入らないが、それも良しとしよう。
昨日、知り合いの女性が来店された。
当社から100mくらいのところにテナントビルを持っておられる。
そのビルは1、2階がテナントで、3階が自宅になっている。
女性は82歳というご高齢で、エレベーターのない3階では上がり降りが大変なので、別なところに一戸建を借りて暮らしている。
その借家も当社と同じエリアにある。
延岡駅から徒歩5分。バス停までなら徒歩3分。
駅を中心として形成された商店街から横道に入って2、3軒のところにある古い住宅だ。
その女性が、先日から当社の前を通るたびに店頭に貼っている借家の募集ポスターを眺めていた。
昨日も、店頭のポスターを時間をかけて眺めておられたのだが、入口のドアを開けて入って来られた。
「どうされましたか?」と声をかけると、「近くに一戸建の借家はないだろうか?」とたずねられた。
「どなたが借りるのですか?」と聞くと、自分だという。
相当古い住宅なので住むのに不都合なことが多くなったのか、それとも家主の都合で退去を求められているのかと思い、「不便なことでもあるんですか? それとも退去を求められているのですか?」と聞いてみた。
すると、そのどちらでもないと言う。
人生の大半を街中で暮らしてきた方だし、ご高齢で足も弱っておられるので、郊外のアパートは好まれないと思いつつ、ご希望を聞いてみると、当社の周辺で一戸建の借家がいいと言われる。
創造した通りのご希望だが、この周辺は昔からの商業地で、ほとんどの建物が店舗か、1階が店舗で2階が住居というものばかりである。
一戸建の貸家など、とんと見かけない。
アパートもそんなに多くはないのだが、アパートやマンショではどうかと聞いてみたが、一戸建じゃないと嫌だと言う。
無い物ねだりをされても力になりようもないし、今の家に不満も無くて、家主に退去してくれとも言われていないのに転居先を探す理由がわからない。
それで、「今の家に不満も無くて、家主から退去してくれと言われているのでないのなら、そのまま住んでいたほうがいいですよ」と助言をしてあげたのだが、なんとか探して欲しいと言うのだ。
待っていればそのうち見つかるような物件なら、「探しておきます」とでも答えるのだが、今の家より条件がいい物件がでる可能性は少ない。
だから、何度も「今の家に不満がないのだったら、面倒な引越しは考えない方がいいですよ」と言うのだが、どうしても引越ししたいようだ。
なにかわけがあるのだろうと思って、突っ込んで聞いてみるが、別に意味はないと言う。
そんなはずはないと思って、何度も同じ話の繰り返しをしていた。
すると、「(今の家を)20年も借りていているから、出ないと家主に悪い」というのだ。
私には納得できない話だ。
家主さんから出てほしいというような話は一切無いというのだから、わけがわからない。
「家賃を払っているんだから、変に家主に気をつかわずに借りていればいいですよ」というと、「いずれは出なくてはいけなくなる」とも言われる。
なにかわけがあるのだろうけど、希望する物件がそもそも少ないし、それに80歳を超す高齢者を引き受けてくれる家主はもっと少ないのだ。
女性が、なかなか私の意見を聞き入れないので、気分をこわす話だとは思ったが、高齢者の入居を引き受けてくれる家主がいないという説明もした。
すると、自分が今の家で死ぬと家主に迷惑をかけるから、他の家に引っ越したいという気持ちもあるのだと言う。
もう、私の頭は混乱。
私の頭が混乱するときは、相手が本当の事を隠して話をしていることが多い。
本当の事を隠しているから話に矛盾があって、話を真に受けて応対している私の頭が混乱することになるということが多いのだ。
この女性の話も、何か肝心なことを隠しているのではないかと思う。
今の家主に迷惑をかけるといけないから引っ越すというのが家探しの理由だが、それでは次の家主に迷惑を持ち込むことになる。
今回は、今はご希望の物件が無いので、心がけて探しておきます、ということでお引き取りを願った。
それにしても、80を過ぎた高齢者に、「高齢者を引き受ける家主はいない」と言ってしまったことに、少なからず反省した。
はっきり言うことが役に立つこともある。しかし、正しいからはっきり言えばいいということばかりではない。
充分、年を重ねてきても、欠点はなかなか直らないものである。
中国人の尖閣列島上陸事件については、出入国管理法違反による強制送還とした。
17日には、野田総理は「領土問題は国家主権に関する問題なので、『不退転の決意』で体をはってのぞむ」と言っていたらしい。
