山口雅子ソプラノ・リサイタル 宮崎県立延岡西高等学校同窓会
輝いていた。
躍動していた。
生命(いのち)が、ほとばしっていた。
還暦過ぎた、おばさんのはずなのだけど(ごめんなさいm(_ _)m)、舞台で唄う彼女は少女のようにみずみずしかった。
それでいて、語りかけてくる歌声からは、彼女の生きてきた六十年の人生が滲み出していた。
数十年ぶりに見る同級生の、ソプラノ・リサイタル。
同級生でなかったら、クラシックのリサイタルなど聴きに行くことはなかった。
去年、突然沸き起こった話。
同窓生として主催者の一員に加わっていたから、聴きに行くことなったリサイタル。
本格的なクラシックだけではなく懐かしい童謡や唱歌も組み入れられていたが、退屈するかもしれないと思いながら観客の一員になった。
しかし、ピアノ伴奏だけでの2時間が瞬く間に過ぎていった。
前列に陣取っている私に、アンプを通さない生の声が伝わってきた。
その声は、私には、「ぎゅっと実の詰まった声」に感じた。
これがプロの歌声なのか。
まったく想像していなかった、感動が沸き起こった。
それは、ひたすらに自分の思う道を歩んできた彼女の人生に対するものでもあった。
感動しながら、私は少し悲しくもあった。
同じ年月を歩いてきたけど、自分の思いをかなえるために過ごしてきた人に比べて、自分は行き当たりばったりに生きてきたなあと、このところよく思うのだ。
人がすばらしく見える日々なのだ。
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