もう1月も終わり
毎度のことながら、早いもので、もう1月も終わり。
そうこう言っている間に、人生の終わりが近づいている。
あたふたしている今日このごろ。
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毎度のことながら、早いもので、もう1月も終わり。
そうこう言っている間に、人生の終わりが近づいている。
あたふたしている今日このごろ。
若い人からの献血が減っているそうだ。
日本赤十字社によると、1994年に96万人を超えていた10代の献血者数は、2014年には約28万1千人と3分の1以下になった。
約206万7千人だった20代も約87万6千人に減った。
全体の献血者数は94年の約661万人から14年は約500万人に減少している。
献血者全体に占める10、20代の割合は94年の約46%から、14年には約23%まで落ち込んだ。
少子化による相対的な人数減に加えて献血する割合も下がっている。
世代ごとにどれくらいの割合の人が献血したかを示す「献血率」は、40代が7・8%。20代は6・4%、10代は4・5%と、若くなるほど低くなっている。
40代以上の献血者数は上昇傾向にあるが、年齢が上がると薬の服用や体力の減退で献血できなくなる人も増える。
健康であっても70歳未満という年齢制限もあり、このままでは、2027年には最大85万人分の血液が足りなくなると、各県の血液センターは頭を悩ませている。
そこで、若者の献血離れを食い止めようと、人気のアーチストを呼んでライブを開催したり、景品をつけたりと、さまざまな取り組みをしている。
また、血液センターの職員が、小、中、高校に出向き、献血の役割や重要性を教えるセミナーも各県で開かれているという。
献血をしたことのない人は、血を抜かれることに恐怖を覚えるようだが、献血で血を採られてもまったく体調に変化はない。
私は、毎年2回くらい献血をしているのだが、始めて献血する人は採血用の針の太さに驚くようだ。
実際、注射針の数倍太いはりだが、痛いのは針が皮膚を突き破る瞬間だけのことで、痛さは普通の注射のときと同じくらいのものだ。
献血に来ている人の多くはリピーター。
たいして痛くもないし、まったく異常は感じないことがわかっているから、何度も献血に来ているのだろう。
私が始めて献血をしたのは、高校1年生のときだった。
心臓弁膜症の手術をする人がいて、採血後24時間以内の新鮮な血液が必要だということで、その血液を確保するために市内の高校に要請がかかったからだ。
当時、心臓手術というと大手術だった。
万一に備えて、結構大量の血液を確保しておかなければならないとのことだった。
血液型のあう生徒が先生に呼ばれ、「協力してやってくれないか」と頼まれた。
ぜんぜん強制するものではなかったが、多くの生徒がそれに応じた記憶がある。
昔は、「〇〇さんのが手術をするのに輸血のための血液が不足しているので献血をお願いします。」と、街頭で献血をお願いする姿をときどき見かけたような気がする。
今は、医療の進歩により、そこまで緊急を要する献血の必要性が無くなって、こんな光景はみかけない。
人は、目の前に生命の危機に瀕した人がいるとなると無視し難いのだろうが、漠然と血液が足りないので協力してくださいといっても実感がわかず、積極的に協力しないということになるのだろう。
先にも書いたように、献血経験者であれば、献血がまったく苦痛もないし体に負担もかからないことがわかるはずだ。
どうしても血液が不足してしまうという事態が迫っているのであれば、高校生のときに献血を義務ずけるような制度を作ることを考えた方がいいのかもしれない。
義務化してしまうと反発する者がいるかもしれないから、献血を内申書での評価増の要件にするのもいいかもしれない。
当地(宮崎県の北端の街・延岡市)には献血ルームはなくて、献血車が巡回してくる。
明日は、イオンに献血車が来る予定になっているようだ。
半年ぶりに献血に行ってみようか。
文春に違法献金疑惑を報じられていた甘利さんが辞任した。
説明責任を果たすということで開かれた記者会見であった。
会見では、文春の報道内容に対しての釈明する内容を文書にしてまとめてきたものを、淡々と冷静に、1時間以上にわたって朗読するものだった。
文春が、証拠写真やテープがあるとしていたせいか、釈明は文春の記事を真っ向から否定するものではなかっが、自分が直接関与したことは否定する内容であった。
冷静に落ち着いて読み上げる甘利さんの様子に、辞任はしないのではないかと思っていた。
最後になって声がつまって涙ぐんだかとおもったら、辞任を表明した。
全部の金が違法ではないが、秘書による一部違法ととらえられても仕方がない金の流用があった。
秘書のせいにして責任をとらないということは、自分の生き方には合わないので、管理責任をとって辞任するというような無いようだった。
これで安部政権が安泰とは言えないだろうが、よく練られたシナリオだった。
考えられる限り最良の辞任劇であったと称賛したい。
自虐ネタの芸人・ヒロシの「毎日ネガティブ」という日めくりカレンダーを買った。
日めくりカレンダーというと松岡修三氏の「毎日修造!」が有名だ。
超ポジティブでゲンキが出るとの評判で、発行部数100万部を突破しているらしい。
しかし、私は根が暗いので、松岡氏のように、やたらと明るく騒ぎまわられると、逆に気分が落ち込んでしまう。
ヒロシさんの自虐ネタは、「そうだよね。(そんなこと)よくあるよね。」と思えることが多くて、それでも「生きているんだぞね」と逆に力づけられる。
そんなヒロシさんが、どんなことを書いているのだろうと思って、本屋で「毎日ネガティブ」をぱらぱらとめくってみた。
全部ではないが、何個か「そのとおり!そうだよなー!」というのがあったので、ヒロシに敬意を評して買うことにした。
昨日のヒロシの言葉は面白かった。
「水みたいなお酒ならのみません」「さっぱりした揚げ物なら食べません」
というのがそれだ。
解説として、お酒が飲めない僕に「これは水みたいだから大丈夫!」とすすめられても、「それなら水を飲みますから!」となるだけです。
自分の好きなものを、他人に無理にすすめる必要はありません、とあった。
水みたいだから飲めというなら、金をはらわなくてもいい水を飲んでいたほうがいいよなあ。
ヒロシさんは、「さっぱりした揚げ物なら食べません」と言っているけど、私は、よく「甘くないお菓子なら食べなくていい」と言っている。
テレビのグルメ番組で、人気店のお菓子を食べると「お砂糖控えめで、あまり甘すぎなくて、さっぱりしていて、おいしー!」とくる。
そんな番組を見ていて必ず私が言うのが、「甘いのがお菓子だよ!甘いのが嫌だったらお菓子なんか食べなければいいんだ!」と叫んでしまうのだ。
ヒロシさんは酒や揚げ物のことだけを言っているわけではないのだろう。
しそうだよなー。
自分に自信がある人は、酒や食べ物にかぎらず、「これは良いよ。やってみな。」と人に勧めてくることが多い。
「こんなふうに人づきあいするといいよ」「異業種の集まりに出たほうがいいよ」
「本当のことだからと、なんでも本音を言わないほうが良いよ」et cetera エトセトラ。
今日、定例の飲み会があるもので、「毎日がネガティブ」の昨日の言葉を思い出したという次第。
私も酒に弱い体質。