「不退転」の覚悟や決意がお好きなようだが、消費税増税以外のことには、すべてが腰砕け。
野田さんは、かつて、尖閣列島上陸事件で強制送還を決めた小泉総理を「弱腰」だと批判していた。
その時の野田さんの映像もテレビで報じられていた。
6年前のことで、顔も今より随分若々しく毅然として、頼もしく見えた。
映像は残酷だとも言える。
その野田さんが、同じ事件に遭遇して、「不退転」の決意で決定したのは自らが厳しく批判していた強制送還という処置だった。
どの面さげて、堂々と舞台に立ち続けることができるのだろうか。
私にはその心境がわからない。
私だったら、恥ずかしくって恥ずかしくって、引きこもってしまいたいところだ。
私の中学校の正義感をもって私が実行するだろうことは、潔く「あの時は批判したが、あの時も今回も強制送還という措置が国家にとって最良の策だと思い至りました」と表明することしか考えられない。
批判は易く、行なうは難し、である。
そして、過ちてあらためざる、これを過ちという、である。
私は、政治家としての資質にかける人間だと、つくづく思う。
今日は、久し振りの快晴。
最近はスマートフォンの天気予報を見ることが習慣になっている。
6月に普通自動二輪の免許をとってからというもの、機会があればバイクに乗りたいのだが、雨合羽を着てまで乗りたくはない。
免許取り立ての6月は、とにかく雨が多かった。
ということで天気を気にしているのだが、このところの天気予報はよくはずれる。
私は、近年の天気予報はよく当たると感心していたのだが、今年はあたらない。
スマートフォンには天気予報のアプリを常駐させていて、ちょこちょこ覗いているのだが、見事にはずれる。
気象庁も、今年は大気が不安定で天気が一定しなくて予報がしずらいと言っていたようだが、それにしてもよくはずれる。
スマートフォンの天気情報は、何時間か毎に訂正されているのだが、見るたびにお天気マークが変化している。
さっきまで晴天の太陽のマークが表示されているのに曇りで雨が来そうな天気で、何時間か後には雨時々曇りの雲と傘のマークが表示されているというのが日常茶飯事になっている。
近年の天気予報は、長期予報は余りあてにならないけど、2日くらいの予報は信頼していた。
人工衛星で上から見ているせいなのかもしれないななどと、勝手に納得していたのだ。
それなのに、今年はみごとに当たらない。
大気が不安定で予想困難で、予想に自信がないのだったら、天気予想困難情報でも発表してくれるといい。
自信ありげに解説すると、天気予報をあてにしている人たちに迷惑をかける。
天気予報で降水確率○○%と発表するのと同時に、その予報の当たる(自信のある)確率を発表するという案はどうだろう。
厭味や悪ふざけではなく、画期的な提案だと思うのだが。
今朝のワイドショーで、金メダリスト・松本 薫選手と、銅メダルに輝いた海老沼 選手が15日、宮城県東松島市の被災地を訪問したこと報道していた。
この二人のステージ上での意外なやり取りが面白く取り上げられていた。
やおら、二人が始めたのは「ジャンケン」。
ジャンケンで決めたのは、あいさつをする順番だった。
微笑ましい話題だと思いながら観た。
しばらくしてチャンネルを回すと、他局でもまったく同じシーンを同じシチュエーションで取り上げていた。
どちらの局も「意外なやりとりがあった」と勿体をつけておいて、場面を展開してジャンケンするところをアップで取り上げるというやり方だった。
その後の松本選手の喋りも同じような取り上げ方。
同じ会場で取材をしているのだが、同じ感じ方をして同じ重要度で報道していた。
日本のワイドショーニュースはまったくの金太郎飴状態。
香港の活動家の尖閣列島への不法上陸問題も、また同じ。
違う視点、違う切り込み方をするテレビ局がない。
社会評論家の大宅壮一さんが、55年も前にすでに「テレビは紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組ばっかりで、『一億総白痴化運動』が展開されている」と論じておられた。
同じ時期に、松本清張さんも「将来、日本人が一億総白痴になりかねない」と言っておられる。
まさに、その予言の通りに進行してきている。
かくいう私も、テレビ依存症ぎみで、そんなテレビからはなれられずに白痴化しつつあることを自覚している。
日経新聞の生活モニターに登録していている読者への調査によると、遺産を継立場の約7割が相続財産に期待を寄せる一方、遺産を継がせる立場の8割超が遺言を用意していないらしい。
