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2015年9月

2015年9月28日 (月)

安倍総理大臣 安保法案可決をもっと自慢して下さい

 何度も同じことを言っているのだけど、今の私は自分の頭の蠅を追うこともできない、情けない有り様で、人の頭の蠅を追うことはおろか、天下国家を論ずることはおこがましいことは重々承知している。

 しかし、グチになるのは承知で、安倍総理の言動には口をはさみたくなってしまう。

 安倍総理は突然のごとく、新たな「3本の矢」のなるキャッチコピーを掲げて、全ての人が活躍できる「1億総活躍社会」を目指すと表明した。

 名目国内総生産(GDP)を600兆円に増やすと明言。

 雇用や所得環境の改善をさらに進め、確実にデフレ脱却を実現するという。

 新3本の矢は、1)希望を生み出す強い経済、2)夢を紡ぐ子育て支援、3)安心につながる社会保障、なのだそうだ。

 GDPを600兆円にするというのだけど、現在500兆円のGDPを自分の任期中に600兆円にするには年率5パーセント以上の経済成長が必要で、直近の経済成長率はマイナスに転じている中で、達成できるかは大いに疑問だ。

 それに、またまた「新3本の矢」なる耳障りのいい言葉を発しているが、そもそものの「3本の矢」の3本目の矢はどこに飛んで行ったのだろう。

 3本目の矢がどうなっているのかわからないままに、新たな3本の矢を放つらしい。

 掛け声だけは大きいが、なんとも空虚な感じのする演説だった。

 来年の参議院選をにらんで、虹色の経済政策をぶちあげて、国民の目をそちらに向けようとしているのだろう。

 マスコミの報道の偏りなのかもしれないが、多くの国民の批判の声の中、国家と国民の安全のために絶対に必要だという信念のもとに自らの政治生命をかけて強行採決した安全保証について論じている姿はテレビでは報じられていない。

 経済政策を打ち出すのと同時に、「私は国家、国民のために『安全保証関連法案』を可決した」のだと手柄話をするべきではないのだろうかなあ

2015年9月24日 (木)

悪徳不動産屋日記 ひごろがひごろだもので

 会社の決算でブログの更新に手がまわらなかった。

 8月が決算月なのだが、終わらしていない仕事が山積していて、連休はずっと書類整理だった。

 きちん、きちんと、その日のことはその日のうちに終わらせればいいのだけど、ついついため込んでしまう。

 小学校のころから、まったく進歩がない。

 そこが私の最大の欠点で、それで悪徳不動産屋に成り下がっている。

 ま、どうにか終わらせて、ほっかりしたいところだけど、連休明けの今日は日常の仕事が忙しかった。

 こんなときに限って書きたいことはたくさんあるような気がするのだけど、次の予定の時間が迫っていて、もう出かけなくてはいけない。

 そして、最近認知症になりかかっているようで、明日になると書きたいことをすっかり忘れているのだなあ。

 

2015年9月19日 (土)

安保法案成立

 予定通り安保法案は成立した。

 安保法案に反対してデモをする人がいる。

 安保法案は国民の安全を守るために必要な法律だという人もいる。

 安保法案は、あたらしく作られる「国際支援法案」と自衛隊法改正案をはじめとする10の法律の改正案をひとつにまとめた「平和安全法整備法案」からなるものだそうだ。

 私は法案の条文を読んではいないので、この法案について論じることはできない。

 この法案を合憲だとする憲法学者は少数で、多くの憲法学者が違憲だとしている。

 それについて安倍総理は、「憲法学者の役割や責任と私たち政治家の責任は違う」「国民の生命を守り、国を守る責任は政治家にある」と主張しておられる。

 多くの閣僚や自民党国会議員の方々が、安倍阿部総理と同様な意見を述べておられる。
 私に法律を読み取る力はないし、ましてや条文を読んでもいないから、この法案の是非を論じることはできない。

