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2016年5月

2016年5月30日 (月)

宮崎キネマ館 「スポットライト」アカデミー作品賞・脚本賞

 昨日、久しぶりに宮崎まで映画を見に行ってきた。

 今月19日に「レベナント」(レオナルド・ディカプリオ アカデミー主演男優賞受賞作)を見たばかりだから、久しぶりに映画を見に行ったわけではなく、わざわざ宮崎まで映画を見に行くことが久しぶりだったということだ。

 映画は、アカデミー作品賞・脚本賞 受賞作「スポットライト」。

 映画館は、「宮崎キネマ館」。

 宮崎市には、2軒の映画館がある。

 一つが、イオンにある「宮崎セントラルシネマ」。

 シネマコンプレックスと呼ばれる大型映画館で、9スクリーンを持つ。

 もう一つが、「宮崎キネマ館」だ。

 宮崎市の中心市街地、橘通東3丁目にある。

 複合ビルの2階にある。

 4階から6階はホテルメリージュで、ホテルメリージュのビルと言った方がわかりやすいかもしれない。

 「宮崎セントラルシネマ」が、大きな配給チェーンのメジャーな映画を扱っているのに対して、「宮崎キネマ館」は規模の小さな配給会社の映画を上映している。

 ということで、ミーハー的映画観賞しかしない私としては、2度目の「宮崎キネマ館」であった。

 「スポットライト」は実話に基づく社会派映画。

 「ボストン・グローブ」という新聞社が、神父による性的児童虐待というカトリック協会の組織絡みの問題を暴いていくという内容だ。

 いつものごとく詳しい内容については触れないが、アカデミー作品・脚本賞受賞作というだけあって、見応えのある内容だった。

 それにしても「宮崎キネマ館」は、スクリーン2つのみ。

 大きい方が100席弱、小さい方は50~60席。

 スクリーンも小さい。

 これでよく頑張ってるなーと感心する。

 「スポットライト」は封切りから1カ月以上になる。

 それでだろうが、小さい方の部屋で上映されていたが、定員の半分近い20数人の観客が入っていた。

 映画ファンの支えがあって運営が成り立っているのだろうか。

 がんばれ「宮崎シネマ館」! である。

2016年5月25日 (水)

レベナント  映画館と高千穂鉄道

 昨日、私一人の貸し切り状態で映画を見た話を書いていて、なぜか高千穂鉄道のことを思い出していた。
 
 そのことも書きたいと思ったのだけど、あまりにも流すぎるので、いっしょに書くのはやめた。

 高千穂鉄道というのは、今は廃線になってしまったが、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)から高千穂町を結ぶ鉄道路線だった。

 もともとは旧国鉄の高千穂線として運行されていたが、国鉄民営化により赤字路線で廃止の方向になっていたものを、地元自治体による第三セクター高千穂鉄道が譲り受け、引き続き運営していた。

 赤字路線で、国鉄の高千穂線(現在は台風で壊れて廃線になってしまったが)が、赤字運営が原因で廃止になりかけたとき、廃止反対の運動が起こった。

  乗客が激減して、営業を続けるには100円の収入を得るのに何万円もの費用がかかる。

 乗る人がいないから大きな赤字が続き、やってられないから廃止しようとすると廃止しないでくれという。

 何年も列車を利用していない人たちが、廃止反対運動の旗をふっている。

 自分は列車を金輪際利用しようとは思っていないのだが、列車が存続すれば何人かの観光客が乗るかもしれない。

 なにより大きいのは、鉄道を維持するために資材を買ったり、物を運んだり、さまざまな形でお金が落ちる。

 人が乗らなくても、鉄道は保線をしなくてはならない。

 保線には莫大な費用がかかるのだ。

 自分の腹が痛むわけではないから、何十年も列車に乗ったことのないものが、鉄道を残せという。

 廃止を阻止するために、地元行政が補助金を出して乗車率を上げる運動もした

 乗車率が上がるのは、そのときだけ。

 地元政治家も、ここぞとばかりに存続に労力をふるう。

 付け焼き刃的に官民が協力して乗車率を上げる運動をして、存続がきまったら、あとも元の木阿弥。

 朝夕の通勤通学の時間帯のみ人が乗っているが、それ以外の時間は貸し切り状態。

 乗客が少ないから、列車の本数を減らす。

 列車の本数が少なくなると、便利が悪いからさらに利用者が減るという悪循環。

 なんとか大人の事情で廃止をまぬがれていた高千穂線だったが、2005年の大きな台風で、鉄橋が流出するなど全線に甚大な被害を被り運休状態になった。

 復旧には沿線自治体の負担を求められたが、負担はできないとの結論で全線廃止が決定した。

 人の金だから、やれやれ、と騒ぎ立てていたけど、自分が金を出してまではやるほどのことではないというようにも見えてしまう。

 補助金をあげるから乗ってくれといっても乗る人がいないのだから、交通手段としての存在価値がなくなっていたのだ。

 こんな状態では、民間会社なら撤退するのが当然。

 そこで思うのが、当地唯一の映画館「延岡シネマ」の運命。

 こんなにお客がいなくて、いつまで映画館をやってくれるのだろう。

 映画館が無くなることになっても、鉄道のときのようには存続運動はおこらないのだろうかなあ。

 みなさん、映画館に足を運びましょうよ。

 映画館でなきゃ味わえない映画がありますよ。

2016年5月24日 (火)

レヴェナント

  昨日、映画「レヴェナント」を観に行ってきた。
 
  主演レオナルド・デカプリ。今年のアカデミー主演男優賞受賞作。
 
  実は、先週、行ったのだが見せてもらえなくて、昨日再度観に行くことになった。
 
  先週見られなかった原因は、開演時間までにお客さんが一人もいなくて、臨時休演を決めた後に私が到着したというもの。
 
  私は、映画に行くときは上映予定時間10分弱遅れて行くようにしている。
 
  というのも、本編の上映の前に、予告編は許せるにしても、「映画泥棒は犯罪です」という盗撮禁止CMを見せられるのが嫌だからだ。
 
  一歩譲って「映画泥棒」のCMは許してもいいが、はなはだしいときは市内の飲食店のCMまで見せつけられるときがある。
 
  テレビやラジオの民間放送が、視聴者から視聴料をとらないかわりにCMを流して県営をするのは許せる。
 
  一方、映画は、観客は料金を払って映画を観ている。
 
  私は、料金を払ったお客さんにCMを強制するのはおかしいと思う。
 
  だから私は、CMが終る時間を見計らって映画館に入るようにしている。
 
  しかし前回、その予定で到着したら、お客さんがいないと思って上映を中止していた。
 だから昨日は、その轍を踏むことの無いように、事前に電話を入れておいた。
 
 「もしもし。先週、『レヴェナント』の最終上映時間に行ったけど、観れずに帰った者だけど」と切り出す。

 状況がすぐに理解できたようで、「あ。ご迷惑をおかけしました」

 「今日、最終上映時間に行こうと思っているんだけど、ボクは本編前のCMは見たくないんですよね。先週行ったとき、最終上映にあたっては予告編無しですぐに本編が始まると言われたのだけど、すぐに始めるのなら上映予定時間に行くし、CMを流すならちょっと遅れていこうと思っているんですよね。今日はどうなります?」