継ぐ立場の人の答えとして、「自分や家族の将来を考えると、あればありがたい」という答えが58%と最も多く、 「相続財産が無いと苦しい」という答えなどと合せると7割近い人が相続財産に期待を寄せている。
期待する理由について、49%の人が「老後の資金が不足しているから」と答えている。
長寿社会になって、遺産を継ぐ側の人が老後の資金を心配する世代になってしまっている。
だから、相続でもめないことの方が少ないのだ。
必ず訪れる死という問題と遺言について、早急に形作りをしていかなければと思う今日は8月15日お盆の最終日。
ちょっと前に、米国の穀物産地が25年ぶりの大干ばつに見舞われ、大豆やトウモロコシの穀物相場が高騰しているというニュースを見た。
アメリカの農務省はアメリカ25周の1016郡を干ばつの自然災害地域として宣言している。
小麦相場も急騰していて、食料価格の高騰は貧困国を直撃することになる。
このニュースは、ちらっととりあげられただけで、その後は大きな問題として取り上げられていないが、食料の大部分を輸入に頼っている日本としては、大きな問題だと思う。
日本に多大な発言力を持つアメリカは、日本に農畜産物の輸入を迫ってきたが、飢饉に見舞われたときには当然自国の食料の確保を優先する。
TPPの考え方も、世界規模で貿易の自由化をはかるものであるが、自国で余ったものを輸出したいだけで、自国で不足するものを相手国の利益のために輸出するというものではない。
石油やガスや工業製品もなくてはならないものだが、こと食料に関しては輸入のストップは直接生命にかかわる問題になる。
日本人であれば、米さえ自給できていればなんとか生きていけるだろう。
私は、日本はアメリカからどういう圧力をかけられても米の自給を放棄するべきではないと思っている。
そう思っているのであるが、今日の日経新聞に農地の「耕作放棄地」が増えているという記事があった。
場当たり農政で、休耕田政策が耕作放棄地の増加を促進しているということは理解していた。
しかし農家による放棄は減っているそうで、問題は農家でない親族が農地を相続した土地が耕作放棄地となっているというのだ。
この20年間で、相続をした土地が手付かずになった面積が2.7倍に膨らんでいる。
ちらっととりあげられただけのニュースで、その後は大きな問題として取り上げられていない。
全国の農地456万ヘクタールのうち40万ヘクタールが、1年以上にわたって作付けをされていない耕作放棄地となっている。
これは東京ドーム8.5万個分に当たる面積だ。
この耕作放棄地の所有者のお得が「土地持ち非農家」と言われる人だ。
「土地持ち非農家」とは、農地を所有しているものの農業に従事していない人を指す。
その所有面積は農家の持つ耕作放棄地の1.4倍。
農家の持つ耕作放棄地は2000年の15.5万ヘクタールをピークに減少しているのに対し、非農家の所有する耕作放棄地は増加の一途をたどっている。
農業を継がないこともが増えていて、会社員などになった子どもは農業への関心が薄く、相続しても放置されている状態だ。
意欲ある農家に売却したり、賃貸したりして活用するといいのだが、地方の農地は安価で相続しても課税されることも少ないため、そのまま放置されているというのが実態だ。
土地が5~10アールと小規模に点在していて大規模な農地にまとめにくい事情もあり、またそれを借りるための手続きも煩雑だ。
現在250万人の農家は今後5年で70万人以上が引退する見込みだそうで、これまでと同じ対策では通じないという。
2009年12月から、農地を相続した場合に地元の農業委員会に届け出る義務が課せられているが、生の一番の根源である食糧にかかわる問題としてもっと重要視した政策をとるべきだろう。
オリンピックが終わった。
この半月余り、テレビも新聞もオリンピックで占領されていた。
オリンピック狂騒曲とでもいうようなテレビ報道について、私は批判めいた記事を書いた。
しかし、それにしてもオリンピックは、どうしてこんなに感動させるのだろう。
私は、何度も何度も感動の涙を流してしまった。
選手が勝って泣くのも、負けて泣くのも、それは全力を尽くして練習してきたからだ。
限界まで練習してきたからだ。
限界以上の練習をしてきたからだ。
観衆の多くは、選手たちがやってきたような極限までの努力をしてきてはいない。
そんな観衆は、自分たちが経験したこともない限界を超えた苦しい練習に耐えてきた選手に感動を覚えるのではないだろうか。
