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2016年12月

2016年12月31日 (土)

無事 大晦日

昨日、「泣いても笑っても残すところ、あと1日」と書いたのだけど、そう書いた瞬間、どうして「泣いても笑っても」なのかと突っ込みを入れたくなった。
 
  使っていると、その意味を具体的に説明はできなくても、自分なりに実についてしまう言葉がある。
 
「 矜持」という言葉が、私にとってそのひとつの言葉であって、私が「きょうじ」という単語を耳にしたのは政治家の会見か討論の中だった。

 それは数年前のことで、それまで遭遇したことのない単語だった。

 確たる意味もわからず、わかろうともせず聞き流していたのだが、「しらない言葉だな」と自覚して以来、この単語に頻繁に出くわすようになった。

 私がこの言葉を耳にするのは常に政治家の口からであって、政治家以外の人がこの言葉を使う場面に遭遇したことは無い。

 気になって調べて見て、私か理解した意味は「プライド・自尊心」だった。

 意味は理解したが、なんとなく私には語感がつかめなくて、その後も政治家が口にする「矜持」の単語にずっと違和感をもっていた。

 私が「矜持」に最初に遭遇してから四~五年になるだろうか。

 ふと気がつくと、私の中で「矜持」という言葉が「矜持」の意味を持ってきていた。

 ところが「泣いても笑っても」は、もう何十年も使っているが、どうして「泣いても笑っても」なのか、身にしみてこないのだ。

 ともあれ、「泣いても笑っても」今年も残すところ、あと数時間。

 昨日は、どうしても決着が着けておきたい仕事を抱えていて、商談相手に連絡がとれずやきもきしていた。

 その商談に決着を着けて心安らかに正月を迎えたいのだが、商談が今日に持ち越しになっていた。

 結果は、無事今日敢えて、平穏な正月を迎えられることになった。

 昼過ぎに商談を終えると空腹を思い出した。

 ほっとした気持ちで自宅で昼飯。

 テレビをつけると、「SMAP×SMAP」のフィナーレがあっていた。

 全国的には26日に放送されたものだ。

 ワイドショーで取り上げられ、番宣的な番組を何度も見せられていたが、残念ながら当地・宮崎県はテレビの民法は2局のみ。

 見たくても見れなくて情報格差を恨んでいたのだが、なんと今日、正午からまるまる五時間放送されていた。

 もうかった気持ちで、「SMAP×SMAP」を見ながら事務所のやり残した片づけをしていた。

 片づけも終わり、久しぶりに大晦日の一家団欒を囲むことにしよう。 

2016年12月30日 (金)

悪徳不動産屋日記 落ち着かない年の瀬

 泣いても笑っても残すところ、あと1日。

 毎年毎年、ここまでくるとあきらめてすっきりするのだが、今年はまだ、あきらめてすっきりすることができない。

 私にとっては結構重要な仕事の決着がつかないのだ。

 重要な仕事というのは、私にとっては大きな収入につながる仕事。

 そんな仕事が二件あって、一件は午前中になんとか目鼻がついた。

 しかし、もう一件の仕事が、まだどうなることやら、先が見えないのだ。

 所有者が県外の方の土地を三年越しに売却をお願いしてる。

 現在放置状態の土地で、それをぜひ欲しいという人からの依頼で買収をかけているのだが、別に金に困っていないから売ることは考えないということで、三年間まったく話しが進まなかった。

 それが、三カ月くらい前から少し話しに可能性が出てきて、正月休みに当地(宮崎県の北端の街・延岡市)に帰るので、その時に詳しい話しを聞いてくれることになった。

 実は、一昨日帰ってくるという予定で聞いていたのだ、一昨日は連絡をしても連絡がとれず、やきもきしていたところ、夕方やっと連絡がとれて、昨日面談ができた。

 そして一応なんとか了解がとれ、今朝購入希望者と条件面の打合せをして、今日最後の打合せをしようと思って連絡をしているのだが、またしても連絡がとれないのだ。

 それで現在、連絡がとれるまで、事務所で待機。

 そんなこんなで、昨日もブログを書いてなかったから、待ち時間で、これを書いている。
 
 と書いていたら、先方から電話が入った。

 今日は都合が悪いので、明日また連絡するとのこと。

 明日は大晦日。

 連絡待ちで待機するのはつらい。

 なんとも落ち着かない年の瀬になってしまった。

 とはいえ、先方にとっては私が落ち着かない年の瀬にする諸悪の根源だろう。

 ある意味、悪徳不動産屋と思われているのかもしれない。

 相手様には申し訳ないが、この話に目処をつけて、平穏なお正月を迎えたいものだ。

2016年12月28日 (水)