 「通常通り、予告編とCMも予定してます」

 「それなら申し訳ないけど、ちょっと遅れて行くけど、絶対に行きますのでね、休演にしないでくださいね」

 「わかりました。お待ちしております」

 「でも、ひょっとして、お客さんがボク一人だったら悪いような気がするけど、それでもいいかなあ」

 「全然大丈夫です。お待ちしてますので、よろしくお願いします」

 こんなやり取りをしたけど、ひょっとしてCM時間が短くて、本編に間に合わないといけないので、いつもなら8分遅れで入るところを5分遅れで入場した。

 入り口で、私の電話の応対をした(と思われる)若者に会った。

 映写機係が本職で、電話応対もしているようだ。

 「ひょっとして、お客さんはボク一人?」

 「そうです。貸し切りですよ」

 はにかんだ感じで、てれくさそうに笑いながら返してくれた。

 「ボク一人のために悪いねー」

 私の本心から出た言葉だった。

 「いえ、ぜんぜんかまいませんよ。今日は、ありがとうございます。ゆっくり楽しんでください」

 彼の明るい応対に救われる思いで場内に入った。

 すでに場内は暗くなっていて、予告編が上映されていた。

 そして、最期にお決まりの「映画泥棒」

 広い映画館で、一人で映画を観るというのは落ち着かないものだ。

 それでもオープニングクレジットが始まるときには、映画に没入することができた。

 いつものごとく、内容については触れない。

 感想としては、全体として面白かった。

 ことに、活劇の一つ一つの場面は、さすがハリウッド映画、迫力がある。

 ただし、ストーリーで追うと、話の展開には無理があるかな、というのが私の感想。

 決論的には、観て良かったと思える映画だった。

 おそらく、私一人のために明かりをつけて映写機を回して、エアコンまでつけてくれて、どうみても赤字。

 それでも映画館を続けてくれることに感謝。

 延岡市民で、私のブログを見てくれているみなさん。

 映画館が廃業することになってから、「延岡の文化の火を消すな」と映画館存続運動をしても遅い。

 たまには映画に行きましょうよ。

 駐車場も数十台分用意しています。

 映画は映画館で見るのが最高です。

2016年5月23日 (月)

おめでとう琴恵光 十両に返り咲き

 われらが郷土出身力士・琴恵光の、来場所十両への返り咲きが確実になった。

 今場所、西幕下4枚目で5勝2敗。

 幕下上位陣と幕の内下位の星勘定を計算すると、来場所、大関昇進は間違いない。

 今日の地元限定ローカル紙夕刊デイリー新聞に、そんな記事があるかなと確認してみたのだけど、優勝した横綱白鵬しか取り上げていない。

 来場所の昇進は濃厚だくらい書いておけばいいのに、新聞というものは裏付けが無いことは書けないのだろうか。

 下世話な話だが、幕下といえども「ふんどしかつぎ」。

 先々場所、同部屋の琴奨菊が優勝したとき、付き人としててれびに顔を出していた。

 関取と呼ばれるのは十両からで、給金をもらえるのも十両から。

 今場所まで無給で、来場所は100万円以上の給料をもらう。

 だから辛抱して関取なれ、というのだろうが、それにしても相撲は厳しい世界だ。

 来場所は、まずは勝ち越し。

 そして次は幕の内。

 がんばれ琴恵光。

 

2016年5月21日 (土)

悪徳不動産屋日記 わけあり物件は隠さず告知する

 またまた、殺人物件の続き。

 

 殺人や自殺のあった物件は、心理的な瑕疵として告知する義務がある。

 

 法律になじみのない人には、瑕疵というのは聞き慣れない言葉だと思うが、欠陥とか欠点という意味だ。

 

 善良なる消費者様は、不動産屋はみんな悪徳で、事故物件を隠して売るのではないかと疑いの目で見ることがあるようだが、自殺があったことを隠して取引する不動産屋はそんなに多くはないのである。

 

 なぜならば、隠れた瑕疵が後でみつかった場合、契約の解除や損害賠償の要件になる。
 損害賠償の対象者は、家主や売主だけでなく、仲介した不動産会社もその対象になる。
 だから、普通の不動産屋であれば、自殺や殺人があった物件は必ず説明するはずだ。

 

 取引の後でわかって、お客さんが泣き寝入りしてくれるのならいいが、今どきそんな気の弱い善良なる消費者はいない。

 

 善良なる消費者は鬼に化身し、罵詈雑言を浴びせ、金を戻せと責めたてるだろう。

 

 仮に1,500万円の中古住宅の仲介であれば、仲介手数料は約55万円。

 

 自殺があったことを隠して55万円稼いだとしても、あとで事実がわかって裁判にでもなれば、何百万円もの損害賠償の判決がでることもある。

 

 すぐにばれなくても、何年も後になってもその危険は無くならない。

 

 倒産寸前で、今日の食事にも事欠くという状況の不動産屋であれば、目をつぶって目の前の50万円に飛びつくこともあるかもしれないが、そこまで追い込まれていない状況の不動産屋だったら、そんな割に合わない取引はしない。

 

 賃貸物件にしても、そうだ。

 

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の賃貸物件の標準的な家賃は4~5万円程度。

 

 すなわち、一件の賃貸物件の取引の仲介手数料は4~5万円である。

 

 もし、事故があったことを隠して賃貸契約をしていても、かならず後でばれる。

 

 時間が経ったからといって善良なる消費者様は、許してくれない。

 

 敷金礼金の返還、引っ越し代は当然のこと、精神的慰謝と称して多額の損害金を要求してくる人もいるだろう。

 

 4~5万円の手数料しかもらっていないのに、問題が起これば、20~30万円の損害賠償はまぬがれない。

 

 だから、ほとんどの不動産屋は必ず告知をしているはずだ。

 

 家主さんには気の毒だが、なにも危険を犯して契約をするよりも、なんにも問題のない物件を勧めればいいのだ。

 

 しかし開く即不動産屋が気をつけなくてはいけないのは、善良なるお客様であるはずの家主様が事故があったことを隠して仲介を依頼してくることがあることだ。

 

 知らずに仲介して後で問題になった場合、家主が自分が隠していたことを素直に認めてくれたらいいのだが、不動産屋に責任をかぶせてこられると、不動産屋は窮地に立たされることになる。