飲むと顔が赤くなり体温は上昇。脈拍が1分間に130以上になり、鼻の置くと喉が充血して息苦しくなる。 その苦しさは100メートルを走った感じに近い。 それでも私は、50歳代までは、飲み会の席で飲まない人間がいると他の人がしらけるようなので、無理してでも飲んでいた。 しかし、世の中に年下のほうが多くなってきた今日この頃、飲み会でも飲みたくないときは飲まないでいる。 家で酒を飲むことはないわけで、飲まないほうが食べ物も美味しいのだ。 脂っこい料理なんかのときは、ビールを頼むこともあるのだが、すぐに体がきつくなる。 さてさて、今日の飲み会。 毎月1回集まっているのだが、私以外の3人は酒が強い。
とりわけ1人、猛烈に酒の強い男がいる。
いつものメンバーなのに「なぜ飲まないの?」と聞かれることだろうが、今日は飲まないでおこうと思っている。
酒代を考えると割り勘負けをするが、人の倍以上食って割り勘負けをカバーすることにしよう。
大寒波は去った。
昼からはバイクで動き回ったが、手袋無しでも冷たさを感じなっかった。
大きな被害も無いとほっとしていたのだが、所有の古いビルで水漏れが発生した。
昨日、ボイラーの修理をしてもらったときに、水道管にも少し亀裂が入っていて、少し水が滲み出ていた。
それで、今朝一番でかかりつけの水道屋さんに電話したら、午後からなら行けるとのこと。
まだ大した水漏れではなかったので、午後からで良いからみてくれと依頼をしていた。
しかし、その後入居者から電話があって、水漏れがひどくなっているとのこと。
現地を確認したところ、けっこう漏っていたが昼から直してくれるならそれでいいと思って待っていた。
こんなときに限って、来客や商談が入って、気がついたら、水道屋さんから連絡がないまま午後3時をまわっていた。
直接現地に行っているのかと思って確認にいったところ、水漏れがひどくなっている。
何度も連絡をとるのだが、水道屋さんに連絡がとれない。
もう一つのかかりつけの水道会社に電話したのだが、まだ今日の工事が40件も残っていて、2、3日は来れないとのこと。
当市では大手の方の水道会社で、社員も何名も抱えているのだが、全社員出払っているとのこと。
何社か電話をしてみたが、全社とも今日は無理とのこと。
入居者に事情を話して元栓を閉めるしかないと思って、止水栓を閉めに行ったが、旧式の止水栓で専門の道具が無いと閉められない。
ということで、大寒波の後始末をやり残したまま、眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ。
タイミングばっちりであった。
今、事務所で夕方のニュースを見ていた。
この寒波で、水道管が凍って水が出なくて不自由しているというニュースだった。
軒並み、町中の水道管が凍って、炊事洗濯はおろか、トイレも使えなくなっているという。
取材されている奥さんが、もう2日間も水が出なくて、ボールにためた水を大事に使って食後の洗い物をしている姿や、断水のため多くの店屋や事務所が休業してると報じていた。
水道管が凍るのは零下4度以下になったときらしい。
キャスターが、日頃水道が凍ることのない地域だから、こんなときの対処方を考えることはなくて、多くの家庭で水道管が凍結してしまっていると報じていた。
市や町では給水車を出して水を配給して、市民の生活を支援しているとも報じていた。
そんなニュースをやっているタイミングに、当社が管理しているアパートの入居者が飛び込んできた。
「風呂のお湯がでなくて風呂に入れん。社長が電話で言っていたとおりに水を出しっぱなしにしていたのだけど、すぐになんとかしてくれ!」という。
このアパートは、水道料は小メーターがついてなくて定額制だから、強めに水をだしていてもいいのだが、お風呂の水を強く出すとガスに着火してガス代がかかるので、ガスが着火しないように水量をしぼっていたのだろう。
悪徳不動産屋の私は、この話を聞きながらテレビの音量を最大に上げた。
「今、寒波で町中の水道管が凍って2日間も水が使えないというニュースをやっているよ。日頃水道管が凍ることがないから、ほとんどの家庭で水道管が凍って困っているようだよ。誰も注意してくれないし、何十年かに1度のことで仕方がないとみんなあきらめているよ。あんたは僕が水を出しっぱなしにするように私が助言したから、炊事の水は使えるのだろう。何も注意しなかったら、炊事の水も使えないんだよ。注意してもらってありがとうと感謝してもらってもいいくらいだよ。」
お客だからといって黙って引き下がれないのが悪徳不動産屋のゆえん。
「延岡市中の不動産屋で、わざわざ注意の電話をしたのはウチくらいのもので、ほとんどの会社はそんな電話なんかしていないよ。注意をしてもらえなくて水が一切使えなかった方がよかったのかい。凍ったのは天気のせいで、文句はお天道さんにでも言ってくださいよ」と、いわずもがなの悪態をついてしまった。
テレビでは給水車が1人に2袋の水を配給していた。
テレビのニュースを目にして、息巻いていたお客の怒りは一瞬で消え去ったようだった。
「連絡してくれたのは感謝しています」と言葉が変わった。
そして、「風呂はどうしたらいいんですか」と、恐縮した感じで聞いてきた。
こうなると、悪徳不動産屋といえども、なんとかしてあげようという気にもなるってもの。
その場でかかりつけのガス工事会社に電話して、ガスボイラーを見るように手配した。
それにしても、なんともタイミングのいいクレームだった。
沖縄に観測史上初の雪。
奄美大島では、115年ぶりの積雪。
50年に1度の大寒波に見舞われ、余り雪と縁のない九州が大雪で大混乱している。
この寒さに犬は家に閉じこもっているが、普段雪を見たことのない子どもたちは、大喜びで庭をかけまわっている。
幸か不幸か、喜ぶべきか悲しむべきか、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)には雪は降らなかった。
九州山脈が立ちはだかっているので雪は降らないのだか、寒さは同じくやってきた。
寒波のもうひとつの困りものは、水道管の凍結。
零下になることが少ないので、ほとんどの家や建物で、水道管の凍結防止策をとっていない。
数年前にも、10年に1度の大寒波が来たことがあって、水道管が凍りついて水ができなくなったり、家の外にある湯沸かしボイラーが破裂するという被害が多々あった。
それで今回は、その時被害のあったアパートに、凍結防止のため水を出しっぱなしにしてくださいという注意書きを配布した。
特に心配なアパートがあったので、そこの居住者には電話をかけて注意をしておいた。
おかげで、被害は少なかったが、それでも2件、水とお湯が出ないという連絡があった。
当社からの指示の通りにしていたのに水が凍ったと、苦情がましい口ぶりであった。
市内全域で水道管の凍結で大騒ぎしているようで、水道やさんに連絡したら,今日1日では終らない量の依頼が入っていて、今日は行けないとのことだった。
入居者には、その旨を伝え、明日まで寒波が続くので、引き続き今日も水を出しておくようにお願いする。
今日は風呂にも入れないのかと、不満げである。
日頃は悪徳不動産屋と呼び人も、ちょっと困ったことがあると何でも相談してくる。
テレビの映りが悪い。排水の流れが悪い。お湯が沸かない。
近所の騒音で迷惑している。
税金問題、相続対策当の法律相談。
テレビは電気屋さん。
お湯はガス会社。
排水は水道屋さん。
税金は税理士。
法律問題は弁護士。
それぞれ専門家がいる。
悪徳不動産屋呼ばわりしながら、困ったときには、何でも相談してくる。
不動産屋は全能の無料相談所じゃないのだ。
今日だって、水が出ないという苦情に、凍っている水道管の中の氷がとけないとどうしようもないと答えると、蛇口はしめたほうがいいのか、閉めない方がいいのか、なにか他にいい方法はないのかと、私の答えに納得がいかないようで、いろいろ聞いてくる。
私は水道屋じゃないのだ。
