大人の世界の師
このところブログの更新が途切れていることを、指摘されることが多い。
先日も、大人の世界での師ともいえる池田君にも指摘された。
「師」といいながら、「君」づけで呼ぶのは失礼なようだが、高校の時の同級生であるからして「さん」とは呼びづらい。
師に教わったのは、大人の世界は本音と建前があるということである。
彼とは、10年以上同じ職場で働いていた。
私は、相手がお客さんであっても筋が通らないことをすると、真っ向から歯向かっていた。
私が思う正論(私の思い込みであることが多いのだが)を強引に押し通して、お客さんと諍い起こすことがあった。
そんなとき、師から何度となく注意を受けた。
注意というと優しい響きがあるが、同級生という遠慮の無さもあって、怒鳴りつけられた。
「あんたね。自分の正義をお客さんに押しつけたらいかんよ。お客さんは、あんたの者じゃなくて、会社のお客さんなんだからね。今のお客は、もう二度とウチのカイシャには戻って来ないよ。」
「本音ばかりだと門立つ。相手を不愉快にしてなんになる。あんたのは中学生の正義感だよ」と何度も叱られた。
そして彼は、「楽しいのはアソビだよ。アソビは楽しいから自分で金を出すのだ。」
と言った。
私は、同級生ということもあって、そんな彼の言葉に素直には従わなかった。
それどころか、当時私は彼のことを、陰ひなたの、嘘つき野郎と思っていた。
しかし今は、全面的に彼が正しかったと思っている。
だから、ここで、師と呼ばせてもらっているのだ。
私に批判的な師ではあったが、私の欠点をとがめながらも、一部私の正義を認めてくれるところもあると勝手に感じていた。
そんな彼が、随分前から私のブログを読んでいることを知った。
私と対極にいて、批判的に見られているのではないかと思いつつ、ブログを書くことも少なくなかった。
その師が先日、私が仕事に絡むことで電話したところ、「電話を借りて悪いのだが、ちょっと言いたいことがある」と言われた。
ちょっと口調が荒い。
私は、どんな小言を言われるのかと身をすくめて続く師の言葉を聞いた。
いつもお叱りを受けることが多くて、条件反射的に心臓が不整になる。
師の言葉は、「最近ブログが面白く無いバイ。全然更新しないし、内容も面白くないわ」
というものだった。
私は、ほっとした。
師特有の、気持ちの裏返しの言葉だと解釈した。
「面白いから読んでいたのだから、弛まず更新せよ」と言っているのだと、勝手な解釈をして師の言葉をとらえた。
師が私によく言ってたセリフの一つに、「ふとごつ言うな」というのもある。
当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の方言で、「(何もできないくせに)大きなことを言うな」というような意味である。
私は、こんなことを書くと、師は「ふとごつ言うな」と思うだろうなと思いつつブログを更新することが少なからずあった。
その師から、「ブログを更新せよ」という、お墨付きをもらったのである。
それで私は、気持ちを取り直してブログの更新をしようと思ったのだが、どうにも休み癖がついてしまって、更新の手が進まないでいる。
« 胃カメラと公正証書遺言 | トップページ | スカートの中の魅惑 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- はい、また、明日から(2023.05.07)
- 92 歳の食いしん坊 切なる願い(2023.05.04)
- 5月1日 文字が大きくなっていた(2023.05.01)
- 4月1日 痛くない一日(2023.04.01)
- 袴田事件再審開始決定(2023.03.20)
赤池様
いつも読ませて貰っています。非常に勉強になります。
特に池田さんの記事、良かったです。お二人ともすばらしいと感じました。はっきりものを言ってくれる師がいるのは良いことです。ブログこれからも頑張って下さい。楽しみにしています。
投稿: 首藤和美 | 2015年11月18日 (水) 10時52分
首藤さん。コメントありがとうございます。
知り合いから、「いつも読んでますよ」と言われると、恥ずかしくもありますけど、嬉しくもあります。
このところ何人もの人から、ブログの再開の要請をいただきましたが、しばらく休んでいたもので指がなまってます。
池田君のお墨付きをもらいましたので、再開しようかと思っています。
よろしくおねがいします。
投稿: johokan | 2015年11月19日 (木) 14時28分