安倍総理大臣 真珠湾訪問

  安倍晋三総理大臣の真珠湾訪問。
 
  安倍総理の演説を聞いていて、私は改めて安倍さんの恐ろしさを感じた。
 
  今、安倍総理の演説の全文を読んでみた。
 
  「オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様。
 パールハーバー、真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。」と始まり、「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
 私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
 あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。
 そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。」と余情的な言葉が続く。

 そして、「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。」と、抽象的な表現。

 「71年前の明るく晴れ渡った朝」からの一文は、私にオバマ大統領の広島の演説を思い出させた。

 ネットでオバマサンの演説を確認してみた。

 オバマサンの演説はこう始まっていた。

 「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。」

 安倍総理とオバマ大統領の演説を読み直してみた。

 私には二人の演説は、二人による共同作業のように思えた。

 二人ともお詫びや反省の言葉は無い。

 反省の言葉のないままで、決着をつけようとしている。

 共同作業の締めを安倍さんが担っている。

 不戦の誓い。

 両国の和解。

 そして、両国の同盟の強さを表明している。

 トランプさんが大統領になったことが代表的な自称だが、世界中が強権政治を指示する傾向にある。

 安倍さんの真珠湾訪問は、日本は平和のためにはアメリカとともに闘いますと、アメリカへの忠誠心を表すために行ったのではないかと感じた。

 世界的に強行政治に向かう計希有の中では、日本自国の防衛のために、それも必用なのかもしれない。

 私が生きてきた時間は、人類の歴史の中で一番平和な国で一番良い時代だった。

 私が生きている間は、まだ一番良い時代だろう。

 私たちは、類史上希有な幸せを享受してきた。

 この平和で幸せな生活を人類すべてが享受することはできないのだろうか。

 なんだかおかしな方向に進んでいるような気がしてならない。

2016年12月26日 (月)

青島太平洋マラソンとブログ

 今年も残すところ5日と数時間。

 久しくブログを更新していないことは意識していたが、一週間も更新していないとは思っていなかった。

 私のブログのトップページに「ブログは、ほぼ毎日更新しています。思いつくままに、こころにうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつづっています。」とある。

 ほぼ毎日更新を心がけ、思いつくままに、よしなし事を書きなぐっていた。

 時間がなくて、思いを書きつくせなくても、ほぼ毎日更新にこだわっていた。

 一時期仕事が忙しくなって、更新だけにこだわって、内容の無いものになっているのを感じ、更新にこだわるだけの更新はやめることにした。

 更新に追われることをやめてみたら、書きたいという欲求が薄れてきた。

 義務的にでもかかないと、すぐに3日4日空いてしまう。

 今年、3年ぶり2度目の青島太平洋マラソンを走った。

 3年前に比べるといい加減な練習しかしていなくて、出場するかどうか直前まで迷っていた。

 3年前はどうだったか、自分のブログを読み直してみた。

 3年前、完走したときの記事の中に、「止まったままでは、いつにもってもゴールには近づかない。とにかく右足と左足を交互に出すしかない。」という言葉があった。

 そう、あのとき、そう思った。

 なんにもしなかったら物事は進展しない。

 ぐずぐず理屈をならべてみたって、前には進まない。

 泣きたくても苦しくても、とにかく交互に足を出し続けないと、目標には近づかない。
 マラソンを走って、つくづくそう思ったことを思い出した。

 ブログも同じこと。

 更新することをやめてしまえば、書きたいことも生まれない。

 とにかく、なんでもいいから更新を続けることで書きたいことがわいてくるのかもしれない。

 ということで、久々の更新。

2016年12月17日 (土)

