囲繞地通行権というのは、他の所有者の土地に囲まれてて公道に接していない土地の所有者が、公道まで他の所有者の土地を通行する権利のことだ。
(囲まれている側の土地は「袋地」といわれ、この言葉は聞いたことがある人も少なくないだろう。「袋地」を囲んでいる側の土地を囲繞地という。)
先日、この袋地状態にある土地に建っている一戸建の賃貸借契約をした。
もともとこの家には家主が住んでいたのだが、事情があって貸すことにしたものだった。
家を貸したいという相談を受けて現地を見に言ってみると、隣接する家の庭先に人が一人通れるくらいの通路があって、その通路だけが公道につながる道になっている。
しかし、その通路はこの家の私道ではないように見受けられた。
家主に事情を聞いてみたが、権利があるような無いような、釈然としない。
それで、公図をとって調査してみると、やはり袋地であった。
家主に、この通路の通行権はどうなっているのかをたずねたところ、数十年にわたって通路として使っていて、何も問題はないとのことだった。
希望としては貸家にしたいが、売ることも考えているという。
貸家にするのであれば問題はないが、売るとなると建替えのできない土地であるから、相当安くしないと買手はいないことを説明した。
建築基準法の規定で、敷地が2メートル以上接していないと新たな建築物は建てられないのだ。
このことについてはまた別の機会に話すことにして、駐車場無しでなかなか借り手が見つからなかったこの家の借り手がやっとのことで見つかった。
当地(宮崎県の北端の街、延岡市)では、車無には生活しにくい。
車は、一家に1台ではなく一人に1台という状況の中、条件に合うお客さんが見つかってよかったと、家主さんともども喜んだものだった。
無事契約を済ませて、入居日の朝借主から電話が入った。
今、引越しをしていたら、入口の家の人が出てきて、「この通路は自分の敷地だ。ここを通るなら通行料をもらわないといけない」と言われたというのだ。
家主は通行料はいらなかったと言っていたし、私も何度もお客様を案内していて、その際にこの隣接者の方と顔を合せ挨拶を交わしたことがあるが、ごく温厚な感じで何も言われなかった。
それで、改めては通行料のことを確認はしていなかった。
家主に確認の電話を入れると、今まで数十年そんなことを言われたことは無いという。
入居者に迷惑をかけるわけにはいけないので、その足で隣接者の方に話を聞きにいった。
通路を通さないという話であれば、囲繞地通行権の事をせつめいして通してもらわなければならないと思っていた。
ただし、通行料の請求があれば支払わなければならない。
それは家主が払うべきものだと、家主さんにはなっとくさせてのことだった。
まずは、入居者が決まったことを報告してなかった失礼を詫びて、通行料はいくらくらいを考えているのかをたずねてみた。
第一声は、「そもそもは金の問題ではなかった」というのだ。
もともと、隣にいてもあまり話したことも無かった。
そして、引越しのときには挨拶もなく、引越しで出た不用品を通路に投げ捨てるようして置いていた。
貸家にして引っ越してきた入居者は、引越しの荷物を通すために、断りもせずに通路に置いてある自転車を道路に運び出した。
そもそも通路は自分の敷地で、そこに置いてある自転車を断りもなく、道路に運び出したのに我慢ができず、「ここは私の土地だ」という発言になったようだ。
自転車を運び出したのは、引越しを頼んでいた運送屋さんがやったことのようだったので、行き違いがあって申し訳ないとお詫びして、通行料を払うことにした。
入居者が決まったときに、引越しでご迷惑をかけるかもしれないと私も挨拶に行けば良かったと反省させられた。
私は、アパートをお世話した入居者が若い人の場合や、小さな子どもさんがいるお客様には、引越しの際の挨拶をきちんとするように指導している。
仲良の良い人の騒音は気にならないが、同じ屋根の下に住んでいて挨拶もしないような関係だと、騒音がトラブルの原因になる。
おせっかいなおじさんだと思われるのを厭わずにそんな話をしている。
しかし、今回はそんな説明をする必要のない年代のお客様だと思って、おせっかいをしなかった。
それもまた、反省材料となった。
人は感情の動物だと、つくづく感じさせられた。
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