またしても 去年今年 続き
私の頭の中を、しょっちゅう去来する高浜虚子の「去年今年 貫く棒の ごときもの」の句。
私の脳に焼きついているのは、高校の国語の時間の先生の説明だ。
私の習った先生は、「大晦日から新年になっても、自分の生活は昨日と今日が棒のようにつながっていて何の変化もなく、相変わらず単調なものだということだろうなあ」と、解説をされたように記憶している。
私は、先生の解説を、先生がこの句を読み切ってなくて自信のないものに感じた。
そう感じたもので、猜疑心の強い私には、先生の解説がしっくりこなかった。
では、私はこの句をどう読み取ったのかというと、確たる意味をつかんだわけではなく、単に先生の説明は違うんじゃないかと漠然と感じただけのことだった。
しかし、なぜか先生の解説がシミのように脳味噌に混ざり込んでしまって、何かの拍子にふっとわき出てくる。
それは私が、なんでも先送りする悪癖があって、のんべんだらりと時間を過ごしてしまったことを反省するような場面で必ず沸き上がってくる。
代表的なのが今の時期。
年の瀬の新しい年を迎えるとき。
今年も何にもしなかった。
毎年毎年、新しい年を迎えるにあたって、今年の反省と新年に向かっての新たな誓いをたてる。
しかし、また何にもせずに年の瀬が来て、また新しい年を迎えるのだなあと自己嫌悪にかられたとき、「去年今年・・・」の句がバタバタと頭の中を駆け巡る。
果たして、「去年今年・・・」の句の本当の意味はどうなんだろうと検索してみた。
私は、「これが正解なんだよ」という、確定的な答えを見つけたかったのだが、確定的な回答は見つからなかった。
ネット検索をすると、なんとなく主流となる説が見つかるものだが、それぞれの解釈が微妙に違っている。
ネットでみかけた解説のいくつかをそのままコピーしてみよう。
★年が改まる時の感触を見事にとらえている。年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
「棒」とは何だろう。棒は一直線で単調、変化に乏しく面白みもない。「棒読み」「棒立ち」といった単語が思い浮かぶ。
「棒」とは時間なのだろう、ととりあえずは考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。「ゆく河の流れ」(『方丈記』)のように、時の流れだけは止まらない。
時間なぞそもそも実在するわけではなく、生活の必要上、人間が勝手につくり出したものだ。「時間は流れているわけではない」との哲学者の説に接したこともある。だが実感としては、時間なるものが河のように、時にゆったりと、稀には急激に流れている。
時間という代物は、野太くいけずうずうしく、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。
虚子の句も「年は変わっても、時間は淡々と流れていますよ」と解釈することもできるし、「時間はいつものように流れているのだろうけれども、去年は去年、今年は今年で、区切りははっきりあるのですよ」と受け止めることも可能だ。何とも微妙にして雄大な句を虚子は残したものだ、と改めて思う。
★句について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。
去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。
★年とか、今年とかくぎってあるのは、ただの世の中のお約束であって、自分の暮らしや生き方、心の中に保っているものは、なーんにも変わらないんだ、と私は読んでいますが、「棒の如きもの」=まっすぐで変わらないもの、という意味さえはずさなければ、好きに読んでいい句だと思います。
★昨日を去年といい今朝を今年という、そんな時の流れの中にあって、貫いているものは変わらない、というのである。それはいわば棒のように変哲もなく、まっすぐで、年が改まったからといって改まることもない。実生活も、信条も、棒のようなものです、と言い放って憚らぬ大人の声が聞こえてくるようだ。このふてぶてしいまでの揺ぎない人生態度には讃嘆を禁じ得ない。 <和子>
どうにも、読解力の強い方々が多く、たった17文字、物理学、天文学、哲学的な解説があふれている。
私はどうにも、高校の先生の解説が脳に入り込んでいるようで、「年末だ、新年だと、人はさわいでいるが、私は虚子は「ダラリと変化の無い生活をしているなあ」と思って読んだ句なんじゃないかなあと思っている。
そして私は、この年になるまで、なんにもしてこなかったことに唖然として佇んでいる。
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