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2012年10月22日 (月)

養老孟司さんの悟り

 「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を読んだ。

 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、神道と、それぞれの宗教に詳しい人との対談も交えて偏ることなく解説している。

 テレビでの解説と同じく、非常にわかりやすい説明になっている。

 歳のせいか宗教興味を覚えていた私にとって、非常に意義のある本であった。

 池上さんは、私の考えと同じ歩幅をもっているのではないかと感じ、すっきり読めた。

 そのことについては、いつか書きたいと思っている。

 そんな中で今日は、この本で池上さんと対談していた養老孟司さんの話は、おおいに共感するところがあった。

 養老さんは、「人間の致死率は100%」なのに、日常生活で死は「あってはならないもの」になっている状態を、異常だと言っている。

 それなのに、年をとってから急に「自分が死んだときどうする」って慌てると指摘している。

 養老さんは職業がら、年がら年中死体を相手にしてしきたから、「いずれ俺もこうなるって嫌でもわかっていた、と言う。

 それについて、池上さんが「若いころから死について考える習慣をもった方がいいということですか」と聞くと、「私の場合は、自分が死んだ後のことまで知ったこっちゃないと思っているから参考にならないかもしれない」と言い切っている。

 「死んだあとのことは知ったこっちゃない」

 「死んでしまえば、あれこれ悩む必要がなくなる」とも言っている。

 これはもう、お釈迦様の悟りの境地だ。

 解剖学者として日常的に死体を見続けてきた結果の悟りなのだろうか。

 私は、とても養老さんみたいに達観した境地にはなれないが、死んだあとは「無」ではないかと思っているところなのだ。

 ただ、「葬式を自分の思い通りにしたいなんてのは私にはわからない。生き残る人間が考えればいいことだ」

 「(葬式は)結局は『世間の都合』で、そこを日本の文化は上手に残してあるし、今後も社会的な構造として残すしかない」という考えには諸手を挙げての賛成はできない。

 養老さんほどの名声のある人は、それここ「世間の都合」で葬儀は執り行われることになるだろう。

 それを思っての養老さんの発言になったのだろう。

 しかし、一庶民である私は、自分の葬式が、残る者にとって負担のないものになる遺言は書いておきたいと思っている。

 

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