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2014年8月26日 (火)

猿のいるマンホール

 猿のいるマンホールをご存じだろうか。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)のマンホールには、二匹の猿が描かれている。

 当社の入り口にも、このマンホールがある。

 これが当社入り口からの写真。

Rimg0029


これが、マンホールのみの拡大写真。

Rimg0023




 猿が描かれているが、延岡市民であれば、この図柄は延岡市の民芸玩具「のぼり猿」だとわかる。

 話のついでに「のぼり猿」について、延岡市観光協会のホームページから、転載させていただいた(許可済み)。

のぼりざる 商品イメージ

子供たちの健康を願って のぼりざる

「のぼりさる」とは、延岡に古くから伝わる郷土玩具で、江戸時代から延岡藩の武士の妻たちが手内職として作り始めたとされ、張り子の猿は菖蒲(しょうぶ)絵の幟(のぼり)にさげられ、風を受けると竿を伝って昇る。

これは、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願ったもので、端午の節句に鯉のぼりと一緒に揚げられていた。

今では、宮崎県を代表する郷土玩具であるとともに、土産物として、また転勤する方への「はなむけ」(出世を祝う意味)として贈られている。

「のぼりざる」の由来

「のぼりざる」は、約200年前、内藤時代の武士の妻たちの手内職として始められたとされるが、その由来には幾つかの説がある。

○ニニギノミコトが高天原にご降臨になった時、その武将として功績のあった猿田彦が、その後も粗暴な振る舞いがなおらず、アマノウズメノミコトにいたずらをしたのを戒めるため、ニニギノミコトが猿田彦を縛り竹竿の先に吊るしたことに由来する説。

※猿田彦命は勇将で、常に戦いの先頭に立って戦を勝利に導いたので、武士の間では戦の神として崇敬された。

○延岡藩の旧藩主有馬公が合戦の折、背に負った馬印に猿を用い、勝利を得たことに始まるという説。

○田畑を荒らす猿を退治したところ、子供の疫病が流行った。猿のたたりと人々は「のぼりざる」を庭先に立てて供養したところ疫病がおさまり、人々は豊作と健康を喜び合ったことに由来するという説がある。

 マンホールに話を戻そう。

 かれこれ60年も延岡市民でありながら、このマンホールの存在を知ったのは、つい最近のこと。

 教えてくれたのは、通りがかりの外国人。

 ある日、バタバタバタと大きな足音が近づき、当社の入り口で足音は止んだ。

 足音の主は、大きな声で誰かを呼んでいるようだった。

 それにしても大きな声だ。

 しかも、その声は日本語ではない。

 中国語のようであった。

 その声にひかれて事務所の外に目をやる。

 男女二人組。

 地面を指さし、なにやら大きな声で話していた。

 そして地面にカメラを向け写真を撮り始めた。

 なにごとかと思って眺めていたのだが、被写体はマンホールのようであった。

 何枚かの写真をとると、大きな声と大きな足音を残して二人は去った。

 二人が立ち去ったのを確かめ、興味津々、マンホールを見に行った。

 そして知ったのが、この猿が描かれたマンホールなのである。

 数十年この町で暮らしていて、始めて知ったことだった。

 好奇心の強い、野次馬おじさんは、他の図柄もないものかと、その後バイクを走らせて市内各地のマンホールを見て歩いたが、「のぼり猿」の図柄のみのようだ。

 延岡市在住の読者のみなさん、マンホールの「のぼり猿」を楽しんでください。

 延岡市外にお住まいのみなさま、面白いマンホールを見に来てみませんか。

 延岡市は、いいところですよ。

 私は、性格が悪いけど、私以外の延岡市民は良い人ばかりですよ。

 

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