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2016年7月

2016年7月29日 (金)

大きな事件が続きすぎる

 相模原大量殺人事件。

 ポケモンGo。

 都知事選。

 オリンピック開幕直前のロシアのドーピング問題。

 天皇陛下生前退位。

 ヨーロッパで相次ぐテロ。

 どうにもこうにも、大きなニュースが飛び交っていて、書きたいことがいっせいに頭の中を駆けめぐって、何をや書かんと書きあぐねしまう。

 相模原大量殺人犯は、重度の障害者は生ていても意味がないという思想を持っての犯行のヨウダガ、この犯罪者こそ生きている意味がない。

 こんなヤツを刑法39で救うようなことが無いことを祈る。

 ポケモン騒動は、テレビが煽動して引き起こした現象。

 さも自然発生的な社会現象のようにみせかけているが、日本で配信される前から煽り立てていた。

 配信されると同時に、まだ一般市民に行き渡る前に自らがやって見せびらかす。

 興味がなかった人まで巻き込んでいる。

 それまでスマホのゲームとは無縁の私だったが、そんな私でも、どんなものかとインストールを試みた。

 幸いにも、私の場合はGPSが機能しなくて、インストールしたもののすぐにアンインストールした。

 危うくテレビの罠にはまりかけたが、すっかり冷静になって、二度とやってみようとは思わない。

 ひごろ、「歩きスマホはやめましょう」と正義を振りかざしながら、歩きスマホを増長させるに決まっているゲームを宣伝しまくるテレビメディアの良識を疑う。

 昨日見ていたニュース番組的ワイドショーでは、スマホをしながら自転車に乗る原因を詳しく説明していた。

 モンスターを獲得するツールが現実のいろんな場所に画されていて、それを歩き回って探すことになるのだが、結構な距離を歩き回ることになるので、自転車で回っているのだという。

 それを実証するために、テレビ局のレポーターが車の助手席に乗ってツールを探し回る。

 車で数十㎞走った結果、50以上のアイテムが獲得できたと自分のスマホの画面を映し出していた。

 こんな距離を歩くと大変だから、スマホを見ながら自転車を乗り回しているのだと自慢げに解説していた。

 それを知らなかったユーザーに、自転車スマホを勧めているようなものだ。

 自転車はおろか、ゆっくり走れば代上部とばかりに、車の運転をしながらポケモン探しをすることを勧めているようにも思えた。

 テレビは、事故を助長するような報道を慎むべき。

 おかげで霞んでしまった都知事選だが、候補者が3人しかいないような報道のあり方はいかがなものか。

 3人の候補者の意見や動向のみを取り上げて、罪をのがれるように、「その他、このような候補者の方々がいらっしゃいます」と、画面に20人ちょっとの候補者の顔写真が一瞬流れる。

 こんなありさまだから、ニュースバリューのある有名人しか当選しないのだ。

 それにしても、選挙戦が深まるにつれて候補者の3人の方々の人相が悪くなっていくのは私の思い込みだろうか。

2016年7月26日 (火)

手のひらでカード決済

 手のひらをかざすだけでクレジットカード決済ができるようになるかもしれない。

 JCBと富士通が実証実験に入っていて、2017年の商用化を目指しているという。
 実験は、インドネシアの地場銀行と組んで行っているもので、あらかじめ手のひらの静脈とカードの情報を登録しておくと、認証装置に手のひらをかざすだけで決済ができるというものだそうだ。

 どうしてインドネシアなのかと思ったら、インドネシアのクレジットカード利用者は1割に満たないとのことで、利用者が少ないことが実験がやりやすいのかもしれない。

 JCBとしては富裕層向けの需要が大きいと見て、高級ホテルなどへの導入をめざしている。

 静脈認証となると偽造カードも作れないだろうし、カードを持ち歩かなくていいというのもいい。

 なんとも、技術の進化には、ただただ驚くしかない

2016年7月25日 (月)

