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2016年4月

2016年4月28日 (木)

打ちのめされて

 今日は、雨があがった。

 地震被害のニュースは終わりを見ることもなく、重ねての大雨。

 ブログで太平楽を並べるのもはばかられ、書くことを失っていた。

 夕方のニュースで、宮崎市の宿泊施設もキャンセルが相次いでいると報じていた。

 経済的打撃は、3カ月で55億円にのぼるだろうという予測だそうである。

 熊本に近い高千穂町の宿泊施設が、のきなみキャンセルになっていると、すでに報じられていたのを見ていたが、遠く離れた宮崎でも大きな影響が出ているようだ。

 影響は九州全土に及んでいるようだ。

 熊本、大分の打撃はいかばかりか。

 そんな中で、熊本に隣接するような位置にある高千穂町では、街ぐるみの支援作として、ゴールデンウィーク期間中、熊本県民の方を一泊2,000円で宿泊を受け付けている。

 キャンセルで空いている宿泊施設と高千穂町が協力して、地震避難で疲れた身体と心をゆっくり癒してくださいと声掛けをしている。

 阿蘇から高千穂は1、車で時間足らず。

 高千穂は地震で大きな被害は出ていない。

 いろいろな支援の方法があって、多くの人が動いている。

 

 

 

 

2016年4月23日 (土)

悪徳不動産屋日記 ここ数年で最大級に腹立たしかったこと。   自己反省も踏まえて。

 悪徳不動産屋の私だが、ただ働きをさせられることが多い。

 今日、ここ数年で最大級に腹立たしい出来事があった。

 昨年から、私のお世話になっているお客さんの親族から、ある収益物件について買収できないだろうかという相談を受けていた。

 それで、状況を調査したのだが、売るような情報はつかめなかった。

 それで、いったんはそのままにしていたのだが、今年になって再三来社され、所有者と折衝してくれとの依頼を受けた。

 私のお世話になっている方の親族ということもあり、また経済的に物件を買える資力はある人だったので、所有者に直接あって交渉することにした。

 その結果、所有者は売ることを考えていることがわかった。

 価格について、どのくらいを考えているのかと打診したが、明確な数字は聞き出せなかった。

 しかし、なかなか人柄の良い方で、変な駆け引きをするようには見受けられなかった。

 しばらく話をする中で、私なりにある程度の価格の想定をしてその場を辞した。

 所有者と折衝したら売ってもいいということになり、物件の内見の了解をとった。

 買収依頼者にその報告をし、物件を内見させてもらった。

 所有者の話では、15年くらい前に8000万円で買ったということであった。

 内見のあと、依頼者に希望価格を聞くと、即答はできないという。

 買う側だから、安い方がいいとしか言わない。

 自分から買いたいという申し出で話が始まっているのに、なんとも駆け引きの強い人である。

 私の世話になっている人の親族だということで、気を許して、余り手の内をつめずに商談してしまったことを後悔したが、後の祭。

 それで、買付け証明書を作り、買付け希望額を記入するように話をしたところ、解決証明書をいったん持ち帰られた。

 そして、後日希望額を記入した買付け証明書を持って来られた。

 なんと、希望額は1,000万円。

 15年前に8,000万円で買ったという物件である。

 私は、その数字を見て、「これでは話にならないと思いますよ。こんな額の買付け証明をもっていっても、数字のすりあわせをしようがありませんよ。」と言って、もう少し金額を検討し直してくださいと、新たな買付け証明書を渡して帰ってもらった。

 そして昨日、あらたな買付け証明書を持って来たのだが、希望額は1,200万円。

 私は悪徳不動産屋。御用聞きではない。

 こんな価格で交渉に行っても、話が進むわけがない。

 知人の親族で顔見知りであるという気安さで、つい講釈を垂れてしまった。

 値切るにしても程がある。15年前のバブルの余波が残っている時代とはいえ、8,000万円で買ったものを、こんな数字で売るわけがないという話を、くどくどとしてしまった。