 

 善良なる消費者の立場である家主や売主が意図的に、自殺や事件があったことを隠して物件の売却や賃貸の斡旋の依頼をしておきながら、問題が起っても、不動産屋から何も聞かれなかったから言わなかっただけと言い逃れをすれば、すべての責任を不動産屋が背負わされかねない。

 

 善良なる消費者と悪徳不動産屋の争いになると、一般的に善良といわれる消費者の言葉が正しくて悪徳不動産屋が嘘をついていると思われがちだ。

 

 長い不動産業の中で、なんどもそんな経験をしている。

 

 だから私は、売主や家主に過去の自殺や事件はなかったかを聞くことにしてる。

 

 ここで油断をしてはいけないのは、善良であるはずのお客様だが、自分の責任をまぬがれるためには嘘をつくことがある。

 

 口頭で聞いただけだと、お客さんが事実を隠して依頼をしてきたのに、が「不動産屋になにも聞かれなかったので言わなかった」と言い張られれば、水掛け論になってしまう。
 そうなると、悪徳不動産屋は立場が悪い。

 

 一般的に、消費者は善とみなされているものだから、善良なるお客様が「聞いてない」「説明を受けていない」「知らなかった」と、言い張ったら、悪徳不動産屋は泣き寝入りするしかない。

 

 だから私は、物件調査書を作製して、所有者に、物件についていろいろ質問して、最期に署名をもらうことにしてる。

 

 その質問の中に、「過去に自殺や、事故はなかったですか?」という項目もある。

 

 ただし、質問するときには口頭で「自殺や、事故はなかったですよね」と軽く聞くようにしている。

 

 そして、調査書に依頼者の署名をもらっておけば、後で「言った言わない」という問題は起こらない。

 

 これは、過去にたくさんの善良なるお客様と接してきた悪徳不動産屋の、必用にかられた知恵なのである。

2016年5月20日 (金)

悪徳不動産屋日記 殺人事件のあった豪邸、1111万円で落札

 昨日の続き。

 殺人現場のため格安で売りに出された中古住宅に対して入札が1件しかなかった。

 自殺を気にしない人は少ないとは思っていたが、これほどまでだとは思わなかった。

 自殺や殺人といった事件が、これだけ人に忌み嫌われるという事実をいまさらながらに思い知らされた。

 自殺や殺人があったことを忌み嫌うのは、日本だけではなく世界共通のことだろう。

 しかし、どの国もここまで人の死を忌み嫌っているのだろうか。

 私は、日本においては死を不浄のものととらえられているところに、その違いがあるような気がする。

 自殺や殺人を忌避的告知事項としてとられることには意義はないが、最近は自宅で看取りを行ったような場合も忌避的事項として敬遠される傾向にある。

 私が子どもの頃は、自宅で看取るのが普通だった。

 映画やドラマでも、年をとった老親や小さな子どもが重い病気になると、病院にかけこみ医者に往診をお願いする。

 それは大抵は深夜のことで、往診にかけつけてきた医者が、不安げに病人を見守る家族に囲まれて病人を診る。

 熱を計り聴診器をあて、注射を打つ。

 病人の枕元には医者の手洗いの水をはった洗面器を用意している。

 診察と手当をすませた医者は、手を洗い、用意された手拭いで手を拭きながら、「今晩がヤマですね」と告げて帰る。

 そのご病状が悪化し患者が息を引き取ると、もう一度医者を呼びに行き、かけつけてきた医者は患者の脈を取り、聴診器をあて、瞳孔を確認し、「ご臨終です」と告げる。

 そして、そのまま家族だけのお通夜をし、次の日にお通夜、そして自宅で葬式というのが当たり前だった。

 最近の日本では、自宅で亡くなる人は10数パーセントでしかない。

 80%以上の人が病院で亡くなっている。

 病院で亡くなることが当たり前になってしまって、自宅で看取る場合、往診をしてもらう医者と連携していないと不審死あつかいになってしまう。

 それに慣れてしまって、自宅で看取りをした経歴のある家を嫌がる傾向になってきている。

 そんなお客さんにとっては、自宅で死期を迎えたという事実や、自宅で葬儀をしたという履歴も忌避的な精神的瑕疵と感じるようだ。

 実際、それが原因で中古住宅の契約が破談になった経験が何度かある。

 また、核家族化により、若いお客様には仏壇になじみのない人も少なくない。

 そんなお客さんの中には、仏壇があるのを嫌う人もいる。

 だから私は、告知義務のある事項ではないのだが、仏壇のある家の売却の依頼を受けた際には、さりげなく自宅で看取りをした経歴がないかを聞くことにしている。

 結果として、統計の数字のとおり、ほとんどの場合亡くなった場所は病院である。

 物件の案内の際に、家の中にある古い仏壇を見て、それを気にする感じのお客さんがいた場合には、亡くなったのは病院で、葬儀は葬儀場でとり行ったことを、これまたさりげなく説明することにしている。

 なにせ、私は悪徳不動産屋。こんな変なことで契約が破談になるのを阻止しなければならないのだ。

 長くなったが、それで私の持論だが、日本においては元来、死を不浄のこととしてとらえる傾向があった。

 核家族化と病院医療の発展により、死がより遠い存在となっている。

 それで、人はなおのこと死を畏れ、家の中で人が亡くなった物件を敬遠する。

 日本において、家の価値が20年でゼロになるという習慣も、そんな影響もあるのかもしれない。

 最近、国が家の価値の見直しをする方向に指導を転換し、100年住宅とか200年住宅をうたうハウスメーカーも出てきている。

 そして、国は医療保険・介護保険の負担軽減のため自宅療養・自宅看取りの方向に舵をきっている。

 そうすると、100年も200年の間には、何人もの人が亡くなることになる。

 人の死を忌み嫌う日本において、何人もの人を見送った家が支障なく流通するだろうか。

 私は、日本における、20年で家の価値がゼロになってしまうという考え方は、日本人の死に対するとらえ方にも起因しているのではないかと思っている。

2016年5月19日 (木)

「レヴェナント」 レオナルド.・ディカプリオ アカデミー主演男優賞受賞作

「なんてことだ!」(バイキングの小峠ふうに叫ぶ)

 さっきブログを途中ではしょったのは、実は6時から映画を見ることにしていたからだ。

 レオナルド.・ディカプリオ主演作「レヴェナント」。

 ディカプリオが5度目のノミネートで、念願のアカデミー主演男優賞受賞をとった話題作だ。

 珍しいことに、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の映画館でも全国封切りにあわせての公開になっている。

 なかなか行けないままでいたのだが、終ってしまうといけないので今日時間を割いて行くことにしていたのだ。

 1日3回公演で、夕方6時が最終。

 6時開演の場合、予告編やらCMやらで本編の開演は6時10分くらいになる。

 映画館は私の会社から歩いて5、6分のところにある。

 6時に出た。

 到着は6時6分。

 なんと、切符売り場に人がいない。

 最終だから、もう人が来ないと思ってひっこんだのか?