ポケモン GO

 テレビメディアはこぞって、ポケモンgoをネタに乱痴気騒ぎ狂騒曲。
 
 なにが目的でこんなに騒ぎ立てているのかわからないが、テレビ各局とも、トップニュースは「ポケモン go」。

  私は、テレビ局は裏で広告代をもらっているのに違いないと疑っている。
 
  気に入らないのは、自然発生的にブームが起こっているかのような報道をしていることだ。
 
  アメリカで先行配信されたときからテレビが大騒ぎを始めていた。
 
  アメリカでの騒動を、あらゆる方面からとりあげ、日本での発売はいつになるだろうと、期待をかきたて、日本で配信された瞬間からワイドショーは「ポケモン」一色。
 
  列島中で人気になっていると、「ポケモン」をやっている人たちの騒ぎを、面白おかしくとりあげるから、今までスマホのゲームと無縁だった人たちまでが「ポケモン」をダウンロードしているようだ。
 
  かくいう私もダウンロードしてみたのだが、「位置情報が取得できません」と表示されて、GPSが関知しないようでゲームに進展しない。
 
  何度かアンインストールしたりインストールし直したりしてみたが、「位置情報が取得できません」の表示が出て、ゲームができない。
 
  スマホのGPS機能がおかしくなっているのかと思って、グーグルマップを開いて確認したら、GPSは正常に作動していた。
 
  ググッてみると、私と同じ状況の質問がたくさん出ていて、その解決方法もいろいろ書き込まれていたが、これがどうにも面倒な手続きで理解不能。
 
  そんなことをやっていたら熱が冷めてしまって、やる気は完全に失せてしまった。
 
  ということで、「ポケモン」はアンインストールしてしまった。
 
  その後困ったことがあって、「ポケモン」のせいなのかどうかわからないのだが、夜ジョギングをするときにタイムを計っているスマホのジョギングアプリのGPSが作動しないのだ。
 
  GPS機能で1㎞ごとのラップタイムを測定してくれるすぐれもののアプリで、日毎、月ごとの集計もできる用になっているので、これが使えないと非常に困る。
 
  あれこれやってみたのだがGPSが感知しない。
 
  走るコースはいつも同じだから距離も一緒。しかたがないので、単なるストップウォッチとしてスタートした。
 
  「ポケモン」なんかダウンロードしなければよかったと後悔しながら走っていたら、2㎞手前の地点で、1㎞を教えてくれるチャイムが鳴った。
 
  どうやら、走り始めて5分過ぎたころにGPSが作動し始めたようだ。
 
  へんなゲームをダウンロードしたことを悔やんでいたが、こと無しを得てほんとうに嬉しかった。
 
  かくいう次第で、私の「ポケモン」騒動は終わりを向かえた。
 
  冷静になってみると、テレビの「ポケモン乱痴気報道」はテレビの悪行の最たるものだ。
 
  日頃は歩きスマホは危ないよと、正義ぶって報道しておきながら、歩きスマホを勧めるような話題で盛り上げる。
 
  自分が騒ぎの張本人なのに、それを隠して人ごとみたいに報道して、歩きスマホは危険なので、くれぐれもご注意をなんて、しゃーしゃーとして言っている。
   
  「ポケモン」は勝手に流行っているんじゃねーよ。
 
  ゲームに関係ない人まで巻き込んだ大ブームを作り出しているのはテメーじゃねーか。

2016年7月20日 (水)

訃報 大橋巨泉さん 永六輔さん 

大橋巨泉さんが亡くなられた。
 
  昨日、久々のブログの更新で、山ほどある書きたいことのひとつに、「永六輔さんのこと」をあげていた。
 
  永さんが亡くなられたときに、永さんのことをブログに書こうと書き始めたのだが、書きたいことが多すぎて、書き切る根気がなく、書き尽くせなかった。
 
  今、自分のブログの中を確認してみると、7月12日に書きかけの下書きとして保存されてあった。
 
  たった2行だが、今日そのまま7月12日の記事としてアップした。
 
  永六輔さんの逝去をいたむ」と題して2行だけ。
 
  永六輔さんが亡くなられた。
 
  野坂昭如さんに続いて永さんが。
 
 
 