 しかし憲法の解釈変更で法律を制定することを認めてしまうことには恐怖を感じる。

 安倍総理はことあるごとに、「国民の生命を守るために」と言うが、その言葉は私の心にはまったく響かない。

 「国民の生命を守るために」とセットになっている「国を守る責任」という言葉があるが、安倍総理の本丸は「国家を守ること」ではないのだろうか。

  私は、改めて憲法を読み直してみた。

 憲法前文は、平和憲法を象徴する立派な文章だと思った。

 第一章は天皇。

 第一条から第八条まで、天皇の地位、行為について規定している。

 第二章 第九条が戦争の放棄。

 条文には、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 これが憲法改正の最重要案件である。

 何度読んでも、なんともなんともわかりにくい文章である。

 「戦争と、武力により威嚇又は武力の行使は永久にこれを放棄する」という文章なら、単純明解である。

 「戦争」に「国権の発動たる」という接頭語と「武力の行使」は「国際紛争を解決する手段としては」というただし書きが、解釈を複雑にしている。

 私の低能の解釈力では、法律の解釈うんぬんの前に日本語としても理解しがたい。

 二項に、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とある。

 単純に読めば自衛隊は憲法違反となるが、「憲法解釈」で、「「自衛のための武力行使については憲法違反にならない」としているわけだ。

 そして歴代内閣は、この「自衛のための武力行使」において「集団自衛権は」認められないとしていたわけだ。

 しかし、安倍内閣においては「集団自衛権」も許されるとしたわけだ。

 国際情勢の変化により、近隣国により我が国の安全が脅かされている状況にあって、「国民の生命を守り、国を守る」ためには集団自衛権が許されるというわけだ。

 「国民の生命を守り、国を守る」ことを考えるのは政治家の責務であって、法律学者の学問的な意見は無用だというのだ。

 冒頭に認めていることではあるが、私にこの法案の是非はわからない。

 私が危惧するのは安保関連法案の是非ではなく、憲法解釈の変更でこの法律を制定したという事実である。

 憲法の第三章は「国民の権利と義務」

 第十条から第四十条まで、全百三条の憲法の中で一番多くの条文を占めている。

 条文にはこうある。

 第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
 
 第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 国民は、基本的人権を保証され、それは侵すことのできないない永久の権利としている。

 ただし、国民が保証された自由と権利の乱用は禁止されており、公共の福祉のために利用する責任を負うとされている。

 そして、生命、自由及び幸福追求に対する権利については、『公共の福祉に反しない限り』『立法その他の国政の上で』最大に尊重されるのだ。

 私が、憲法解釈の変更で簡単に法律が制定できることを認めてしまうことに恐怖を覚えるのは、それが可能なのであれば、公共の福祉の解釈次第で基本的人権、国民の自由と権利、幸福追求の権利を制限することができることになることである。

 安保法案が可決されたあと、法案の内容について言及する人は多いが、それが解釈変更によって成立したことについて批判している声が小さいことだ。

 法律が制定され、早速違憲訴訟が起こされることになるだろうが、解釈変更の無効性も大きく取り上げてもらいたい。

2015年9月17日 (木)

悪徳不動産屋日記 買い付け証明

 朝、出社してすぐに電話が鳴った。

 発信者は不動産会社の社員さん。

 この社員さんには、当社の物件にお客さんをつけてもらって、明後日売買契約予定になっている。

 物件は中古住宅で、最初の案内で気に入ってもらって、そのあと2度見てもらっている。

 二度目の案内で購入を決められたのだが、大幅な値引き交渉の打診をしてこられた。

 不動産の売買においては、1円でも高く売りたい売主さんと、1円でも安く買いたい買主さんがしのぎをけずることになる。。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の場合、現在、買手市場の傾向があり、買手が大幅な値引きを言ってくることが多い。