安倍・プーチン会談にガッカリ。

今回の、安倍・プーチン会談はガッカリだった。
 
  私は安倍さんが嫌いだ。
 
  嫌いというより怖いと言った方がいいかもしれない。
 
  安倍さんの、強きを助け、弱きをいたぶる政治が怖いのだ。
 
  逆らうものは容赦なく切り捨てる。
 
 その姿勢は、テレビの画面でも透けて見える。

 国会でも、テレビ会見でも、記者会見でも、批判的な意見に対しては大きな声で持論を主張し、相手に喋るいとまを与えず圧力を与える。

 一方、自分の賛同者には実に柔和で優しそうな笑顔で接する。

 実に飴と鞭を見事に使い分けて持論を押し通す。
 
 私は、安倍さんのこの強権政治が怖いのだが、今回のプーチン会談については、安倍さんの強気の政治に期待をしていた。
 
 結果は、どう見ても、大惨敗。

 安倍さんは、「平和条項や領土問題について、率直かつ非常に突っ込んだ議論ができた」と言っていた。

 自分では突っ込んだつもりなのだろうが、結果は、領土問題は1mmも進展していない。

  「共同経済活動は日露両国の特別な制度で行う」とも言っていたが、「特別な制度」ってのが、なにがなにやらわからない。
 
  窮地に陥ると、わけのわからない言葉ではぐらかすのも安倍さんの得意技。
 
  ウジャコフ補佐官は、「4島の共同経済活動はロシアの法律のもとに、漁業や観光、医療などに取り組む生命を16日に発表する」と言っていた。
 
 実に解りやすい説明で、安倍さんが言う「特別な制度」というのはロシアの法律下で行うことをはぐらかすための「特別な解釈(まやかしの表現)」なのだということがわかってしまった。

 安倍さんは、国内敵無しで勘違いしていたんだろう。

 国内敵無しは、民主党の敵失。

 自民の一党体制は、民主のアホ政治の結果。

 そして、小泉さんが教えてくれた小選挙区での権力の振るい方を実にみごとに使っている。

 とって変わる人材がいないから安泰なだけ。

 国外ではそうはいかない。

 まずはプーチンさんに惨敗。

 トランプさんにもいち早く駆けつけて、友好を結んだと思っていたら大間違い。

 利害が対立する問題にぶつかったとき、そのときどうするかが安倍さんの値打ちになる。

 国の進路をつかさどる船長の責任は重大。

 よろしくお願いします。

2016年12月14日 (水)

青島太平洋マラソン 気がつかずに12月14日

 今日は12月14日。

 朝のワイドショーを見ていて今年が残り半月余りになったという言葉をきいて驚いた。

 12月になったことは自覚していたが、今年が残り半年だということには自覚がなかった。

 今年は例年より早めにお歳暮の手配をしたが、届けるにはまだ早いと思っていた。

 11日の青島太平洋マラソンを一番大きな目標にしていたようで、今朝のワイドショーの言葉を聞くまで、時間の感覚を失くしていた。

 今年も残すところ半月。

 これでは、いつものごとく、時間に追われる年の瀬になってしまいそうだ。

 今日は今から忘年会。

 この忘年会があることも忘れていて、あわてて準備をしている。

 ということで、出かけることにしよう。

 

2016年12月13日 (火)

アルコールに抑うつ効果?

 昨日の日経新聞の「こころの健康学」というコラムの「お酒には抑うつ効果も」という題名に目がとまった。

 お酒に抑うつ効果?

 お酒を飲むと明るくなるんじゃないのかい?

