青島太平洋マラソン2013完結編 初出場初完走
昨日、スマートフォンの速報でアップした青島太平洋マラソン完走の記録をアップしたい。
(スタート前、フィニッシュゲートを裏から撮影。ゴールのときに撮る余裕はないだろうから)
大会前日。夕方6時過ぎに宮崎入り。
㈱和光産業の甲斐旭君の手配で、こんなにいい部屋に格安で泊まることができた。
ちなみに甲斐旭君は、今大会でサブスリー(2時間台)をめざしている。
電動マッサージ機も完備。
㈱和光産業からはフルマラソン3名、10㎞マラソン2名が参加を予定していて、準備をしていない私の面倒を見てもらった。
大感謝!
大会当日
朝5時起床。
昨日の内に各自用意した朝食をすませて、廊下に6時集合。
きっちり6時に集合。
㈱和光産業のイケメントップ(仕事もできる)山口君の運転で出立。
6時半だというのに、スタート会場のサンマリンスタジアムの手前から渋滞していた。
第一駐車所は、すでに満車。
第二駐車場に車を停め、最終の荷物確認。
会場に入ると、スタート2時間以上も前だというのにこの大混雑。
屋台もたくさん出ている。(なぜかピンぼけだけど、それもよし)
スタート前のセレモニー。
東国原・前宮崎県知事。千葉真子さん。君原健二さん(メキシコオリンピック銀メダリスト。なつかしい)
セレモニーが終わると、いよいよスタート。
ゼッケンをつけ、手荷物をあずけてスタート地点に向かう。
このゼッケンにはICチップが取り付けられていて、自動的にタイムが記録される。
(出場手続きも、前日に㈱和光産業の社員さんがやってくれていた)
予想タイムを元にゼッケンナンバーが決められている。
ゼッケンナンバーごとに指定されたプラカードの後ろに並ぶことになっている。
申し込み時点では6時間前後での完走が目標だったが、後ろに並ぶとスタートまで10分以上かかると聞いていたため、私は4時間45分で申告していた。
それで、私のゼッケンナンバーは5112。
私の前には、3000人くらいの人がいるのだろう。
いよいよスタート。
千葉真子さんの甲高い大きな声でスタートの合図。
しかし、一向にスタートしない。
3分以上経ってようやく動きはじめる。
人込みに押されて、のそのそと歩きだす。
道路に出ても混雑は終わらない。
10分過ぎて、最初の1㎞の表示を経過した。
そのころになると、なんとか自分のペースで走れるようになる。
すばらしい景色が続く。
見渡すと、ずーーーーっと先まで人の帯が続いている。
有料道路を走っているので、応援の人はいない。
まずいことに尿意を覚える。
スタート前に済ませたのだが、そのあとに水分を取りすぎたようだ。
トイレは十分に用意されているのだが、最初のトイレには行列ができていた。
まだ我慢ができる。もっと先でトイレに行こうと思って走り続ける。
と、突然前を走っていた人がコースから外に飛び出していった。それも何人もの人が。
なんだろうと思ってそちらをみると。これ。
市街地に入る前に、たちションポイントが2カ所ほどあるようだ。
まもなく市街地に入り、沿道にはびっくりするほどたくさんの人が声援を送ってくれている。
人見知りの私は、声援の人を間近にして、緊張して真面目に走り続けることになった。
とても写真を撮っている余裕は無い。
今思うと、この応援の様子も写真に撮っておけば良かった。
特に、往復2回、都合4回通る県庁の並木通りの風景は絶対に撮るべきだった。
心強い声援に押されて、15㎞過ぎで宮崎神宮を折り返すまで、ひたすら走りに専念する。
とても写真を撮るどころではなかった。
カメラなんか持って来なければよかったと思っていた矢先、大きな太鼓の音が聞こえてきた。
タイムが気になるが、折角デジカメを持ってきたのだから、これは撮らなくては。
このころになると、少々足に痛みを感じてきた。
つくづく声援には力づけられる。
声援とウォークマンの音楽で気持が維持できる。
さっき通った県庁の並木通りが20㎞地点。
ここの給水で立ち止まった後に走り出そうとしときに、足に今までと違った違和感を感じた。
筋肉痛で動きが悪い。
デジカメ、エネルギー補給ゼリー、カロリーメイト、補水用のペットボトル、そしてラップを記録するためのスマートフォン。
私は、これらの荷物のためにウエストポーチを2個もぶら下げていた。
このころには、この荷物が重荷になって来ていた。