昨日の「サンデーモーニング」で、有森裕子さんが日本マラソンについて「喝」を入れられていた。
有森さんは、バルセロナ五輪女子マラソンの銀メダリスト。そしてアトランタでは銅メダルを取った。
有森さんは、練習の甘さを指摘していた。
限界まで練習したと思っているようではダメだというのだ。
限界を超えて練習するところに成果が生まれるというのだ。
高橋尚子選手や野口みずきさんは、有森さん以上に才能を持った選手だったが、その高橋さんも野口さんも限界を超えた練習をしてた、と厳しい意見を言っていた。
負けた選手に、これだけ手厳しい意見を言う解説を初めて聞くような気がした。
有森さんがこれだけはっきり意見を延べられるのは、自分がやってきたことの自信からだろう。
メダルを取るということは、それだけ厳しい練習があってからこその結果なのだ。
人々がオリンピックに感動を覚えるのは、その超越した過酷な練習を乗り越えて来た者に対する畏敬の念なのだろう。
少なくとも、私はそうである。
感動の後に、自分のやってきたことへのほろ苦い後悔と、よっしゃー今からもう一頑張りしてみようという思いが湧いてくる。
勝った人も、負けた人も、感動をありがとう。
朝、天気が良さそうだったので、バイクで阿蘇まで遠出をしてみようと思い立った。
宮崎までより距離的にはずいぶん遠いのだが、信号が無いので渋滞が少ない。
普通ならイライラする信号待ちだが、バイクだと信号待ちの車をすり抜けて先頭に立てるから、信号でひっかかるのはむしろ歓迎である。
初めてのバイクツーリングは思ったよりはるかに快適だった。
気持ちよくバイクを走らせていたのだが、阿蘇を目前にして急に雲行きが怪しくなってきた。
私のお気に入りの絶景ポイントである高森峠まであと20分というところで、ポツポツと雨が落ちてきた。
と思いきや、ポツポツがザーザーになってきて、あわてて木陰で雨合羽を羽織った。
100円ショップ「ダイソー」で購入していたものだが、なかなかすぐれものだった。
雨合羽を羽織って、しばらく走っていたのだが、進むに連れてスコールみたいな雨になってきた。
雨の中での運転は初体験。
視界が悪い。
目的地の高森峠まであとちょっとのところだったが、この雨では阿蘇の景色も見えないだろう。
ということで、初のバイクツーリングは不調に終わりました。
しかし、バイクを走らせるというのは気持ちのいいものだ。
近日中に、もういちど阿蘇まで走ってみようと思っている。
今日は、不動産コンサルティングの講習。
会場は宮崎市。
唯一の公共交通機関のJRは、一時間に特急一本、普通が一本。
だから、日常の移動手段は車になる。
それなのに道路の整備も遅れている。
高速道路はない。
主要道路は片側一車線の国道10号線のみ。
お盆のせいか、いつもより道路が混んでいる。
ちょっと早めに出たのに10分の遅刻。
遅刻はいけない。
スタートから負け勝負になる。
恐縮しながら会場に入ると、開会の挨拶をやっているところで、のなんとか講習には間に合った。
不動産コンサルティングの資格の説明をしようと思って書き始めたのだが、講習が面白くなってきたので講習に専念することにして、不動産コンサルティングについてはまたの機会にお話ししよう。
今日の午後にも、消費税増税法案が成立するらしい。
国家、国民のことを考えての増税法案だというのは言葉だけで、国民には党利党略で政策を決定しているようにしか見えない。
野田総理の「近いうちに」解散するという言葉で自民党も消費税法案に賛成することを決めた。
「近いうちに」というのは、いかにも曖昧な表現で、それぞれが、それぞれに都合の良い解釈をしている。
そんな中で、民主党の輿石幹事長の「党首が交替すれば(3党)合意は無効で」という発言は大問題だろう。
バカな発言をする政治屋ばかりで、あきれるような発言には驚かなくなってしまったが、平議員の発言ならまだしも政権与党の幹事長の発言として、もっと大騒ぎすべき問題だと思う。
党首が交替すれば無効ということは、ありえない。
野田さんが谷垣さんと個人的に飲み会の約束でもしたのならそれでいい。
しかし3党合意は、党を代表して野党の党首と約束したことだ。
党首が変われば合意が無効になると考えるような人が幹事長をしている党の存在価値はない。
しかも、政権与党の幹事長なのだ。
他国との外交で、首相が変わったので約束は無効ですと言った日には、国家の存在が危うくなる。
今朝のテレビは、どのチャンネルを回してもレスリングの伊調馨さんと小原日登美さんで埋めつくされていた。