 そう思いながらコラムを読み進めた。

 認知行動療法研修開発センターの大野裕さんの署名入りのコラムだ。

 題名に間違いは無い。

 コラムによると、酒は、人間関係をスムーズにする潤滑油のような役目を果たすが、こころの健康という意味では気をつけた方がよい点もあるというのだ。

 アルコールには気分を抑うつ的にさせたり、眠りを浅くさせたりする作用があるのだそうだ。

 しかも、こころが弱っているときにはとくに注意が必用なのだという。

 外来でこんな話しをすると、不思議そうな顔をする人が少なくない。

 「だって、お酒を飲むと楽しくなるじゃないですか」と聞かれる。

 それはそうだろう。私もそう思った。

 しかしそれはアルコールによって脳の働きが落ちるからで、気持ちが明るくなっているわけではないのだそうだ。

 アルコールは「ダウナー」と呼ばれ、気分を押し下げる薬理作用がある物質群のひとつなのだ。

 気分を晴らすつもりで飲んでいたアルコールのために逆に気分が落ち込み、さらにアルコールの量が増えるという悪循環にもなりかねない。

 またアルコールを飲むと寝つきが良くなるように思えるが、眠りの質は悪くなるので注意しなくてはならない。

 アルコールをたくさん飲んだ後は夜中に何度も目が覚めるようになるなど、ぐっすり眠ることができなくなる。

 また、お酒を飲むと事故に遭う確率が高くなる。

 私はアルコールに弱くて、余り飲む機会はないのだが、アルコール好きな人はアルコールを上手に使うことを心がけたほうがいいようだ。

2016年12月12日 (月)

青島太平洋マラソン 後遺症

 さんざんだった青島太平洋マラソンだったが、前回の初出場のときより進歩したことが一つあった。

 それは、今日歩けること。

 前回は、次の日は酷い筋肉痛。

 激痛で歩けなかった。階段を降りるのも、一段一段を両足を使わないと降りれなかった。

 そのときのブログを確認してみたのだが、前回のマラソン後の2日目の状態より今日の状態の方が後遺症は軽いようだ。

 前回は、和光産業の若手社員さんたちの計画に乗っかり、前日に宮崎市のホテルに入った。

 大会当日は、会場まで和光産業若手グループの車で行き、帰りは当地(宮崎県の北端の街・延岡市)まで乗せて帰ってもらった。

 しかし、その後テレビで、フルマラソンを走ったあとのケアについての話しをしている番組を見て、それがマラソン後の手当としては悪かったかもしれないと思った。

 その番組によると、フルマラソンを走りきった直後が大事で、つらくても軽くウォーキングをしたり、なるべく足を動かすようにしたほうがいいということだった。

 前回私は、4時間55分で完走して、そのまま座り込んで約1時間半、和光産業のメンバーの帰りを待った。

 そして、そのまま車で延岡まで運んでもらった。

 今年は電車で行った。

 行きは甲斐博さんと一緒だったが、甲斐さんはサブ4(4時間以内で完走すること)を目指すランナー。

 私の帰りを1時間以上も待ってもらっては恐縮なので、帰りは別々ということにしていた。

 ということで、帰りは私ひとり。

 会場の最寄り駅木花駅までは徒歩15分。

 痛む足をこらえて、普通のスピードで歩いた。

 帰りの電車の中では、足をまげたりのばしたりするストレッチを。

 延岡駅から自宅までも徒歩で。

 自宅で寝るまでの時間も、座りっぱなしにならないように心がけた。

 その成果か、朝は、立ち上がるときに足に痛みを感じたが、前回のように布団から抜け出すのも一苦労、というほどではなかった。

 階段も一段ごとに左右の足で降りれた。

 今日一日は、ちょっとひどい筋肉痛程度はがまんしなければならないようだが、あすはちょっと筋肉痛という程度になるだろう。

 

 と、思っていたのだが。

 朝出勤して、ずっと座ったままで、今ブログを書き終わって立ち上がったら、激痛で立ち上がれない。
 やっぱりマラソンは過酷なスポーツだった。

2016年12月11日 (日)

