潔い死にざま
家内の友人が亡くなった。
まだ60歳になったばっかりだった。
家内とは中学校時代の同級生なのだが、若いころはやんちゃしていて、年をとってもその頃を感じさせる雰囲気をもっていた。
2度の離婚を経験していて、親とも余りうまくいってなかった。
体をこわして、十年くらい前から生活保護を受けていた。
私は余り好ましくは思っていなかったのだが、家内は「人間性はいい子なのよ」と言って、仲良くつきあいを続けていた。
つきあいと言っても、月に1度か2度電話があるくらいで、会うのは年に1回くらいのものだった。
ビールが好きで、電話をかけてくるのは、家で独りで飲んでいて寂しくなったときのようだった。
その彼女に、去年、がんが見つかった。
心配する家内に対して、「生活保護だから、手術代も治療代も自己負担がないし、治療に専念できるよ」と冗談めかして話をしていたらしい。
がんは結構進行してたようで、地元の病院では対処できず、熊本の病院に入院し、その後、大分の病院に転院していた。
入院してからは、電話連絡もとりにくくなっていたが、それでもときどき連絡を取り合っていた。
先月は、「ちょっと用事があって延岡に帰って来たから会いに来たよ」と手土産をもって家内に会いに来ていた。
そのとき、病状は余り良くないようだったが、こんなに早く逝ってしまうようには見えなかったらしい。
本人も、「難しい病気のようだけど、負けないで頑張る」と言っていたそうだ。
それから1カ月も経たない3日前の夜、彼女からメールが入った。
また病院が変わったという連絡だったが、メールの中に「遊びにきてね」とあった。
それを見て家内は、「見舞いに来てね」なんて言ったことないのに、どうしたんだろうと気にしていた。
次の日の夜、彼女の子供から電話が入った。
彼女の様態が悪いらしい。
話がしたいから電話してくれと言われて電話してきたのだ。
電話での彼女の声は、か細く、聞き取るのがやっとだった。
「もう会えないかもしれない」という言葉に、「そんなことないよ」と、はげますのが精一杯だったらしい。
さすがに、気がかりになって、次の日、大分の病院にかけつけたら、意識不明になり家族が見守っているところだった。
緩和病棟で、一切の延命治療は施されてはいなかった。
できることは手を握って、声をかけることだけ。
家内が到着して1時間後、彼女は静かに息を引き取った。
年齢的に、ここ数年、何人かの最期に立ち会った。
みんな病院で、いくつもの管やコードをを体に装着されていた。
彼女の最期は、ベッドの周りには、一切の治療道具はなく、ただ静かに看取られていたそうだ。
周りの人に心配をかけないために、彼女は何も言わなかったようだが、彼女には余命が告げられていたのだろう。
それとも、なにも言われなくても、自分の余命を感じ取っていたのかもしれない。
彼女は、この1カ月、ずっと会っていなかった親にも連絡をして話をしていた。
「ずっと会っていなかったけど、嫌いになったわけじゃない」ときちんと話をしたそうだ。
他にも、気持ちが行き違いになって疎遠になっていた友人たちにも連絡をとっていたらしい。
いい加減に生きてきて生活保護を受けるようになった、好ましくない家内の友人と思っていた人だったが、なんと潔い死にざま。
自分は死に直面して、彼女のように潔くふるまえるだろうか。
考えてみると、私も相当いい加減に生きてきた。
せめて、人生の仕舞い方だけは、彼女のように潔く納めたいものだ。
がんは怖いけど、がんも悪くはないかもしれない。
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