 すると、この依頼者、すっと立ち上がり、何も言わずに店を出て行った。

 知り合いということで、つい言葉が過ぎたと反省したので、今日お詫びのメールを入れたが、話は打ち切るという短い返事のみ。

 この人の依頼で、数物件調査をさせられていて、登記簿の調査の実費で1万円弱は使っている。

 それと、調査にも結構な時間をかけている。

 それについての経費は一切いただいていない。

 こんな今までの努力はまったく無駄。

 今日の反省として、今後は、あらかじめ調査にかかる費用分を着手金として預ることにする。

 今まで、調査費用は私の必用経費として依頼者に請求することはしなかったが、相手は経費がかかっていることがわからない。

 ただ働きしても相手から感謝されることはない。

 無料で仕事をすると、その仕事はそれなりの値打ちとしか思われない。

 しっかり仕事に見合った代価を請求することで、その仕事の値打ちをわからせることができる。

 こんなことが今になってわかった、年を食った悪徳不動産屋であった。

 

2016年4月21日 (木)

書けない

 朝から、ずっと雨。

 強い部類の雨だ。

 熊本も雨なのだろう。

 どうして、こうも重なるのか。

 なんとも、言葉がない。

2016年4月20日 (水)

言葉がない

 

地震の被害が大きすぎて、言葉を失っている。

2016年4月18日 (月)

君の膵臓をたべたい

 久しぶりに小説を読んだ。

 本の題名は「君の膵臓をたべたい」

 私は本を結構買うのだが、仕事に関連するノウハウ的な本や雑誌がほとんどで、小説を読むことはない。

 一番最近読んだ本は又吉さんの「火花」。

 芥川賞をとったとこで話題になったの読んでみた。

 年甲斐もなくミーハー(若い人には意味がわからない言葉かもしれないが、説明は省略する)で、流行りのものには興味がわく。

 ひごろ小説を読むことはないのだが、テレビで芥川賞と直木賞が話題になると、受賞作を読んでみたくなる。

 最近では、本屋大賞をとった本が芥川賞や直木賞より売上部数を伸ばす大ベストセラーになっているので、これも気になる。

 ということで「火花」を読んだ次に、本屋大賞の受賞作を読んでみようと思った。

 私は、買っても読まない本がたくさんあって、買って読まないのはもったいないから、本屋大賞の本は図書館で借りることにした。

 「火花」も図書館で借りたのだが、これは20以上のも予約が入っていて、順番がまわってくるのに数か月かかってしまった。

 だから、今回の本屋大賞は、ノミネートの段階で予約することにした。

 題名を見て読んでみたい本に予約をいれたのだが、ノミネートの段階なのに、すでに予約15人待ちになっているものもあった。

 そして、最初に予約がまわってきたのが、「君の膵臓をたべたい」だった。

 なんとも奇抜な題名の本である。

 本屋大賞にノミネートされていたから予約したわけで、どんな内容かはまったく知らなかった。

 奇抜な題名の意味は読めばわかると思って読み始めたのだが、題名の意味するところはすぐにわかった。

 そして、奇抜な題名とはかかわりなく、予想外に面白かった。

 私は小説は苦手で、面白くもないのに苦痛をこらえて読むことが多くて、だからあまり小説を読まないのだが、最初の数頁で小説の世界に取り込まれてしまった。

 映画と同じで、内容にはいっさいふれないことにするが、久しぶりに小説が面白いと思えて、一気に読んでしまった。

 3年前の筒井康隆さんの新聞連載小説「聖痕」依頼の、私にとってのヒット作であった。

 ちなみに、本屋大賞ノミネート作を、あと4冊予約している。

 大賞の「羊と鋼の森」は、あと4人待ち。

 他の本も7人待ちと13人待ち。

 しばらくは、小説を読むことになる。

2016年4月16日 (土)