青島太平洋マラソン2016 ともあれ完走

 今日は青島太平洋マラソン。

 行政書士仲間の甲斐博さんのお世話で、始発列車と電車を乗り継いで会場に行った。

 甲斐さんからの誘いがなかったら欠場するつもりだった。

 始発列車も乗り継ぎの電車も、乗客の9割はマラソン人だった。

 今、帰りの電車の中。

 結果は、とりあえず完走。

 時間は5時間31分56秒。

 3年前の初出場の記録より30分以上も悪い。

 走りながら思ったことは、もうフルマラソンは絶対に走らないぞということ。

 いい加減な練習しかしてなかったから、こんなタイムになるだろうとは予測していたが、想像を絶する苦しさだった。

 苦しいというと呼吸が苦しいように思われるだろうが、足が痛くて動かせなくなるのだ。

 15㎞くらいから、ふくらはぎが痛くなってきた。

 20㎞くらいからは、ふくらはぎがつりだした。

 ゆっくり走っていれば治まるだろうと面って、我慢をしてはしっていたら、激しくつってしまった。

 激痛。  立ち止まってストレッチをする。

 どうストレッチすれば治まるのかわからない。

 ひっぱったものか、のばしたものか。

 あれこれやって、なんとか痛みが治まったが、走るとまた、つる。

 それからの30㎞は、走る、つる、ストレッチ、歩く、また走る。走るとつる。

 ずっと、その繰返し。

 20㎞を過ぎてからは、マラソンに出場したことを悔やみながら走ると歩くを続けていた。

 痛みに耐えられず、何度か棄権して救護車に乗ろうかと思ったりもした。

 結果は5時間31分。

 木村宅地建物の木村さんは、いつもこんなつらい思いをしながらマラソンに出続けているのだろうか。

 ともあれ、私のマラソンは今日で終わりになるだろう。

 それでもまた走ってみたくなることもあるかもしれないが、青島太平洋マラソンも来年からは抽選になるというから、これを潮時にしよう。

2016年12月10日 (土)

青島太平洋マラソン2016 明日スタート

 明日は、青島太平洋マラソン。

 申込みはしたものの、今日になっても出場を迷っていた。

 私にとって青島太平洋マラソンは2度目。

 3年前に、フルマラソンを一度経験してみたくて出場した。

 高校卒業以来、スポーツとはまったく無縁な生活をしていた。

 ゴルフもしない。遊びに出かけることも無い。暇があれば家でゴロゴロしているだけの怠惰な60過ぎのおじ(い)さん。

 そんな私が、ウォーキングから始めて、半年の練習で完走できた。

 記録は、ネットタイムで4時間52分。

 今、つくづく思うのだが、これは驚異的な記録だった。

 3年前は、マラソンの教則本を参考に練習を続けた。

 3日以上続けて休むことの無いようにトレーニングを続けた。

 教則本のとおり、インターバル走やウインドスプリント走もやった。

 11月の終わり頃には10㎞を50分台で走った記憶がある。

 今年の練習はといえば、練習を再開して、すぐに10㎞走れた。

 それが悪かった。

 3年前の記憶が、私の気持ちを慢心に変えた。

 週に1度か2度、10㎞を苦しくない程度のスピードで走ることしかしてこなかった。
 それに気づいたのが11月中旬。

 意識的にスピードを上げて走ってみるのだが、一向にスピードが上がらない。

 3年前の同時期の記録と付け合わせして計算すると、今年は完走できたとしても5時間半以上かかりそうだ。

 今年の出場を決めたとき、目標タイムは4時間半に設定していた。

 せめて、初出場の記録は破りたいと思っていた。

 そんな気持ちで、11月の中旬から練習をしたのだが、どうあがいても10㎞1時間の壁が切れなかった。

 制限時間ぎりぎりで、やっとのことでゴールするようなら、私にとって参加する意味がない。

 そんな気持ちになって、出場意欲を失って、今朝になっても明日の出場を迷っていた。
 そんなとき、行政書士の甲斐博さんから電話が入った。

 甲斐さんは、年に何度かフルマラソンを走る。

 ハーフマラソンはたびたび。

 さらには、100㎞のウルトラマラソンにも出場している人。

 行政書士会の集まりで、私が今年は練習不足で無様な結果になりそうだから棄権しようかと思って練習に身が入らないんですよという話しをしたとき、「記録なんてどうでもいいですよ。走ることを楽しめばいいんですよ。」と言ってくれた。

 私のその後の練習は、甲斐さんのこの言葉にはげまされてのこと。

 その甲斐さんから、明日の電車の時間の件で電話をもらった。。

 受付が混雑するから、始発の5時15分の電車ででた方がいいという連絡であった。

 この電話で、私の気持ちは決まった。

 明日は出場する。

 記録は関係ない。楽しんで(ほんとうはきついんだけど)完走することが目標。

 それだけだと面白くないから、目標タイムを木村土地建物の社長、木村さんより先にゴールすることにする。

 ちなみに、木村さんは私より10歳くらい若い。

 青島太平洋マラソン出場歴4回。

 いまだに5時間の壁を切れないでいる。ウヒヒ。 失礼m(_ _)m 

2016年12月 9日 (金)