伊調さんは3連破の金メダル。
小原さんは、初出場での金メダル。
嬉しくてテレビが取り上げるのはわかるけど、すべてのテレビ局にかりだされて、同じような質問に同じような答えを返している。
私もオリンピックは見ているけれど、テレビのチャンネルをまわしても、朝から番まで同じ顔ぶれの同じ場面ばかりというのはいただけない。
メダルを取って嬉しいから、質問する方も質問される方も、同じ会話を何度くり返しても楽しいのだろう。
それにしても、余りにも同じ質問と回答ばかりで、選手から「与えられた勇気と感動」が薄められてしまうような気がする。
余談だが、私は試合や競技を見ていて涙することが多々あるのだが、選手の「(国民の皆様に)勇気と感動を与えることができて嬉しい」という言葉には違和感を感じる。
感動を受けた人が、「勇気と感動を与えてくれてありがとう」というのは良い。
しかし、与えた本人が「勇気と感動を与えた」なんて言うのは、おかしいような気がする。
私が台本を作るとしたら、「みなさんと、勇気を感動を享有できて嬉しい」というセリフにする。
余談はさておき本題に戻りたい。
朝から晩まで同じ話の繰り返しばかりを垂れ流すだけでいいのだろうか。
オリンピックに国民の目を釘付けにさせた裏側で、政治屋が醜い自己保身の政略闘争を繰り広げている。
日本の再生に必要だということで自・公・民の3党で合意したはずの消費税増税法案が採決されないまま、政争の具と化している。
3党合意を解散総選挙の切り札にして解散を迫る自民党。
解散しないのであれば不信任決議案を出すぞと脅かす。
消費税増税法案は日本の再生に必要だから賛成するのではなかったのか。
賛成すれば解散するから賛成しただけなのか。
解散するのであれば代表の座から引きずり下ろすぞと騒ぎ立てる民主党。
代表の座を失うことは総裁の座を失うこと。
それにうろたえるかのような野田さんの優柔不断。
不退転の覚悟で消費税法案を通すと言い続けているのだから、消費税法案を通すためには解散もやむなしだろう。
どこで手を打ったかはわかるすべもないが、消費税増税法案は衆議院を通過することになった。
オリンピックでメダルを取った選手に、他局と同じ質問をあびせるだけのつまらないオリンピック番組に時間を割くよりも、1局くらいはオリンピック以外のニュースを取り扱った方が視聴率も稼げるはず。
政治も、原発事故のウソも、オリンピック報道に隠れるように小出しに報じられている。
民間放送はスポンサーがあってこそだから、政治や原発にはかかりあえないのが実情なのだろうなあと思った、今朝のワイドショーの感想だ。
仙台市の高校生が、「根性焼き」と称してタバコの火を腕に押しつけられる「いじめ」にあっていたというニュースがあっていた。
被害高校生の腕に残っている、20数カ所のタバコの火を押しつけられた火傷のあとが痛々しかった。
これを「いじめ」として取り上げるのはおかしいだろう。
これは、れっきとした傷害罪だ。
傷害罪は親告罪ではないのだから、これはまぎれもない刑事事件である。
マスコミは「いじめ」を流行りのように、「いじめ」として騒ぎ立てている。
一般社会でこのような事件が起これば、これは傷害罪以外のなにものでもない。
今回のような身体的暴力ではなく、言葉による「いじめ」も、一般の会社で同じようのことが起これば、「パワーハラスメント」として、会社は損害賠償ものだ。
学校という平穏な世界と思われる場所で、傷害罪が見過ごされ、パワーハラスメントがまかり通っていることの矛盾を認識すべきだろう。
そのための第一歩は、「いじめ」という言葉を捨てること。
そこで行なわれていることは、傷害罪であり、恐喝罪であり、窃盗罪であり、パワーハラスメントなのだ。
朝、布団から立ち上がろうとしたら、両足の膝とふくらはぎが痛い。
歩き詰めの東京での三日間の後遺症だ。
昨日は10212歩。
一昨日が、17766歩。
一昨日は、なんと27912歩も歩いている。
一昨日は、目的の人物が住んでいると思われるマンションを何度も訪問した。
絶対に会うという覚悟で行っていたので、午前中から夜の10時半まで、何度も訪問することになった。
マンションの玄関で待ち続けていては不審者に間違われるので、どこかで時間をつぶそうと思って周辺を歩き回ったのだが、喫茶店もファミレスも、食堂みたいな店も無い。
探し回れば、何かあるだろうと思って、ひたすら歩き回ったのだが、まったく無いのだ。
駅の周辺を歩いても、何にもない。
駅の反対側の通りを探してみたが、やはり無い。