詳しく聞きたかったら水道やさんに電話してください、と言うと、自分で電話をしないといけないのか、それくらいしてくれてもいいではないかと言う。
まずは、大きな問題はなかった50年に1度の大寒波であった。
そんな中で一つ大きな変化があったのは、このところ低迷していた私のブログへのアクセス数が急激に増えたこと。
凍結防止・だしっぱなし・水道、といった検索ワードで、凍結防止には水道の水を出しっぱなしにするといいという私のブログがひっかかっているようで、この検索ワードだけで500以上のアクセスがあっている。
久々の大量アクセスで、ちょっとうれしくもある大寒波であった。
私は軽度認知障害かもしれない。
軽度認知障害は、物忘れはあるが生活に支障はない状態だが、何もしないと1年で1割程度が認知症に進むらしい。
自分が軽度認知障害、そんな不安がふとよぎった。
それは今日の新聞を読んでいてのことであった。
記事の中に、こんな質問があった。
10問の設問の内、「2~3個以上当てはまると軽度認知障害かも?」とある。
第一問からして身に覚えのあることだった。
□「今何をしようとしたかを思い出せない」とある。
あるある、である。
何かをネットで検索してみようと思って、スマートフォンを取り出したら、何を調べようとしていたかがわからないことが、ままある。
何かをとろうと思って隣の部屋に来たのだが、何を取りに来たのか忘れてしまった。
そんなことが、少なからずある。
次の、設問 □「同じことを何度も言う」
これはない。
しかし、少なくとも私には何度も言っている自覚は無いということであって、人の意見を聞いたわけではない。
□「人と会う約束を忘れる」
これも、昔からの私の欠点。
しょっちゅう、予定や約束を忘れる。
□「さがし物が増える」
これも、ずばり当てはまる。
一日に、さがし物をしている時間がどれだけあるだろう。
今使ったものが、次の瞬間に見つからないということが、これまた、しょっちゅう。
□「何かやろうとしても、まあいいか、とやめてしまう。
これも、私の最大の欠点で、なんでもあとまわしにしてしまう。
□「長年の趣味を楽しめなくなった」
これは、当てはまらないが、もともと趣味と言えるものがないのが問題かもしれない。
□「外出が減る」
これも、当てはまるとは言えないかもしれないが、もともと出無精で家にこもっている事が多かった。
□「段取りが下手になった」
これも、最近になって段取りが下手になったということはないが、もともと段取りが悪いのだ。
□「支払時に小銭が使えない」
これは、全く該当しない。細かいお金の勘定には不自由していない。
しかし、ワオンやエディといった電子マネーを使う事が多いので、計算力が低下していくかもしれない。
□「今日の日付や曜日が言えない」
これも、該当しない。
しかし、ふと、曜日がわからないときがあるような・・・
なんと10の設問の内、4つがズバリ該当!
「2~3個以上当てはまると軽度認知障害かも?」しれないというのに、4つも当てはまってしまうではないか。
ただし、該当する4つの事項ともに、子どものころから、私の欠点だと自覚していることではある。
だから、ビョ的なものではないとは思っているのだが、今何をしようとしていたか忘れることや、さがし物の頻度は、確実に増えている気がするのだ。
記事には、認知症になるリスクを高めるものとして、糖尿病、高血圧、喫煙をあげていたが、これはいずれも該当しないので一安心。
リスクを下げるのには、バランスのとれた食事と適度な運動がいいそうだ。
食事は、大豆や大豆製品や野菜、海草が多めの和食がおすすめらしい。
これに牛乳、乳製品運動を加える。
運動は、30分以上の軽く息が上がる程度の運動を週に3日以上。
バランスの良い食事と適度な運動を心がけることで、認知症の発症リスクを減らすことができるそうだ。
今日の大寒が去ったら、夜のウォーキングを始めることにしようかなあ。
朝、十分寝たとすっきり目覚める人は多くは無いようだ。
私も、子どものころから朝は苦手で、何度も何度も起こされて、やっと起きるという毎日だった。
15年くらい前、ひょんなきっかけでやることになった仕事の関係で、朝6時半までに起きなければならなくなった。
どうしても起きなくてはいけない状況に追い込まれていたもので、目覚ましを何個もかけ、なんとか起きていた。
そんな生活が何年か続き、気がつくと、目覚まし無しでも起きれるようになっていた。
それでも朝は眠くて、たまに朝寝がしたいなと思っていた。
しかし、代りになる人がないままだったもので、ほぼ365日そんな生活をしてきた。
今も、ときどき朝寝をしたいなと思うことはあるが、そんな思いとは無関係に、朝6時過ぎになると自然に目が覚める。
すっきり目覚めるという感じではなく、条件反射的に目が覚めるといった感じだ。
最近になって、たまに変わってくれる人ができて、たまには朝寝ができる状態もある。
そんなとき、一度目が覚めても起き出さずに、そのまま朝寝をしてみるのだが、それで疲れがとれるかというと、逆になんだか体がだるくて頭もすっきりしない。
だから、まだ少し寝ておきたいと思っても、6時半にはおきてしまうことにしている。
そんな自分の経験を裏付けるような記事があった。
アメリカのピッツバーグ大学の睡眠の研究によると、「週末にゆっくり眠って睡眠不足を解消するという生活をしている人は、多いと思う。しかし、平日と休日の睡眠時間を変えると、体に大きな負担がかかる。」というのだ。
研究グループは、447人の被験者にリストバンド型の行動記録計をつけてもらい、休日を含む7日間の行動を調べた。
仕事がある日も休日も、同じスケジュールで眠ったり起きたりする人は、一人もいなかった。
85%の人は休日に遅くまで眠っていて、残りの15%の人は早く起きていた。
すべての実験参加者の平均でみると、休日には仕事日よりも44分遅くまで眠ってた。
眠る時刻や起きる時刻が、仕事の日と休日で大きく違うほど、代謝機能への影響が大きいことも分かった。
たとえば、血液中の脂質が増え、善玉コレステロールが減り、インスリンの働きが悪くなった。
また、ウエストのサイズが大きくなり、体重も増えてしまった。
これは、睡眠スケジュールの乱れが、体内時計のリズムを狂わせるためだと考えらる。
健康で過ごすには、毎日の起床時刻や就寝時刻を、なるべく同じにすることが大切なようだ、という結果である。
私は、慢性的な睡眠不足ではないかと、自分の睡眠に少々不満があったのだが、この研究の成果を知って、自分の睡眠が満足に値するものだと心強く感じた。
私は、寝る時間は一定していないが、何時に寝ても、起きる時間は一定している。
どうやら、これは正しい睡眠の状態のようだ。
病は気から、気は心。
明日から、今までよりもすっきり目覚められそうな気がするなあ。
東京の小さな印刷会社が手作りして販売していた「おじいちゃんのノート」が、注文殺到で売り切れ状態になっている。
この印刷所がノート作りを始めたきっかけは3年ほど前。
近くで製本業を営んでいた男性(79)が店をたたんだときに、「印刷と製本は関係が深い。うちを手伝ってくれないか」と社長の中村輝雄さん(72)がこの男性に声をかけたことに始まる。
中村社長とこの男性が2年間かけて完成させたのが、方眼ノート。
どこのページを開いても真ん中がふくらみにくく平らになる。
手で押さえなくてもきれいに開き、コピーの時などに真ん中が黒くならないのが特長で、製造方法に関して会社で特許も取った。
2014年10月に発売を開始。
東京都の機関が試験的に購入・評価して普及を応援する「トライアル発注認定制度」にも選ばれるなど性能は評価されたものの、販売のノウハウを持たない悲しさで、なかなか売れなかった。