 早く入らないと本編が始まってしまう。

 あせりつつ、「すみませーーーん」と声をかけると、あわてて女性が出てきた。

  「まだ本編は始まってないですよね」と聞くと、「何を見られますか?」と言う。

 当地唯一の映画館だが、3スクリーンある。

 「レヴェナント」

 「レヴェナントは6時からですよ」

 「まだ予告編をやってる時間じゃないの?」

 「いえ、最終上映については6時ちょうどから始めるんです」

 「え?何度も最終上映の時間に入ってるけど、予告編無しでいきなり始まったことは無いよ?」

 「いえ、最終の場合は開演時間ちょうどから始めることもあるんです」

 「えーー!じゃあ、また出なおすけど、最終は6時ちょうどに来ないとだめなんだね」と私は念を押した。

 すると、切符売りの女性から驚きの言葉が出た。

 「最終は6時からだったのですが、お客さんが一人も来なかったから、もう来ないと思って映写機のメンテナンスをしていることろなんです」

 「なんということだ!」(ここも同然、バイキングの小峠ふうに叫ぶ)

 私が、また同じ時間に来るといったもので本当のことを白状するしかなくなったようだ。

 アカデミー主演男優賞受賞の話題作。しかもまだ封切りから3週間足らず。しかも金曜日の夕方の上映。

 それが入場者ゼロだとは!

 当地延岡から映画館が無くなる日は、遠いことではないかもしれない。

 本来なら怒ってもいいところなのかもしれないが、こんな状態で閉鎖せずに続けてくれることに感謝するべきだろうと思い至った。

 「次来るときは、電話を入れて予約をしておいた方がいいかな」と、冗談のつもりで言ったところ、「そうして下さい」との返事。

 「なんてことだ!」(くどいようですけど、バイキングの小峠ふうに叫んでいます)

殺人事件のあった豪邸、1111万円で落札

 「4000万円が756万円」という見出しでワイドショーが話題にしていた、千葉市がヤフーの官公庁オークションに出品していた中古住宅が落札された。

 落札価格は1,111万円。

 ワイドショーは話を大きくして視聴率を上げたいから、「時価4,000万円の物件が756万円」と見出しをつけて、視聴者の注目を集めたところで、安のは殺人のあった物件だからと更に興味をあおっていた。

 各社とも同じような手法で報道していたが、あるワイドショーのインタビューに答えていた不動産屋さんは、相場価格は2,800万円くらいだと言っていた。

 テレビは話を面白くするためには価格差が大きい方が都合がいいのだろうが、私は、2800万円から3,000万円程度が相場なのだろうと想像する。

 だとすれば1,200万円台での入札になるのではないかなと想定していた。

 結果は、1,111万円での落札となった。

 価格については、こんなものだろうと納得がいったが、びっくりしたのは、入札が1件のみだったということ。

 私は、最低価格近辺で1、2件、1,000万円前後で1、2件の入札があり、最高価格1,200万円前後での落札ではないかと想像していた。

 単独入札は、まったくの想定外の結果であった。

 殺人や自殺を気にしない人は極少数だとは思っていたが、これほどまでだとは思わなかった。

 自殺や殺人といった事件が、これだけ人に忌み嫌われるという事実をいまさらながらに思い知らされた。

 このことについて、前々から私が考えていたことを、この場で講釈をたれようとおもって書きかけたのだが、用事が入って出かけなくてはならなくなったので、明日続きを書くことにする。

 乞うご期待。 ?

2016年5月16日 (月)

舛添さん頑張れ。6%もの人があなたを信じている。

もう何度も言っていることで、自分の頭の上の蠅も追えないのに、勝組の偉大な人のことをあれこれ言うのもおこがましいと思ってしまって、「なんにも言えねー!」状態になって久しい。
 
  目の前の話題性で、舛添さんのことだけど、なんともへんな言い訳をして、自分から泥沼にはまりこんでいるようにしかみえない。
 
  今年の流行語大賞の有力候補としてノミネートされた「精査」した結果の回答が、「正月に家族と温泉旅行に行ったけど、そこでスタッフと会議をしたのだ」という、へんてこな言い訳。
 
  高校生のとき、勉強もしないのに学校で1番の成績で神童・天才と言われ、楽々と東大に合格して、卒業後は東大の先生をしていた、明晰な脳味噌から、どうしてこんなへんてこな言い訳がでてきたのだろう。
 
  こんな言い訳を人が納得するわけないということがわからないほど、頭が混乱しているのだろうか。
 
  それにしても、舛添さんの報道で私が一番驚いたことは、6%の人が舛添さんの言い訳を納得できるというアンケート調査結果だ。
 
  私は、毎朝7時からラジオを聞きながら仕事をしているのだけど、今朝の放送の中で、どういうアンケート調査だったか詳細は聞き逃したのだけど、何百人だか何千人だかのアンケート調査の結果、「90%以上の人が納得できないという結果で、納得できるという人はたったの6%だった」と言っていた。
 
  それを聞いて私は、「えーーーーー。納得できる人が6%もいるのかーーー」とびっくりした。
 
  そのことを、今日のブログに書こうと思ったのだけど、そう思ったのは私だけではなかったようで、昼のワイドショー「ひるおび」のコメンテーターの二人が同じ意見を言っていた。
 
 人が言ったことの後追いをしても仕方がないと思ったのだけど、人生いろいろ、世の中いろいろ、ほんと、いろんな人がいるもんだなーと思った今日のアンケート結果であった。

2016年5月13日 (金)

いるいる、舛添みたいなヤツ。

 町でばったり昔なじみの男に会った。

 建築関係の仕事をしている男だ。

 ちょうど、建築関連のことで聞きたいことがあったので、「久しぶりだなー。もうかってるかい?」と意味のない挨拶を交わし、「ちょうどよかった、ちょっと教えてほしいことがあるのだけど」と切り出した。

 すると「ちょうど昼時だし、久しぶりだから昼飯でも食いながら話をしようか」と言ってきた。

 そんな込み入った相談でもないし、余り腹も減っていなかったのだが、誘われるままに近くのファミレスに行くことにした。

 店に入ると、「ああ、腹減ったー。朝飯食ってないんだよなー。ステーキにしよう。腹減っているから200グラム(のステーキ)にしようかな」と言いながらメニューを手にとり、私にもう一冊のメニューを手渡してきた。

