1月の神様。 日本では1月は睦月。
日経新聞のコラム「プロムナード」に今月から連載になった、中野京子さん(ドイツ文学者)のコラムが面白い。
実は、8日の私のブログ「幸運の女神は前髪しかない」というのは、中野京子さんのコラムを読んで感じたことを書いたもの。
中野さんの今日のコラムの題名は、「1月の神様」。
ヨーロッパの多くの国で「1月」の呼称は、古代ローマの男神ヤヌス(Janus)を語源としているという話しに始まる。
「英語(January)ドイツ語(Januar)フランス語(Janvier)はもちろん、スペルの違いで別ものと思われがちなイタリア語(Gennaio)やスペイン語(Enero)なども」同じなのだそうだ。
ヤヌスとは、本来は門や入り口を見守る神、ひいては物事の始まりを司(つかさど)る神とされるのだそうだ。
こらむでは、このあと中野さんのヤヌスに関する話しが展開されていた。
私が、一番面白いなと思ったのが、この話しの最後にあった、日本の1月の別称に及ぶ話だった。
「日本の1月の別称は「睦月(むつき)。語源は、異説もあるが、睦(むつ)び月。
普段は疎遠だった人とも新年を迎えて親しく睦み合う、というところからきているらしい。ということなのだそうだ。
えーーー。そういうことだったのかと、感激。
はずかしながら、始めて聞く話しだった。
中野さん曰く「何とやさしい大和言葉。何とやさしい古(いにしえ)の日本人たち。
中野さんの感性にも感心させられた。
疎遠になって、年賀状だけのつきあいになっている旧友がいるが、毎年、一言声をかけ、一言声かけてもらうだけで、昔のままの付き合いが続いているような気がする。
「疎遠な人とも新年を迎えて親しく睦み合う」そういうことなのだと、重ねて感心。
中野さんの今日のコラムの最後をこう締めくくっていた。
「年の瀬に除夜の鐘を聴いて煩悩を払い、すがすがしい気持ちでお正月を祝う。祖霊たる年神様を迎えるために門松、注連縄(しめなわ)、鏡餅は前年から用意しておく。高い山からこの時だけ下りて来る年神様は、今年の安寧を約束してくださる。
それでもまだ足りないとばかり、七福神巡りや地元の神社へ参詣し、あれもこれもどうぞよろしくお願いしますと両手をあわせ……あれれ、煩悩を払ったのを忘れていた!」
私なんぞは、今年は、元旦の未明に、まずは地元の神社に初詣。
早朝の飛行機で宮崎を発ち、伊勢神宮に参拝。
2日3日は京都のお寺や神社をはしごしてまわった。
ただし、今年は、あれもこれもお願いするのは止めにした。
今まで初詣では自分と家族の幸せだけをお祈りしていたのだがが、今年はご先祖様への感謝と世界平和を願い、そしてついでに自分と家族の健康だけをお願いしておいた。
うーーん。やっぱりお願いしすぎかな。
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