  それだけ書いて終っている。
 
 
 
  去年の12月、野坂さんが亡くなった。
 
  そして今月、永さんが。
 
  そして、大橋巨泉さんまで。
 
   
 
 
  永さんのことを書こうとしたとき、ふっと、次は巨泉さんだと思った。
 
  その通りになってしまった。
 
 
  私は、永さんのラジオ番組を愛聴していた。
 
  45年以上にわたる長寿番「永六輔のだれかとどこかで」という番組であった。
 
  愛聴といっても、放送時間帯は仕事中だから、時間が空いたときだけ聴いていた。
 
  交通だけではなく電波まで過疎地である当地(宮崎県の北端の街・延岡市)でも、この番組は聞くことができた。
 
  舌が長すぎるせいか、短すぎるせいなのか、独特の口調での早口だったが、聞き難くはなかった。
 
  それが、6~7年前から急に滑舌が悪くなって、加齢のせいかとおもっていたら、パーキンソン病のせいだった。
 
  あんなにお元気だったのに、年と病気には逆らえないなあと思いながら、ときどき拝聴していたのだが、3年くらい前に、いつの真にか番組が終了していた。
 
  ちょっと残念な気持ちでいたら、スマートフォンのラジオアプリで全国のラジオ番組が聴けるようになって、TBSラジオ「土曜ワイド 永六輔その新世界」という番組に出くわした。
 
  土曜日の朝8時半から午後1時までの生放送で、番組終了前の1、2年は病気のせいで極端に滑舌が悪くて、聞き取りにくく、痛々しかったが、それでも私は聴いていた。
 
  「野坂昭如さんからの手紙」というコーナーがあって、脳梗塞を患い表舞台から姿を消していた野坂昭如さんからの手紙が毎週朗読されていた。
 
  巨泉さんも、日本に帰ってくると必ずこの番組に出ていた。
 
  この3人に共通していたのは、戦争反対と現態勢への批判だった。
 
  ことに巨泉さんは、小泉、安倍を名指しして、文字通り大きな声を張り上げて批判していた。
 
  3人とも今は富裕層のセレブリティだが、世代は一緒。3人とも戦争を経験している。
 その体験から、戦争はいやだと叫んでいるのだ。

 そして、戦争に向かおうとしている今の世の流れに、大声をあげて警鐘を鳴らしていた。

 私は、直接は戦争を知らない。

 しかし、親から戦争の悲惨な体験を、何度も聞かされている。

 私の母の実家は百姓だったが、それでも戦争中は満足には食べれなかったと言っていた。

 国民全部が食うや食わずの生活をしていた。

 私の親や巨泉さんたちの世代はそれを我が身で体験している。

 だからこそ、後の世代に、同じ思いをさせたくないと、戦争に反対している。

 彼らは自分の経験から、今の日本は、先の大戦で戦争に突入して言ったときと似ていると恐怖を感じているのだ。

  先の戦争でも、大義はあった。
 
  戦争に突入して悲惨に死んでいったのも、ひもじい思いをしたのも、苦痛を味わったのも一般国民。
 
  国民は食べるものがなくて腹を好かせていたが、戦争中も高級料亭は営業していた。
 
  全体が貧しくても、いや全体が貧しい中で、特権階級と、それにコネのあるヤツだけは私腹を肥やすことができたのだ。
 
  今、政治を動かしている政治屋の多くは、2代目3代目の政治家だ。
 
  その筆頭の安倍さんもその典型だ。
 
  彼らのおじいさんたちは、国を守るためには戦争もやむおえないと戦争を始め、自分は安全なところにいて国民を戦場に送り込み、国民が食うや食わずの生活をしているときに、自分たちは変わらぬ生活ができたの階級の人ではないか。
 