お大師祭

 深夜の一時半ころに震度5の揺れに起こされて、たびたびの余震で、朝まで眠れなかった。

 震度4とか5で、じたばたしているのだが、熊本の被災状況は想像を絶する深刻な状態になっている。

 余震が続くなか、天気予報は、今晩から明日にかけて豪雨と強風の予想をしている。

 建物の中にいるのが危険だから、建物から離れた広場や駐車場に非難している人たちはどうなるのだろう。

 人間を育んでくれる自然だが、ときとして非情となる。

 これ以上の災害がおこらないことを祈っている。

 

 

またまた、地震!

  また、強い地震。

  緊急警戒エリアメールと同時に激しい揺れ。
 
  昨日より激しい。

  昨日が震度4。今日は5だった。

  鹿児島の川内原発が、以上がないか調査中だと報じていた。

  どんな大きな地震にも大丈夫といって再稼働したはずだけど、やっぱり大丈夫じゃないかもしれないんだな。

2016年4月15日 (金)

地震 一夜明けて

地震から一夜明けて、被害状況が次々と報じられている。

倒壊してしまった家もたくさんあるようだ。

熊本城の天守閣の瓦がずれ落ちているのが衝撃的。

2016年4月14日 (木)

地震続々々報

また、震度3くらいの余震。

まだ揺れている。

かえすがえすも、東日本大震災は怖かっただろうと、再認識。

地震続々報

またまた、結構強い余震。

震源地の人は不安なことだろう。

地震続報

たえまなく余震が続いている。

こんなに離れていても、怖い。

熊本の人の怖さは、いかばかりか。

東日本大震災の怖さは、いかばかりか。

地震速報

熊本城の石垣が大規模に崩れている。

石垣が、こんなに崩れたことは、かつてないそうだ。

これが震度7の威力。

地震速報 震度7

 さきほど、9時半前、スマートフォンがけたたましく鳴り響いた。

 聞き覚えのない着信音。

 なにごとだろうと、スマートフォンに手を伸ばすと、「地震が発生。強い揺れに警戒してください。」と大きな音声。

 緊急地震速報のエリアメールだとわかった。

 とっさに身構えると同に揺れがきた。

 揺れが、急激に強くなってきた。

 強い揺れが続く。

 まだ強くなるだろうかと、恐怖を感じる。

 テレビが、いっせいに緊急放送に切り替わる。

 震源地は熊本で、震度7だと報じている。

 当地(宮崎県の北の町、延岡市)は震度4の表示。

 これで震度4ならば、震度7の揺れはどんなにすごいだろう。

 さきほど、また大きな余震。

 地震は怖い。

 まだ被害状況はわからないようだが、震度7は強烈だろう。

 原発に震度7が直撃したら、大丈夫なのだろうか。

 

2016年4月13日 (水)

ミネラル水8%、水道水10%

 国税庁が、消費税10%引き上げ時に導入する軽減税率制度に関する「Q&A」事例集をホームページに公開している。

 役所が役所らしく制作している活字だけの書面で、全部に目を通す気にはならない。

 今日の地元限定ローカル紙・夕刊デイリーに、簡略でわかりやすい解説記事があった。
 イラスト付きで、「ミネラル水8%、水道10%」の見出しに目がとまった。

 「どうして、贅沢品に思えるミネラル水が8%で、必需品と思える水が10%かよ」と思って、記事を読むことになった。

 軽減税率の対象が「酒類・外食を除く飲料品」で、「人の飲用または食用に供されるもの」と規定されているので、ミネラル水は対象になる。

 しかし、水道水は飲料以外の風呂や洗濯といった生活用水としても使うため対象とはならない、ということなのだそうだ。

 同様に、かき氷に使う氷は対象で、保冷用の氷は対象外となる。

 では、水道メーターの付け替え工事をして、飲用に使う水だけの独立した水道メーターにした場合の水は対象になるのかな?