2時間くらいさまよって、マンションに戻ってみたが、やっぱり不在。
浜松町(東京)に取っていたホテルでチェックインをすませ、シャワーを浴びて出直すことにした。
晩飯も済ませ、7時過ぎに再度マンションに行ったのだが、またしても不在。
あきらめて帰るわけにもいかない。10時くらいにはもどるだろうと思い、そのころにもう一度来てみようと思って、どこかで時間を潰そうと思ったのだが、そんな場所がないのだ。
結局、街をうろちょろして時間をつぶすことにした。
こんな経験は初めてのことだったが、疲れても道路で座り込むわけにはいかない。
わけもなく道路にたたずんでいたのでは不審者のようだ。
道路に座り込むのもまた同じこと。
人から自然にみられるためには歩き続けるしかない。
それで、ひたすら歩きつづけた。
その結果が29712歩だった。
相続については、財産管理人を立ててやることにした。
裁判所の許可を得てやるので、3、4ヶ月はかかるだろう。
しかし、横浜まで行ったことは、まったく無駄ではなかったと思っている。
疲れはてて宮崎空港から延岡へ向かう電車乗っている。
二日目も、午前中に訪問した。
またしても、インターフォンに応答はない。
夜に出直すことにして、それまで時間をつぶすことにした。
東京に仲の良い有人がいるのだが、あいにく予定がふさがっていて、夕食をいっしょにするくらいの時間しか取れなかった。
観光旅行と違って、行くあてのない時間つぶしは楽しくもない。
とりあえずはスカイツリーでも見てこようと思って、浅草まで出た。
仲見世、浅草寺をぶらつき、洋食の有名店「ヨシカミ」で昼食。
昨日は牛丼とラーメンだったので、ちょっと贅沢にステーキにした。
注文して、すぐに失敗に気づいた。
ステーキは、どこで食べてもステーキだ。
もっと手のかかった料理を頼めば良かったと後悔しつつ、ステーキを食する。
まずいステーキはないから、満足ではあった。
そのあと、スカイツリー目指して歩くことにした。
浅草寺からスカイツリーは間近に見える。
歩いても歩いても、どこからでも、スカイツリーは見える。
いろんなスカイツリーを眺めなから歩いていると、どこからかジャズが聞こえてきた。
音の方向に向かって行くと、路上でジャズを演っている。
デキシーランドジャズで、なかなかいい。
感じのいいパブ風の店の前で、この店で今からライヴ演奏をやるらしい。
スカイツリーは後回しにして、入って見ることにした。
ミュージックチャージが2000円とある。
店内は、15,6人の入り。
味のあるおしゃれなおじさんと、おばさんたちだ。
そこに、宮崎から来たダサいおじさんか加わった。
演目は誰でも聴いたことのあるスタンダードな曲。
アイスコーヒー500円ってのも、うれしかった。
そうこうしているうちに、友人から電話が入り夕食をごちそうしてくれると言う。
東京に来るたびに有名店をおごってくれる。
昨日は日曜日で、連れていきたかった和食の店がやすみで、陳健一さんの渋谷の中華をごちそうしてくれるという。
渋谷駅の目の前にそびえる高層ホテルの中の店であった。
裕福そうな人たちが楽しげにテーブルを囲んでいる。
田舎者でつましい生活をしている私は、ちょっと尻込みしてしまいそうな気持ちになった。
コース料理の注文が終わると、ようやく雰囲気にも慣れ、友人と楽しく食事することができた。
東京は、本当に魅惑的な街だ。
私は、学生生活と卒業後の何年かを東京で過ごした。
そのときに思ったのは、東京はお金があったら最高に楽しい街。
そして、お金がなくても暮らせる街。
今回の東京は、そんな思いをあらためて感じ直した。
友人との楽しい時間が終わり、そのあともう一度横浜まで目的マンションを訪問した。
なんと、インターフォンに応答があった。
しかし、それは目的の人ではなかった。
目的の人ひすでに引っ越していて、次の入居者がはいっていた。
そして今日、最後のだめおしで、平日はいるという管理人さんに話を聞きに行った。
私の目的の人は確かにいたが、去年退去して、行き先不明だということだった。
これで、手がかりは無くなった。
次の手は、財産管理人を立てて裁判所の許可を得て売却するしかないのだが、不明の人の住所が横浜になっているから、横浜の裁判所に申し立てることになる。
困難な道のりだ。
連絡の取れない相続人の手がかりをつかめるんではないかと横浜まで来た。
勝算があってのこと出はなかったが、なぜか、相続人のこどもさんには会えると思ってのことだった。
戸籍の付票にある住所は簡単にたどり着いた。
しかし、大きな壁があった。