 だから不動産屋としては値引き交渉には慣れているのだが、いやがる売主さんを説得して値引きの了解をとっても買わないお客さんもいる。

 それで、この値段になれば間違いなく買いますよという意思表示の証として「買い付け証明書」を差し入れてもらって、売主さんと価格交渉をすることが多い。

 「買い付け証明書」には、購入希望価格と署名捺印をしてもらう。

 今回の商談も、私の想定を超す価格交渉になりそうだったので、買い付け証明書を書いてもらってから売主さんと交渉することにした。

 買い付け証明書に記載された価格は、私の想定を下回る価格だった。

 それをもって売主さんに交渉に行った。

 その数字を見て、想像どおり、売主さんは気分を害した表情になった。

 確かに少し不満な価格ではあるが、この価格を了解して売ったほうがいいと判断したから私も交渉を受けたのだった。

 このお客さんは10年前に一度取引をした方で、悪徳不動産屋であるはずの私が、なぜか信頼関係を築いていた。

 それで、結局私の話を納得していただいて価格の了解をもらった。

 価格の合意ができたら、次には売買契約を提携することになる。

 契約予定日も買い手の希望の日時にした。

 そして買手は、さらにもう一つ追加の条件を出してきた。

 きもちよく引っ越したいから、庭木の剪定と室内のクリーニングをしてくれというのだ。

 費用としては10万円くらいのものではあるが、それを含んでの価格交渉のはずであって、売主にとってはさらなる値引きと同じことだ。

 嫌がる売主を説得して、しぶしぶ承諾をもらって契約の日時まで決めた後に、さらなる値引きの話はできない。

 しかも契約予定は明後日。

 最悪この分の費用は私がみることにして、明後日の契約をする予定にしていた。

 知り合いの造園屋さんに事情を話したところ、今なら時間が空いているからと、昨日、格安で剪定をしてくれた。

 そして今朝の電話。

 なんと、契約キャンセル。

 私は悪徳不動産屋であるが、こんなとき相手を攻めることはしない。

 しないというよりも、できないのだ。

 こう見えて(どう見えているかはわからないが)気が弱いのだ。

 悪徳不動産屋がミスをすると、けちょんけちょんに責められるのだが、一般消費者は自分が約束を破ることには肝要なのだ。

 一般消費者が約束を破るときは、常に正当なる理由がある。

 悪徳不動産屋は、いかに正当なる理由があっても約束を破る事は許されない。

 そんなはざまで生きてきたから、私のような皮肉屋が育ってしまったのだ。

 いちばんつらいのは、売主さんに報告する事。

 昨日、説得には時間がかかったけど、私の話を納得して了解したあとはすっきりした顔をしておられた。

 売れるまでに思いの外時間がかかってしまって、それに決着がついたことで安堵されたようだった。

 それが昨日の事。

 売主さんの心情を思うと、報告するのをためらってしまう。

 それで朝の時間は遠慮した。

 昼御飯がすんで、一段落した時間をねらって報告をしようと思ったのだが、なかなか電話ができなくて、ようやく4時過ぎに報告をした。

 長い長い一日であった。

2015年9月14日 (月)

少年Aの実名・顔写真掲載「週間ポスト」

 今日発売の「週間ポスト」が、神戸連続児童殺人事件の犯人の写真と実名を掲載したらしい。
 
 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)では、週刊誌は2日くらい遅れて発売されるので、まだ発売されていないが、「週間ポスト」よ、良くやったと支援の声を届けたい。

 私は、先週の木曜日から同業仲間と沖縄旅行に出かけていた。

 旅行中は新聞を見ていなかった。

 土曜日に帰って来て、旅行中に溜まった新聞に目を通したが、関東・東北の豪雨災害を始めとしたニュースに関してはテレビで見て知っている内容だった。

 私が新聞を見て驚いたのは、週刊誌の新聞広告だった。

 「週刊文春」「週刊新潮」「女性セブン」、各社ともにトップ記事は「少年Aから手紙が届いた」というものだった。

 週刊文春の広告が、その内容の詳細を掲載していた。

 それによると手紙は、「元少年A5です」にはじまる2万字に及ぶもので、内容は「『絶歌」出版の経緯を報じた本誌記事に抗議した上で、『本を出版したことを後悔もしていません』と断言」

 「文末には『重要なお知らせ』として、大きな活字で『オフィシャルホームページ』の解説の告示がある。そこには本人の身長・体重、アドレスとともに全裸でナメクジにまたがる異様な『自撮り写真』が…というものだった。

 この広告を見たとき、私は怒りとともに、手記を送りつけられた週刊誌各社が実名・写真を報道するべきだと強く思った。

 少年法は、「少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」と規定している。

 少年法により、「少年のとき犯した」犯罪者は成人後も自身のプライバシーは固く守られている。
 
 それをいいことに、出版中止を求める遺族の思いを無視して出版し、25万部を売上げ、4000万円以上の印税を手にした。

 出版は大きな話題を呼び、100万部の売上予測もあったが、出版に対する批判の声も大きく、売上は25万分にとどまり、このところ話題にも登らなくなっていた。

 今回の手記送りつけは、100万部の売上の目論見がはずれたことと、自分に対する話題が鎮静化したことに対する自己アピールであろう。

 犯人は現在33歳。立派な大人である。

 少年法の主旨は、罪を犯した少年に対して性格の矯正および環境の調整をし、少年を公正させることにある。

 被害者の人権をいっさい無視し、犯罪者のみを厚く保護する少年法について、私は大いに疑問を感じていた。

 初年というだけで、多大な国家予算を使って、性格を矯正し環境を整備し更生して社会に送り出したはずだ。

 「絶歌」についてはマスコミに報道された内容のみしか承知していないが、自分が犯した犯罪を正当化するためと金儲けの手段だと思える。

 週刊文春は掲載理由について、「男性は現在起こっている重大な社会的関心事の当事者。氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象である」と記していたが、そんな理由付け無しで報道するのは当然だと賛同の声を送りたい。

