« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月

2016年6月29日 (水)

福島千里のお腹のテープの真相

 一昨日、200mで日本新を出した福島千里さんのテレビ映像を見ていて、お腹に傷みたいなものがあって気になった。

 お灸の後のようでもあるし、絆創膏をはっているようにも見える。

 気になってしかたがないので昨日、ググッてみたら、それが気になった人が私だけじゃなかったみたいで、「あれはなんだろう?」という問い合わせのコメントがたくさんアップされていた。

 お腹のマークの真相が知りたくて、いろんなサイトを除いてみたが、憶測・推測の答えばかりで確たる答えは見つからなかった。

 もやもやした気分だったが、これだけ話題になっているのだから、そのうち答えは出るだろうと思っていたのだが、今朝その謎が融けた。

 朝6時半からやっている、TBSラジオ「森本毅郎 スタンバイ」という番組で、福島さんのコーチがそのわけを話していた。

 森本さんは、「お腹に、あんなもんくっつけてみっともない」なんて言っていたが、やはり気になっていたのだそうだ。

 TBSは、福島さんのコーチに取材していた。

 あれは、8種類の鉱石をつぶしたものを練り込んでいるテープなのだそうだ。

 ピップエレキバンみたいな磁気テープみたいなもののようで、磁石の代りに、いろんな鉱石が入っているのだろう。

 ただ、仕事をしながらラジオを聞いていたもので、正確な言葉を書き留められなかったが聴きとれなかったし、内容を記録することもできなかったのだが、筋肉の疲れをとって能力を発揮させる効果があるものだそうだ。

 このコーチの勧めで貼っているのだ言っていたから、これが紛れもない真相なのである。
 
 今現在、「福島 お腹 テープ 傷」等々の言葉で検索してみたが、質問ばかりで、真相を解説したサイトはまだ無いようだ。

 私のこのブログが、グーグルの検索上位にひっかかってくれると、多くの人の疑問に答えることができるのだけどなあ。

当地(宮崎県の北端の街・延岡市)も大雨

 天気予報のとおり、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)も大雨に見舞われている。

 私の事務所は、全面ガラス張りで素通しで外が見える。

 朝から雨が降ったり止んだりを繰り返していたが、先程から雨音が激しくなった。

 思わずガラス越しに外を見ると、景色が曇って見える。

 まるで水のカーテンを引いたようで、向かいの建物も霞んで見える。

 昨日から、天気予報では熊本を含む九州北部が大雨警戒、宮崎県も大雨注意だと報じていたが、当地はそれほどではなかった。

 地震の復旧もままならないのに大雨に見舞われている熊本の方々のことを思うと心が痛むが、自分に災いが及ばないことを嬉しく感じる気持ちのほうが大きいことにも胸が痛む。

 この雨は、明後日まで降り続き予断を許さないようだが、スマートフォンの天気予報アプリをみると、土曜日からは晴れマークが続いている。

 梅雨明けは間近なようだ。

 

 

2016年6月28日 (火)

末期がんで死ぬのが理想の最期

 サンデー毎日に「名医25人に聞いた理想の最期 医者が選ぶ 死ぬならこのがん」という記事があった。

 その中で私が一番共感できたのは、肝臓がんであった。

 かつて国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長を勤めた森山紀之医師によると、「がんで楽な死に方になるかは運の善しあしだけど、私が選ぶなら肝臓がん」なのだそうだ。

 週刊誌が付けた見出しには、「肝臓がんなら苦痛は短く、眠るように・・・」とある。
 なんと魅惑的な言葉。死ぬのが怖く無くなりそうではないか。

 森山さんによると、「発見されたときは手の施しようもないがの末期だったというと、不幸のように感じるが、見方を変えれば末期になるまで「痛み」などの症状を感じなかったということ」

 これも至言。

 「肝臓は痛覚が無いので、肝機能が悪くなり、意識がなくなって、最期は眠るように・・・。黄疸によって体は黄色くなるが、肝臓がんは苦痛を感じる期間が比較的短い」のだそうだ。

 「ただし、急に容体が悪化してしまうから、身辺整理は早めにしたほうがいい」そうである。

 「先日、カミさんの同級生が肝臓がんで亡くなりましたが、亡くなる1週間前まで普通に歩いていた」とも言っておられた。

 うーむ。死ぬなら肝臓がんに限る、かなあ。

 でも、あと10年は元気でいたいと思っているのだけど。

2016年6月27日 (月)

悪徳不動産屋日記 お客さんを断ることも珍しくはない。

 昨日、電話が鳴った。日曜日の夕方7時。だれだろう。

 個人的な電話だと思って電話に出ると、「不動産屋さんじゃないんですか?」と、ちょっと困惑したような話しぶり。

 会社の電話は、不在のときには携帯電話に転送するようにセットしている。

 会社に電話したものが転送されたようだ。

 「あっ、そうです。不動産情報館です」と答える。

 すると、「私、ちょっと急いで家を探さなくてはいけなんですけど、電話でもいいですか。とりあえず探していただきたいんですけど。」

 家を探すというと貸家であることが多いが、中古住宅かもしれない。

 「家は、売り買いですか?それとも貸し借りのほうですか?」

 「貸し借りのほうですね」

 貸し借りの場合、急ぐ話しが多い。

 このお客さんの場合、自分から「急いで家を探さなくてはいけない」と言っているから、恐らくいろんな不動産会社に電話しているのだろう。

 当社は、賃貸の管理物件が少ない。

 当社を頼って探すお客さんであれば、当社から市内の複数の不動産会社に問い合わせをいれて、希望に沿う物件を探すことはできる。

 しかし、いろんな不動産会社に問い合わせをいれて探していて、その流れ出当社にも電話しているのであれば、残念ながらお役には立てない。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の不動産会社は、日曜日は休日のところが多くて、日曜日の7時過ぎという時間に空いている不動産会社は無い。

 急ぐ話しで、複数の不動産会社に電話しても、ほとんどの会社は留守電になっているはずだ。

 そんな流れの中で当社に電話してきた可能性が高い。

 とりあえず電話で物件の資料を集めているのであれば、まったく対応ができない。

 ただ、どなたかの欲しいのであれば、責任をもって探して差し上げなくてはいけない。
 それで、「当社は、賃貸物件の取り扱いが少ないので、あまりお役には立てないかもしれないですけど、どなたかの紹介でお電話されてるんですか?」と聞いてみた。