玄関のオートロックだ。
住民票で部屋番号はわかるので、インターフォンを押すが反応がない。
時間をつぶして出直そうと思って駅の周辺を歩いてみたが、時間をつぶせる店がない。
喫茶店もファミレスも、ましてや映画館もない。
うろちょろとさまよって、一時間くらい経って、もう一度行ってみたが同じことであった。
時間をつぶせる場所もないし、いったんホテルにチェックインして、晩飯をすませて出直すことにした。
ホテルは浜松町。
生麦までは電車で30分足らず。
電車の便のことを知っていたら、品川にホテルを探したほうがよかったなどど思いつつ、再度生麦に出向いた。
時間は7時半。
今度はいるだろうと期待してインターフォンを押す。
反応がない。
セールスを嫌ってインターフォンに出ない人もいるので、何度も押してみるが、やはり反応がない。
部屋に灯りが灯っていないので本当に留守なのだろう。
時間をおいて来ようと思うのだか時間をつぶせるような店がみごとにないのだ。
居酒屋はあるのだが、人を訪ねていくのに酒の臭いをさせて行くわけにもいかない。
それに、私はアルコールには弱いのだ。
横浜まで来て、あっさり投げ出すわけにもいかない。
出入りする住人に様子を聞くがてなにもわからない。
何だかんだで11時前まで待って、ホテルに戻った。
それにしても、こんな時間でも次々に電車が来る。
電車は、たくさんの人をはじきだし、そしてまた詰め込んで行く。
つくづく東京のすごさを感じなから、疲れた体を引きずって電車に乗り込んだ。
今から再訪する。
東京に着いた。
東京は2年ぶり。
いつものことながら、人の多さに圧倒される。
宿泊地は浜松町。
仕事の目的地は横浜なのだが、羽田からのアクセスがいいので浜松町のビジネスホテルをベース基地にして動くことにした。
横浜までは電車で30分くらいだから、仕事にも差し支えがない。
銀座にも近い。電車で二駅。
ホテルに荷物を置いて、銀座で昼食としよう。
そして、私にとって、銀座といえば伊東屋。
地下2階、地上9階、すべてが文房具の店である。
文房具ファンなら誰でも知っている有名店だ。
10時の開店から閉店まで、店内は常にごった返している。
興味のない人にはわからないことだろうが、文房具ファンは思いの外多いのだ。
ここで2時間くらいを予定している。
めくるめく2時間だ。
そして、夕方をめどに目的地の横浜へ人探しに行くことにしている。
今日は、7時12分、延岡駅発で宮崎空港に向かうことになっている。
行き先は東京。
正確には横浜に行くのだが、田舎者には横浜と東京が一緒に感じる。
観光旅行ではない。
取引予定の物件の相続登記ができなくて、苦し紛れに横浜に行くことになったのだ。
相続人は二人姉妹だけということだったのだが、お父さんに養子がいて、その人と連絡がとれない。
養子になっている人は、相続人である姉妹の姉の方の実子なのだが、どういう事情かはわからないが、姉の父、養子の人から見ると祖父と養子縁組をしている。
子どもが女の子だけで、父方の姓を残すために、祖父の養子になったのかもしれない。
理由はどうあれ、通常なら、養子も実子と同格の相続人になるだけで、その人の印鑑が揃えば相続登記はできる。
それで、大きな問題になるとは思っていなかったのだが、いざ相続登記にかかると、養子の方と連絡が取れないというのだ。
いろいろ事情はあるのだろうが、もう何年も音信不通で現住所もわからないという。
それで、「戸籍の付票」をとって、現住所を調べることにした。
「戸籍の付票」というのは、戸籍に入っている人の住所履歴を証する書類だ。
引越しをして新しい居住地に住民登録をすると、戸籍の付票にもその住所が登録されるというものだ。
通常は戸籍の付票に記載されている最新の住所が、その人の居住地ということなる。
しかし今回のケースは、その住所に手紙を送ったが、「宛て先人不在」ということで手紙が戻ってきたのだ。
戸籍の付票の最新の住所の「住定日」(住みはじめた日)は平成20年。
4年前のことだから、その住所にいると思っていたのだが、そこにはいないようなのだ。
肝心の私の依頼者である「姉」に、なんとか「養子」さんとの連絡の取りようはないのかと尋ねるのだが、まったくわからないという。
「養子」の印鑑が揃わないと相続登記はできない。
最終的には、「養子」の相続分の財産管理人を立てて裁判所に許可をもらって相続登記をすることができるのだが、戸籍の付票に残っている可能性にすがって横浜に行くことにした。