大量発注の話があって作ったが、実際の注文には結びつかず、7千~8千冊の在庫を抱えてしまった。
特許まで取ったのに全く売れずに在庫の山となっていた。
そのノートが突然、注目を浴び始めた。
そのきっかけは、社長の孫娘がつぶやいたツイッターだった。
「使ってもらえば、良さがわかってもらえるのに」。
男性は専門学校に通う孫娘(19)に、「これ、学校の友達にあげてくれ」とノートをまとめて渡した。
受け取った孫娘は、「学校じゃノート必要そうな人いないしなー。そうだ、ツイッターでやりとりしてる絵描きさんとか喜ぶかも」
今年の元日に軽い気持ちでツイートした。
「うちのおじいちゃんのノート、費用がないから宣伝できない」「欲しい方あげるので言って下さい」
すると、たちまち多くの反響が寄せられてきた。
「私が欲しかったのコレや」「建築とかしてる方には需要ありそう」「工業系の息子も欲しいと言っています」「どこで購入できますか」
使い方を指南してくれる人も現れるなど多くの人たちからコメントが寄せられ、販売している大手通販サイトなどでは続々と在庫切れになった。
7千~8千冊あった在庫に対し、3万冊を超える注文が入った。
小さな印刷所に、それをさばき切る能力はなく、今際販売休止中。
ツイートから約半月後の1月中旬には、大手文具メーカーの担当者が印刷所を訪れ、提携に向けた話も始まった。
銀行から融資の申し出まで来ているというから、近々増産は間違いない。
インターネットの威力に改めて驚かされた。
この話を聞いたのは昨日。
すぐにネット検索したら、ヨドバシカメラに在庫僅少で残っていた。
何冊買おうか、ちょっと迷って、数時間後に注文しようと思ったら、すでに売り切れ。
手に入らなくなると、ことさらに欲しくなる。
残念な今日の出来事だった。
髪毛黒生(かみのけくろはえ)駅。
ごまたまご歩道橋。
てつたろう休憩所。
各地で変な名の施設が続々と誕生している。
その理由は、施設命名権。
髪毛黒生駅は、銚子電鉄から命名権を買った頭皮ケアの製造販売会社がつけた駅の愛称名。
もともとの駅名は、坂上黒生(かさがみくろはえ)駅。
銚子電鉄は、収入を得る目的で9駅の命名権を売りに出した。
従来の駅名は残して、前後に愛称をつけ、駅舎やホームに表示するだけでなく、車内の案内放送や時刻表にも使う。
銚子電鉄といえば、赤字解消のためのぬれ煎餅販売で有名になった鉄道。
髪毛黒生駅の隣の西海鹿(あしか)島駅の愛称は、銚子電鉄の「ぬれ煎餅(せんべい)」の生地を納入する市内の米店が購入し、「三ツ星お米マイスター根本商店」と名付けられた。
4期連続の赤字経営で、国や、県・市の補助金などからの補助金を受けても、営業赤字は1650万円。
そんななか、命名権販売は8駅で980万円と、大いに助かるアイデアである。
この命名権は、日本各地に広がっていて、スポーツ番組やコンサート会場なんかでも、企業名を冠した施設名を、たびたび耳にする。
表会で「窮状を理解し応援してくださる方々と手を携え、ウィンウィンの関係を築きたい」と語った。
名古屋市は10年度から歩道橋の命名権を募集。
「Houseメガシャキ」「ごまたまご」など、企業や商品名の歩道橋が75カ所にあり、14年度の収入は1855万円。市の担当者は「企業のPRと市の財源確保が同時にできる」と話す。
徳島市が運営する「とくしま動物園」は園内の休憩所の命名権を08年度、3年で100万円以上を条件に売り出した。
地元ふとん店が6年間買った後、15年度からは重量鉄骨の家を手掛ける地元の建設会社が「てつたろう休憩所」と名付けた。
楽天イーグルスの宮城球場のように、名称が次々と変わって定着しなくて、名前を覚えられないとの苦情もある。
そんな流れのなか、鎌倉市が砂浜の整地費などを確保するため、由比ガ浜など三つの海水浴場の命名権を募集した。
すると、鳩サブレーで知られる地元の菓子メーカー「豊島屋」が10年間1億2千万円で契約した。
しかし、あえて名前は変えなかったそうだ。
その理由は、鎌倉生まれ、鎌倉育ちの社長が、企業名のついた海水浴場になることを阻止しようと購入したからだ。
おしゃれで、おとこまえな社長さんだなあ。(今日のブログは、この1行だけが私の意見(^-^; )
今日の日経新聞にこんな記事があった。
「5歳の子どもを育てるAさんはある日、1人で外出する用事ができたため、子どもを隣家の主婦Bさんに預かってもらった。ところが子どもが隣家で遊んでいる最中、階段から落ちて足を骨折した。
無償で預かってくれた隣人を責めるのは気が引けるが、きちんと面倒をみていたのか、親としては納得できない。治療費を求めたい気持ちもある。」
これが法的にどうなるかという問題である。
その答えは以下のようなものだった。。
「裁判でBさんの責任を問うとすれば、まず子どもを「預ける」「預かる」というやりとりが「契約」であったか否かが争点の一つです。契約は通常、口約束でも当事者間の合意があれば成立します。契約書の有無などの形式は不可欠の条件ではありません。
ただし、何をもって合意とみなすかは「全くのケース・バイ・ケース」で「預かってください」「わかりました」などの同じ言葉が交わされても、状況次第で合意の有無の判断は分かれる可能性があるそうです。
合意があった場合、Bさんは契約に基づく注意義務を負います。一般には「子どもがケガをしないように、気を配る」といった義務です。これを怠れば契約違反であり、損害賠償に応じなければなりません。
一方、合意があったとはいえず契約が未成立の場合でも、Bさんに責任を問う余地がゼロというわけではありません。「不法行為としての責任も考えられる」と浅川さんは話します。
不注意で人を傷つけてしまった時も、不法行為とみなされ、損害賠償をしなければいけない例があります。それと同様に、預かった時の具体的な状況などを検証した結果、Bさんには一定の注意義務が生じているとして損害賠償を請求する道は残っているのです。
今回の損害賠償の中身には3つの類型があります。1つ目は治療費など実際に生じた「積極損害」です。2つ目は、ケガがなければあったはずの収入がなくなったという「消極損害」。もしケガが重く、後遺障害で子どもが将来、働けないような事態なら、得られたと考えられる収入を請求します。3つ目は精神的苦痛への慰謝料です。
ただ、損害の原因がすべてBさんだけにあるとは限りません。預けたAさんが日ごろから危険な行為をしないようにしつけたり、預ける時にBさんに「こんな行動に気をつけて」と念を押したりしていれば、ケガを防げたかもしれません。
裁判所が、預けたAさんにも原因の一端があると認めれば、Bさんが負う賠償額は減らされます。当事者間で損害の責任を公平に分担するという考え方です。
どんな判決であれ、善意で子どもを預かった隣人との訴訟は後味の悪いものです。子を預ける、預かるという日常的な行動にも実は法的に重い責任が課されることを認識し、双方がトラブルを避けるよう注意を忘れないことが大切です。」
法律によって解説すると、なんともややこしいことだ。
そもそも、ことの起こりは関係良好の隣人が好意によって子どもを預ってくれたことにある。
子どものケガが、明らかに責めに帰すべき隣人の過失に因るものだったら治療費を求めたい気持ちもわからないではないが、裁判に起こすことか。
設問にあるように、「無償で預ってくれた隣人を責めるのは気が引けるが、」という気もがあるのであれば、治療費は求めなさんな。
そして、「親としては納得できない」なんてきれいごとは言いなさんな。
「余計な出費を払いたくないから治療費を請求できないか」という相談にしろよ。
無償であずかってもらって、なんにもなかったら、相手に何もお変えしはしないんだろ?