  そのDNAが、同じことを繰り返そうとしているのではないか。
 
  私は戦争は体験していない。
 
  私は歴史をしっかりと勉強してはいない。
 
  だから、私の言っていることは世迷い言だろう。
 
  しかし私は、親から聞いた体験や、大橋巨泉さんや野坂昭如さん、永六輔さんが戦争に反対していた言葉を忘れない。
 
  だんだんと、体験から戦争を語れる人がいなくなってしまう。
 
  それで反省しなくてはいけないのは、私たち世代だ。

 戦争を経験した人から直接話しを聞いた私たち世代は、次の世代に戦争体験を伝承していない。

 戦後の高度成長の豊かな生活にとりまぎれて、聞いた話しを伝えることを忘れてしまっていた。

 自分では、自分の頭の上の蠅もおえない身ではあるが、どんげかせんといかんとあせるだけ。

 どなたか、影響力のある方が大きな声を出し続けてもらえないものか。

 鳥越さんが、ちょっとは言ってくれるのかもしれない。

 


  巨泉さんの訃報を聞いて、つい、世迷い言を書きなぐってしまった。

2016年7月19日 (火)

ランニングとブログ

 携帯にショートメールが入っていた。

 同級生の池田君からだった。

 彼は、ショートメールをするようなキャラではない。

 仕事のからみはないし、何事かとメールを開いてみた。

 「10日ばかりブログの更新が無い」とのみ書いてあった。

 彼は数少ない私のブログの読み手である。

 登場人物を匿名で書くと、「あれは誰のことか」と問い合わせてくる。

 だから、問い合わせる手間を省いて差し上げるために、彼の名前は実名をあげることにしている。

 指摘を受けるまでもなく、ブログの更新をしていないことは自覚している。

 書きたいことが失せたわけではない。

 書きたいことは、山ほどある。

 参議院選挙の結果のこと。

 安倍強権政治に対する恐怖。

 都知事選のこと。

 天皇陛下への尊崇の思いのこと。

 永六輔さんのこと。

 世界中でまきおこるテロのこと。

 変更した医療記事のこと。

 余命問題のこと。

 書きたいことはたくさんある。

 しかし、このところ何度か書いていることだだが、思いを書き尽くす根気がないのだ。
 もともと、努力という言葉とは無縁の、だらしない生きかたをしてきたのだが、このところそれがひどくなっている。