 実際には、工事費用が高くつくからメーターの付け替え工事なんてする人はいないだろうが、学校とか病院とか大きな工場や大人数のひとが利用する施設だったら、2%安くなると工事代がペイできるかもしれないなあ、なんて考えた。

 ノンアルコールビールや甘酒は、「酒類」ではないから対象になるようで、酒に弱くてノンアルコールビールを愛飲している私にとっては嬉しい話。

 しかし、「週に2日以上発行する新聞」が対象なのに、電子版の新聞が対象外になるのは、電子新聞2紙をとっている私には納得いかない規定。

 ま、あれやこれや、まだまだ、ごちゃごちゃすることだろう。

 ところで、消費税増税の行方はどうなっているのだろう。

 私は、安部総理は増税延期を宣言し、それを国民に信を問うということでの衆参同一選挙を目論んでいると思っている。

 増税がないかもしれなくても、あるかもしれない対策を、つつがなく進めなくてはならないのだなあ。

2016年4月12日 (火)

養女殺害事件に思うこと

 前回の記事の関連だが、殺人事件の被害者遺族の全部の方々が、容疑者に対して、「 真実を知りたい」「真実を語ってもらいたい」と訴える。

 しかし、容疑者が真犯人ではなかったとしたら、容疑者に対して真実を語ってくれというのは無理な話だ。

 遺族の方々の心中を思えば、子供を殺したかもしれない犯人は許し難き憎むべき対象でしかない。
 
 被害者遺族の、「真実を語ってほしい」という言葉は、早く犯行を認めろという意味合いが強いように思える。

 それは、容疑者が犯人であると決めつけた上での言葉でる。

 容疑者が無実であるならば、「真実を知りたい」「真実を語ってほしい」と求めても、「真実」を語りようがない。

 無実の者をつかまえて、真実を語れと要求するのは、警察が自白を強要するのと同じことである。

 もし真犯人であったとしても、殺人をするような異常者の精神状態は、正常人が理解できるものではないのではないだろうか。

 異常者は、人を傷つけて苦しむ姿に快感を覚えたり、悲しむ人をみて喜びを感じているのかもしれない。

 「人が苦しむ姿がみたかったのだ」「殺すと、すかっとするから殺したのだ」というのが真実であるとしたら、その真実を聞かされても、正常な人間はそれを納得することはないだろう。

 「なにがあったのか、本当のことが知りたい」という言葉も、よく聞く言葉だか、子供を切り刻み、もがき苦しむ様を楽しんでいたのだという「真実」を語ったとしたら、それを聞いて心が安まるのだろうか。

 人を殺すことは、常人では、なせぬ技。

 異常者の「真実」など理解のしようがないことだろう。

 被害者遺族のもとを、人の気持ちのわからぬマスコミが押し掛け、心の傷に指をつっこんで、かきますし、「どういうお気持ちですか」と感情のかけらもない言葉を投げつけてくる。

