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2015年11月19日 (木)

「沈黙の共有」に効果あり

 精神科医の香山リカさんのエッセイに、こんな話があった。

 その、ほぼ全部を書き写させてもらう。

 「先生、つらいことがあったんですよ」「そうでしたか」

 診察室で患者さんとこんな会話を交わした後、話が途切れることがある。

 理由はいろいろだが、とにかくそこから音が消えてしまう。

 診察室での沈黙の時間。数十秒かせいぜい一分ほどであっても、それはとてつもなく長く感じられる。

 つい、「それでどうしたんですか」と促してしまったり、「あなたくらいの年齢だといろいろありますよね」などと、こちらが説明を始めてしまったりする。

 でも、「これでは精神科医として失格」なのだそうだ。

 研修医のための医療面接の教科書には「沈黙を共有するようにしましょう」と書かれている。

 なるべくこちらも話したり動いたりせず、いっしょにその時間を過ごす。

 患者さんの方に手を添えたりする必要はなく、ただいっしょに沈黙すればよい。

 緊張感を与えないために、リラックスした姿勢でぼんやりしているくらいがちょうどよいかもしれない。

 この「沈黙の共有」には、なめらかな対話や安定剤よりずっと心を落ち着かせる効果ある。

 五分ほどお互い何も話さない時間がすぎ、「また、がんばってみます」「まあ、無理をしないで」とだけ言葉を交わして面接が終ったことがあった。

 カルテに記載するような会話は何もなかったが、患者さんは笑顔で診察室を出て行った。

 「沈黙の共有」に意味があるのは、診察室の中だけではない。

 本当に落ち込んでいるときや悲しいとき、人は言葉を失ってしまう。

 そんなとき、近くにいる人は「話してごらん」と無理やり口を開かせる必要も、自分の経験を話して聞かせる必要もない。

 「つらいよね」とひとこと声をかけ、あとはいっしょに沈黙の時間をすごす。

 手持ちぶさたなら、ぼんやり別のことを考えていてもよいのだ。

 「沈黙の共有」は、気のきいた言葉よりずっと気持ちをなぐさめる効果がある。

 
 この話を読んで、私は二つのこと教えてもらった。

 一つは、悩み事をかかえて落ち込んでいる人をそばにしたときは、「つらいね」と一声かけて、あとは何も言わずにだまってそばにいてあげることが一番の慰めになるということを教えてもらった。

 私は、人から相談を受けることが多かった。

 そして相談を受けると、その解決方法を考えられる限り真剣に考え助言するようにしてきた。

 多くは、不動産の取引に関することだったり相続にかかわることで、私なりの解決方法をお答えし、相談者の方には感謝された。

 しかし、相談者が私に悪感情をもってしまわれるように思えるときが、ままあった。

 人間関係や悩み事の相談のときに、その傾向があった。

 私は、相談を受ける限り、答えをださなくてはいけないという義務感がふつふつと沸いてきて、自分の持てる知識と知恵をフル動員して答えをみつけ、真剣に答えていたる。

 私にとって一番いい解決方法だと思っているもので、相手がそれをすんなり納得しないと、なんとか説き伏せようという感じになる。

 ときに相手はそれを拒絶し、あるときは反論してくる。

 果たして、私と相談者の間には気まずい空気が流れる。

 ときとして「人の気持ちがわからない人だ」と言われてしまう。

 相談者にとってどうするのが一番の解決方法かを真剣に考えぬいて答えた結果、こんなことを言われたのでは割が合わない。

 そんなとき愚痴をこぼす私に、家内は「あなたが真剣に答えるからいけないのよ。『大変だね』とだけ言っておけばいいのよ」と言う。

 その言葉にかちんときて、私と家内の口げんかになった事がある。

 「そうはいうけど、相手が『どう思いますか』って聞いてくるから答えているんじゃないか。お前は結局、自分がいい人になりたいから相手にとって嫌なことを言わないだけだ」

 「それは間違ってるわ。人は、ただ悩みや不満を聞いてもらうだけですっきりするものなのよ。だから黙って聞いてやればいいのよ。」

 「不平不満を黙って聞けというのか?延々と愚痴を聞いていて鬱陶しくないのか?」

 「私は、相手の話が長くなるときは、他の事を考えながら適当に『ふん、ふん』『そうなの』『大変ね』と相槌をうっているときもあるよ」

 「ひとは俺の事を、人の気持ちがわからない人間で優しさがないというけど、俺は相手の事を真剣に考えてやってるんだ。ほんとはお前の方が人が悪いじゃないか。相手の悩みはなんにも考えてやってなんだから。」

 「違うのよ。人は愚痴を黙って聞いてもらいたいだけなのよ。不平不満を発散させてやれば、それで気が済むのよ。」

 こんな喧嘩を何度もした。

 そして私は、絶対自分が正しいと思っていた。

 しかし、家内の言っていた事は、「ぼんやり別の事を考えてもいいのだ」という香山さんの言葉の通りではないか。

 黙って相手の話を聞く、これがなかなか難しいのである。

 家内が人の評判がいいのはそういうことか。

 口惜しいけれど、家内に脱帽である。

 脱帽しながらこんな話をするのは良くないが、この話で思いあたった別の反省も書いておこう。

 かつて、女性から悩み事の相談があったとき、私はあれこれ人生訓をならべたり、自分の経験や知識から解決方法を考え、あれこれ助言をしてやったものだ。

 相談相手が私の話に素直に従わないと、むきになって自分のやり方を押しつけるようなことをした。

 あのとき、ひとこと「たいへんだね」と言って、黙ってずっと相手の悩みを聞いてあげていたら、ひょっとすると彼女のハートをつかんでいたのかもしれない。

 と、つまらぬことはさておき、香山さんの話でもう一つ教えてもらった事は。

 誰だって、沈黙は苦手だってこと。

 香山さんのように、テレビにも頻繁に出て、人との付き合いを苦にしないように人であっても、「数十秒かせいぜい一分ほどであっても、それはとてつもなく長く感じられる」ものなのだ。

 私はこう見えて(どう見えているかはわからないが)、非常に人見知りで対人恐怖症的なところがある。

 こんなことを言うと、人は「そんなことはないと」一笑に付すが、私がしゃべりまくるのは、劣等感の裏返しなのだ。

 人と平気で話ができるように、いろんな本を読んできた。

 「会話がとぎれない話し方」「内向型の雑談術」「雑談力があがる話し方」「雑談力ノート」

 沈黙が異常に怖くて、反動でしゃべりまくっているのだ。

 一番最近読んだ本は「超一流の雑談力」だが、香山さんの「沈黙の共有」は、普通の人との付き合いでも使えることだと教えられた。

 自然に会話ができることが一番いいが、無理して喋り続けることはしなくてもいい。

 沈黙が生まれたときは、「沈黙の共有」にひたってみようかと思っている。

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