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2013年11月11日 (月)

勇気を与えるためって言葉はおかしいと思うのだけど。

 前々から、スポーツ選手や芸能人たちの「勇気を与える」「感動を与える」という言葉に違和感を感じていた。

 どうして、こうも、みんな口をそろえて「勇気や感動を与えるために」と言うのだろう。

 戦っている最中に、被災者のことを考えている選手はいないはずだ。

 みんな自分が勝つことだけを考えて、必死に戦っているはずだ。

 私が違和感を感じるのは、「与える」という言葉は、目上の人から目下の人に授けるときに使う言葉だと思っているからだ。

 それなのに、「勇気を与える」があふれているのは、私の語感が間違っているのかと広辞苑を引いてみたが、広辞苑にも、「自分の物を目下の相手にやる」とある。

 被災者の方々が「勇気をもらった」という言葉を受けて「勇気を与える」という言葉が流行してしまったかもしれない。

 どうしても「勇気」を使いたいのなら、「勇気づける」と言うことだろう。

 先日の新聞にあった、浅田真央選手、高橋大輔選手、織田信成選手の振り付けをしているローリーニコルさんの言葉は優しかった。

 ニコルさんは、選手を送り出すときこう言う。

 「あのたたちのプログラムを見ることで、地球上の人が一瞬でも、飢えや病気、犯罪や人間関係の苦しみから逃れられるならと考えて滑って欲しい」

 「与える」というのは、いいかげんにやめにしてもらいたなあ。

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