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2016年8月 6日 (土)

ドーピング考

  なんだかんだと言われながら、リオオリンピックが開幕した。
 
  いろんな問題がとりあげられていたが、そのひとつにロシアのドーピング騒動があった。
 
  ドーピングの歴史は古く、紀元前の古代ギリシャ時代のオリンピックからあった。
 
  アフリカの民族が、闘う前に「ドプ」という酒を飲んで士気を高めた。
 
  この「ドプ」がドーピングの語源なのである。
 
  依頼、もっぱらドーピングのほとんどは興奮剤だった。
 
  1928年に国際陸上連盟が始めて薬物禁止を決めた。
 
  しかし、検査については決まりがなかった。
 
  ドーピングが話題になったのは、1960年、ローマオリンピックで興奮剤を使った自転車の選手が競技中に死亡したこと。
 
  その後、筋力を増強する蛋白同化ステロイドが使われるようになった。
 
  これは、筋肉をつける効果にはすぐれていたが、肝臓の機能を阻害したりホルモンのバランスを狂わせたりと健康に害をもらせるものでもあった。
 
 検査方法の進化と競うように新しいドーピング技術も開発され、最近は増強剤以外の薬物も出ている。

 血液中の赤血球を増やす物質など、もともと体の中にあるホルモンと同じ性質をもつ薬物のような、持久力や回復力効果のある新たな「ドーピング薬」の開発が続けられている。

 68年にドーピング検査が始まったときの禁止薬物手法は約30種類だった。

 それが今は200種類を超えている。

 まさにドーピング検査とドーピング薬の開発は、いたちごっこなのである。

 果たして、ドーピングの撲滅はスポーツ界の大きな課題のように取り上げられているが、ドーピングは悪なのだろうか。

 ドーピング薬が生命に異常をきたすような害を与える物であれば禁止するべきかもしれないが、そこまでの害がないものであれば認めてもいいのではないかと思っている。

 薬に頼らず極限まで体を痛めつけた練習をした選手にとって、ドーピング薬の助けをかりて記録を伸ばすことは不公平だと言うが、ドーピング薬を使う選手もまた人間の極限を越えた練習をしているのだ。

 そもそも、ドーピング薬を使う選手と使わない選手が不公平であるという理論は、正当な理論であるようだが、私はそうは思わない。

 企業に勤めながら競技のプロとして安定した収入を得て、恵まれた環境で練習できる選手もいれば、そうでない選手もいる。

 選手に対して莫大な強化費用をかけられる国もあれば、そうでない国もある。

 効率的な効果の上がる機器を取り入れて練習する選手もいれば、そうでない選手もいる。

 わかりやすく、棒高跳びを例にとると、棒高跳びのポールは最初は木製であった。

 その後、弾力のある竹が使われるようになった。

 当時、竹が簡単に手にはいる日本は竹のポールのおかげでメダルをとり、世界のトップレベルの選手を多数輩出した。

 そのごグラスファイバー製のポールが開発され、今はカーボンファイバー製のポールが主流になっている。

 スポーツ器具の進化は、数えあげればきりがない。

 陸上選手のスパイク。

 水泳選手の水着。

 スキーにおけては、スキー板と板に塗るオイル。

 福島選手のお腹に貼っている疲労回復物質を練り込んだテープ。

 先進のスポーツ力学、科学機器を導入して、いかにしたら早く走れ、高く飛ぶことだでき、遠くまで投げることができ、早く泳ぐことができるか。

 研究に莫大な費用をかけられる国と、そうでない国。

 かくのごとく、勝つための手段は公平ではないのだ。

 より早く、より高く、より強く。

 記録が更新されることを観衆は期待している。

 生命を脅かすような危険がない範囲であれば、どんどんドーピング合戦をやって、記録合戦をするがいい。

 そのほうが、こそこそ姑息にドーピングをやることより、はるかに健全だ。

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