 私が遺族の立場であったら、そっとしておいてもらいたい。

 私が遺族に対してやってあげれることといえば、黙っていっしょに泣いてあげることぐらいしか思いつかない。

 マスコミのハイエナ野郎にとって、人の不幸は飯の種。

 遺族の気持ちなど、まったく考えてはいない。

 遺族の気持ちがわかっていたら、子供を殺されて悲嘆にくれている遺族に「どういうお気持ちですか」などとマイクを突きつけたりはできなはずだ。

 遺族に同情してしているふりをして、悲しみの底におぼれかけている遺族マイクをつきつける。

 人のいい遺族は、マスコミが心配してくれていると感謝し、それに答えようとする。

 悲しみと怒りに気が動転していて、言葉が見つからない。

 そんなときに、口をついて出るのは、いつか聞いたことのある「真実知りたい」「真実を話してもらいた」という言葉ではないのだろうか。

 理不尽に命を奪われたことへの怒りの矛先が、容疑者に向かうのはしかたがないこと。

 マスコミは、その怒りに油を注ぎ、風を送り、炎を煽り立てる。

 容疑者を真犯人に違いないかのように仕立て上げ、憎しみを増幅させるように話を作り上げ、その極悪非道の犯人をどう思いますかとマイクをつきつける。

 真犯人であれば、遺族としては殺してやりたい相手であろう。

 そんな言葉を引き出して、事件を劇的に盛り上げるのがマスコミの目的なのだ。

 犯罪に対する怒りも、被害者や遺族への同情も、すべて報道というドラマもりあげるためのものでしかない。

 真に事件の真実を求めるのであれば、被害者遺族の生活を踏みにじるのはやめることだ。

 「真実」は短兵急に求めても、見つかるものではないのだから。

2016年4月 9日 (土)

栃木幼女殺害事件 無期懲役判決

 2005年に起きた栃木県の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた勝又拓哉被告の裁判員裁判で、宇都宮地裁は求刑通りの無期懲役の判決をくだした。

 勝又被告は、捜査段階で一度は犯行を認めたが、その後否認に転じ、公判では一貫して無罪を主張してきた。

 裁判は、凶器や被害者の遺留品などの直接的な物的証拠がないなか、自白の信用性と任意性を争われていた。

 さらに、裁判員による裁判とあって、判決が注目されていた。

 検察側は法定で、取り調べの様子を録画したものを法定で再生し、「自白は具体的で信用できる」と主張した。

 裁判長は法廷で再生された映像をもとに「取調官は誘導しないよう注意を払っており、供述の強要はなかった」と任意性を認めていた。

 裁判員の全員が、録画の映像が判断に大きな影響を与えたと言っていた。

 映像が無く状況証拠だけだったら判断できなかったという感想も述べられていた。

 しかし、再生されたのは検察側が提出した一部分だけである。

 最初に自白したところの映像は抜けている。

 そもそも、捜査段階での取り調べの可視化が求められたのは、行われている取り調べから被疑者を守るためのものであった。

 捜査における被疑者の取り調べは、弁護士の立会いを排除し、外部からの連絡を一切された密室において行われている。

 密室での取り調べでは、捜査官が供述者を威圧したり、利益誘導したりといった不当な取り調べが行われることがある。

 供述者が供述を強いられたり、供述と食い違う調書が作成されたり、供述者の精神状態を追い込んだりといったことが少なくない。

 「やってもいないのになぜ自供したのだ」という疑惑を抱く人が少なくないが、裁判で自白が重要な証拠として偏重されているため、捜査側が自白を得るため手段を選ばないせいなのだ。

 このことについて、私は自分の体験をブログに書いている。

 それについては長くなるので詳細は省くが、私は三件の自供強要を経験している。

 一つは私が直接受けた経験である。

 これは、被疑者としての取り調べではなかったが、警察が書いた被害調書に強引に署名させられたという経験だ。

 私が靴屋をやっているときのお客さんがカード詐欺をしていたということで、警察がやってきて事件に関する調書を求められた。

 警察は調書を用意していて、その調書は、私が大一人称で喋った内容を書き取った形になっていた。

 内容は、犯人に対する悪意に満ちたもので、私の意志とはまったく違う内容だった。

 それで、私は署名を拒否したのだが、結局、署名捺印させられた。

 私は、犯罪者としてではなく被害者的な立場で調書を求められたのだが、署名捺印を迫る捜査員に恐怖を覚えた。
 
 認めないと共犯共謀あつかいされるのではないかと不安になり、結局、求められるままに署名捺印した。

 もう一つの経験は、友人の友人。

 彼は、被害者の悪意のある被害届により、まったく行われていなかった事件を認め自白した。

 「白状するまで永遠にここからは出られない。外部の人には一切会わせない。罪を認めれば会わせる。」と言われ、外部と遮断された中で朝から晩までの取り調べが連日続き、このまま留置場で死ぬまで出られないという恐怖感から、まったくやっていなかった罪を認めてしまったのだ。