 私が「俺は、余り腹がすいてないからランチでいいわ」と言うと、「今日はお前のおごりだろう?」と聞いてきた。

 「何で、俺がおごらんといかんのだよ」と答えると、「だって、なにか相談があるのだろう?飯ぐらいごちそうしてくれてもいいじゃないか」と言う。
 
 昔から、こういうヤツだった。

 外見は柔和で人の良さそうな顔をしている。

 しかし、腹の中は真っ黒。

 金や力があって自分にとって役に立つ相手には、よい人を演じてうまくとりいるが、自分にとって役に立たない相手には一切かかりあわない。

 悲しいのは、そんなヤツなのに私の数倍人の評判は良い。

 私は悪徳不動産屋だからそれも仕方がないが、こんなヤツに人間性は負けてはいないと自負している。

 「飯ぐらい自分の金で食え。なんで俺があんたに飯をおごらんといかんのだ」と、ヤツの申し出をきっぱり拒否した。

 そこにウエイトレスがやってきた。

 「注文はおきまりですか」

 すると、ヤツは即座に「ボク、ランチ」と一番安いランチを注文した。

 おまけに、「ここのランチ、安いけど、美味くてお得なんだよねー」なんて抜かしやがる。

 さっき、「腹が減っているから200グラムのステーキにしよう」と言っていたのに、自腹だとわかったとたんに、恥ずかしげもなく一番安いランチに切り換える。

 人に金を出してもらえるなら一番高いメニュー。

 自腹であれば一番安いメニュー。

 今の今の言葉だぞ。

 そんな、さもしい魂胆が見え見えじゃないか!

 男子たるもの、一端口にした限り、見栄をはってでもステーキを食わんかい。

 しかも、「ここのランチ、安いけど、美味くて、お得」?

 筋の通らぬ言い訳は恥の上塗りだ。

 舛添みたいなことをやるんじゃないよ。

 品が無いったらありゃしない。

2016年5月12日 (木)

なんとも、品が無い。舛添知事・恥事。

 ファーストクラスにスイートルームの大名旅行の高額海外出張。

 毎週公用車で別荘通い。

 非難の声に対して、知事がビジネスホテルじゃ品が悪いでしょう。

 海外要人をお迎えするのに、それなりの部屋は必用なんです。

 ルールは守っている。

 公用車は動く知事室。

 なにがあっても対応できる。

 溜まっている仕事をするのに別荘が最適な場所だった。

 と詭弁でかわしていた。

 しかし、正月に家族で行った温泉リゾートの宿泊費を会議費とし政治資金式収支報告書に計上していた件については、アドリブでの詭弁が思いつかなかったようだ。

 つめかける取材陣に対して、「事務所に調べるように指示した。精査が終ったらコメントする」と、はぐらかそうとしていた。

 「お正月に家族と泊まった記憶はあるのかだけ答えてくれ」との質問に、「不正確なことを答えたくない」と言っていた。

 問題になっているのは、一昨年のこと。

 突発性軽度認知症ぎみで、物忘れの多い私だが、一昨年の正月に家内と京都に旅行に行って大雪に見舞われたことは覚えている。

 家族と一緒に行ったのかどうかだけでも答えてくれとの質問に、不正確なことを答えたくないというのは、私より認知度が高いのかもしれない。

 とにかく、なんとも品の無い話である。

 ごめんなさい。自分のお金を使いたくなかったんですと、素直にお詫びするしかないだろうなあ。

2016年5月11日 (水)

悪徳不動産屋日記 腹が立つこともあるが、嬉しいこともある。

 お客さんに、こんな傘をもらった。

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 逆に開いて、車に乗るときなどに濡れない傘なのである。

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 「プラスディー UnBRELLA アンブレラ」 (9720円?)

 このところの雨続きで、その便利さにすこぶる満足させられている。

 プレゼントの主は、先日当社の仲介でマンションを購入したお客さんだ。

 私の知人の息子さんで、前々から私のブログを読んでいるということは聞いていた。

 私は、今年の1月5日のブログにGAX UNBURELLA(ギャックス アンブレラ)という濡れない傘のことを書いた。

 日本発の発明だそうで、「ギャックス」というのは「逆」をもじってのネーミング。

 車の乗り降りで濡れないだけではなく、満員電車でも人に迷惑をかけないし、室内に持ち込む際にも床を濡らすことがない。

 欲しいなと思ったが、価格が34,000円もする。

 買えないな、とブログに書いたのだが、この息子さんから、「ちょっと違うけど、ずっと安いものがありましたよ」という連絡をもらっていた。

 その息子さんが、マンションの取引が終った後に、「お世話になりました。おかげでいい買い物ができました」と、お礼にプレゼントしてくれたのが、この傘だ。

 知人の息子さんだったけど、私は手数料は値引きなしの満額をいただいた。

 金額にして60万円を超す報酬をいただいた。

 知人の息子さんだから、多少の値引きを期待しているんじゃないかなと、ちょっと気になっていたのだが、手数料に加えてお礼を持って来られた。

 私は頭の高い悪徳不動産屋で、ひごろ人に憎まれ口を叩いてばかりいるから、あまり人に好かれてはいないのだが、ときどきこうやって感謝してくれるお客さんがいる。

 そんな、上に馬鹿がつくくらい人の良いお客さんに救われて、なんとか35年間不動産業をやってこられている。

 心から感謝しています。

 思いがけないうれしいプレゼントをもらって、しばらくはウキウキした気分だったのだが、同じ時期に古い中古住宅を購入したお客さんから電話が入った。

 「便りのないのは無事の知らせ」という言葉があるが、不動産業をやっていると「電話が無いのは無事の知らせ」と思うところがある。

 お客さんとの商談は、通常、こちらからしかけることが多くて、それに対するお客さんからの反応を想定しながら仕事をしている。

 連絡が無くて当然のところに、突然入る想定外の電話はトラブルかクレームのことが多い。

 このお客さんは、建築後40年を越した古い中古住宅を購入した。

 大がかりなリフォームをするということで、建物の瑕疵(欠陥)について一切売主の責任は問わないという条件で、通常の土地代より安い価格で売買した。

 そのことは、口頭でもくどいくらいに説明して、売買契約書の特約にも具体的に記載した。

 だから、クレームが来ても受け付けられないのだが、相手は善良なる消費者。

 善良なる消費者が隠していた牙を剥くと、悪徳不動産屋がそのの牙から逃れるのに困難をきす。

 はたしてどういう要件だろうと思って電話に出ると、売主さんからの鍵は引き渡したのだが、当社が管理している鍵をもらっていなかったということであった。

 リフォームして玄関ドアも取り替えるということだったのだが、工事の業者に鍵をあずけるので当社で保管している鍵をもらいに行ってもいいか?ということ。

 最終取引の際に、当社で預っている鍵をリフォーム業者に私が持っていくことにしていたのを忘れていたのだ。

 「忘れていました。私の方が、今からすぐに届けます」と平身低頭お詫びした。

 ひごろ頭の高い悪徳不動産屋なのだが、失敗は素直にお詫びする。

 苦情を言われるのかと思っていたら、「いいです。いらっしゃるなら、いまから取りに行きます」とおっしゃる。

 すぐにお見えになったのだが、手土産を持って来られた。

 「どうしたんですか?」とたずねると、「ちょっと旅行にいったので、ほんと気持ちだけですけど、お土産を買ってきました」とのこと。

 まったく想定外のことで、びっくりするほど嬉しかった。

 さらに、「売主さんにも届けたいのですが、売主さんの家を教えてもらえますか」とのたまわれるではないか。

 「良い家を譲ってもらって感謝している」とのこと。

 こんな人の良いお客さんに出くわすから、悪徳不動産屋を続けられているのだ。

 ただ、ただ、ひそやかに、感謝している。

2016年5月10日 (火)