ここからは、ひたすら我慢の走りを続けることになる。
30㎞地点になると、再び市街地からは離れてしまう。
しかし、声援の人は途切れることが無い。
声援に感謝しつつ、痛みを堪えて走る。
ウォークマンの音楽も、耳を素通りしていくようになった。
そんなとき、こんなプラカードが目に入った。
そして、「気のせいじゃないよ」と一声かけた。
一瞬痛みを忘れたかなー。
このころになると、歩いたり、道の端でストレッチをする人が多くなってきた。
遠くにスタジアムが見えてきたが、遥かに遠い。
ここからが、つらかった。
スタジアムに到着したと思ったら、そのままスタジアムを通りすぎて、青島までのトロピカルロードに向かう。
遥か向こうに青島が見えてきた。まさかあそこまで走るんじゃないだろうなと思いつつ走る。
もう足は限界。
折り返して来た人とすれ違うが、歩いたり、ストレッチしている人も多い。
前方をながめてみると、人の帯は青島の方まで続いている。
どうやら、あそこまでいかなくてはいけないようだ。
気持が折れそうになる。
なんとか気持を取り直して、歩いたり走ったりを続けていると、青島が目の前に現れていた。
これから折り返しまでが、じつに長く感じた。
やっと青島の折り返し地点。
ずっと応援を続けているせいか、応援の人も少々疲れているようだった。
つらいのを堪えて、写真撮影。
ここからゴールまで約5㎞だったか?
これが最大の地獄。
35㎞の壁という言葉もある。
私は、いいかげんに走ってきたから壁というものは感じなかったが、とにかく足が痛かった。
ここからは、立ち止まったり、歩いたり、走ったりになる。
わかったことは、止まったままでは、いつになってもゴールには近づかないということ。
とにかく、右足と左足をを交互に出すしかない。
38㎞。39㎞。
ストップウォッチを見るが、時間の計算ができない。
もう、時間はどうでもいい。
40㎞。
ストップウォッチを見る。
4時間35分くらいを表示している。
残り2㎞を25分未満で走れば5時間が切れる。
この足の状態で1㎞10分で走れるのだろうか。
カメラで写真を撮っていた時間を後悔した。
5時間3分と5時間33分の30分の差は大差は無い。
しかし、5時間3分と4時間58分との5分の差は大きい。
私は、ここまで来たら、5時間は切りたいと思った。
足はすでに限界だが、とにかく走ることにした。
痛くて走れない。立ち止まって歩く。
そして気を取り直しては走る。
41㎞。
時計を見ると、5時間まであと10分以上ある。
何とかなる!
写真を撮っていた時間が悔やまれる。
不思議と、ここからの1㎞はスピードが上がった。
へばって歩いている人や、立ち止まっている人を何人も追い抜く。
そして、ゴール。
ゴールした瞬間は達成感で感動すると聞いていたが、それほどの感動間はなかった。
感じたのは解放感。
結果は4時間55分33秒。ネットタイム4時間52分34秒。
左から、甲斐旭君 私(笑ったつもりだけど、疲れ果てているなあ) 松田欣也君 松田欣也君 加行郁夫君 山口勝久君
甲斐旭君は3時間3分。残念ながらサブスリーは達成できなかった。
松田欣也君が6時間15分。練習不足だったが見事に完走。
加行君は、練習しないまま本番に臨むという無謀な挑戦であえなくリタイヤ。
山口君はエントリーをしていたのに、参加費の納入期限を忘れていて、今大会は応援にまわった。
終わってみれば楽しい青島太平洋マラソンだった。
和光産業のイケメン軍団と、ボランティアを始めとする温かい声援に、心からら感謝申し上げます。
追記
写真を撮る時間が無ければ、あと10分か20分はタイムが短縮できただろうけど、、写真をとっておいて良かったです。
いい思い出になります。
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完走おめでとうございます。
大した者です。
こちらも有気着けられる思いです。
投稿: 藤按 | 2013年12月10日 (火) 08時22分
ありがとうございます。
昨日は動けないくらいの激痛でしたが、
今日はなんとか歩けるようになりました。
いっしょに走った二人の若者は、
今日も歩けない状態のようです。
人の不幸は蜜の味。
まだ若い者にはまけないぞと、
ちょっとうれしい気分です。
投稿: johoakn | 2013年12月10日 (火) 11時26分