新聞の法律相談欄の架空の話を相手に、年をとって怒りっぽくなった悪徳不動産屋の繰り言である。
今朝のワイドショーは、雪で大混乱となった東京の交通網のさまを、例によって面白おかしく取り上げていた。
急速に発達した低気圧の影響で、日本各地が大雪に見舞われ、東京でも6㎝の積雪。
たった6㎝の積雪で、東京の交通網はズタズタ。
いつもは通勤時間1時間のところを4時間かかっただとか、電車の遅れで乗客が駅にも入れなくて、駅の外に数百メートルの行列を作っていただとか、雪道で立ち往生する車だとか、各局が競って大きな被害の取材合戦を繰り広げていた。
その一方で、その対策をあれこれ論じていた。
しかしだよ、東京が不便を味わったのは今日一日のことだろう?
1年に1度や2度、不便な思いをしたって文句を言うのは、ちゃんちゃらおかしい。
いつも乗る電車を乗り過ごしたって、5分か10分したら次の電車が来るじゃないか。
私の住む宮崎は、一本電車を乗り過ごしたら、次の電車が車で最低30分はかかるのだぞ。
高速道路が来たのも、つい最近のこと。
おまけにまだ未貫通。
東京の暮らしに比べたら、年中不自由な思いをして暮らしているのだ。
たった1日だけ不自由な思いをしたって罰はあたらないよ。
ざまーみやがれ、なのだ。
解散騒動に揺れていたスマップだが、なんとか解散の危機はまぬがれたようだ。
それについて、今晩10時15分から放送される「SMAP×SMAP」にメンバー5人が生出演して、それぞれの心境を語るそうだ。
多くのファンを始めとする多くのみなさまに5人のメンバーの口から直接、現在の心境を語らせていただくことが、せめてもの誠意を尽くすことになるということで、生出演する決断を下したのだという。
重ねての話だが、私はスマップのファンであった意識はなかった。
でも、ともかく、解散が無くなったことに安堵した。
しかし、安堵の後に少々憤りを感じているのである。
当地・宮崎県は民放テレビ局が2局しかない。
新聞のテレビ欄を確認してみたところ、「SMAP×SMAP」は放送されていないのだ。
当地(宮崎県の北端の街・延岡市)においては、高速道路も未整備だった。
2年前に宮崎市までつながって、去年大分市までつながったが、北九州までの一部区間がまだつながっていなかった。
今春やっと、高速道路の東九州ルートが開通し、なんとか高速道路網に当地も加えてもらうことになった。
当地はかくのごとく交通不便の地であるが、電波過疎地でもあるのだ。
これで税金はいっしょというのは、絶対におかしい!
スマップの生放送が見れないことで、税金の不公平に不満が噴出したきょうのできごとなのだなあ。
手帳に書き留めていた名言。
今年の正月のこと。
京都に旅行に行って、当然のごとくたくさんの神社仏閣でお参りをした。
大きなお寺や神社だと、境内や敷地内にいくつものお堂や社がある。
神頼みではないのだが、行ったからには全部にお賽銭をあげてお参りをする。
私は、お賽銭は百円と決めているのだが、お賽銭が馬鹿にならない。
家内も百円を入れているようだったが、余りの数の多さに、途中から十円玉や五円玉も入れていた。
あるお寺で、私のポケットの百円玉がきれた。
家内に百円を借りようとしたら五十円玉をくれた。
それを見て私は、「お賽銭は百円は入れないと神様に失礼じゃないかな」と、百円をねだった。
それに対して家内が放った一言。
「お賽銭は神様が欲しがっているんじゃなくて、欲しがっているのは神社だよ」
神様には心をこめて手を合わせればいいというのだ。
思わず名言だなと思って手帳に書き留めた次第。
早いもので、1月の半分以上を過ぎてしまった。
正月気分が抜けないという言葉がある。
今年は正月気分というような間の抜けた感じはないのだが、正月で気持ちを新たにするという緊張感もないまま、ずるりと今日まできてしまったような気がする。
そういえば、今年は元旦に「1年の計」がないままだった。
ということで、遅ればせながら今日、1年の計とあいなった。
芸能オタクではないと思っていたのだが、結構、芸能好きだったのかもしれない。
スマップのことが気になる。
今まで気がつかなかったのだけど、芸能好きというよりスマップが好きだったのかもしれない。
私は、いわゆるイケメンが大嫌いだ。
それは単純に、嫉妬心によるものであってそれ以外のなにものでもない。
だからキムタクのことは嫌いだったはずなんだけど、スマップは解散してはいけないと思うのだ。
普段はスポーツ新聞なんか買わないのだけど、今朝コンビニ行ったときにスポーツ新聞の見出しが気になって、つい買ってしまった。
スポニチって新聞だった。
10㎝四方くらいの大きな活字で、しかも活字の色は赤と黄色で「中井 後悔メール」という見出し。
仲居さんが目を閉じて後悔にひたっているような写真が添えられている。
「これからは命を懸けてスマップを守る表明していると書いてある。
勘違いで独立しようなんて思ったことを大いに反省しているということだった。
これでなんとか解散は免れるのかなと思ったら、隣に日刊スポーツというのがあって、こちらもスポニチに負けじとばかりな大きな活字でスマップを報じている。
しかし、なななんと、こちらには「スマップ解散」とある。
キムタク以外の4人が、独立に向けて事務所と協議しているってことになっている。
まったく内容が違っている。
だから、私はスポーツ新聞と週刊誌は買わないのだ。
どちらが本当の話かわからないけれど、スマップは解散してはいけなんじゃないかな、なんて、芸能オタクのおじさんを自覚させられた今日このごろであった。
スマップの独立騒動がカラー写真付の記事で朝日新聞の1面をかざっていた。
社会面でも紙面の3分の2を割いて大きく取り扱っていた。
スポーツ新聞じゃあるまいしと思っていたら、スポーツ紙は全紙が1面全面でスマップ。
さらに芸能面はスマップだらけ。
私は、芸能オタクというわけではないのだが、今朝のワイドショーにはかぶりつき状態になった。
婚約発表したばかりの北川景子さんとダイゴさんのビッグカップルさんは、ちょっと寂しい思いをしているかもしれないけど、船越英一郎と松居一代さんは、ちょっとほっとしているかもしれないなあなんて思いながらテレビにかじりついていた。。
ベッキーさんと川谷さんも、ちょっとほっとできるかかもしれないと思ったけど、そうは簡単に許してもらえないようだった。
それにしても、スマップの解散は社会問題になるに値する大問題。
5人がそれぞれにレギュラー番組やCMを持っているし、やめるとなるとその後始末は簡単ではないだろう。
稼ぎ頭に辞められるジャニーズ事務所も大打撃だから、全力で引き止めるのだろうと思っていたら、スマップの4人が思い直して事務所への残留を希望しているのに、それを事務所が認めないというからわからない。
謀叛を起こそうとした者は許さない。
簡単に許したのでは、示しがつかないということらしい。
しかし、ことはジャニーズ事務所だけの問題というより、テレビ局やCMスポンサーにも大きな影響を与える大問題。
結局、まわりのみんなでジャニーズ事務所の顔が立つような形を考えて、なんとか元の鞘に納まることになるのではないかと思っている。
私は、スマップのファンというわけでもないのだけど、やっぱりスマップはスマップであってほしいなと思っている。
