はげまされた出来事
昨日、私の事務所に相談にお見えになった方が、「この言葉をはげみにしています」と言われ、書類をいれた袋の中から賞状額のようなものを取り出した。
はげみになるような言葉を額に入れているということのようであった。
どんな言葉なのだろうと思って読ませてもらった。
(その内容を書くと相手の方が特定できてしまうので、内容については省略する)
20行足らずの短い文章。
格別、人生訓的なことは書いていない。
どこかで読んだことのある文章だった。
すぐには思い出さずに、全部読んだ。
気恥ずかしいやら、光栄やら。
それは、3年以上前に私がブログに書いた文章だった。
この方の子供さんが偶然私のブログを見て、私のブログの記事に家族全員が力づけられたのだそうだ。
大きく印字して額に入れて、今も家に飾っておられるというのだ。
私がブログを書き始めて、10年くらいになる。
書きたいことがたくさんあって、思うままに書いていた。
あるとき急にアクセス数が増えて、もっとアクセス数を増やそうと、ブログを書くことに結構の時間をさいていた。
しかし、その後アクセス数は伸びず、ブログに費やす時間も減ってきていた。
それに加えて、去年仕事が忙しくて、ゆっくりブログを更新する時間がとれない時期があった。
最初の内は、3日4日と更新できない日が続くと、あせりのような、罪悪感のような感覚を感じた。
しかし、そんなことが何回か続くうちに、ブログの更新から離れることがこんなに気楽なことかと感じるようになった。
遊びで始めたものが、義務になっていたようだ。
こんなものは義務的にやるものではない。時間があって、書きたいことがあるときだけ書けばいい。
そう思って更新しない日が多くなっていたら、何人もの人に「最近更新していないですね」と声をかけられた。
その声に押されるように、ブログをつづけているのだが、このところ、今流行りの言葉でいうところのモチベーションを失って、やっつけ仕事のブログになっていた。
そう感じていた矢先の昨日の出来事。
私のブログにはげまされているという言葉は、わたしにとってのはげみの言葉である。
しばらくは、このままブログを続けていこうか。
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