 ちょっと、ほっとする話題。            東ハト キャラメルコーン

 「なんて雨だ!!」

 お笑いコンビ「バイキング」の小峠さん風に怒鳴りたくなる。

 またしても、雨。

 どしゃ降りだ。

 被災地の方々は大変なことだろう。

 どうしてこうも自然はいじわるなのだろうと、うらめしく思う。

 昨日は、善良なる消費者の悪行のせいで、一日中気分が悪かったし、今日は朝から雨。
 気分転換もできやしない。

 気を取り直して、少しは仕事に励んだのだが、今ネットのニュースを見ていたら、ちょっと、ほっとする話があった。

 私の長年の疑問も解決される話であった。

 ネタ元は、ハーバービジネスオンラインという情報サイト。

 「東ハトのキャラメルコーンに、どうしてピーナツが入っているのか」という話だ。

 東ハトのキャラメルコーンは、亀田の柿ピーの次に好きな私の好物のスナック菓子なのだ。

 甘いキャラメルでコーンをコーティングしている軽いスナック菓子で、さくさくとした食感が心地よい。

 食べていると、袋の底に塩味のピーナツが入っていて、甘さに飽きてきた舌に、塩味が絶妙にアクセントになる。

 気にせずに食べていると、軽いコーンに比べてピーナツは重量が重いせいで、袋の底に残ってしまう。

 私は、三分の一くらい食べたところで、袋の口を抑えて、袋をひっくり返して、ピーナツが上に来るように振り回している。。

 そして、上のほうにきたピーナツを掘りあてて、一粒、二粒口に放り込むことにしている。

 何粒かのピーナツ口に入れると、塩味が口に広がった甘味を取り去ってくれる。

 そこで、またキャラメルコーンを頬張ると、あの香ばしい香りと甘さが新鮮に味わえるのだ。

 それで私は、ピーナツはキャラメルコーンの甘さに対してのアクセントとして入っているに違いないと思っていたのだが、それは間違いではないのだが、それだけではなかったようだ。

 実は、キャラメルコーンの開発が終盤に差し掛かった頃、2つの課題が浮上していた。
 一つは前述のとおり甘すぎて飽きること、もう一つが夏場にキャラメルが溶けて中身が固まってしまうことだった。

 そこで、さらなる研究を重ねた結果、キャラメルコーンに微量の塩をふりかけるとそれらの課題が解決できるということが判明した。

 しかし、今度はその実現方法が新たな課題となった。

 というのも、微量の塩を均一にふりかけるというのは、意外に高度な技術で、当時の工場の機械では対応することが困難だった。

 それを解決すべく編み出されたのが、直接塩をふりかけずに、塩のついたローストピーナッツを一定量混ぜておく、という方法だった。

 だが、ここでも次なる課題が立ち塞がった。

 それは開封されたタイミングで、その塩分が袋の中で均一になっているようにするにはどうすればよいのかということだった。

 そこで捻り出されれた対策が、工場でキャラメルコーンを袋詰めする際に、一番上に塩のかかったローストピーナッツを載せておくというものだった。

 これにより、箱詰めや輸送中、店舗での陳列の過程でローストピーナッツが徐々に下に落ちていき、その過程で自然にキャラメルコーン全体に塩がまぶされていき、文字通りの良い塩加減になっているというわけだ。

 袋の底の方で出てくる、少し塩味のローストピーナッツには、こんな開発努力が現れていたというのだ。

 なんとすばらしい発明ではないか!!!

 ピーナツの入っている正確な理由は知らなかったが、途中で袋を逆さにして振って、ピーナツを取り出す技を考えついて私も、ちょっとすばらしいと自己満足。

 それと、ついでにわかった、「東ハト」という社名の訳を知って、もう一度ほっかり。
 創業当初の社名は「東京製菓」だった。

 初代社長が鳩が好きだったから、鳩を冠して「鳩印東京製菓」のブランドで営業をしていた。

 すると、問屋が電報発注の際に(電報発注というのが、これまたノスタルジック)、文字数料金節約のために(電報は文字数で料金がかかっていたのだよ、若い衆)、「ハトトウ」「トウハト」の略称で注文するようになった。

 それを採用して現社名の「東ハト」になったそうだ。

 社長が鳩が好きで「東ハト」というのを聞いて、なんか、ほのぼの、ほっかりした気分になった。

 さあ、明日は忙しいぞ。

2016年5月 9日 (月)

悪徳不動産屋日記 ドタキャンと青島太平マラソン

 連休明けの月曜日。

 朝、事務所を開けたとたんに電話。

 連休前に、賃貸アパートの契約の段取りをしていたお客さんのキャンセルの連絡。

 私の知人が間にたって、ねじ込んできたような契約だった。

 私は、契約がだめになるのはどうでもいい。

 私はどうでもいいのだが、契約がだめになることで迷惑をかける人がいることがつらい。

 気分が悪いのは、迷惑をかける本人が、自分が相手に迷惑をかけていることに気づかないことだ。
 
 一番迷惑をかけるのが、家主さんとの間にたった管理業者さんだ。

 すぐに電話で連絡したが、こんな時に限って担当者が休み。

話の決着がつかない。

 またしても、善良なる消費者様に悪徳不動産屋が迷惑をかけられる。

 顛末をブログに書こうと思ったのだが、相手業者の担当者がいなくて決着がつかないし、ますます気分が悪くなりそうだから今日は書かないことにした。

 終日、もやもや。不快きわまりない。

 気分転換に、夜、久しぶりに走ってきた。

 ずっと走っていなかったが,いきなり一時間走ってみた。

 今年の青島太平洋マラソンどうしようかな。

2016年5月 8日 (日)

「国連平和ポスター」中里久美さん受賞

Photo

「国連平和ポスターコンテスト」で入賞した中里久美さんの作品だ。(国え連提供・共同)