 話しは変わるが、最近、青島太平洋マラソン出場に向けて練習を始めている。

 これも書きたい話しのひとつだ。

 実は、行政書士会で顔を会わせる甲斐さんと、不動産業仲間の坂本宅建さんの誘いに乗って、今年の青島太平洋マラソンに申込みをしてしまった。

 例年8月だった申込み開始が、去年は7月になり、今年は6月11日になった。

 もう込み潤での受付であったのだが、全国的なマラソンブームで、一昨年は2日で受付終了。

 なんと去年は3時間にて受付終了。

 それで、今年は申込み順の外に抽選枠が設けられた。

 そんなお祭騒ぎに乗せられて、申込み開始時間前からパソコンの前に待機して、無事申込みを完了させた。

 出るからには、3年前の記録を少しでも上回りたい。

 ということで先月から、本格的な練習を開始した。

 3年前私は、突然フルマラソンに出場を決めて、約半年の練習で完走した。

 60歳を過ぎて、急に思い立っての、最初で最後の挑戦った。

 高校を卒業して以来、スポーツとはまったく無縁でゴルフもしない。

 制限時間の6時間で走れればいいと思っての出場だったのだが、4時間台で完走できた。

 引っ込み思案で食わず嫌いで、子供のころからスポーツを避けていたのだが、ひょっとしたら能力があったのかしらん。

 あれから3年のブランク。

 3年前は歩く事から始めたのだが、3年前にとった杵柄で、今年の練習は最初から5㎞のジョギング。

 ただし、苦しくない程度のゆっくりしたスピードで走った。

 初日の記録は、5㎞が43分。1㎞が8分ちょっと。

 苦しいと、やりたくなくなるので、、苦しくない程度というのがミソ。

 そんな練習を週に2、3回続けていたら、すぐに1㎞7分台で走れるようになったので距離を6㎞に伸ばした。

 7月に入って、少し体力に余裕がでてきたので10㎞を走ってみたら、苦もなく走る事ができた。

 それからは10㎞走る事にした。

 10㎞を1時間15分くらいのペース。息が上がらないスピードでゆっくり走っているから、苦痛は感じなかった。

 ところがある日、ちょっと体が重く感じた。

 足の筋肉の疲労が抜けていないような気がした。

 いつもより息もあがる。

 苦しいというほどではなかったのだが、無理しちゃいかんと思って、走るのをやめて、ちょっと歩いた。

 走るのをやめてみると、苦しくない程度に走っていると思ってはいたものの、歩く方がずっと楽だった。

 疲れがとれたので、もう一度走り出したのだが、いやになってすぐに歩いてしまう。

 ちょっと走って、ちょっと歩くの繰り返しで帰って来た。

 それからというもの、10㎞走の途中で休む癖ができてしまった。

 きついわけではないのだが、走るのに飽きてしまうというような感覚で、ときどき歩いてしまうのだ。

 10㎞走ってみようかと、好奇心にかられるのと似た気持ちで走っているときは、立ち止まらなかったのだが、同じ事を繰り返していると飽きがくる。

 そして、今日は、よだきいから(延岡弁で「おっくうだから」)さぼろうというサボり癖がついてしまった。

 こうなると、10㎞休まずに走るのが苦痛になる。

 嫌になって1週間走る事をやめたら、もう走りたくなってしまうかもしれない。

 ながながと横道にそれているようだが、ブログもこれと同じこと。

 毎日更新することを楽しみに書いていたのだが、ふっと飽きて書くのをやめてしまうと、書くことがおっくうになる。

 3日4日と更新を遠ざかると、走りらなければ(書かなければ)というような気になる。

 そして、5日たって1週間も遠ざかると、書きたい事がもやもやと頭の中にただよって、なにから手をつければいいかわからない状態になっていた。

 そこに、池田君からのショートメール。

 これがきっかけで、久々の更新になった。

2016年7月11日 (月)

選挙の次は憲法改正

 安倍総理は今日、選挙結果を受けて党本部で記者会見をした。

 たくさんのことを饒舌に喋っておられるが、憲法改正についても触れ、早期の会見に意欲を示しておられた。

 憲法改正は自民党の党是だから、会見に向けての動きは当然のことだという理屈になるのだろうけど、選挙選中は憲法問題には触れていなかった。

 政治も戦略なのだろうけど、私の正義感としては、ずるいと感じる。

 正しいと信じることを実行するのであれば、選挙前にも選挙中にも大きな声を出すべきだろう。

 憲法改正は、国会両院で3分の2をとったとしても、国民の過半数の賛成を必用としている。

 最終的には国民の判断になるのわけだけど、イギリスの国民投票では、政治家の嘘の情報に惑わされて後で後悔する投票をした国民がたくさんいた。

 政権が、国民の判断に影響を与えるマスコミを自分の都合のいいように操作する傾向があることが不安材料だ。

2016年7月 8日 (金)

アプリ投稿

   ブログの投稿は、いつもパソコンなのだけど、アプリでの投稿を試してみた。


最近、長々としたブログを書く時間がないのと、思いついたことをすぐ忘れてしまうから、思いついたときに、アプリで、ちゃちゃっと書いたらどうだろうと思っての試み。

アプリだと写真を載っけるのも楽みたいだし、使えそうである。

2016年7月 6日 (水)

