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2012年8月13日 (月)

オリンピック

 オリンピックが終わった。

 この半月余り、テレビも新聞もオリンピックで占領されていた。

 オリンピック狂騒曲とでもいうようなテレビ報道について、私は批判めいた記事を書いた。

 しかし、それにしてもオリンピックは、どうしてこんなに感動させるのだろう。

 私は、何度も何度も感動の涙を流してしまった。

 選手が勝って泣くのも、負けて泣くのも、それは全力を尽くして練習してきたからだ。

 限界まで練習してきたからだ。

 限界以上の練習をしてきたからだ。

 観衆の多くは、選手たちがやってきたような極限までの努力をしてきてはいない。

 そんな観衆は、自分たちが経験したこともない限界を超えた苦しい練習に耐えてきた選手に感動を覚えるのではないだろうか。

 昨日の「サンデーモーニング」で、有森裕子さんが日本マラソンについて「喝」を入れられていた。

 有森さんは、バルセロナ五輪女子マラソンの銀メダリスト。そしてアトランタでは銅メダルを取った。

 有森さんは、練習の甘さを指摘していた。

 限界まで練習したと思っているようではダメだというのだ。

 限界を超えて練習するところに成果が生まれるというのだ。

 高橋尚子選手や野口みずきさんは、有森さん以上に才能を持った選手だったが、その高橋さんも野口さんも限界を超えた練習をしてた、と厳しい意見を言っていた。

 負けた選手に、これだけ手厳しい意見を言う解説を初めて聞くような気がした。

 有森さんがこれだけはっきり意見を延べられるのは、自分がやってきたことの自信からだろう。

 メダルを取るということは、それだけ厳しい練習があってからこその結果なのだ。

 人々がオリンピックに感動を覚えるのは、その超越した過酷な練習を乗り越えて来た者に対する畏敬の念なのだろう。

 少なくとも、私はそうである。

 感動の後に、自分のやってきたことへのほろ苦い後悔と、よっしゃー今からもう一頑張りしてみようという思いが湧いてくる。

 勝った人も、負けた人も、感動をありがとう。

 

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