 出版前後の少年Aの言動を見ても実名を報道するべきと思っていたが、今回の週刊誌各社への手記送りつけにいたっては、実名報道は当然のこと。

 文春の記事についての是非については、大いに論争されることだろう。

 わけのわからない人権擁護論者が許しがたき行為として激しく追求することだろう。

 文春はそれに真っ向から立ち向うに違いない。

 文春に抜かれた報道各社は、それぞれの立場で賛否を論じるだろうが、これに便乗して他のマスコミ各社が、どしどし実名報道合戦を展開していくことを希望する。

2015年9月 9日 (水)

とんぼ

 今朝、店を開けて机の上を片づけていたら、虫の羽音が聞こえてきた。

 大きなトンボだった。

 開けっ放しにしていた事務所の入り口から飛び込んできたらしい。

 私の事務所は窓が無い。

 それで、出勤した後、しばらく入り口のドアを開けっ放しにして、朝の空気を取り込んでいる。

 出入り口は一カ所しかなくて、東と南の壁は、はめ殺しの大きなガラス張りになっている。

 迷い込んできたトンボは、出口がわからずガラスに体当たりを続けている。

 入り口に誘導しようと思うのだが、逃げ回って、ひたすらガラスに体当たりを続ける。

 どうやら、明るいほうに向かって飛び回っているようで、蛍光灯にも体当たりをする。

 そこで、閃いた。

 まずは店内の蛍光灯を全部消した。

 そして、入り口以外のガラス窓のブラインドを、全部降ろした。

 店内に明りが射しているのは入り口のドアだけになった。

 最後のブラインドを降ろすと同時に、トンボはすーっと外に飛びでていった。

 ありがとうも言わずに。

 私は、ほっとすると同時に、ちょっと自己満足にひたった。

 

 

 

2015年9月 8日 (火)

国税庁?

 さあて、そろそろ店を閉める準備をしようかなと思っていたところに来客があった。

 胸から社員証みたいなものをぶら下げている。

 公務員さんもよくぶらさげている身分証明書みたいなやつだ。

 なんだろうと思って応対に出ると、その身分証明カードみたいなものを掲げ、「私、国税庁の者です。ちょっとお伺いしたいのですが」と言う。

 悪いことはしていないのだが、警察官と税務署員と聞くと、なぜかどきっとする。

 しかも、国税庁が私に用事があるとはどういうことか。

 私の会社は、国税庁が税務調査にくるような巨額な商いはしていない。

 そもそも収入はビタ一文ごまかしていないが、会計処理は少々ルーズである。

 帳簿を出しなさいと言われたら、しばらく記帳していないので困ってしまう。

 ともあれ、税務調査であれば一人でくることは無い。

 では、当社と取引のあった人の税務調査のためなのだろうなどと、頭をフル回転させる。

 すると、「このビルの3階、4階は住まいになっているんでしょうか」と聞いてきた。

 「はい。住まいになってますよ。」

 1階が不動産の店舗、2階は応接室であるが現在倉庫として、看板や工具等の置き場にしていて、3、4階は私の住居だ。

 国税庁がなぜ3階、4階の状況を調査するのか疑問に感じながら、質問に答えた。

 すると、「どなたが住んでいるんですか」と言う。

 「私が住んでいるんですよ」と答えたのだが、なぜか納得がいかない顔をしている。

 「他に、誰かすんでいるんですか」

 なにか理解ができないようだ。

 それで、「この建物は私の所有で、1階2階が店舗と事務所で、2階3階が私の住居になっています」と答えると、ようやく納得した表情になった。

 「それでは、おたくに国政調査票を持ってきます。今年はインターネットでも回答できますので、そのパンフレットも持ってきます」

 ここで間違いがわかった。

 「国税庁の者」ではなくて「国政調査の者」であった。

 今年から、インターネットで回答できるようになったことは知っていた。

 どちらがセキュリティー的に安心なのかなと思って、まだどちらにするか決めてなかったところである。

2015年9月 7日 (月)