 すると、あからさまに不快な声になり、「あーーー。いや、いいですわ。それなら。」と言って電話は切れた。

 どなかの紹介だったら申し訳ないが、不動産屋を便利屋さんみたいに思って利用するだけのお客さんなら、愛想をつかされてもかまわない。

 なにせ、私は悪徳不動産屋なのだ。

 当地のような田舎町でも、売買の仲介だと、仲介手数料は40~50万円にはなる。

 賃貸(アパート・貸家)の仲介だと、せいぜい4~5万円。

 当社は手持ちの管理物件が少ないので、他社管理の物件を紹介させてもらうことが多いが、その場合4~5万円の仲介手数料を管理会社と当社で折半することになる。

 売買に比べて賃貸仲介の手数料は10分の1以下である。

 だけど、賃貸業務の方が売買業務より、ある意味、長期間仕事の責任がついて回るのだ。
 売買の仕事は大きな金額を扱うから、いいかげんな仕事をして、あとで問題が起きたら、巨額の損害賠償を追うこともあるかもしれない。

 しかし、成約する前にしっかり売主の物件を調査し、買手の融資のお手伝いをして、きちんと取引すれば、あとあと問題が起きるようなことはほとんど無い。

 正常に取引が終了した後に、お客さんに呼び出されるようなことは無い。

 一方の賃貸業務は、契約した後10年、20年、入居したお客さんが退去するまで、ずっと責任がついて回る。

 例えば、家賃の滞納。家賃管理をしていない場合、不動産会社に滞納家賃を回収する責任はないが、家主はならず文句を言ってくる。

 例えば、流し、トイレ、風呂の排水管の詰まり。

 自分が詰まらせておいて、建物の欠陥として家主に修理をしてくれという入居者がいる。

 例えば、騒音。隣の部屋や上下の階の住人の音がうるさいのでなんとかしてくれ。

 例えば、雨漏りがして家主に修理をお願いしても、自分で修理をしてくれといってかかりあわない家主がいる。

 賃貸の仕事は、数え上げればきりがないほどのトラブルが潜んでいる。

 私は、よだきんぼ(宮崎弁で、なまけもの)
の悪徳不動産屋だから、報酬も無しで、そんなややこしい仕事はしたくない。

 だから、部屋探しに来られたお客さんを自分の物差しで値踏みしている。

 不動産屋を便利屋さん的に考えていて、とにかく市内全部の情報を集めて回っている感じのお客さんには、手持ちの物件は紹介するのみにして、それが気に入らなかったら「当社は物件が少ないのでお役に立てないです」と言って、他の物件を探すことはしていない。

 さらに賃貸業務で一番大切なのは、家賃の滞納や近隣とトラブルを起こしそうなお客さんを入居させないこと。

 一昨日のブログに書いたように、家賃を滞納して立退きを要求されて部屋探しをしているような人もいる。

 家賃を滞納しそうだなとか、トラブルを起こしそうだなと直感した場合も、迷わず同じような言い訳をして、丁寧にお断りしている。

 2万円3万円もらって、10年も20年も責任を抱え込むのはごめんだ。

 こんな考えだから、人は私を悪徳不動産屋と呼ぶのだろう。

2016年6月25日 (土)

悪徳不動産屋日記 家賃滞納で強制退去

  いきなりお客さんが入ってきた。
 
  私の事務所は全面ガラス張りで外が見渡せる。
 
  たいていのお客さんは、入り口でいったん立ち止まり、一呼吸おいてドアを開けて入ってくる。
 
  その呼吸が伝わってくるので、ドアが開いて入って来るときには応対の態勢を整えて対応できる。
 
  それにもかかわらず、いきなりという感じで入ってくるお客さんがいる。
 
  今日のお客さんがそうだった。
 
  このタイプのお客さんは、入店と同時に自分から大きな声で用件を言ってくることが多い。
 
  今日のお客さんもそうだった。
 
  「ちかくに、敷金礼金がなくて安い貸家はないじゃろか?」
 
  70歳くらいの女性である。
 
  気の弱い悪徳不動産屋である私は、もめごとになりそうなお客さんを直感的にかぎ分けてしまう
 
  いやな予感。訳ありに違いない。
 
  もともと現在、当社は賃貸物件の取り扱いが少ない。
 
  他社の物件も紹介できるのだが、最近のお客さんはネットで調べつくしているし、その上で数業者回って、それ以外に掘り出し物はないかという感覚で依頼を受けても、ご希望には沿いかねる。
 
  お客さんによっては、わけありであったり問題を抱えていて、他業者で断れたあげくに、どこか入り込める物件はないかと部屋を探しに来ることもある。
 
  こんな場合、当社は賃貸物件の取り扱いは少なくて、余りやっていないということでお断わりしている。
 
  今日のお客さんが、そうだった。
 
  一瞬で、「わけあり」と感じた。
 
  それでいつものごとく、「当社は賃貸物件の取り扱いが少なくて、敷金礼金無しの物件は持っていないんですよ。」と伝えた。
 
  すると、「探してもらえないの?」と、ちょっと荒々しい口調で聞いてきた。
 
  「申し訳ないんですけど、当社は賃貸の仕事はあまりやっていないんですよ。」と言うと、「おたく不動産屋なんでしょ?」「不動産屋なのに貸家をやってないの?何をやってるの?」と、突っ込んでくる。
 
  「はい。当社は不動産の売買を中心にやっているんですよ。お役に立てなくて申し訳ないですね」と説明した。
 
  すると、「不動産会社なら、こんな場合どうなるかわかる?家主からこんな手紙が届いたけど、私は素人だから意味がわからないのよ」と言いながらバックから封筒を取り出した。
 
  「今月中に退去しろというのだけど、ここにお金を払えという計算が書いてあって、その意味がわからないのよ」
 
  私が椅子を勧めたわけでもないのに勝手に椅子に座り込んで、封筒から書類を取り出した。
 
  見ると、家賃を滞納していて退去を迫られているのだ。
 
  「お客さん、家賃を滞納しているんですね?これは、家賃を滞納しているから退去しろということでしょう?」
 
  「滞納といっても2カ月滞納しただけよ。それですぐに出ないといけないの?」
 
  なんという言いぐさだろう。
 
  法律的に言えば、2カ月の滞納で即座に退去を強制はできないだろう。
   
 私であれば2カ月滞納で即座に退去を求めることはしない。

  しかし、厳しい家主さんは退去を求めることもあるだろう。
 
  こんな場合、法的にこのお客さんを守ってやることもできるのだが、私は悪徳不動産屋。
  こんな態度では助けてやる気にはならない。
 
  お引き取りねがいたいなー、と思っていたら、勝手にテーブルに拡げた文書を示して、「ここにいろいろな金額が書いてあるけど、なんでこんなに払わなくちゃいけないかわからないのよね」と私に説明を求めてくる。
 