へんなおじさんだなあ。
強姦罪で懲役4年の判決を受けていた男性が、控訴審で逆転無罪の判決を得た。
この男性は、2012年鹿児島市において17歳の女性にを強姦したとして起訴されたが、一貫して無罪を主張していた。
鹿児島県警は、女性の旨から検出した唾液のような付着物と、女性の体内から検出した精液を鑑定した。
結果は、付着物のDNAが男性のものと一致。
精液から抽出したDNAは微量で官邸不能としたが、第一審は付着物のDNAが一致したことと女性の証言を重視し、「精液が検出されたことは男性に暴行されたとする証言を強く裏付けている」として、懲役4年の判決を下した。
控訴審では、弁護側の請求で体液を再鑑定した。
その結果、静止のDNAは被疑者男性以外のものと判明した。
控訴審判決では、鹿児島県警の鑑定について、抽出後に残りのDNA溶液をすべて廃棄していたことや、精液を鑑定した記録は「いつどのように記入されたか不明」で、鑑定経過を記したメモも廃棄されていた点を重視し、信用性に疑いがあると判断した。
さらに、「鑑定技術が著しく稚拙で不適切な操作をした結果、DNAが抽出できなくなった可能性や、DNA型が検出されたにもかかわらず被告と整合しなかったことから、事実でない報告をした可能性すら否定できない」とまで糾弾している。
女性の証言については、「事件直近に性交渉はなかった」と主張したのに、体内からは被告以外の精子が検出されたことから「証言は信用できない」とし「そのほかの証言についても疑念を抱かせる」と判断した。
その上で、「本件を強姦とみるには不自然で、合意をえて性的接触をした後にトラブルになり、男性が逃げ出したと見た方が自然」との見解を示した。
被告の男性は逮捕から3年余、強姦犯として社会から抹殺されていた。
今回、無罪の判決を受けたことは喜ぶべきことではあるが、この間の年月と狂った人生の歯車をもとに戻すことは容易ではない。
警察の立場は、人を疑ってなんぼの世界。
被疑者の言い分をまともに聞いていたのでは、警察の仕事はなりたたない。
しかし今回、捜査に不利な鑑定結果を隠匿していた。
DNA鑑定は有力な証拠となるものだが、捜査に有利な鑑定結果は証拠として提出するが、捜査に不利な鑑定結果は隠してしまうというやりかたは許しがたい。
これまでに、無罪になった重大冤罪事件がいくつもあった。
その多くで、証拠の改竄や被告にとって有利な証拠の隠滅が見つかっている。
冤罪とは、意図しない間違い・勘違いによって作り出されるものであるが、意図的な証拠の改竄や被告にとって有利な証拠の隠滅による冤罪は、冤罪という生易しい言葉ではなく、国家による犯罪と言うべきものだ。
無実の人に死刑の判決を下していた例は枚挙にいとまがない。
法律では、警察や検察は、無実の人を間違って裁いても罪には問われないことになっている。
しかし、意図的な証拠の改竄や証拠隠滅を行った場合には、殺人未遂罪に相当する刑罰を定めてもしかるべきであろう。
今朝は寒かった。
この冬は、ずっと暖かくて、体が寒さに慣れてないから、ことさらに寒く感じた。
東京では初雪が見られ、朝のワイドショーでは、久々に寒さを話題にして騒いでいた。
そんな中、気象情報のコーナーで、今朝の寒さを「真冬並みの寒さ」だなんて言っていたけど、1月の中旬って真冬じゃないの?
1月中旬は十分に真冬って気がするのだけどなあ。
涙の理由がわからなかった。
今朝の「とくダネ」で、小倉キャスターが「このニュースだけはお伝えしたくなかった」と、ジャーナリストの竹田圭吾さんが亡くなったことを報じた。
51歳だった。
竹田圭吾さんは「とくダネ」のコメンテーターをされていたが、やわらかい語り口だが鋭い意見を述べられていた。
一昨年、しばらく顔を見かけなくなったなと思っていたら、以前とは別人のようなやせ細った姿で再出演されていた。
その姿は、一瞬で、難しい病気を抱えているとわかるものだった。
その後、少し顔もふっくらしてきて回復しているのかなと思っていたが、先月見たときは、相当様子が悪いように見えた。
はためにも、テレビ出演は大丈夫なのかと心配になるほどだった。
そんな竹田さんだったが、私が見ている限りでは、とくダネで竹田さんの病状について触れたことはなかった。
昨年、別な番組に出演中に、がんであることを告白されたらしいが、本人の意思を察して、小倉さんを始めとするとくダネスタッフは、あえて病状について余り深く触れることはなかったらしい。
苦しそうにしている姿をみて、無理はなさらなくていいですよと声はかけることはあったが、「どうしても番組に出たいのです。それが私の生きざまです。」と言って、番組出演を続けたらしい。
死を覚悟しての出演だったのだろう。
私は、竹田さんに格別に思い入れがあったということではなかった。
それなのに竹田さんの死に、なぜこんなに涙が出るのかわからなかった。
それは、100%生き尽くした竹田さんの姿に対するものだったのだろう。
つくづく、人が立派に見える今日このごろである。
動物園にも食卓革命が起きている。
今まで伝統的に与えてきたエサはけんうこてきとはいえない場合があるというのだ。
山口県宇部市の、ときわ動物園では、サルにバナナを与えるのをやめた。
スリランカ原産のトクモンキーというサルだが、1年前には短い灰色の毛がまだらに見えていた。
昨年1月から、バナナとリンゴの果物をやめ、キャベツなどの葉物野菜を大幅に増やした。
根菜類は3分の1にし、その他の野菜を2倍にした。
大豆などのタンパク質も加えた。
するとまもなく、明るい茶色の毛が生え揃ってきた。
エサの効果か確かめるため、10月11月に、半分のサルのエサを以前の果物炒り煮戻したところ、2~3週間後から、すべてのサルがまだらになった。
12月、新しいエサに戻したところ、徐々に毛並みがきれいに戻った。
上野動物園でも、パンダの食事を変えた。
以前はサトウキビと果物中心だったが、今は竹を中心にしている。
その結果、便の量が増え、粘膜便が減って、具合が悪くなる回数が大きく減った。
ゴリラも、重量で半分近く与えていた果物を無くし、野菜と青草、枝葉を中心にしたところ、太り気味だった体重が適正になり、体調も良いという。
(朝日新聞2016.01.10)
動物の世界でも、美味いものは体に悪いようだ。
明日は鏡開き。
好物の善哉をたらふく食って、それを最後に、年末年始に食べすぎて太った体重を落とすことにしようか。
朝テレビをつけると、長嶋さんの大写しの顔があった。
トーク番組のようだが、音声が小さくて聞こえない。
顔色もよく、はつらつとして若々しい。
病気をする前の長嶋さんに見えた。
いつのころの番組なんだろう。
そう思って音声のボリュームを上げた。
ニコニコして話しているようだったが、言葉に障害があった。
話の相手は阿川佐和子さんだった。
番組は、TBSの「さわこの朝」であった。
長嶋さんは脳梗塞を患って言葉に障害がある。
トーク番組に出ることはないと思ってたので、その番組が「さわこの朝」だとは思わなかった。
長嶋さんの言葉は聞き取りにくいところもあったが、阿川さんの軽妙な自然体のインタビューで会話はスムーズに流れた。
長嶋さんというと、常に王さんと比較される。
天才の長嶋さんと、努力の人王さんという印象がある。
