おもしろい歯医者さんの続き
昨日の「おもしろい歯医者さん」の本題となる「たかの歯科通信」なるリーフレットを持ち帰ってひろげてみると、これが実に面白かった。
季刊のようで、私が持ち帰ったのは2013年秋号と2014年冬号。
2013年秋号の、たかの歯科通信は「またまた時間のお話(2)」とあり、相対性理論の話し。
アインシュタインの相対性理論の話を、高野先生が独自の理論展開で現実に持ち込んだ話し。
わかったような、わからないような、結局私の頭では理解できない話だったが、高野先生が物理が好きで、物理の理論を思うだけで楽しいんだろうなということはわかった。
また、前置きの話がながくなっているが、2014年冬号が今日の本題。
題名は、「強い枝葉折れるということ」
この話が、実に良い。
話は、高野先生が15年ほどを暮らした金沢の「雪吊り」の話から始まる。
「雪吊り」というのは、積雪で木の枝が折れるのを防ぐために、木の周りに立てた柱の上から放射線状に縄で木の枝をつるものだ。
兼六園の雪吊りが有名で、季節の話題として毎年テレビでも報じられている。
たかの通信は、どんな枝に雪吊りが必要かという話しに話題を展開していた。
雪吊りが必要なのは、細くて弱い枝ではなくて、固い、丈夫な、太い枝だというのだ。
「笹や柳のように、よくしなう枝は、雪が降り積もると次第にしなって、するりと雪を振り落とし、ふたたびふわりともとへ戻る。その繰り返しで春を待つのです。」というのだ。
考えてみなかったが、そういうことかと納得させられた。
ここからが、「たかの通信」で高野先生は含蓄のあるお話を展開する。
そのお話をそのまま転記させていただく。
「人の心も同じことではないかと思うのです。
日々の暮らしの中で、いろんな重さがころと体にのしかかります。その負荷たるや相当です。私たちはときおり、なんとも言いようのない鬱な気分に落ち込むことがあるでしょう。
昔の人は、それを『こころ萎えたり』と表現しました。萎えるというのは野菜や、植物がぐたっとなっている様子です。
それは、こころが屈している状態、しなっている時のことだろう。
よくしなうということは、簡単には折れないということだ。降り積もった雪野重さを、じんわりと曲がることで耐える。
やがてゆきするりと滑り落として、ゆっくりともとへもどる。
屈しない心は折れる。よく萎える心は折れない。
あーあ、とため息をつきたくなる瞬間、私たちのこころがかげって、屈してしなっているのだ。
曲がることのない枝は、どんなに強くても折れる。
自殺者の数は、ポッキリ折れた心の数だと思う。」と書いておられた。
私には、救われる思いのする話だった。
私は、ちょっとのことでも、グチや泣き言を言ってしまう。
そんなとき、「男は黙って、サッポロビール」 (古い!わかる人は古い人)のキャッチコピーが頭をよぎる。
いい年して(いくつになったか言いたくはないが)、男らしくないものだと自分が嫌になるときもある。
だけど、高野先生の話を読んで、私はこれで心のバランスをとってきたんではないかと、自分を許せる思いになった。
常々私は、政治家を筆頭に、世の中の頂点に立つ人たちは、よくも弱音をはくことなく自分の意見を押し通せるものだと感心していた。
あれでよく、心が折れないものだと尊敬していた。
彼らの心は鉄筋コンクリートでできているのだろう。
そうでない、普通の人たちは、弱音をはいて、心にのしかかる負荷を振り落とした方が良い。
普通に生きる人に対しては、「がんばれ!」とはげますより、「がんばらなくていいんだよ。弱音をはいてもいいんだよ。」といっしょに泣いてやる方が、ずっといい。
負け組になりそうなおじさんの、自己弁護の遠吠えかもしれないけど、「たかの通信」のお話を読んで、私はそう思った。
あっ、余談ですが、延岡駅から徒歩3分。「高野歯科」さんは、歯医者嫌いの私がお勧めしたい名歯科ですよ。
私が唯一自慢だった前歯が折れて、差し歯にしたのですが、保険診療でやすく手早く、きれいに仕上げてもらいました。
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