  未払い家賃と違約金の請求である。
 
  請求金額の内訳に、延滞利息とか督促手数料とか家賃以外の項目がある。
 
  未払い家賃以外の金額まで、なぜ払わなければいけないのかと、私に声を荒らげて不満をぶちまける。
 
  ここにいたって、ここまで大人しく話しを聞いてきたが、私も、ちょっと大きな声で話しを制した。
 
  「そもそも、家賃を払わないあなたが悪いでしょう。だから家主さんは怒って、出て行ってくれと言ってるわけですよ。すぐに出ないと行けないかどうかと聞かれても、縁もゆかりもない人たちの喧嘩に、私はかかりあいたくはないですね。来るところを間違ってますよ」
 
  すると、「すぐに出らんと、いかんちゃろかい(いけないのだろうか)。出ていくところもないのに、どうしたらいいっちゃろかい(いいんだろうか)」と困った顔になった。
  相手は70歳のおばあちゃん。
 
  おそらくは一人暮らしなのだろう。
 
  私は悪徳不動産屋ではあるが、途方に暮れたその姿を見ると、冷たく放り出すことはできない。
 
  こんなことを教えると、悪徳入居者に知恵をつけることになるので言いたくはないが、 法的には、2カ月の滞納で強制退去を求められても従わなくてもいい。

 どう対抗したらいいかは、悪徳入居者が見るといけないのでここには書かない。

 態度が悪かったから、私の口から教えることはしたくはないので、裁判所に相談に行ってみるように助言した。

 裁判所の職員は公務員。

 裁判所の職員といえども、法律に無知な部署で働く人もいるが、法律に詳しい部署もある。

 こんな簡単な問題なら、答えを出してくれる人がいるだろう。

 国民だから遠慮なく公務員さんに頼ってみることだ。

 私は悪徳不動産屋。ただで知恵を借りようなんてのはお断り。

 ただし、この悪徳不動産屋、褒められると弱いし、頼られることにも弱い。

 困って助けを求められると、ほいほいと助けてしまう、情けない悪徳不動産屋なのだ。
 それにしても善良なる消費者様は怖い。

 今日だって、アパート探しを断ったから事実がわかったのだけど、滞納して退去を迫れていることを隠して、善良なる消費者として部屋探しをしているのだからなあ。

2016年6月23日 (木)

 悪徳不動産屋日記 高く買え・安く売れ

 今やっている商談が、まさに悪徳不動産屋の所業である。

 売却の依頼を受けているお客さんには安く売れと迫り、買収依頼を受けているお客さんには高く買えと強要している。

 売却物件については、バブルのころには坪100万円の話しもあったというものをその5分の1の値段まで引き下げ、さらにもう少し下げないと売れないと迫っている。

 近隣に直近の取引事例が数件あり、その価格が相場価格を形成しているので、それを超える価格での取引は、なかなか成立しない。

 十年以上前から売りたいという話しは受けていたが、希望価格が高すぎて成約があり得ないと思われる価格であった。

 不動産に絶対的な価格は無いけれど、絶対に売れるはずが無いという価格はある。

 このお客さんの希望価格がそうだった。

 本気で売却したいのであれば、そのことをきちんと説明してあげなければならない。

 しかし、「あなたの財産は、そんなに値打ちがありませんよ」という話しだから、売主は気分を壊す。

 このお客様は、当社以外の不動産業者にも売却を依頼しておられたが、いずれの不動産業者も積極的な価格の説得はできず、ここ数年他の不動産業者さんはいっさいかかりあっていないという状態だった。

 それでも、お客様のためを思えば、価格を引き下げる必要性を説かなければならないのだが、私が悪者になって説得して、強引に納得させたとしたら、私に対しては悪感情が残ってしまう。

 売れる価格になったとたんに他社が売ることになりかねない。

 しかし、このところ、売主さんに早急に売りたいという事情が出来たようで、私のところに1カ月以内に売りたいという相談に来られた。

 それで、直近の取引事例を示してまずは売り出し価格を相場に近い価格に下げることを了解していただいた。

 そして、いろんなところに商談をもちかけているが、持ちかけた相手方からは、まだ価格が高いと指摘される。

 実際、その意見の方が私も妥当な価格だと思える話しなのだ。

 売主さんには1、2カ月で売りたい事情がある。

 希望を達成するためには、さらに価格を引き下げなければならない。

 引き下げるといっても、安売りをさせるわけではなくて適正な価格を納得してもらうことなのだ。

 この1カ月、それを納得していただくために、週に1回以上商談状況を報告して、理詰めで売れるための話しをしている。

 一方、買収依頼を受けているお客さんには、「高く買え」と説得している。

 こちらは、親の代から借地として借りている土地の所有権を買い取りたいので、土地所有者を説得してくれという話しである。

 20年に渡ってずっと、地主さんにお願いしているが売ってもらえないという土地だ。

 数年前に、売ってもいいという話になって、地主さんに「いくらで買うつもりか?」と聞かれ価格を提示したのだが、そのまま話しが立ち消えになっているということだった。
 私は、提示した価格が売主さんが思う価格より安かったのだろうと思い、私の考えを依頼者に伝えた。

 しかし、依頼者は現在では妥当すぎる価格だと主張した。

 確かに現状では適正と思われる価格だが、地主さんの立場になったら、そんな価格で売るより借地料をもらっていたほうだ得な話しなのだ。

 さらっと、そんな話しをしたが、依頼者が納得するわけが無い。

 そんなことは承知の上。

 私は早速地主をあたってみた。

 案の定、「売っても売った金を使うあてはない。売ることは全く考えていない」という返事だった。

 想定どおりのことではあったが、地主さんの言い分を十分聞き、依頼者の気持ちも十分に伝え、ひとまず帰り、依頼者に結果を報告した。

 地主の言い分はもっともで、どうしても欲しいなら少し高く買うつもりにならないと、話しは進まないだろうという話しを軽くしておいた。

 数日あけて、再度地主さんを訪問。

 地主さんの考えは実にその通りだと思う話しだった。

 狭い土地だから、売って税金を引くと残る金額は600万円程度にしかならない。

 別に金の使い道は無いが、低金利の今、銀行に預けていても増えることは無い。

 現在もらっている地代は、数千万円の利息に匹敵する。

 土地でもっていれば、元金の減らない高額な預金として考えると土地を売らずに地代をもらっていたほうが自分にとっては得な話しなのだという。

 年を召されているのだが、実に正しいお考えだ。

 私は、素直にそれは認め、借地人の気持ちを思って、なんとか譲ってもらないものかと情にすがる作戦に出た。

 すると、「あなたの言うこともわかる。借地人さんにはお気の毒だと思う。しかし、今は土地の値段が下がってしまっているので売りたくはない。」との返事しかもらえない。
 話しの中で、「土地の値段が下がって」という言葉が出たが、これがポイントだろう。
 この土地もバブルのころは坪80万円とか100万円という話しもあった。