相続手続きを簡素化「相続情報証明制度」

存続手続きを簡素化する「相続証明制度」が新設されることになった。
 
  相続の手続きには、被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本が必用で、相続人の戸籍と併せる度大量の書類が必用になる。
 
  現在は、相続の際、不動産相続の登記、相続税の申告、銀行口座の解約(預金の払い出し)、証券会社での株式・証券の相続等々、大量の書類一式をそれぞれの窓口に提出しなければならない。
 
 新制度では、誰かが亡くなって相続が発生した場合に、まず相続人の一人が全員分の本籍、住所、生年月日、続き柄、法定相続分などを記した「関係図」をつくり、相続人全員分の現在の戸籍と、亡くなった人の出生から死亡までの戸籍をそろえて法務局に提出する。

 ここまでは従来の相続の手続きと同じ書類を集めることになるのだが、新制度では、法務局は内容を確認したうえ、無料で公的な証明書として保管し写しを発行する。

 その後は、この証明書1枚ですべてが足りる。

 金融機関や証券会社では、証明書の写しの提出だけで手続きが行えるようになるそうである。

 各地に散在する不動産を相続する場合、手続きの煩雑さから、特に資産価値の低い土地では名義が書き換えられないケースがあった。

 このため、実際の所有者を特定するのが困難になるという問題が各地で起きている。

 東日本大震災でも、所有者不明で用地買収が難航し、復旧事業が遅れるというケースがあった。

 来年の5月からの運用開始を目指しているらしいが、これはなかなか良い制度改正である。

2016年7月 5日 (火)

山里の古民家② 380万円 土地80.59坪

 昨日の続き。内部写真です。

S_26
          玄関から内部を撮ったところです。

S_30
           玄関左手からの写真です。

          玄関はすぐに土間につながっています。

S_31            土間から撮影。


S_33           メインの和室です。


S_37            メインの和室は広縁で囲まれています。


S_39
           洋間に改装している部屋。



S_41_2           上の写真の部屋の手前の部屋です。
S_47_2           台所は昔なつかしい、土間です。
         流しの左隣にガス台とガスの配管がありますが
                     左のほうにお釜さん(まき釜)があります。
                     煙突もあってつかえます。
                     釜で炊いたご飯は美味しいですよ。


S_50_4
           トイレは、公共下水。

         男性用トイレが別にあります。

   風呂もきれいになっていたんですけど、写真を撮り忘れていました。

   今日、会社のホームページにアップしたので、北九州のお客さんに連絡したら、月曜日に見に来るそうです。

 遠方から来られるので、月曜日までは他の商談は保留にさせていただきます。

 










2016年7月 4日 (月)

山里の古民家  380万円 土地80.59坪

 今日は1日中、忙しかった。

 ゆっくりパソコンの前に座ることもできなかった。

 ということで、一昨日のお約束の中古住宅を取り急ぎご紹介。

S_22
             建物全体画像

            土地 80.59坪 建物 未登記 約28坪 築年不詳

            価格380万円

S_1
            建物を進入路からながめたところです。
                          後に写っている山は「ゴリラ山」と言います。
                          「ぜひ、ゴリラ山を背景にして写真を撮ってください」という
                          奥様のご要望でした。

S_12_2
         周りの環境を見て歩いていたら、30mくらい離れたところに
           京都の竹林の道を偲ばせる素敵な景色に出会いました。

      また明日、家の内部をアップします。

2016年7月 3日 (日)