 取り調べ中に、被害者の狂言だったことがわかり、突然無罪放免されたが、捜査員からは一言のお詫びの言葉もなく開放された。

 無実だったことについての報道はなく、彼の信用を回復してくれる者は誰一人いない。
 職は失い、もとの生活を取り戻すことはできなかった。

 もう一つの例は、私の義弟。

 喫茶店を経営していたのだが、ゲーム機賭博をしているという悪意の嘘のたれこみで逮捕された。

 義弟は、見に覚えがないので白状しようもなく、否認を続けたせいで一カ月くらい拘留された。
 
 警察の捜査が進む中で、たれこみ通報が虚偽であったことがわかり無罪放免となったが、一カ月以上閉店を余儀なくされ、その間に離れて入った客足が戻らないままである。
 
 まったく犯罪とは無関係である人が自白させられるという奇妙な事態が、私の身の回りでさえ起こっている。

 三年前くらいに、パソコンの遠隔捜査事件で、無関係な人が四人も逮捕され、まったくやってもいない犯罪を完全自供したという事件は記憶に新しい。

 この人たちは犯罪歴もない、まったく普通の人であった。

 この例のように、やってもいないのに自供するという事例は少なくないのだ。

 人は、「やってもいないのに、なぜ自供するのか」というが、捜査査段階における被疑者の取調べは、弁護士の立会いを排除し、外部からの連絡を遮断されたいわゆる「密室」において行われているからだ。

 このような状況の中で、捜査官が供述者を威圧したり、利益誘導したりといった違法・不当な取調べが行われることがあるのだ。

 その結果、供述者が意に反する供述を強いられたり、供述と食い違う調書が作成されたり、その精神や健康を害されるといったことが少なくない。

 取り調べの可視化は、このような取り調べから被疑者を守るために求められたものだ。
 それなのに今回の裁判では、捜査状況の録画が自白の任意性を補強する目的で使われている。

 証拠として公開する映像の選択権は検察側のみが持っている。

 今回の裁判でも、最初に自白したときの映像はない。

 数週間にわたって自白を強要し続けられることにより、精神的に追いこまれて自白させられ、正常な精神を保てなくなった状況下で自暴自棄となり、捜査陣の言われるままに答えるようにしむけられる中で録画されたものであるのかもしれない。

 被疑者を守るための可視化であるが、検察側の都合で録画するのであれば、録画が今回のように、検察側の得た自供を補強するために使われることがあるということが知らされた。

 可視化にありかたについては、今も論議が続いているようだが、冤罪から被疑者を守るために行うのであれば、第三者機関に介入させ、取り調べのすべてを記録する必要があると痛感している。