 現在は、坪当たり20万円か25万円といったところだろう。

 話しを続けていると、「この先、景気が良くなって土地の価格が上がるかもしれないから、そのときはまた考えても良い」という言葉も出た。

 私はすかさず、「以前のバブルのようなことは絶対無いし、おそらく土地の値段があがるということはないでしょう」と言葉をはさんだ。

 そして、「土地の価格は上がると思いませんが、私が借地人さんを説得して今の相場より少し高く買うという話しになったら、なんとか譲ってやってもらえませんか」と切り出してみた。

 すると、「そうよなあ。昔のような価格とは言わないまでも、価格次第では考えてみるぞ」と言う。

 買収依頼者は、現在地で商売をしている。

 結構繁盛していて、今は息子さんが跡継ぎとして仕事を手伝い始めたところだ。

 建物は老朽化しており、建て替えるには地主の了解がいる。

 地主が売却に同意しないまま、建物が朽廃してしまえば借地権は消滅し、別な土地に移転しなければならない。

 この先も生計を立てるためには商売を継続しなければならない。

 土地面積が30坪ちょっとなのだから、坪10万円高く買っても総額は300万円高いだけだ。

 せっかく掴んでいる固定客のことを考えれば、高すぎるとは思えない額だと思う。

 不満ではあるだろうが、高く買うても買うことが依頼者の利益だと私は判断した。

 画して、買収依頼者に「高く買え」と強要している。

 依頼者は、依頼主である自分に不利な商談を進める私に不満な気持ちを露にしている。
 私は、不動産業は売主や買主の気持ちを収めることが仕事だと考えている。

 高く買わされるかもしれない。安く売らされるかもしれない。

 高く買いたくはない。安売りはしたくない。

 しかし、絶対的な定価がないのが不動産。

 そのときの売手、買手の事情によって価格は振れる。

 売手買手の、そのときの事情で、売主に有利に売れたり、買主が有利に買ったりすることになる。

 私は、そんな売主さん買主さんの気持ちを、「極端な高買いではないですよ」「足元をみられた安売りではないですよ」と、収めるのが大事な仕事だと思っている。

 それを人は悪徳不動産屋と言う。

2016年6月22日 (水)

悪徳不動産屋日記  デザイナーズ住宅の注意点

  今朝の日経新聞「MONEY&INVESTMENT」のコーナーの「デザイナーズ住宅の注意点」という表題文字が目にとまった。
 
  表題部には「かさむ修繕費/売れにくく」
 
  注文住宅を建てる際に、自分だけのオリジナルで個性のある家を建てたいというお客さんが少なくない。
 
  「建築家」といわれる設計士さんに設計を依頼し、独創的な家を作るの方もいらっしゃる。
 
  いわゆる「デザイナーズ住宅」と言われる家だ。
 
 外観も個性的だが、間取りも実に個性的な家である。

 しかし、私は昔から、このデザイナーズ住宅には否定的な意見をもっている。

 私が長年勤めていた会社は、不動産業と建築業をやっていた。

 私は不動産仲介を担当していたが、土地を探していたお客さんから新築住宅の注文をいただくことがあった。

 昔から私は悪徳でわがままな不動産屋だったのだが、そんな私を気に入ってくれて建築までまかせてくれるお客さんが、ときどきいた。

 私は、愛想が悪くわがままな営業マンで、人に好かれる事は少なかった。

 そんな私に家を依頼する人は、思ったことをそのまま口にして私の性癖を気に入ってくれた人に限られた。

 そんなおつきあいだから、私は、お客さんの家作りの夢や希望に冷や水を浴びせるような助言をしていた。

 家を建てる際に、みなさん個性的な家を造りたがる。

 かわいいペンション風のデザインみたいな変わった外観を希望するお客さんには、「こんなかわいい家を建てるのはいいけど、あなたは、おそらくこの家にずっと住み続ける事になるんですよ。今は若いからにあうかもしれないけど、70歳になってこんなアルルの少女みたいな家にすめますか。」

 さらに、「家は、切り妻か寄せ棟で、単純な形状が一番いいんです。屋根や壁を凸凹させると雨漏りの元になります」と夢を打ち砕くような助言をしていた。

 外壁の色にしても、ピンク系統とかパステル調の外壁の色を希望するお客さんには、「外壁の色は、ベージュかグレー系統にしたほうがいい。淡い色はすぐにさめてしまって、すぐに塗り直ししなければならないんですよ。」と強引に自分の意見を押し通した。

 相手は私の性格を知っているお客さんだから、結局私の意見を聞き入れてくれるのだが、「赤池さん、ちょっとは私たちに楽しい夢もみらせてよ」なんて言われたものだった。
 私は、自分は正しいと思って意見は押し通したが、自分が正しいとは思っていなかった。

 お客さんの希望を叶えてあげることが建築家の仕事なんだろうなと反省する気持ちはあった。

 しかし、今日の日経の記事を見て、私がやってきたことは、少しは正しかったんだなと私の贖罪の念を晴らしてくれた。

 今日の記事にはこうあった。

 「 注文住宅で夢のマイホームを建てるにあたり、自分だけのオリジナルな家を建てたいといったニーズはいつの時代でもあるだろう。しかし『デザイナーズ住宅』には、思いもよらない注意点がある」

 「軒のない家は雨漏りや外壁劣化のリスクが高まる。例えば『軒の出がない建物』。建物から屋根が伸びている部分を「軒」というが、これをなくしてフラットですっきりとした外観を追求しているパターンだ。
 何が問題かというと、雨漏りの可能性が高くなること。軒の出が少ない分、吹き込んでくる雨を窓や外壁が直接受けることになるからだ。従って外壁の劣化スピードも、軒がある家よりは早まる傾向にある。」