延岡弁のこと

 昨日の話しの中に出てきた宮崎弁のこと。

 宮崎弁と言ったけれど、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の言葉は延岡弁。

 訛りは随分ちがっているが、基本的な単語は同じ。

 そして、どちらも無アクセントなのも同じだ。

 そもそもアクセントという発想が無くて、アクセントを聞き分けることもできない。
 
 それなのに、当地の人々は自分の訛りが酷いことにまったく気づいていない。

 みんな、延岡弁は標準語に近いと思っている。

 私もそうだった。

 ときどき方言を指摘されることはあったが、概ね標準語を喋っていると思っていた。

 そんな思いがひっくり返ったのは、大学に入ってすぐのフランス語の講義のときだった。

 先生の後に続いて教科書の文章を声を出して読んで、先生に指名されたものが、それを訳するというやり方だった。

 その日、私が指名されたのだが、私は予習をして来てなかった。

 意味はさっぱりわからない。

 どうしようかと口ごもっていたら、隣に座っていた男が私の方に、さっとノートを滑らせてきた。

 見ると回答が書いてある。

 その男は、さらに親切にも、「その日は朝から雨だった」というところを指し示してくれた。

 「その日は朝から雨だった」

 ほっとして、そう答えた。

 教授は、「君の田舎はどこだ?」と聞いてきた。

 「宮崎です」

 「宮崎では、アメが降るのか?東京じゃ、アメは食べるものだよ。降るのはアメだろう?」

 教授はそれ以上のことは言わず、私は、その言葉が理解できなかった。

 ただ、教室にいるみんなが一斉に笑ったので、アクセントの間違いを指摘されているんだろうなということがわかった。

 教授が言ったのは、「宮崎では、飴が降るのか?東京じゃ飴は食べるものだよ。降るのは雨だろう?」ということなのだろう。

 そういえば教授は、「アメ」という単語を強く発音していた。

 しかし、悲しいことに私には、その違いがまったく聞き分けられないのだ。

 授業が終わって隣の男に、「雨と飴の、アクセントの違いを意識して喋っているの?」と聞いてみた。

 聞かれた男は、私の質問の意味がわからないというような顔をしていた。

 「意識はしてないけど、普通に使い分けてる」ということのようだ。

 まわりにいる同級生たちに聞いてみたのだが、アクセントを使い分けてないのは私だけであった。

 全部の単語に決まったアクセントがあるというのは衝撃的な出来事だったが、アクセントが間違っていても困ることはないだろう。

 そのときは、そう思ってそれ以上深く考えなかった。

 しかし、その日私は、アクセントの重要性を思い知らされることになった。

 それは昼休みの出来事だった。

 学食で昼食をすませ、同級生達6~7人と連れ立って近くの喫茶店へ向かっていた時のことだった。

 空にきれいな虹がかかっていた。

 私は、空を指さし「あっ。虹だ」と声を出した。

 すると、一緒に歩いていた全員が腕時計に目をやった。

 「何、言ってんだよ。まだ1時過ぎじゃないか。」と、全員が私を非難の目で見た。

 「違うよ。虹だよ。虹。」

 私は、空を指さした。

 すると、「あれは虹だろう。お前が2時だなんていうからびっくりしたよ。2時だと次の講義に遅刻だからな」

 いっしょに歩いていた連中は、みんな2時からの講義を受ける予定になっていたので、私の「虹だ」の言葉を「2時だ」と勘違いして、びっくりしたというのだ。

 立ち止まって空を指さして、「ニジだ」と言ったというのに、全員見事に自分の腕時計に目をやった。

 フランス語の先生に言われたときには、そんなに重大に感じなかったが、「虹だ」で全員が時計に目をやったという出来事は、私にとって衝撃的な経験だった。

 英語とかフランス語とか、母国語と違う言語であれば、一から学ぶので勉強すれば確実に身についていくのだろうけど、下手に長年使ってきている言葉だけに、それを全部覚え直すことは難しいのだなあ。

2016年7月 2日 (土)

