高倉健さん
昨日突然の、高倉健さんの訃報のニュース。
安倍さんが解散総選挙を正式表明の予定の日でもあった。
ワイドショーでも解散の話が話題の中心になっていた。
その最中のニュース速報。
このところ私は、なんだか自己嫌悪に陥っていて、ブログの筆も鈍っていた。
人様・世間様に、とやかくもの申すほどの者ではないとの自覚は前々からあったのだが、それで太平楽を並べていた。
なにげなく思いつくままに書きつらねて来たのだが、この半年くらい、無理して空白をうめる作業をしている。
そんな仲、昨日は、当然に高倉健さんのことを書こうと思った。
でも、書けなかった。
高倉さんの生き方に圧倒されて、いいかげんに生きてきた自分が情けなくなってしまった。
昨日から、多くの番組が大きく時間をさいて高倉健さんの訃報を報じていた。
高倉さんと触れ合った人々が、それぞれに高倉さんを語っている。
有名人が亡くなると、マスコミはその死を惜しむ言葉をかき集めて報じる。
テレビのどのチャンネルをまわしても、同じような話を何度も聞かされることになる。
だから、お悔やみを報じてない局はないかとチャンネルを切り換えることになる。
しかし、高倉さんの場合は違っていた。
各局が取り上げている話が、みんな違っていて、お悔やみ番組全部に見入ってしまう。
誰にでも、奢ることなく、優しく思いやりをもって丁寧に接しておられた。
それを物語るエピソードは、いままでにも、伝説のようにいくどとなく聞いていた。
それは、私とは真逆で、尊敬の念を抱くことはあったが、真似しようとは思わなかった。
思わなかったのではなく、思えなかったのだ。
考えてみれば、私は、高倉さんの映画を1本も見たことがない。
私の若いころの高倉さんは、ヤクザ映画のヒーローだった。
そのころの私は、ヤクザ映画の暴力シーンが苦手で見たくなかった。
男を演じるようになった高倉さんの映画を見なかったのは、自分の卑小さを思い知らされるのが嫌だっかのかもしれない。
高倉さんを一言に集約して表現すると「気遣いの人」ということのようだ。
きっと、まわりのすべての人を気づかっての最期だったのだろう。
せめて私も、最期だけは高倉さんをお手本にしてみたいものだ。
心からご冥福をお祈りします。
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