 「外観にいろんな装飾が付いていたり、形状が複雑すぎたりする建物だ。複雑になるほど雨漏りの可能性が増えるし、修繕にかかる費用もアップする。」

「 間取りにも配慮したい。売ったり貸したりしにくい形状にすると売買時や賃貸時に苦労する。」

 「歳をとった時に暮らしにくいと感じる可能性もある」

 「中古住宅市場では『より多くの人が好む外観や間取り』が好まれる。資産価値を踏まえると、他の人はどう思うだろうかといった視点も必要になる。もちろん売らないで住み続けていればこうした問題は顕在化することはないが、中略 将来はリバースモーゲージ制度が今以上に整備される可能性もある。リバースモーゲージとは家に住み続けながら、家を担保にお金を借りられる仕組み。返済は自身が亡くなってからでよく、一生で資産を使い切るというものだ。こうした制度を使う場合、資産価値が低い家では不利になる。」
 なんとも、私の考えと似ていると思うのは我田引水か。

 日本で一番高名な建築家である安藤忠雄さんが、「私の家は住みにくいよ」なんておっしゃっていたが、私は家は生活をするための大きな道具であると思っている。

 道具は使いやすくなければいけない。

 デザインは使いやすくするためのデザインであるべきだと思っている。

 今日の日経のこの記事の最期に、「本当にデザイン性の高い住宅とは、建物形状がシンプルにもかかわらずかっこよくて、雨漏りや修繕、省エネ性などについて十分な配慮があり、売買時や賃貸時の市場性が見込まれ、加齢配慮がある――という条件がそろった住宅ではないだろうか。」とあったが、諸手をあげて大賛成である。

 悪徳不動産屋と違って、世間に認められている人の説明は上手いなあ。

2016年6月20日 (月)

都知事選の前に参議院選挙

  舛添さんが、明日正式に辞任する。
 
  15日に、東京都議会の本会議で退任の弁を述べて以来、正式な会見はしていない。
 
  マスコミは、正式な会見をして真相をあきらかにするべきだなどと叫んでいるが、真相はマスコミが報じているとおりのこと。
 
  舛添さんがどう言い訳をしようと、マスコミは自分たちが報じた以外の話しは聞く耳をもたない。
 
  舛添さんを白洲に引きずり出して、「悪うございした。すべて皆さまのおっしゃる通りです」と認めるまでムチを打ち続ける。
 
  舛添さんが、そんな場に、おめおめと出てくるような玉ではない。
 
  退職金を懐に入れてトンズラかまして、あとは風の止むのをひそやかに待っている。
 
  私が舛添さんだったら、そうする。
 
  5000万の不整献金疑惑を抱えて辞任に追い込まれた猪瀬さんだって、舛添さんの公私混同使い込みが余りにもせこ過ぎたおかげで、大手を振ってテレビに登場している。
 
  2年ちょっと大人しくしていて、少しは謙虚になったかと思ったら、とんでもない。
 
  すっかり元気を取り戻して、過去の過ちを詫びることはしない。
 
  マスコミも、舛添さんに比べたら善人に見える。もう一度都知事になってはどうですか、なんて褒めたりするものだから、ますます図に乗って元の高慢ちきな猪瀬さんになっていた。
 
  世論が舛添さんを辞任に追い込んだなんて言うけれど、世論はマスコミが作るもの。
 
  大衆の反応を見て、騒ぎが大きくなるように流れを変える。
 
  今はこっぴどく叩き回しているが、舛添さんを都知事に仕立て上げたのもマスコミの力。
 
  舛添さんは、2010年3月の共同通信社の調査で、「次の総理大臣にふさわしい人」の第一位だった。
 
  面白いのが、そのときの第2位が鳩山由紀夫さん、3位が菅直人さん。
 
  今の日本の政治を混乱にさせたA級戦犯の2人が連なっていたわけだ。
 
  マスコミは、舛添さんをたたきながら、次の都知事を芸能ニュース的に騒ぎ立てている。
 
  そもそも、東京都はGDPで比較すると世界ランキング13位のオーストラリアに次ぐ規模。
 
  東京都庁は一国の政府に匹敵する。
 
  官僚に劣らぬ優秀な職員さんたちが都政を動かしている。
 
  仕事ができないものが都知事になっても都は動く。
 
  お笑い芸人の横山ノック氏が、いきなり大阪府知事になっても府政がとまらなかったのと同じこと。
 
  1000万人を超す有権者をかかえる選挙だから、知名度がないと当選は難しい。
 
  だから、人気投票的な選挙になるのだが、それをあおるのがマスコミ。
 
  いきなりやめる都知事や、5000万円をもらってやめる都知事、そして、せこく私的に金を使い込んで都知事。
 
  それを選んだのは、すべて都民である。
 
  はてはて、次の都知事はどう選ぶのだろう。
 
  有権者のがそのほうが大衆に受けるから、都知事報道の熱が冷めないのだが、明後日は参議院議員の公示日。
 
  マスコミはこれから先、都知事選をどうとりあげ、国政選挙にどう影響させようとしているのだろう。

2016年6月18日 (土)

麻生氏「いつまで生きるつもりなのか」発言

 麻生太郎副総理兼財務相が2016年6月17日、小樽市で開かれた自民党の集会で、「90になって老後が心配とか、わけのわからないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら見ていた」という発言が、またまた物議を醸している。

 

 発言は、国内にある1700兆円を超える個人金融資産について触れながら、お金は使わなければ意味はないという指摘をしたうえでのものだった。

 

 賛否いろいろあるようで、毎日新聞はこの発言について、18日付の紙面で「高齢者らの反発も予想される」と指摘している。

 

 ネットでは、「政治家がする発言ではない。」

 

 「思ったことを何でも言っていい訳ではない。うんざりする。」
 
 「人の命に敬意を払わず大切にもしない人が政治家をやっている恐ろしさ。」

 

 「延髄反射で失言を繰り返す」「お前、いつまで政治家続けるつもりだ?」
などの批判が上がっている。

 

 一方では

 

「これ早く死ねという含意じゃなくて、90歳が「老後」という言葉を使ったことに対して、90歳が老後じゃないなら人生何年なんだというツッコミに過ぎないんじゃないの。」

 

