浅草の今、むかし。
今年の正月、東京に行った。
2日は、浅草花月。
朝10時開演のチケットを予約していたので、9時ちょっと過ぎに浅草に出てきた。
10時前だというのに、地下鉄の駅から結構な人出だった。
仲見世は人がいっぱいだったが、浅草寺に向かう人ばかりだから混雑しているというほどではなかった。
仲見世をぶらついて浅草寺でお参りをすませると、ちょうど開演時間の10時近くになっていた。
浅草花月は浅草寺からあるいて3~4分のところにあった。
博多華丸・大吉、キングコング、カウカウ等々、売れっ子芸人のお笑いを中央、前から2列目の席で大いに楽しんだ。
1時間弱の講演が終わって浅草寺の方に戻ってくると、境内は大混雑だった。
仲見世界隈のお店で昼食をとろうと思っていたのだが、仲見世通りは浅草寺へ向かう方向に一方通行に規制されていて、浅草寺からの戻りは仲見世通りと平行している裏道を歩かされた。
当然、食べ物屋さんはどこも満席状態。
私が予定していた有名店は、待ち時間1時間くらいはかかりそうな代行列。
昼食は、次の予定の上野動物園周辺でとることに予定を変更して浅草を離れることにした。
それにしても、想像を絶するまでの人の波。
仲見世通りの裏道をあるいて雷門のところまで戻ってきたが、雷門の前は身動きできないほどの人の山であった。
地下鉄えきから溢れ出てくる人の波がさばききれずに、人が歩道から車道まではみ出ていた。
浅草寺に参るひとは仲見世通りを通っていくことになっているようだが、仲見世通りの入り口にある雷門をくぐるまでに1時間はかかりそうな人の数であった。
地下鉄に通じる歩道は、とてもじゃないけど歩けなくて、ずっと違う方向を遠回りして地下鉄に向かった。
私の記憶では、私が学生時代を過ごしたころの浅草はこんなじゃなかった。
新宿、渋谷のにぎやかさに比べて、浅草はうらさびれた街だったような気がする。
交通のアクセスも悪かった。
上野方面からバスを利用するしかなかったような記憶である。
今は、地下鉄が3路線も通っているから、そのせいでにぎやかになったのだろうか。
それとも私の記憶違いなのだろうか。
そんなことを思いながら浅草の街を歩いたのだった。
しかし、私の記憶に間違いがなかったことがわかった。
2、3日前の朝日新聞の「リレーオピニオン 老舗の流儀」に、浅草が取り上げられていた。
「雷門は人でいっぱいね。あんなに雪が降っても、ありがたいことだわ。以前は中高年の人がおおかったけど、いまは若い人もおおい。あっちから中国語、こっちから英語が聞こえる。外国の人も増えたわあ。」で始まる特集記事に、浅草がピンチだったころの話があった。
「1964年にあった東京五輪のころから、あれよあれよと人通りが消えていったわ。『新しいことはいいことだ』ってんで、新宿や渋谷に人が流れてしまったのよ。」
「映画館や劇場があった浅草六区なんか、ゴーストタウンになっちゃった。1時間で通るのは人間5人と犬1匹」なんて揶揄(やゆ)されたわ。」
やっぱり私の記憶は間違いではなかった。
浅草六区なんか、なんか気持の悪い大人しか歩いてなかった。
そんな浅草を、「このままでは浅草が死んでしまうということで、女将(おかみ)さんたちが集まっては、68年につくったのが、『浅草おかみさん会』」だ。
「街おこしの基本は、イベントを続けることだと思う。1度来てもらうと、次に来やすくなるでしょ。2階建てバスを走らせたわ。故伴淳三郎さんの発案ではじめたサンバカーニバルは、30回を超えた。FIマシンに来てもらったこともある。」
「浅草が斜陽になった原因は、伝統にあぐらをかいたことね。老舗だからこそ、時代の流れで変わらなければならない。つねにイノベーション(革新)をおこさなければならないの。」
「仲見世にある店では、商売替えはざらよ。わたしのところも、もともとは和菓子屋だったけど、そば屋に変えたわ。暖簾(のれん)にこだわりつづけるのは、よくないことなのよ。」
「もちろん、変わらないものも、いっぱいあるわ。義理人情や、お客さんへのサービス精神ね。親からもらった土地と家で、正直に商売しているだけなんだけどね。」
「街おこしのリーダーには、四つの素養がいるわ。勇気、やる気、元気、そして、リスクを背負えること。企業に協力してもらうのに自分たちは一銭も出さない、というわけにはいかない。それが商人よ。わたしは、入りたくない生命保険に入ったし、個人保証で借金もした。肩書だけでリスクを背負わないリーダーなんか、いらないわ。」
「世の中、肩書じゃあないのよ。でも肩書がないと、公式な場で発言するチャンスがないのも、現実。だから、『おかみさん会』を協同組合にして、わたしが理事長をしているわけ。愛する浅草のためよ、一生がんばるわ」
なんとも含蓄のある話だった。
私が昨日のブログに書いた、高速道路が抜けることによる人の流出を防ぐだけではなくて、人を呼び込むヒントがたくさん含まれている。
そういえば私の師匠が、この「おかみさん会」のような運動を展開している。
そのひとつが「延岡華物語」という町おこしの運動だ。
そして私も、ほんのちょっとだけではあるが、その手助けをさせてもらっている。
どこにもすごい人がいるのだなあ。
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