 コンテストは「全ての核兵器と大量破壊兵器の廃絶」を目標とした国連総会第1号決議の採択から今年1月で70年となったのを記念して実施された。

 12点が入賞作の中に、奈良県生駒市のグラフィックデザイナー中里久美さんの作品が選ばれた。

 中里さんの作品は、数字の0と爆弾のような形を組み合わせた構図。

 構図の下のほうに「must be ZERO」(ゼロでなければならない)のコメント。


 言葉少なく、静かに、力強く、平和を訴えている。

 感動した。

2016年5月 7日 (土)

What a Wonderful World        いいかげんに生きてきたことを、またまた認識。

 ほんとに、なにをやって生きてきたのだろうと、反省ばかりの今日この頃。
 
 今朝、テレビをつけるとルイ・アームストロングの「What a Wonderful World(このすばらしき世界)」が流れていた。

 番組は「サワコの朝」

 「サワコの朝」は題名のとおり、阿川佐和子さんがホステスになって、毎回著名なゲストを招いて、ゲストと一対一での対談するという番組だ。

 番組序盤に「思い出の中で今でも輝いている曲」。

 番組終盤には「今、心に響く曲」と題してゲストお気に入りの楽曲をかけ、楽曲を交えてゲストのエピソードについて語っていく。

 今朝のゲストは安藤優子さん。

 テレビをつけたときにかかっていた「What a Wonderful World」は、終盤の「今、心に響く曲」として安藤さんが選曲したものだった。

ルイ・アームストロングの歌が流れる。

 この番組での歌の特徴は、洋楽の場合、原語と和訳が同時にテロップで流れることだ。
 聞き慣れた歌で難しい単語も使われていないので、いっしょに口ずさんでしまう。
 
 しかし和訳の歌詞を見ていて、またしてもショックを受けた。

 力まずに優しく、平和を呼びかけている。
 
 曲調と、「 Wonderful World」という言葉で、幸せを感じる曲だとは感じていたが、何気ない言葉で平和を呼びかけているとはわからなかった。

 またしても自分が、なんにも思わずに生きてきたことを再認識させらたなあ。

2016年5月 6日 (金)

帰って来た、くまモン。

 人気者のくまモンが帰って来た。

 4月14日の地震依頼、くまモンは被災者の心情を優先して活動を控えていた。

 しかし、「くまモンも被害を受けているのではないだろうか」と逆に心配されたり、再開活動を望む声が寄せられ、それを受けて被災した子どもたちと触れ合うことを目的に、「子どもの日」の5日から活動を再開した。

 その人気は日本だけにおさまらない程の、超人気者のくまモンだが、私はくまモンはそんなに好きじゃなかった。

 いろんな、ゆるキャラがいるが、私には、くまモンが図抜けて可愛くは見えなかった。

 だけど、昨日始めて、くまモンが可愛く見えた。

 くまモンが登場したときの子どもたちの顔。

 家を無くし、避難所で不自由な生活をしている子どもたちの顔が、くまモンを見ていっせいに輝いていた。

 手をひろげて駆け寄ってくるくまモンを、子どもたちが歓声を上げて取り囲んでいた。

 その瞬間,今までの苦労や恐怖を忘れ去っていた。

 くまモンに元気づけられていたのは、子どもだけではなかった。

 一緒にいる老人たちも、大人たちも、みんな笑顔になっていた。

 くまモンは、被災者の心情を優先して活動を控えていたというのだが、それは気の使い過ぎだったようだ。

 もっと早く登場しても良かったようだ。

 しかし、くまモンが活動を控えていた気持ちもわかる。

 タイミングを間違うと、「こんな大変なときになんだ!」と非難の声があがることもある。

 実際、支援活動を、偽善だ売名行為だとこきおろされているタレントや、著名・有名人がいる。

 そういえば、当県・宮崎県出身のタレント紗栄子さんは、500万円も寄付したのに批判するヤツがいた。

 余談だけど、偽善だろうが売名だろうが500万円を寄付する人の方が、清く正しく美しくて、たいしたことはしなくて口ばかり出している人より、ずっと世の中の役に立つというものだ。

 そんなことより、ひょっとしたら、くまモン(中に入っている分身さん)も被災しているのかもしれない。

 くまモンだけではなくて、市役所の職員さんや消防署や警察の人だって、自分が被害に遇っていても、自分の家は後回しにして被災者の救済にあたっている人もいるんだろうな。

 くまモンは、これを機会にもっと活動してみんなに元気を与えてもらうことをお願いしたい。

 元気づけられる人がたくさんいるし、支援について考えさせられるひともたくさんいる。

2016年5月 5日 (木)

大型連休

 私の感覚では、連休は終わったように感じている。

 テレビでは、今年は連休の並びが良くて、平日に二日の休みをとれば、十日間の大型連休になると言っていたから、一般敵には、まだ連休が続いているのかもしれない。

 昔はこんなに休みが続くことは無かったような気がする。

 土曜日が休みになって、祝日が日曜日と重なったときに振替休日になったのと、もう一つ休日が増えたせいで、いつからか大型連休と言われる用になったようだ。

 テレビは、良いことも悪いことも、話を盛るのが仕事だから、今年は特別な年で、平日に二日の休みをとれば十日間連続で休みが取れると騒いでいたが、来年も再来年も平日に二日の休みをとれば、九日間連続で休みは取れる。

 つまりは、平日に心おきなく二日の休みが取れる人は、九日から十日の連続休みが取れるというわけで、十日連続の休みを取るということは、それなりに長期の旅行なんかに出かけるわけで、心おきなく使える経済的余裕も持っているというわけで、うらやましい限りだ。

 私はというと、別に休みだからといってすることはないのだが、同業者がのきなみ休みを取るので、開けていても仕方がないので休むという、いかにも消極的な理由での休日である。

 休みの間に、放置している仕事を片づければいいのに、なんとなく休日気分に流されてしまったことを、毎度のごとく悔やんでいる連休最終日なのであるなあ。

2016年5月 4日 (水)