大分・宮崎間 特急列車ワンマン化

 JR九州が日豊本線の大分・宮崎空港間の4両編成特急列車のワンマン化を検討している。

 時期は未定としているが、運転手一人で昇降の確認を始め、すべての業務をこなさなければならない。

 ワンマン列車になるというと、宮崎になじみのない方は、大分・宮崎空港間というと短い距離のローカル線と勘違いするかもしれない。

 東九州自動車道の開通で、大分宮崎間は利用者が減少し、経営的に厳しい状況にあるからというのがワンマン化検討の理由のようだ。

 しかし、日豊本線は文字通りJR九州の本線。

 しかも、特急料金をとる特急列車なのだ。

 利用者が減少しているというが、利用者が減少しているのは列車の利便性が悪いから。
 日豊線は単線で、時間がかかるし、列車の本数も少ない。

 本線とはいうものの、朝夕の通勤通学時間帯でも一時間に普通列車1本、特急列車1本の計2本。

 大分宮崎間は単線で、特急列車でも対向列車の通過待ちがある。

 JRの規定どおりの特急料金をとられるのだが、無人駅で停車し対向列車の通過を待たされる。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の延岡駅と大分駅間123㎞。

 特急電車といいながら、なんと2時間10分もかかる。

 同じ九州でありながら、博多・鹿児島間289㎞は、新幹線開通で1時間半。

 博多・熊本間は118㎞。所要時間は特急なら最短33分。平均でも40分ちょっと。
 普通列車でも1時間54分。

 ほぼ同じ距離の延岡・大分間の特急利用の所要時間より早い。

 本数は少なく、時間がかかり、高い特急料金をとる。

 不便さを押しつけられて、利用する人が少なくなる。

 利用者が少なくなったからといって運行本数を削り、そして今度はサービスを削ろうとしている。

 JRが民営化され、分社化されたときから予想されていたこと。

  東海道新幹線を持ち、巨大な人口を抱える東京の足を担うJR東日本は黙っていたって儲かる。
 
  JR東海、JR西日本も、赤字路線を抱えていても安定経営ははかれるだろう。
 
  しかし、JR北海道、四国、九州は、赤字路線をまかなえる財源をもたない。
 
  株式が上場され、株式会社として運営することになれば、採算のとれない路線を切り捨てていかなければならないのは自明の理。
 
  地方創生だなんだと、掛け声だけは勇ましいが、富めるものはより富を増やし、貧しきものは、さらに貧しくなることを甘受しなければならない。
 
  政治は下層階級を救済するような言葉を並び立てるが、自らが属する特権階級が栄えるための政策をひそやかに進めていく。
 
  大分・宮崎空港間の列車のワンマン化を反対することは必用なことかもしれないが、このまま採算を悪化させて、列車の本数が削られることの方を心配するべきかもしれない。
 小泉さん以来、強きを助け弱きをいたぶる政治が、さらに拍車をかけて強まっている。
 弱者たる庶民がそれに気がつかないのが、今世界のトレンドになりつつあるのを途方に暮れなながめるしかない。


よだきんぼ(宮崎弁で、なまけもの)おじさんの、ひさびさのつぶやき

2016年12月 4日 (日)

青島太平洋マラソン 福岡国際マラソン

 今、テレビで福岡国際マラソンの中継をやっている。

 30㎞を通過したところ。

 一人先頭を走るのはメラク・アベラ。

 それを追いかける2位集団に、最強の市民ランナー川内優輝選手がいる。

 2位集団には2時間3分台の記録を持つマカウを始めとする有力選手もいる。

 川内は、このまま行けば自己記録を更新するだろう。

 頑張れ!川内選手。

 私は今年、青島太平洋マラソンに申込みをしたものの、練習不足で出場を迷っていたのだが、出場に背中を押される感じでテレビ観戦をしている。

2016年12月 3日 (土)

またしても 去年今年 続き

私の頭の中を、しょっちゅう去来する高浜虚子の「去年今年 貫く棒の ごときもの」の句。
 
  私の脳に焼きついているのは、高校の国語の時間の先生の説明だ。
 
  私の習った先生は、「大晦日から新年になっても、自分の生活は昨日と今日が棒のようにつながっていて何の変化もなく、相変わらず単調なものだということだろうなあ」と、解説をされたように記憶している。
 