 私は、実際に、自白の強要があることを経験している。

 だから私は、今回の容疑者が、取り調べで自白したにもかかわらず、それを全面的に否認し無実を訴える声を無視することはできないのだ。

 容疑者は、自白に応じるまでは、誰とも合わしてもらえず、ただただ自白を強要され続けるのだ。

 そんなことが数週間も続くと、自白して裁判になれば本当のことがわかってもらえると思うのが、むしろ当然だ。

 今回の容疑者は、別件で逮捕され、別件ではすでに有罪の判決が出ている。

 いわば前科持ちである。

 前科持ちがゆえに、無実の声が通りにくいのかもしれない。

 私も、この容疑者は限りなく黒に近いのではないかと思っている。

 しかし、繰り返し言うけど、本当に何にもしていない善良なる市民が、激しい自白の強要にあって自供した例がいつくもあるのだ。

 この容疑者も、そんな一人ではないかと思うことは必用だ。

 アメリカ映画で、「弁護士を読んでくれ。弁護士が来るまで、なんにもしゃべらない」という場面をよく目にするが、残念ながら日本ではそれは通らないのだ。

 日本の警察は、自白するまでは弁護士の立会いを拒否するのが常套だ。

 憲法に自白に関する規定があったことを思い出して、愛用の「学習六法」を開いてみた。
 (ちなみに、私が常時携帯している「学習六法」という書籍は、日本評論社から出版されている、新書判くらいの大きさの本。私の持っているのは、その第五版。現在、第八版972円になっているようだ。六法というが、内容は、憲法、民法(関連法の借地借家法も掲載)、刑法の「三法」しか載っていない。私の仕事上、かかわりの多い民法と、借地借家法が載っているので常用している)

 憲法三十八条にはこう記されている。
 何人も、自己に不利益な供述を強要されない
 ①強制、拷問若しくは脅迫による自白または不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない
 ③何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、または刑罰を科せられない。

 私は法律を真剣に学んだことはない素人だが、法律家は、この条文をどう解釈されているのだろうか。

 法の番人である裁判所は、この条文をどう解釈して、自白偏重の判決を下しているのだろう。

 どなたか、コメントでお教え願いたい。

2016年4月 8日 (金)

根っからの「よだきんぼ」

 このところ、なんだかんだと気ぜわしくて、ゆっくりパソコンの前に座る時間がなくて、そんなこんなで、なんとか穴埋め的にブログの更新をしていたのだけど、読み返してみても全然面白くなくて、こんないいかげんな物を書くくらいなら書かない方がいい、書くならもっとしっかりしたものを書くべきと思って、昨日と一昨日、更新をしなかった。

 そういうことで、今日はしっかり書きたいことがあったのだけど、どうやら、腰を据えて書くという作業をすることが、よだきい(宮崎弁で、めんどくさい)というのが正体のようだ。

 ということで、じっくり書きたいことがあるときだけ書くということにすると、元来のよだきんぼ(宮崎弁で、なまけもの) おじさんは、書くことをやめてしまうことになりそうだ。

 それで、今日は義務的にカレンダーを埋めるためだけの更新をしている。

 ほとほと、自分は根っからの「『よだきんぼ』なのだなあ」と痛感している。

 

2016年4月 5日 (火)

1万円札 1.8兆円分増刷

 2016年度に印刷される1万円札の枚数が12億3千万枚になるそうだ。

 これは、前年度の1.17倍。
 
 1億8千万枚、1兆8千億円分を増刷するわけだ。

 世の中に出回る現金の総量が伸びている。

 日本銀行の統計によると、2月の現金の総流通量は90兆3千億円で、前年2月より6.7%増えたそうである。

 なかでも、1万円札は6.9%増と伸びが目立っていて、5千円札は0.2%増、1千円札は1.9%増と、1万円札が突出して増えていることに対応しての措置だ。

 一方、ここ5年間、年10億5千万枚で据え置かれていた1千円と5千円の印刷は減らされる。

 現金の総流通量は、マイナンバーの番号の通知が始まった昨秋に前後して伸びた。

 エコノミストの間では、資産状況を税務当局などに把握されることを嫌がる人が自宅に現金を置いている、との見方が目立っているようだ。

 それに加えて、マイナス金利政策で、金融機関に預けても金利が低い。

 それでタンス預金が増えているそうで、実際、量販店などでは、家庭用金庫の販売が好調とのこと。

 電子マネーやクレジットカードでの支払も定着し、支払のために現金を必用とする場面が大きく増えたとは考えにくい。

 第一生命経済研究所の熊野英生氏の試算では、国内のタンス預金の残高は40兆円。

 「資産運用をあきらめ、死蔵されている」と指摘する。

 日銀は、出回るお金の量を増やして景気を上向かせようとする過去最大規模の金融緩和策を進めているが、「どんどんお金を使おう」というよりは、手持ち資金をため込んでいる可能性が高いようだと分析する。