不惑  四十にして惑わず

 孔子の論語に「四十にして惑わず」という言葉がある。

 「四十にして惑わず」という言葉を使って、四十歳のことを「不惑」とも言われる。

 「男女七歳にて席を同じうせず」「三十にして立つ」と並んで、論語の中では有名な言葉だろう。

 もう一つ良く使われる言葉としては、「五十にして天命を知る」という言葉だろうか。
 私の年は、「耳順」

 「六十にして耳順がう」である。

 何を聞いても素直にしたがえるようになったということらしい。

 私は、「立つ」てもおらず、惑いっぱなしの六十代であるなあと、惑いを感じるたびに論語の「四十にして惑わず」が頭の中を駆け回っている。

 ということで最近、ブログの筆が進まない。

2015年9月 5日 (土)

致死率100%

 「致死率100%」

 「どうやっても死からは逃れられない」

 400万分を超えるベストセラー「バカの壁」の著者養老孟子さんの口から、さらっと出た言葉である。

 「致死率100%」

 なるほど、その通りである。

 養老さんは、5歳で父親と死別。

 そして解剖学者として3000体の遺体を見てきた養老さんにとって、死は考えても仕方がないものだとおっしゃるのだ。

 そのとおりなのだが、なぜか衝撃をうけた言葉であった。

 

2015年9月 4日 (金)

においがない

 先月初めに風邪をひいて熱を出した。

 高熱が出たのは2、3日だったが、その後1カ月近く咳に悩まされた。

 鼻づまりもあって、においを感じなくなっていたが、喘息のように止まらない咳にばかり気が行っていた。

 先月の終わりに、咳は治まってきたのだが、においが戻って来ないことに気がついた。

 舌で感じる味覚は正常なのだが、食べ物独自の風味がまったくわからない。

 甘い、しょっぱい、苦い、酸っぱいというだけでは、食べ物が美味しくない。

 たとえば好物のカレーライス食べても、カレー独特の香りがなくて、味噌汁ごはんと区別がつかないといった具合なのだ。

 風邪をひいて、においがなくなっても、風邪がなおるとにおいも戻ってくるものだ。

 そのうち戻るだろうと、そんなに気にしていなかったのだが、においが無くなって1カ月になる。

 ネットで調べてみたら、放っておくと臭覚が戻らなくなってしまうことが少なくないとあった。

 あわてて今日、耳鼻科に行ってきたが、副鼻腔炎(蓄膿症)等の鼻づまり系ではなくて、臭覚神経がなにかの原因で異常をきたしているので、なかなか治りにくいと言われてしまった。

 原因がわからないので、これといって確実な治療方法はなくて、いろいろな治療法を試していくしかないとのことである。

 命に別条はないし、痛くも痒くもないし苦痛も無いのだが、食べる楽しみを失うのはつらい。

 ま、そのうち戻るだろうと楽観はしているのだが。

 

2015年9月 3日 (木)

東京マラソン

 今朝、東京マラソンエントリーセンターなるところからメールが届いていた。

 今年出場するつもりだった青島太平洋マラソンの申込みに失敗したので、東京マラソンに申込みをしていたのを、すっかり忘れていた。

 毎年、10倍を超す競争率だから、あたりっこないと思っての申込み。

 当たっているはずないよなと思ってメールを開いた。

 メールの中身は、「抽選結果の発表は9月16日です。」

 なんと、ご親切なこと。

 申込みを忘れている人への注意喚起ってところなのか。

 それにしてもマラソン人気のすごいこと。

 マラソン人気に火をつけたのが東京マラソンで、抽選に当たる確率は10分の1

 東京在住の友人の娘さんは、最初から9回連続して、はずれっぱなしだという。

 どうせ当たりっこ無いと思って申込みをしているのだけど、当たったらどうしよう。

 8月初旬にひいた風邪がまだ治りきってなくて、ずっと練習は中断している。

 咳が抜けきらないのだが、それもようやく治ってきているようだ。

 そろそろ走り始めようか。

 16日の結果次第でいいかな。

2015年9月 2日 (水)

悪徳不動産屋日記 不動産屋がこわい?