「麻生さん間違ってないでしょ。貯金してないでお金使わなきゃ。お金持ってるのは高齢者ばかりなんだから」

 

 「この人の言い方が悪いのは昔から。ニュースにするほどじゃない。」と、理解を示す意見も少なくないそうだ。

 

 私も、今回の麻生さんの発言は擁護してあげたい。

 

 
 この発言で思い出したので、私の敬愛する同業者である富士不動産の佐藤さんのブログを紹介さてていただく。

 

 「『ある夫婦の会話』

 

 ある知り合いの夫婦の会話

 

 奥さんが 『おとうさん焼酎ばかりのまんと野菜も食べんといかんよ~』

 

 旦那さん 『野菜はあんまりすきじゃねえー』

 

 奥さんが 『野菜をたべんと長生きせんがー』

 

 旦那さんの年齢94歳 奥さんの年齢88歳 どんだけ~   長生きをするつもりだろうか!」

 これは、実は、佐藤さんのご両親の会話である。

 

 お父さんは、今は95歳か96歳になられるはずだが、頭はしっかりしているし、顔色はよく、肌もつやつやして、頭もつやつやで、すこぶる健康そのもの。

 

 今の時代に珍しく、親子4代、実に仲のよい家族である。

 

 そんな佐藤さんが、麻生さんと同じようなことを言っていたが、実に微笑ましくて、思わず吹き出してしまった。

 

 結局、反感を買うのと、共感を得るのとの違いは、その人の人柄なんだろうなあ。

2016年6月15日 (水)

舛添さん辞任 改正酒税法可決

  最近、ブログの更新がおろそかになっている。
 
 なんでも老化のせいにするのは良くないが、このところ書き始めて長くなりそうになると、めんどうくさくて放り出してしまうのだ。

 昨日、私のブログに何度か登場している同級生の池田君に会ったときに、更新が少ない事を指摘された。

 彼は、毎日のように私のブログをチェックしてくれているそうだ。

 彼に指摘を受け、今日は、彼に絡んだ話しで更新をすることにする。

 昨日は、仕事で彼の家の近くに行ったついでに寄らせてもらった。

 居間に通されると、テレビで昼のワイドショー・ミヤネ屋をやっていた。

 「このところ、テレビは舛添一色だね。面白がって叩き回しているけど、ほかにやることないのかね。甘利さんは大喜びしているだろうね」

 と、私はどうでもいいことを口にした。

 テレビは舛添さんと不倫報道で安定した視聴率がとれるから、ワイドショーはそれ一色。

 (舛添さんは、今朝、辞職願を提出した。これからは方向を変えるのだろうが、しばらくはワイドショーのネタになるのだろうなあ)

 舛添さんが注目を浴びているおかげで、イヒヒと喜んでいるやつらがいる。

 そいつらは、もっと舛添さんの話題で盛り上がっていてもらたいと思っているだろう。
 ところで、今日の話しのネタの池田君だが、彼は酒豪でならしている。

 ここ数年で、大きな手術を4度も経験して何度か死にかけたと言いながら、酒もタバコもやめていない。

 さすがに酒量はひかえているとのことで、1日に焼酎を600cc、きっかり量って飲んでいるとのこと。

 それを聞いて、ふっと思い出した話しだが、不倫騒動や舛添騒動でテレビが大騒ぎしている間にも、いろんなことが起きている。

 その一つに、ディスカウント店などでの酒の安売りを規制する改正酒税法が可決されたことがある。

 今回の改正はでは、財務省が酒類の販売価格に、公正な取引基準を新たに定め、従わない製造会社に業務改善命令を出したり、販売免許の取り消しが可能になる。

 ディスカウント店での過剰な安売りも規制される。

 小規模な販売店を救済する狙いだというが、消費者からすると、酒が値上がりするのではないかという心配がある。

 守られる側の中小の酒店の経営者からは、いまさら安売りを規制しても何も変わらないと、規制の効果に疑問の声が上がっている。

 池田君は自称「武士」だから、単に安いだけの安売り店で酒を買う事はしないかもしれないが、販売免許の許可を取り消されるかもしれないとなると、安売りに歯止めがかかるかもしれない。

 酒を飲まない私には余り関係の無いことだが、1日に600cc、3日で一升。

  一カ月で一升瓶十本も飲む池田君のような酒飲みにとっては、迷惑な法律ではないのだろうか。
 
  不倫や、せこい使い込みに気を取られている間に、粛々といろんなことが決まっている。
 
  酒の値段のことなんかは、たいした問題ではないが、防衛や食料や、個々人の人権に係わる法律も、粛々と決まっていっていることを忘れてはならないなあ。

2016年6月13日 (月)

舛添さん 一問一答

 舛添さんに対する都議会の集中審議が始まった。

 みっともない。見苦しい。不愉快だが、滑稽なコントショーとしてみると面白い。

 誰も信じるはずがない奇妙な回答を、妙案と思い込んでしらを突き通している姿には笑ってしまう。

 芸人が吹っ飛ばされてしまう面白さ。

 ウデのない芸人は、これをこのままコントのネタとして舞台に上がれば、大受け間違いなし。

2016年6月10日 (金)

今日の雑感

 舛添さんの過剰報道には、もう辟易。

 みっともないのは、だれの目にも明らか。

 言い訳にならない言い訳を続けて、人格を下げ続けている。

 でも、もういい。

 こんな、せこい悪より、涼しい顔してもっとあくどいことをしている巨悪を暴け。

 甘利さんなんて、そのいい材料だよ。

 二階堂さんは、どうなんだ?

 まさかと思う谷垣さんはどうなんだ?