蜘蛛が梅雨明け宣言

  久々に朝からの晴天。
 
  約束していたお客さんのお宅に、バイクで出かけた。
 
  田舎道で信号が無い。
 
  車が少ないし、ちょっとスピードを上げる。
 
  日差しは暑いが、切り裂く空気が快感。
 
  快適なミニツーリングを楽しみながら、約束の時間ちょうどにお客様宅に到着。
 
  「おはようございます。お世話になります。」
 
  普段は愛想の悪い悪徳不動産屋だが、今日はちょっと気分がいい。
 
  御夫婦で、玄関先で出向かえてくれた。
 
  奥さんが、「梅雨があけましたね」と声をかけてきた。
 
  昨日のブログで私も梅雨明け宣言をしたのだが、誰だってこの天気だと梅雨明けしたな思ってしまうようだ。
 
  「こんなに良い天気なんだから梅雨明けだと思いますよね。私も、昨日梅雨明けだとブログに書いたんですよ。だけど、気象庁はまだ梅雨明け宣言はしないんですよね。」
 
  そんな私の言葉をさえぎるように、奥さんは、「梅雨は明けたんですよ」と、繰り返した。
 
  朝のワイドショーでは、梅雨明けはまだ先になると言っていたが、私が見てない番組で宮崎の気象台が梅雨明けを宣言したのだろうか。
 
  「えー。そうなんですか。梅雨明け宣言が出たんですか?」
 
  奥さんは、にこにこしながら、隣に立っているご主人の顔を覗き込んだ。
 
  ご主人は70歳。奥さんの年齢は聞いてはいないが、60歳代の後半だろう。
 
  その奥さんが、少女のように微笑みながら、「ねっ?」とご主人に同意を求めるように声をかける。
 
  「クモで梅雨明けがわかるのよね。」
 
  「雲の形ですか?」と私は空を見上げる。
 
  「違うのよ。蜘蛛よ。」奥さんは、地面を指さす。
 
  宮崎弁は無アクセントの言語で、アクセントにはまったく無頓着である。
 
  「雲」も「蜘蛛」も、「橋」も「箸」も「端」も、「雨」も「飴」も、読み方に区別がない。
(このことについては、明日か明後日、もっと詳しく書きたい)
 
  「蜘蛛ですか?」
 
  怪訝な顔をする私を見て笑いながら、「そうなのよ。この辺りではね、蜘蛛が梅雨明け宣言をするのよ。」
 
  まだ意味がつかめない私を見て、ご主人も楽しそうに笑っている。
 
  「蜘蛛というのは地蜘蛛のことでね、地蜘蛛が巣をつくると梅雨が明けるのよ。この辺りでは昔からそう言われていて、間違いが無いの。気象台の梅雨明け宣言より正確なのよ」
 
  そう言いながら、もう一度ご主人と顔を会わせて、また、にこっと微笑まれた。
 
  このお客様にお会いするのは、まだ2度目。

 なんとも、いい御夫婦である。
 
  中古住宅の売却を頼まれることになったのだが、市街地から遠い、いわゆる僻地といった感のある集落にある住宅。
 
  おまけに築年数不詳の古い建物で、なかなか苦戦するなと思っていたのだが、この御夫婦と話しをしていたら、思いの外早く売れるかもしれないなと明るい気持ちになった。
 
  写真をたくさん撮ってきたので、明日にでも、ブログと当社のホームページにアップしようと思っている。

2016年7月 1日 (金)

梅雨明け宣言

 7月1日。

 昨日と今日と、時間はつながっていて、何の違いも無いのだけど、1日は月の始まりでちょっと気持ちが改まる気がする。

 一昨日まで、スマホのお天気アプリでは今日まで雨の予報だった。

 予報がはずれて、始まりの日が晴というのは気分がいい。

 スマートフォンのお天気アプリの予報は、今日から6日連続の晴れマーク。

 お日さま色の赤いマークがずらっと並んでいる。

 勝手に梅雨明けじゃないかと思っていたら、気象庁の見解では、梅雨明けはまだ先になるような話しのようだ。

 気象庁は予測がはずれると責めたてられる立場だから慎重にならざるを得ないのだろうけど、まちがいなく梅雨明けは近い。

 久しぶりの晴れ続きで、気分のいい7月初日。

 私は、梅雨明けを宣言しよう。

 

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