 事務所のガラスドア越しに、年輩の男の人が入店しようとする姿が見えた。

 松葉杖をついていて、ドアを開けるのに手間取どりそうだった。

 すぐ出迎えに行こうとして席を立ったが、手伝うまでもなく無事入店された。

 用件は想像できた。

 おそらく、安いアパートを探しての来店だろう。

 すぐに椅子をすすめて、用件を聞く。

 「安いアパートはないじゃろか?」

 「安いと言うと、どのくらいの予算ですか」

 「3万円以下がいいのだけど」

 予想通りだった。

 希望通りの予算だと、当社には2物件しかない。

 当社は小さい事務所で、賃貸の管理物件は少ない。

 広告をがんがん打つこともしていない。

 ほとんどのお客さんが、当社に来るまでに数件不動産会社をまわっておられる。

 さらになにか掘り出し物はないかということで来店される方が多い。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)のような田舎町でも、3万円以下の物件は相当古いものだ。

 当社が管理している物件は、1件は2階。もう1件は3階である。

 当然エレベーターは無い。

 「お客さんは、足がご不自由のようですから2階3階は無理でしょうね」と聞くと。

 1階でないと無理だとおっしゃる。

 他の不動産を探し回っていないのだったら、当社で他の不動産会社の管理物件から該当する物件を探すこともできるのだが、すでに数社をまわっている場合は徒労になることが多い。

 「当社が管理している物件で、家賃の希望にあう物件は2つあるんですが、2階と3階なんですよ。当社は預っている物件が少ないから、申し訳ありませんがご期待に添える物件はありません。」とお詫びした。

 すると、「2、3日前の〇〇不動産屋の広告に安い物件がいくつか出ていたのだけど、それはどこかわからんけ?」と聞いてきた。

 他社の広告はスクラップしてあるので、すぐにスクラップブックを開いてみた。

 確かに該当する物件が2件ある。

 この不動産会社は、正式に不動産会社として免許をとっているが、不動産の仲介業務はほとんどしていない。

 相当数のアパートや貸しビルを持っておられて、その物件の管理を業としておられる。

 当社もアパートの入居斡旋を依頼されていて、空き室の鍵はお預かりしている。

 空きがでたらその都度連絡があって、鍵を預けに来られる。

 しかし、このお客さんの希望する地域に空きがでたという連絡はいただいていなかった。

 切り抜きを見ると希望する地域に空きが出ていた。

 お客さんはこの広告を見て、来られたというわけだ。

 お客さんは、「〇〇不動産屋というのは名前を聞いた事のない会社だから、どんな不動産屋か不安で連絡してない」のだと言う。

 私に、「不動産屋はいろいろあるからね。この不動産やはどんな会社なのか」と聞いてきた。

 私は、「この不動産屋さんは、不動産会社というよりも家主さんなんですよ。当社も依頼を受けていまから、すぐに確認します」と言って電話した。

 すると、数日前に空きが出たばったりだったので、連絡をしていなかったのだと言われた。

 お客さんの目の前で電話していたので、お客さんはその内容を理解したようだった。

 「どうしますか。今からでも見て見られますか」と言うと、「ちょっと下見をしておきます」と言って、さっさと帰って行かれた。

 詳しい場所も教えていないのに、ちょっと下見をしておきますはないだろう。

 どんな不動産屋か心配だったから、それを探りにきて、全然心配のない安全な不動産屋だとわかった。

 しかも家主だとわかったから、直接借りれば仲介手数料がいらない。

 それで、直接電話をして案内を受けるつもりなのだろう。

 恐るべしは善良なる消費者。

 またしても悪徳不動産屋が善良なる消費者に翻弄されてしまった。

 

 

 

 

 

2015年9月 1日 (火)

東京五輪エンブレム使用中止

 夕方のトップニュースは、東京五輪組のエンブレムの使用を中止するすることになったこと。
 
 国民の生活には何の影響もないと思うのだが、この世の一大事みたいに報道している。
 東京五輪組織委員会の対応も支離滅裂。
 
 佐野氏のデザインが盗用でないことを証明するために、佐野氏の原案は別なデザインだったと公表していた。

 
 しかし、最初の原案は商標登録の手続きの中で類似性のあるものが見つかったため、修正を求めたものだという。

 修正は1度ならず、2度の修正を経て、問題のデザインに落ち着いたのだという。

 商標登録上、類似性のあるデザインがあって使えないのだったら、2位の人のデザインを採用するというのが当然ではないのか。

 修正を求めてまで佐野氏のデザインとして採用したことを公表したことは、当初から佐野氏ありきでのコンテストであったことを露呈したことになるということに気がつかないのだろうか。

 という意見は、テレビのコメンテーターも同じことを喋る人がいるだろうが、新競技場の問題にしてもエンブレムのことにしても、もう日本はずたずただ。

 一番の問題は、日本が大変なことになっているのに、テレビが芸能週刊誌みたいの報道しかしないこと。

 なんだかんだといってもテレビが最大の情報源になっている。

 どうにも目眩ましをされているようで、気持ちが落ち着かない。

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