 私は、海老蔵さんは苦手だったのだけど、今回ちょっと見直した。

 海老蔵さんも強いけど、それより増して、麻央さんの強さに敬服。



 
円楽さんも不倫。

 不倫会見なんてやるなよ。

 噺家なんだから、笑い飛ばして、煙に巻けよ。

 道徳心の強い噺家の噺なんて笑えないよ。

 ベッキーが本格復帰の記者会見。

 不倫で一番被害を被ったのがベッキー。

 世間に迷惑かけたわけではないのに同情する。

 私はベッキーのファンではないが、今日の会見でのベッキーは綺麗だなと思った。

 

2016年6月 8日 (水)

舛添さん幕引きのシナリオ


  都議会で、舛添さんが激しい追求を受けている。
 
  自民党議員から「身を切れ」という言葉が出ていた。

 しかし、これは辞めろということではない。
 
  使い込んだ金を返還しろとか、報酬を減額せよという意味合いのようだ。
 
  自民党議員は身を切れとは言っているが、辞任を求めるような発言はしていない。
 
  与党自民党と公明党は、舛添さんを手厳しく追求する演技。
 
  舛添さんは、それを受けて困窮・狼狽・猛省している演技。
 
  それで、それぞれの立場を整え、最終的に舛添さんが一定額を返還、報酬を一定期間減額、ということで手打ち、というシナリオになっている。
 



  のではないだろうか。

 
 

2016年6月 7日 (火)

舛添さんのみっともない言い訳を、密かに応援する甘利さん。

 

舛添さんの、せこさ、みっともなさには、もうあきれるばかり。
 
  何を言ってもみんなが思っていることと同じになるから、言いたくもない。
 
  舛添さんには「みっともない大賞」を差し上げて、殿堂入りしてもらいたい。
 
  舛添フィーバーの中、甘利さんが密かに息を吹き返している。
 
  現金授受問題で1月下旬経済再生大臣を辞任した。
 
  甘利さんのは、斡旋利得処罰法違反の疑いが持たれていた。
 
  現金授受の事実があるというのに、東京地検特捜部の結論は、県議不十分による不起訴。
 
  辞任と同時に、睡眠障害で入院という形で姿をくらませていて一切表面に出て来なかった。
 
  しかし、不起訴の決定が下ったのと同じくして、「主治医から、徐々に活動を再開してもいいという診断をいただいた」と、復帰を表明した。
 
  おりしも国会は終了しており、国会の証人喚問に呼び出されることも無くなった。
 
  舛添さんの弁護士といい、甘利さんの主治医といい、なんとも都合のいい専門家がいるものだ。
 
  私は、甘利さんの疑惑の方が国家に対して大きな問題だと思うのだが、舛添さんの「せこさ」のほうが面白くて、視聴者受けして、注目を一手に引き受けている。
 
  せこい使い込みの罪より、甘利さんの問題から国民の目をそらさせた罪の方が重大な気がする。
 
  甘利さんとしては、舛添さんが、みっともない言い訳を続けてくれること願っているだろうなあ。

 
 
 

2016年6月 6日 (月)

今日の雑感 不明小学生がお父さんを「許す」 一部不適切な支出の舛添さん。

 今日感じたこと。

 ネットでみたニュース報道だけど、不明小学生が、置き去りにしたお父さんが謝ると、「許すよ。お父さんが優しいから許す」と言った。

 それに対してお父さんは、「申し訳ない気持ちになった」と声をつまらせた、のだそうだ。

 しかし、これは実際に交わされた言葉そのものだろうか。

 マスコミ流の翻訳が入っているのではないかと思っている。

 親子でこんな会話は成り立たないだろう。

 こどもが、「許すよ。お父さんが優しいから許す」なんて言葉を本当に言ったのなら、今後の親(上)子(下)関係はどうなるのだろう。

 事情はどうあれ、お父さんが「悪かったね」とあやまるのは自然だろう。

 それに対して子どもは、「お父さんは悪くないよ。僕が言うことを聞かなかったから悪いんだよ」と言ったのではないだろうか。

 親子ともども精神的に混乱した状態だから、ドラマみたいに整然とした言葉はでて来ないだろう。

 「いいよ」「あやまらなくていいよ」「お父さんは優しいよ」「ボクは怒ってないよ」「僕が悪かったよ」などなど、断片的に発した言葉を、報道するとなると「許すよ。お父さんが優しいから許す」と翻訳?要約されているのだろう。

 これは私の勝手な直感だが、あのお父さんは悪くはない。

 むしろ立派なお父さんだと思う。少なくても私よりは。


 

 
 今日のもう一つの雑感。

 舛添さんの、あきれた第三者による厳正な調査結果の報告。

 私が先日書いたことでもあるが、舛添さんが公私混同して使い込んでいるというのは、意地汚くてさもしいから騒がれているのだが、一つ一つを取り上げれば大した金額ではない、いわば、はした金。

 想定どおり、一部に不適切な支出があったと指摘し違法性はないとの判断を下した。

 窮地においやられて頭がパニックをおこしたのかと思っていたら、やっぱり舛添さんは頭が良かった。

 辞めないための方策をしっかり建て直していたようだ。

 厳正な第三者と言っているが、舛添さんが自前の金で雇った弁護士である。

 弁護士の職務は依頼者を弁護すること。

 見事な抗弁を考えついたものだ。

 というのはお世辞で、こんな幕引きは深い法律知識がなくても簡単に考えつくこと。

 今日の報告には、こんな美味しい仕事を捨ててたまるか、絶対辞めないぞという舛添さんの固い決意が感じられるなあ。

2016年6月 5日 (日)

ちょっと早かった。9月以降だったら流行語大賞、有力候補は政治から。

 安倍総理の「新しい判断」という言葉が流行語になっている。

 やっぱりな、という感じだ。

 「新しい判断」という言葉が私には不快だった。

 そのことについては6月2日のブログに書いた。

 これは私だけが感じたことではなくて、多くの人が同じように感じたようだ。

 私は度量が小さい人間だから、この言葉が、不快極まりなく、許しがたく、怒りしか覚えなかった。

 しかし多くの心ある人たちは、この言葉を余裕をもって流行り言葉として弄んでいるようだ。

 誓いや約束を破ったとき、「新しい判断をしたんだよ」と、しゃれで言い逃れをするのだそうだ。

 「新しい判断」は、舛添さんの「精査」「第三者の厳しい目」と並んで、今年の流行語大賞の有力候補だろう。

 残念なのは、この言葉を発進したのが5月だということ。

 大賞を受賞するには、ちょっと発進が早すぎた。

 これが夏過ぎだったら、間違いなくこのいずれかが大賞だっただろうなあ。

2016年6月 4日 (土)

