頭の上の蠅 1年ぶりに遇った同級生女子
猫の餌を買いに行ったスーバーで、1年ぶりに同級生の女史にあった。
女性は何歳になっても女子というのだろうけど、女子という言葉を使うのはなんだか恥ずかしくて、女史とさせてもらう。
「久しぶりだね」と声をかけると、「最近、お疲れモードなの?」と聞かれた。
その言葉の意味は、私にはわかる。
この女史、かつて、私のブログを愛読していると言っていた。
今も、読んでくれているのだろう。
最近の私のブログを見ての言葉が、「お疲れモードなの?」なのだろう。
「最近も見てくれてるの?」
「1週間に1度くらいね。最近あまり更新していないでしょ。」
彼女の言葉で、今日の更新をしている。
今日も、ブログを書きかけて中断していた。
その内容は次のようなこと。
『先日、池田師のことを書いた。
その師から、最近、私のブログが面白くないし、更新が少ないことを指摘された。
それは、私も自覚していたこと。
今まで、思いついたことを思いつくままにかいてきたのだか、このところ、自分の頭の上の蠅も追えないのに、「ふとごつ」(延岡市弁で「大きなこと」)を言うのもおこがましいという気持ちがよぎって、書き始めても中断してしまうことが多いのだ。
たとえば今日だと、ミャンマーのスーチーさん。
総選挙でスーチーさんが率いる野党が圧勝し、過半数を上回る議席を獲得したあとのスーチーさんの発言。
ミャンマーの憲法では、外国籍の家族がいるものは大統領になれない。
従って、スーチーさんは、英国籍の息子さんのいるスーチーさんは大統領になれない。
その件に関して、スーチーさんは「新政権は自分がすべてを決め、大統領に権限はない」と言った。
なんたる強権的発言。
完全なる独裁者的発想の言葉である。
見かけから受けていた印象は、一瞬にして飛び去り、その顔に安倍総理の顔が重なった。
ともに偉大な政治家の親の後を継いだ、サラブレッド政治家。
整った優しそうな顔だちは、温厚で争いごととは無縁なイメージを与える。
「人は中身」なんていうが、現実には「人は見かけ」である。
スーチーさんが権力を手にしたとき、ミャンマーは国民が期待する民主国家として発展できるのだろうか。
「私が国を動かす」という意志のしたには、「私がすべて正しい」という思いが潜んで見える。
安倍さんが「私が総理大臣ですよ!」という言葉と似ている。』
今日も、ここまで書いてきて、「自分の頭の蠅も追えない奴が、何を言う」という言葉が降りてきた。
それでボツにしていたブログだが、久しぶりに出会った同級生女史の言葉で復活させてもらった。
これもなにかの縁。
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