羊と鋼の森

 またしても、小説を読んでいる。

 「またしても」というのは、「君の膵臓をたべたい」を読んだのに続いてのこと。

 「君の膵臓をたべたい」を読んだことについては、4月18日のブログに書いたが、私は子どもの頃から、あまり小説を読むことはなかった。

 ミーハだから、芥川賞だとか直木賞だとか、テレビで騒いでいるのに影響されて受賞作を手にとる程度だった。

 今年は、又吉さんの「火花」が大騒ぎになったもので、流行りに乗り遅れまいと図書館で借りて読んだ。

 その後に、石原慎太郎さんの「天才」が話題になったので、これまた図書館で借りて読んだ。

 「火花」は芥川賞の発表前に図書館に予約したのだが、予約が20人以上いて、順番が回ってきたのは数か月後だった。

 「天才」は、新聞広告を見ると同時に予約したのだが、それでも10人以上のよ行く待ちで、3カ月くらい待たされた。

 恐ろしいことに、どちらも内容は全然覚えていない。

 「火花」は面白くよんだ記憶があるが、「天才」は、はたしてこれが小説なのかと思いつつ読んだような記憶しかない。

 それで、小説づいて、「本屋大賞」にノミネートされていた本を何冊か予約しておいた。

 そして、一番最初に予約の順番が回ってきたのが「君の膵臓をたべたい」で、これは面白かった。

 さすが「本屋大賞」で2位を受賞しただけのことはあるなと思ったものだ。

 そして、次に順番が回ってきたのが「羊と鋼の森」。

 これが今年の「本屋大賞」1位受賞作なのだが、他に予約していたものより早く順番が回ってきた。

 2位が、予想外に面白かったので、1位はもっと面白いのだろうと期待を膨らませて読み始めたのだが、どうにも引き込まれていかない。

 「本屋大賞」は、「本屋の店員さんたちが選んだ、一番売りたい本」で、受賞作は他のどの賞よりも売りあげを伸ばす。

 本好きの店員さんたちが、みんな面白いと推薦しているのだから、面白いはずなのだけど、私にはその面白さがわからない。

 ということで、初日は50ページ読んで立ち止まっている。

 はたして、面白くなるのだろうか。

 

2016年5月 3日 (火)

大雨

 土砂降りの雨が降り続いている。

 併せて台風並の強い風。

 私は、こんな日は、びくびくしながら過ごしている。

 私は、アパートや貸しビルをいくつか持っているのだか、いずれも築後30年超の古い建物なのだ。

 鉄筋コンクリート造りの建物が多いのだが、強風と大雨が重なると雨漏りをするのだ。

 普通の雨で雨漏りすることはないのだが、風向きによって、年に1度か2度だが、雨漏りする。

 年に1度か2度であっても、当然のことだが、雨漏りすると住人から苦情の電話が入る。

 鉄筋コンクリート造りの雨漏りはたちが悪く、業者に見てもらったが、はっきりとした原因はわからない。

 完全に雨漏りを止めるためには、ビル全体の防水工事をしなくてはならないのだが、それを見積もった業者は、防水工事をしても完全に直る保証はできないと言う。

 年に1度か2度、ポタポタと漏る程度で生活に大きな支障はないのだから、勘弁してもらえないかと思うのだが、おいそれと許してくれる住人はいない。

 だから、今日のような強風と雨の日は、恐怖なのだ。

 地震の被災地の人々は、私の数百倍以上の不安を抱いていることだろう。

 自然の無情を恨みたくなる。

2016年5月 2日 (月)

悪徳不動産屋日記 無資格業務違反

 昨日の「行列ができる法律相談所」で出題されたクイズが面白かった。

 第1問は、タクシー業、建築士、医師の3つで、無資格業務違反の罰則の一番厳しいのはどれか?という問題。

 クイズに出すのだから、一番意外性のある「タクシー業」かなとは思ったが、正解はそのとおり「タクシー業」であった。

 無許可、無免許業務に対する罰則は、それぞれ次の通りであった。

 タクシー業、懲役3年以下、罰金300万円以下。

 医者、懲役3年以下、罰金100万円以下。

 建築士、懲役1年以下、罰金100万円以下。

 回答者の多くは、は空気を読んで番組の思惑とおりの間違った回答をした。

 どうして医者よりタクシーの方が罰則が厳しいのかという質問については、明確な回答はなかった。

 次の問題も、同じく無免許業務に対する罰則についてであった。

 不動産仲介業、弁護士、学校の先生の3つであった。

 番組の主旨からして、不動産仲介業が一番厳しいのだろうかと思って見ていたら、なんと、これまたそのとおりであった。

 不動産仲介業、懲役3年以下、罰金300万円。

 弁護士、懲役2年、罰金300万円。

 先生は、罰金30万円のみ。

 これについては、出題した弁護士が「不動産というのは、人生で一番高額のものを扱う仕事だから厳しいのだろう」と解説していた。

 確かに、不動産は高額ではあるが、一般的な市民が売買するのはせいぜい1億円程度のだろう。

 億ションなんて言われる数億円もする高級マンションもあるが、そんな高級セレブは不動産のことや法律・税金については専門家顔負けの知識があるわけで、そんな知識を駆使して弱いものをなぎたおして、お金持ちになったわけで、不動産仲介業者にだまされるわけがない。

 数百億、数千億の不動産の取引もあるわけだが、そんな取引には弁護士や税理士がくっついていて、不動産仲介業者の口車だけで取引が成り立つわけがない。

 対する一般人の方々の取引は、先にも言ったように数千万円、せいぜい1億円程度のものだ。

 「人生でも一番の高額な品を扱うから」無免許の不動産仲介業の罰則は厳しいのだ、という解説に対して、テレビを見ながら、「人間の命は、それ以下かい?」と、つっこみを入れてしまった。

 私は悪徳不動産屋。

 不動産屋には、悪徳という冠が、よく、つけられる。

 それで、きちんと免許をとって真面目に仕事をしていても、不動産業者に対しては、なにかだまされるのではないかと警戒してくるお客さんがいる。

 弁護士も、悪徳の冠がつくイメージの職業ではある。

 しかし、一般的に弁護士は先生と呼ばれ、庶民は一歩下がって接するものだ。

 それを良いことに、法律を武器にして、一般庶民を脅しつけるということをやりかねないのが弁護士だ。

 弁護士がいうことは間違いないと、一般人は引き下がるしかない。

 医者にいたっては、命を握られているので、一般人はまったく逆らえない。

 不動産業の看板と、弁護士や医者の看板の重みは違いすぎる。

 弁護士と医者の資格には、庶民をひれ伏させるような力がある。

 それに比べて不動産の免許に敬意を評してくれる人はいない。

 それなのに、弁護士や医者より罰則が重いことを、理不尽に思うのだが、それだけ社会の重責を担っている重要な資格なのだと思いなおした悪徳不動産屋であった。

2016年5月 1日 (日)

はや五月

 はや、五月。

 ちまたは、大型連休。

 海外旅行に行く人がいる。

 家族と行楽地に出かける人がいる。

 連休が稼ぎ時の人がいる。

 連休とは無関係に働く人がいる。

 震災で、仕事や家を無くして、明日が見えない人がいる。

 休日をボランティアで汗を流す人がいる。

 なにごともなく、同じ日常が流れている人がいる。

 そして、はや五月。

  「はや、五月」は、短期的な時間の感覚。

 自分の生きた時間の感覚だと、「はや、五十年」

 呆然と立ちすくんでしまっていた。

 明日からまた、日常に戻ることにする。

 

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