というのは、戸籍の付票には同じ戸籍に入っている人の住所履歴も出るのだが、そこにある息子さんの住所に行けば、解決の道が見つかるかもしれないという淡い期待なのだ。
「姉」から、その住所に「養子」の宛て名で手紙を出したが、これも戻ってきた。
「姉」と「養子」の関係がこじれているので、手紙ではらちがあかないようなので、私が「養子」の息子さんの住所地に行ってみることにした。
ここに息子さんが住んでいなければ、裁判による相続の段取りをするしかない。
うまくいくと信じて眠りにつこう。
どちらにしても、久し振りに都会の空気に浸って来ようと思っている。
小沢一郎代表が、国民の生活が第一党の基本政策を発表した。
「原発ゼロへ」 「消費税増税廃止」「地域が主役の社会」を、基本政策の三本柱として掲げている。
原発は10年後をめどに全原発を廃止する。
消費税増税は撤回し、地方に大幅な権限と財源を移すというのだ。
フレンチトーストに、蜂蜜をかけて、生クリームと、チョコレートをまぶしたような、おいしそうな政策だ。
党名同様、インチキ臭いこと限りない。
政権交代前であれば、国民はだまされたかもしれない。
民主党の政権交代の選挙では、「マニフェスト」に期待してだまされた。
「選挙公約」というのは、選挙のときだけの方便ということがばれていた。
それで「マニフェスト」という聞き慣れない言葉で選挙を戦い、その目眩ましが見事に成功した。
小沢さんは、その「マニフェスト目眩まし作戦」を指揮してきた人だ。
政権交代して3年余、政権の中枢にいて何もできなかった人だ。
インチキがばれて、民主党では次の選挙に勝てないと見るや、新党を興して選挙向きの公約を掲げたわけだ。
「国民との約束を守らない民主党は、国民から見放される」と言っておられるが、「小沢さんがそれを言うことの矛盾」を感じていないのか?
野党にいた人や、民主党の1年2年生の平議員さんの言葉であればまだしも、小沢さんは民主党の舵取りをしていた人。
そんな人の、美味しすぎるお話しを鵜呑みにする国民はもういないだろう。
おめでとう、松田丈志選手。
松田選手は当地(宮崎県の北端の街、延岡市)出身。
出身だけではなくて、現役の延岡人だ。
リーマンショックのあとスポンサー契約がきられて、次なるスポンサー探しをすることになった。
一時は引退も考えたほどスポンサー探しは困難を究めたが、「延岡で練習すること」と、「ともに歩いてきた久世コーチといっしょに」ということを絶対の条件にした。
郷土・延岡市と、久世由美子コーチへの思いを譲ることはなかった。
松田選手は、見かけのとおり愚直なくらい律儀な男だ。
私は、友人の息子の結婚式で松田選手といっしょになったことがある。
松田選手は、友人の息子の同級生としての出席だった。
海外遠征から帰って来たその日に、宮崎まで帰って来ての出席だった。
次の日には代表選手としての合宿に戻らなくてはならないという、厳しいスケジュールをおしての出席だった。
新郎の同級生ということで、「松田君」「松田君」と君付けで気安く呼ばれていたが、そんな声に実に実直にこたえていた。
新郎の職業が高校の先生ということで、教え子の生徒たちもたくさん出席していたのだが、群がる高校生の一人一人と、まったく嫌な顔をしないで写真におさまっていた。
この心の優しさは勝負の世界には仇になるのではないかと思ったものだった。
そんな松田選手が、オリンピックで堂々の銅メダル。(※注 ちょっとおやじギャグです)
性格の悪い私はめったに人をほめないのだが、松田選手には心から尊敬の念を表したい。
おめでとう、松田選手。
ありがとう、松田選手。
毎日、オリンピックの報道を見ている。
勝って泣き、負けても泣き、それを見ていっしょに泣いてしまう。
オリンピックに自分の人生の全部をかけて、死に物狂いで誰にも負けないくらい練習をしてきたからこその涙だ。
これほどの努力をしたことのある者がどれだけいるだろう。
私は、やっていない。
たくさんの涙があるけれど、今朝のテレビで見た柔道の中井貴裕選手の涙に、私は一番感動した。
81キロ級の3位決定戦で負けた中井選手は、負けた瞬間から大泣きだった。
試合場を降りるときも、会場を出るときも、そしてインタビューを受けているときも、人目をはばからずに泣きじゃくっていた。
泣きじゃくっていて、インタビューに答える声もとぎれとぎれだった。
オリンピック選手の涙のすべてに感動させられるが、中井選手の涙に私は最高の感動を覚えた。
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