 4年前と同じ思い「経済センサス」

 このところ私のブログに、「経済センサス」がらみのキーワードでの来訪が増えている。

 キーワードの例は、次のようなものだ。

 「経済センサス 面倒」

 「わからない 経済センサス」

 「手間 経済センサス」

 なんと、「しね 経済センサス」というキーワドもあった。

 「経済センサス」について、書いた記憶は確かにある。

 批判的なことを書いたことは覚えているが、詳しい内容までは覚えていない。

 そもそも「センサス」ってのはなんだろうと思って、ググッてみた。

 「センサス」= 1.人口調査 国政調査 2.実態調査 一斉調査 とある。

 それなら「経済実際調査」と言えばいいのに、なんで多くの人が理解できない「センサス」なんて言葉を使うのだろう。

 いつも思うことだが、やはり日本はアメリカの属国なのかもしれない。

 日本の総理大臣の動きや、法律や政治、そして経済も、ぜーんぶアメリカの意向に沿って決まっているように感じる。

 余談はさておき、多くの人が経済センサスの調査票のわかりにくさに悪戦苦闘しているようだ。

 なんとも手間がかかる。

 私だけが理解力に欠けるのかと思って何人かの人に聞いてみたが、みんなわかりにくくて手間がかかって面倒だという。

 「わからない」「手間」「面倒」。まさに検索語のとおりである。

 はたして4年前に、どう書いているか自分のブログを確認してみた。

 2012年1月30日に「経済センサス???手間がかかるし、意味わからんし」

 1月31日に「経済センサスへの疑問」という記事を書いている。

 なんと1月30日のブログを見ると、「センサス」の意味を調べるところから始めている。

 今日とまったく同じ行動をとっている。

 私に進歩がないということでもあるが、「センサス」という言葉がその後一般化していないということでもある。

 4年前の記事を読み直してみたが、「経済センサス」に対する思いは、4年前と全く同じだ。

 今日書いても同じようなことを書くだけだろう。

 ただし、文章は4年前の方がいいはず。

 よろしければ、4年前の1月30日のブログと1月31日のブログをご覧いただければ幸です。

2016年6月 3日 (金)

不明小学生発見

北海道で行方不明になっていた小学生が無事発見された。

 自衛隊の駒ヶ岳演習場内の施設で6日間を過ごしていた。

 どうして演習場に行ったのか。

 一人っきりでいて怖くはなかったか。

 なぜ6日間じっとしていたのか。

 あと数日見つからなかったら、どうしたのか。

 等々、聞いてみたいことは山ほどある。

 テレビを始めとするマスコミが、手ぐすねひいて待ち構えていることだろう。

 今は入院しているが、退院したらマスコミが一斉に襲いかかるだろう。

 私も、事の成り行きは大いに興味がある。

 私同様多くの人が、事の真実に興味をもっているだろう。

 そんな下衆の好奇心を満足させるために、マスコミが一切触らずにいることはできないだろう。

 しかし相手は小学2年生。

 飢えた獣が、獲物の内蔵を食い破り骨まで砕いてしまうような取材合戦はやめられないものか。

 各メディアが聞きたいことを集約して、代表の会社がまとめてインタビューするというような方法を考えてはどうか。

 一昨日安倍総理は、どんなことがあっても絶対に増税再延期はしないと断言していたのに、「従来の約束とは異なる新たな判断にもとづく」として約束を反故にした。

 国家の存亡にかかわる、こんな重大事件に際して、多くのマスコミがつめかけたが、質問の時間は限られ代表の2社が質問できただけだった。

 強いものにはまかれ、弱いものに襲いかかるというのはやめることだ。

2016年6月 2日 (木)

安倍総理の演説を、私が不快に感じた件。

昨日の安倍総理の演説を、なぜあんなにも不快に感じたのだろう。
 
  昨日は、もう意味もなく生理的に不快でたまらなかったのだが、今日のワイドショーを見ていて、その原因が思い当たった。
 
  それは、安倍さんが自分の政策・アベノミクスが成果をあげているという自慢話を長かと続けていたからだ
 
  求人は増えた、給料も増えた、会社の業績も上がっている。
 
  アベノミクスは大成功だと手柄話をとうとうとまくしたてるばかりで、自分の失敗は何一つないかのような話をしていたからだった。
 
  自分の政策は功をあげている。
 
  しかし、世界の情勢が(ことに新興国の経済状況が)に陰りがみられる。
 
  それにまきこまれるかもしれないので、消費税増税を見合わせる。
 
  2年前に、どんなことがあっても消費税は上げるという発言については、「従来の約束とは異なる『新たな判断』にもとづく」のだという。
 
  こんな理論がまかり通れば、約束なんてなんの意味もなさない。
 
  自分の政策はすべて正しくて、成果を上げている。
 
  悪いのは自分ではなくて、まわりだと言い張る姿勢に不快感を感じたのだ。
 
  私は、安倍さんのすべてを批判することはしない。
 
  しかし、自分は正しくて、微塵も間違いは犯していない、まるで全能の神にでもなったかのようにふるまい、一切他の意見を聞こうとしない。
 
  1時間近い時間を自分の政権運営がいかにすばらしいかを一方的に喋り続けた。
 
  形だけ質問の時間をとったが、1分くらいの質問に対して、答えは10分以上の時間を割く。
 
  質問に対する答えではなく、持論を繰り返すだけだった。
 
  なかなか次の質問者に順番が回って来ない。
 
  時間切れをねらっての作戦は見え見え。
 
  案の定、二人の質問に答えたところで、「時間となりました」となった。
 
  舛添さんの言い逃れについては、マスコミがこっぴどく追求しているが、舛添さんの犯した罪は、舛添さんが個人的に流用しただけの、しみったれたものだ。
 
  みじったらしくて、それが面白いから、つつき回されている。
 
  一方の、安倍さんの言い訳は壮大で、マスコミも突っ込みどころを見失っているのではないだろうか。

2016年6月 1日 (水)

早い、早い。もう6月1日。

  言いあきた言葉だし、聞きあきた言葉でもあり、使い古された言葉だけど、「早いもので、もう6月だ」
 
  この2、3日、気持ちを新たに頑張ろうという気持ちになっている。
 
  私にしては珍しく前向きにな気分になっている。
 
  今日は、そんな気持ちを書こうと思ってパソコンの前に座ったのだけど、同時にテレビをつけたのがよくなかった。
 
 テレビでは、安倍総理の消費税増税再延期の演説をぶっている。

 演説だから、誰も口をはさむことはできない。

 なんとも手前勝手な演説で、気分が悪くなった。

 せっかく、気持ちを新たにがんばろうと思っていたのに、不快感がこみあげてきた。

 なんとも口が上手い。

 今、記者質問が始まったが、質問に答えるのではなくて、また演説が始まった。

 持論を長々と喋り続けている。

 不都合な質問を制限する作戦だろう。

 あーーー、いらいらする。

 権力を握っているのだから、どうにもしようがない。

 思わぬ方向の6月1日。新たなスタートになった。

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