  私は、先生の解説を、先生がこの句を読み切ってなくて自信のないものに感じた。
 
 そう感じたもので、猜疑心の強い私には、先生の解説がしっくりこなかった。

 では、私はこの句をどう読み取ったのかというと、確たる意味をつかんだわけではなく、単に先生の説明は違うんじゃないかと漠然と感じただけのことだった。

 しかし、なぜか先生の解説がシミのように脳味噌に混ざり込んでしまって、何かの表紙にふっとわき出てくる。

 それは私が、なんでも先送りする悪癖があって、のんべんだらりと時間を過ごしてしまったことを反省するような場面で必ず沸き上がってくる。

 代表的なのが今の時期。

 年の瀬の新しい年を迎えるとき。

 今年も何にもしなかった。

 毎年毎年、新しい年を迎えるにあたって、今年の反省と新年に向かっての新たな誓いをたてる。

 しかし、また何にもせずに年の瀬が来て、また新しい年を迎えるのだなあと自己嫌悪にかられたとき、「去年今年・・・」の句がバタバタと頭の中を駆け巡る。

 果たして、「去年今年・・・」の句の本当の意味はどうなんだろうと検索してみた。

 私は、「これが正解なんだよ」という、確定的な答えを見つけたかったのだが、確定的な回答は見つからなかった。

 ネット検索をすると、なんとなく主流となる説が見つかるものだが、それぞれの解釈が微妙に違っている。

 ネットでみかけた解説のいくつかをそのままコピーしてみよう。

★年が改まる時の感触を見事にとらえている。年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。

 「棒」とは何だろう。棒は一直線で単調、変化に乏しく面白みもない。「棒読み」「棒立ち」といった単語が思い浮かぶ。

 「棒」とは時間なのだろう、ととりあえずは考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。「ゆく河の流れ」(『方丈記』)のように、時の流れだけは止まらない。

 時間なぞそもそも実在するわけではなく、生活の必要上、人間が勝手につくり出したものだ。「時間は流れているわけではない」との哲学者の説に接したこともある。だが実感としては、時間なるものが河のように、時にゆったりと、稀には急激に流れている。

 時間という代物は、野太くいけずうずうしく、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。

 虚子の句も「年は変わっても、時間は淡々と流れていますよ」と解釈することもできるし、「時間はいつものように流れているのだろうけれども、去年は去年、今年は今年で、区切りははっきりあるのですよ」と受け止めることも可能だ。何とも微妙にして雄大な句を虚子は残したものだ、と改めて思う。

★句について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。
去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

★年とか、今年とかくぎってあるのは、ただの世の中のお約束であって、自分の暮らしや生き方、心の中に保っているものは、なーんにも変わらないんだ、と私は読んでいますが、「棒の如きもの」=まっすぐで変わらないもの、という意味さえはずさなければ、好きに読んでいい句だと思います。

★昨日を去年といい今朝を今年という、そんな時の流れの中にあって、貫いているものは変わらない、というのである。それはいわば棒のように変哲もなく、まっすぐで、年が改まったからといって改まることもない。実生活も、信条も、棒のようなものです、と言い放って憚らぬ大人の声が聞こえてくるようだ。このふてぶてしいまでの揺ぎない人生態度には讃嘆を禁じ得ない。 <和子>

 どうにも、読解力の強い方々が多く、たった17文字、物理学、天文学、哲学的な解説があふれている。

 私はどうにも、高校の先生の解説が脳に入り込んでいるようで、「年末だ、新年だと、人はさわいでいるが、私は虚子は「ダラリと変化の無い生活をしているなあ」と思って読んだ句なんじゃないかなあと思っている。

 そして私は、この年になるまで、なんにもしてこなかったことに唖然として佇んでいる。

2016年12月 1日 (木)

またしても 去年今年

今年も、あと一カ月を残すだけ。
 
  「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの」(高浜虚子)の句が、ぬるりと頭の中を覆ってくる。
 
  去年今年の句の解釈については、今日は終日雑事に振り回されて、気力が失くしたので後日書くことにする。
 
  あと一カ月。有終の年にしたいもの。

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