 それにしても、タンス預金が40兆円というが、私の家のタンスには1円の預金もない。

 タンスの引出しを、さびしく、悲しく、呆然とながめている。

2016年4月 4日 (月)

埼玉少女誘拐事件報道の続き

 埼玉少女誘拐事件のことは昨日書いていてアップしそこなっていたから、さっきアップしたのだけど、今日は、書き忘れていたことを続きとして書くことにする。

 テレビやマスコミは、不倫やゲスは、しつこく報道を続けるけど、 甘利明元経済再生担当大臣の「政治とカネ」問題なんてやつは、うやむやにされっ放しじゃないか。

「保育園落ちた」の人は、「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいい」といっていたけど、マスコミは不倫は長期に渡って話題にするけど、賄賂についてはすぐに話題に登らなくなる。

 それで、テレビを責めたりするのだけど、テレビが悪いのは結局国民が馬鹿だからなんだなあ。

2016年4月 3日 (日)

埼玉少女誘拐事件報道は見ない

 フジテレビの「ワイドナショー」で、石原良純さんが、「僕は、この事件をあんまりテレビで扱わないほうがいいと思う」と言っていた。

 被害者少女の精神的なダメージを考慮しての意見だった。

 その意見を受けて、松本さんは、「少女の事情聴取とかも、もういいですよね」「別に、警察ももう、そこを調べなくていいんじゃない?」「コイツの刑だけ、早く決めてよ」と、少女を思いやる意見を述べていた。

 ほかの出演者も、同じ考えであることは間違いなく、司会者の東野さんは、一人一人に意見を求めていた。

 それぞれが、被害者少女に辛い事件を思い出させないようにしてあげるべきだとか、世間も早くこの事件を忘れてあげるべきだとの意見を出していた。

 全員が良い人で、少女の精神状態をおもいやり、事件についてしつこつ取り上げるのはやめるべきだということであった。

 そう言いながらも、出演者の一人である弁護士にも意見を求め、この事件が裁判となった場合、被害者少女の調書を必ず取らなければならないという答えを聞き出したり、出演者の全員が、同じような意見を切り口を変えてそれぞれに喋っていた。

 本当に事件を取り上げない方がいいと心の底から思っているのであれば、「当番組は、被害少女のことを考慮して、事件の経緯について取り上げないことにします」と宣言して、いっさい触れなければいいのだ。

 テレビ番組は視聴率の数字に追われながら作られている。

 視聴率がとれるから事件を取り上げているのだが、少女のことを思うと、多少は良心が傷む。

 だから、言い訳をしながら報道をするのだろう。

 視聴者も同罪だ。

 少女のことを考えたら報道はやめるべきだと言いながら、好奇心を満たすために番組を見る。

 視聴率が取れるから、テレビは、さらに事件を追いかけることになる。

 視聴者が、本当に少女のことをおもいやるのであれば、番組を見ないことだ。

 少女誘拐事件の報道が始まったらチャンネルを変えることだ。

 私は、そうすることに決めた。

2016年4月 2日 (土)

つまらぬ迷い

 今日は、ちょっとした用事なのだけど、朝から宮崎に行かなければならない。

 ということで、質か量か、意味のない連続か意義ある中断か。

 つまらぬことで迷っている。

 とりあえずは連続を選択。

 では。

2016年4月 1日 (金)

4月1日 ヒートテックを脱いだ

 早い、早い。もう四月だ。

 なんとなく脱げなかったヒートテックだが、四月の声を聞いたのをきっかけに脱ぐことにした。

 平年より少し高めの気温のせいか、ヒートテック無しでも、まったく肌寒さは感じない。

 それよりも、薄くても暖かいというふれこみのヒートテックだが、薄い一枚をはぎとったことで、身体が軽くなって爽快さを感じる。

 毎日、だらだらと変化なく過ごしていたことを痛感。

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