その長嶋さんが、自分も人以上の努力をしていたという話をしておられた。
努力を人に見せつけるのは長嶋さんの美学に反するらしい。
大ベストセラー「聞く力」の書いた阿川さんならではのインタビュー成果だった。
さらに驚かされたのが、長嶋さんのリハビリの様子だった。
それは、リハビリという言葉の印象とはまったく違っていた。
それは、現役のアスリートのトレーニングと見まがうような激しいものだった。
とても私にはできそうにもない激しいトレーニングである。
巨人の4番をはっていたころの長嶋さんの努力はいかほどのものであったのだろう。
なぜか、今日の長嶋さんから勇気をもらった。
ベッキーってタレント、好きでも嫌いでも無くて余り関係ないことだけど、不倫と騒がれて釈明会見をしている姿は、ちとかわいそう。
ベッキーが31歳にもなっていたなんて知らなかったのだけど、心労のせいなのか、相応のメイキャップのせいなのか、年相応に見えた。
落ち込んだ態度で、「この度は、大変、ファンのみなさま、そして関係者にご心配、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません」とお詫びしていたが、不倫を詫びるのは相手の男の奥さんじゃないのかなんて思いながらワイドショーを眺めていた。
私がファンじゃないからで、熱烈なファンだったら裏切られたと腹が立つのかもしれない。
それはベッキーさんが清純さを売りにしていたからであって、AVタレントだったら不倫もファンには迷惑はかけないのだろう。
CMでもしょっちゅう見かけていたけど、それも清純なイメージを売りにしてのものだったから、スポンサーにも迷惑をかけることになるのだろう。
CMを打ち切るスポンサーもいるのかもしれないし、そうなると所属のプロダクションにも多大なる迷惑をかけるだろうし、だから、一番お詫びするべき不倫相手の奥さんのことには考えが及ばないのだろう。
二人の間だけで交わしたはずのラインのやり取りの画像が流出していたけど、その犯人は(犯人扱いしてすみません)不倫相手の奥さんでしかあり得ないわけで、奥さんがすんなり抵抗も無しに離婚に応じるわけはない。
ベッキーさん相手に損害賠償もできるわけで、スポンサーやプロダクションからの損害賠償が重なったら大変なことになる。
清純を売りにしていたから、今回のことで商品価値が下がってしまうから、深刻な事態になってしまう。
その点、AKBの指原さんは大物だなあと、変なところに感心している変なおじさんなのだなあ。
冷蔵庫に、賞味期限11月8日の納豆が隠れていた。
御歳暮にもらったハムとジュースを詰め込んだ後に隠れていたのだ。
私は賞味期限は余り気にしない。
傷んでいるかどうかは、匂いと味で見分けがつく。
私の子どものころには、冷蔵庫なんてなかった。
防腐剤も発達?していたなったので、食べ物はすぐに腐った。
肉も魚も、買ってきたその日に食べてしまわないと、傷んでしまう。
宅配の牛乳だって、1日置くと変な匂いがして酸っぱい味がした。
心配な食べ物は、まず、クンクンと匂いをかいでみる。
そして、なんとも無いようだったら、ちょっと口に入れて味をみる。
それで、おかしくないときは大丈夫ということになる。
そんな経験をいっぱい積んでいるので、賞味期限は自分で決めることができるのだ。
最近の若いやつらといったら、腐った食べ物を食べたことも、匂いを嗅いだこともない。
そりゃー、しまっていることをすっかり忘れてしまって、完全に腐らせてしまった経験はあるのかもしれないが、正常な状態と腐りかけの微妙な状態は知らないだろう。
メーカーは自分の会社の商品で食中毒を起こされたんでは大変だから、賞味過剰なくらい余裕をもって賞味期限を定めている。
世の中ぜいたくになっているから、賞味期限がきたものは、さっさと捨ててしまう。
生まれたときからそんな生活をしている若い連中は、まだ食べられるのか食べてはいけないものか、自分では判断できない。
それで、賞味期限を1日でも過ぎたら捨てっちまうってわけだ。
コンビニの弁当なんてのは、賞味期限より厳しい消費期限ってやつがついていて、日にちどころか時間まで決めている。
消費期限1月7日の午後7時までなんて書いてあると、7時を1分でも過ぎたら食べないやつがいる。
期限前だって痛む場合もあるだろうけど、そんなのはわかりっこない。
だから、消費期限も相当余裕をもって決めているに違いない。
と、またしても話が横道にそれてしまったが、賞味期限や消費期限は自分で決めると自信をもっていた私だが、4~5カ月前に急に臭覚を失ってしまって、匂いで判断ができない。
私は、納豆菌の生命力は強力で、いったん納豆菌が繁殖してしまったら腐敗菌やら他の細菌は繁殖できないから、納豆は腐ることはないという雑学をよりどころとして、納豆の賞味期限は一切無視していた。
しかしそれは、もし傷んでいても匂いで判別できるという裏付けがあってのことだった。
匂いを無くした今、はたして11月8日が賞味期限の納豆を食べるべきか食べざるべきか、それは今の私にとって、北朝鮮の水爆より大きな問題なのである。
今日は雨。
それで昨日に続いて傘の話題。
アイフォンより軽い、超軽量の折りたたみ傘だ。
なにかの本に紹介されていたのだが、価格は7,400円だった。
これなら買ってもいいかなと思って、ネットで調べてみたら現在売り切れ中のようである。
ちょっとがっかりしたけど、安くて軽い傘がいくつも見つかった。
傘に格別な思い入れがあるわけではないのだけれど、超大型の折りたたみがさやら、丈夫な傘やら、興味をそそられる傘がたくさんある。
でも、やっぱり一番欲しいのは昨日の記事に書いた濡れない傘けど、34,000円じゃなあ・・・。
雨の日の車の乗り降り。
濡れた傘で、体も車内もびしょびしょになってしまう。
常々、なんとかならないものかと思っていた。
これを解決できる道具を発明したら、一儲けできるだろうなと雨のたびに思っていた。
そんな一攫千金の夢を見ていたのだが、濡れない傘はすでに発明されていた。
商品名は、GAX UNBURELLA(ギャックス アンブレラ)。
傘の開き方、閉じ方が、従来の傘とはまったく逆になっている。
濡れた面が内側にくるので周りを濡らさない。
車に乗り込んだあとに傘を閉じることができる
車からおりるときも、ドアを少し開けるだけで傘を開くことができる。
うまく説明ができないので、その傘を販売している会社のウェブページの写真を使わしてもらうことにする。
詳しくは、GAX UNBURELLA(ギャックス アンブレラ)のウェブページをご覧あれ。
日本発の発明のようで、「ギャックス」というのは「逆」ももじってのネーミングなのかもしれない。
車の乗り降りで濡れないだけではなく、満員電車でも人に迷惑をかけないし、室内に持ち込む際にも床を濡らすことがない。
日本ならではの、細かいところにも気を配っている見事なアイデアである。
欲しいと思ったが、価格が34,000円。
今の私の懐具合だと、34,000円は、ちと高すぎる。
しばらくは濡れることを我慢せざるを得ない。
うーーん。でも欲しいなあ。
前にも書いたことなのだけど、私は、善良なるお客様の言葉が理解できないことがある。
先程の電話での相談がそれだった。
「もしもし、佐藤(仮名)と申します。その節はお世話になりました。」
