訃報 大橋巨泉さん 永六輔さん
大橋巨泉さんが亡くなられた。
昨日、久々のブログの更新で、山ほどある書きたいことのひとつに、「永六輔さんのこと」をあげていた。
永さんが亡くなられたときに、永さんのことをブログに書こうと書き始めたのだが、書きたいことが多すぎて、書き切る根気がなく、書き尽くせなかった。
今、自分のブログの中を確認してみると、7月12日に書きかけの下書きとして保存されてあった。
たった2行だが、今日そのまま7月12日の記事としてアップした。
永六輔さんの逝去をいたむ」と題して2行だけ。
永六輔さんが亡くなられた。
野坂昭如さんに続いて永さんが。
それだけ書いて終っている。
去年の12月、野坂さんが亡くなった。
そして今月、永さんが。
そして、大橋巨泉さんまで。
永さんのことを書こうとしたとき、ふっと、次は巨泉さんだと思った。
その通りになってしまった。
私は、永さんのラジオ番組を愛聴していた。
45年以上にわたる長寿番「永六輔のだれかとどこかで」という番組であった。
愛聴といっても、放送時間帯は仕事中だから、時間が空いたときだけ聴いていた。
交通だけではなく電波まで過疎地である当地(宮崎県の北端の街・延岡市)でも、この番組は聞くことができた。
舌が長すぎるせいか、短すぎるせいなのか、独特の口調での早口だったが、聞き難くはなかった。
それが、6~7年前から急に滑舌が悪くなって、加齢のせいかとおもっていたら、パーキンソン病のせいだった。
あんなにお元気だったのに、年と病気には逆らえないなあと思いながら、ときどき拝聴していたのだが、3年くらい前に、いつの真にか番組が終了していた。
ちょっと残念な気持ちでいたら、スマートフォンのラジオアプリで全国のラジオ番組が聴けるようになって、TBSラジオ「土曜ワイド 永六輔その新世界」という番組に出くわした。
土曜日の朝8時半から午後1時までの生放送で、番組終了前の1、2年は病気のせいで極端に滑舌が悪くて、聞き取りにくく、痛々しかったが、それでも私は聴いていた。
「野坂昭如さんからの手紙」というコーナーがあって、脳梗塞を患い表舞台から姿を消していた野坂昭如さんからの手紙が毎週朗読されていた。
巨泉さんも、日本に帰ってくると必ずこの番組に出ていた。
この3人に共通していたのは、戦争反対と現態勢への批判だった。
ことに巨泉さんは、小泉、安倍を名指しして、文字通り大きな声を張り上げて批判していた。
3人とも今は富裕層のセレブリティだが、世代は一緒。3人とも戦争を経験している。
その体験から、戦争はいやだと叫んでいるのだ。
そして、戦争に向かおうとしている今の世の流れに、大声をあげて警鐘を鳴らしていた。
私は、直接は戦争を知らない。
しかし、親から戦争の悲惨な体験を、何度も聞かされている。
私の母の実家は百姓だったが、それでも戦争中は満足には食べれなかったと言っていた。
国民全部が食うや食わずの生活をしていた。
私の親や巨泉さんたちの世代はそれを我が身で体験している。
だからこそ、後の世代に、同じ思いをさせたくないと、戦争に反対している。
彼らは自分の経験から、今の日本は、先の大戦で戦争に突入して言ったときと似ていると恐怖を感じているのだ。
先の戦争でも、大義はあった。
戦争に突入して悲惨に死んでいったのも、ひもじい思いをしたのも、苦痛を味わったのも一般国民。
国民は食べるものがなくて腹を好かせていたが、戦争中も高級料亭は営業していた。
全体が貧しくても、いや全体が貧しい中で、特権階級と、それにコネのあるヤツだけは私腹を肥やすことができたのだ。
今、政治を動かしている政治屋の多くは、2代目3代目の政治家だ。
その筆頭の安倍さんもその典型だ。
彼らのおじいさんたちは、国を守るためには戦争もやむおえないと戦争を始め、自分は安全なところにいて国民を戦場に送り込み、国民が食うや食わずの生活をしているときに、自分たちは変わらぬ生活ができたの階級の人ではないか。
そのDNAが、同じことを繰り返そうとしているのではないか。
私は戦争は体験していない。
私は歴史をしっかりと勉強してはいない。
だから、私の言っていることは世迷い言だろう。
しかし私は、親から聞いた体験や、大橋巨泉さんや野坂昭如さん、永六輔さんが戦争に反対していた言葉を忘れない。
だんだんと、体験から戦争を語れる人がいなくなってしまう。
それで反省しなくてはいけないのは、私たち世代だ。
戦争を経験した人から直接話しを聞いた私たち世代は、次の世代に戦争体験を伝承していない。
戦後の高度成長の豊かな生活にとりまぎれて、聞いた話しを伝えることを忘れてしまっていた。
自分では、自分の頭の上の蠅もおえない身ではあるが、どんげかせんといかんとあせるだけ。
どなたか、影響力のある方が大きな声を出し続けてもらえないものか。
鳥越さんが、ちょっとは言ってくれるのかもしれない。
巨泉さんの訃報を聞いて、つい、世迷い言を書きなぐってしまった。
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