聞き覚えのある声ではない。
どちらの佐藤さんなのか、「その節」がいつのことなのか、想像をめぐらしている私の頭の混乱とは無関係に善良なるお客様は話を続ける。
「昨年相談していた件で、今月11日に延岡(当地・宮崎県の北端の街・延岡市)に行くことになっているので、もう一度ご相談に乗ってもらえませんか」と言う。
感のいい私だから、ここまでの話で、なんとかどの佐藤さんが、どのような相談に乗ってもらいたいのかはわかった。
遠く離れた県外からお見えになるのであるが、あいにく11日は宮崎(市)に行く予定が入っている。
その旨を伝えると、「10日に延岡に入るので、10日には時間はとれないか」とのこと。
「10日ならいいですよ。時間は何時くらいになりますか。」と聞いてみた。
飛行機で来るのだろうが、宮崎空港から当地まで電車で1時間ちょっとかかる。
接続の電車は1時間に1本か2本しかない。
10日は当社は休みなのだが、相手の時間にあわせて事務所に出るつもりだ。
すると、私の質問には答えず、私の時間の都合を聞いてくる。
私の都合としては早めに終わらせたいのだけど、当地への到着の時間に合わせなければしょうがない。
「こちらに到着する時間に合わせますので、何時がいいですか」と再度聞いてみた。
すると、「夜でもいいですか」と言う。
あまりうれしい話ではないが、飛行機や電車の都合で遅くなっても仕方がない。
「何時でも結構ですよ。時間を言っていただければ、それにあわせます」と答える。
すると、またしても、「赤池さんの都合は何時がいいのですか」と聞いてくる。
私はこちらで迎える立場。
私が相手に合わせるしかない。
そう言っているのに、またしても私の都合を聞いてくる。
それで、「10日であれば、何時でも時間は合わせますので、希望の時間を言ってください」と再度聞くことになった。
すると、またしても「赤池さんは何時がいいんですか」と言う。
よくある話。
こんなやり取りが私には理解できないのだ。
私は不動産屋。経営者といえども、仕事は一営業マンと同じ。
突発的にお客さんの都合で出かけなくてはならないことがある。
ただし、そんなときでも、先に予定が入っていれば時間をずらすことはできる。
私が「何時でもいい」というときは、絶対にその時間を守るということなのだ。
だから、「何時がいいか」と聞いているのに、自分の希望の時間を言わずに、私の都合を聞いてくる人が実に多いのだ。
私が顧客の立場でアポイントを求められるときにも、こんなやりとりになることがある。
損な場合に私は、「じゃあ、明日の朝6時に来てくれ」とか、「夜10時半にしてくれ」と言ってみることにしている。
そして、6時じゃちょっと早すぎるとか、10時半はちょっと遅いという営業マンに対しては、「だから、あなたの都合にあわせるといったじゃないか。私がお客さんに何時でもいいと言ってしまったら、たとえ夜中の1時でも2時でも相手の時間に合わせるぞ」といじめることにしている。
なにせ私は悪徳不動産屋なのだから。
でも、今日の人は営業マンではないので、そんなことはできない。
それで、怒りをおさえて、もう一度「時間は何時でも合わせますので、希望の時間を教えてください」と言った。
それなのに、またしても、私の都合のいい時間を言ってくださいと言う。
遠慮しているのか、自分の都合を押しつけたくないというのか、それとも頭が悪いのか、自分の都合を言わない人がいる。
ここまできたら、わかりやすくしなくてはいけない。
「私が朝の10時にしてください言ってもできないんでしょう。」
「10時は無理です」
「午後1時ならいいんですか」
「1時も無理です」
「2時は?」
「それも無理です」
「でしょう?だから、何時がいいんですか?」
こんなむなしいやり取りをして、やっとのことで「夕方6時から7時に時間をとってもらえますか」という答えを引き出した。
ちなみに相談者は、5、6年前に土地を売らせていただいたお客様。
そのご縁での法律相談だが、いっさい私の利益になる話ではない。
お正月休みも今日まで。
明日から新しい年の仕事が始まる。
新しい年の仕事が始まるといっても、別に新しい仕事がわいてくるわけではなくて、去年の仕事の続きを形にしていくわけだけど、新年を迎えると何かいいことが起こりそうな気がする。
その気持ちは大事で、それが正月のいいところなのだ。
ここ数年、正月3が日は旅行で、今年も京都に行ってきた。
京都は見るところが多くて、3日間あるきづめだった。
夜九時すぎにかえって、やっぱり家がいいなとくつろいではみたけれど、今、立ち上がってみたら足が痛い。
結構な激痛である。
早々に寝て明日の仕事始めにそなえることにしよう。
みなさまにも、私にも、今年がいい年になりますように。
正月だから、目覚ましのアラームを切っていたのだけど、いつものように6時過ぎに目が覚めた。
若いときは朝が苦手で、父に厳しくしかられていた。
それは、私の人間性を否定するようなひどいしかりかたで、もともと良くなかった親子関係をさらに悪化させるような、ひどい怒りようであった。
それに対して私は、体質的な問題だと真剣に抗弁していた。
そんな私が、15年前に、ひょんなきっかけでホテルを買ってしまって、仕事の都合でどうしても朝6時に起きなくてはいけなくなった。
自分以外に誰も頼る人がいなくて、自分が起きないとホテルの運営ができなかった。
昔、父にしかられていた頃は、何回も何回も起こされても起きれなかったのに、目覚まし時計の音と同時に起きることができた。
そのうちに、目覚ましの鳴る前に目が覚めるようになっていまった。
そういうわけで、今朝は目覚ましのアラームを切っていたのに6時に目が覚めてしまったというわけだ。
親子仲が悪くて、亡くなるまで父の存在を認めることができなかった私だが、ここのところなにかにつけ、父の方がが正しかったと思わされることがある。
正月休みもいつもと同じように目が覚めてしまって、テレビをつけてみたけど、いつもの番組はやっていない。
正月2日の朝。結局、箱根駅伝にチャンネルをまわした。
あけましておめでとうございます。
昨日から数時間経っただけなのだけど、今日はお正月。
日本では、お正月は「おめでとうございます」。
英語では「新年はハッピー」だし、フランス語でも「良い年」、中国語は「新年好」で、ドイツ語では「新年は満足」というらしい。
どうやら国や宗教が違っても、どの国でも新年はおめでたいようだ。
日本では「盆・正月」と言って、お盆も大きなイベントだが、アメリカやフランスにはお盆はない。
それぞれの国に、それぞれ独自のイベントがあって、それぞれにお祝いをするのだろうけど、他の国にはまったく関係のないイベントもあるだろう。
しかし、お正月だけは、世界中の国がこぞって祝うようだ。
世界中の人々が、つらいことや苦しいことがあっても、今年こそは幸せになろうと新しい年に希望を託して新年を迎えるのだろう。
いっそのこと、世界中の人が憎しみも捨て去って、「おめでとう」「ハッピー」「好」と声をかけあうことができたらいいのに。
ともあれ、私にとっての新年は、まだ希望の光が射している。
今年もよろしくお願いします。
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