「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」
「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という本が、ちょっと話題になっている。
ちょっと話題になっているといっても、どのくらい話題になっているのかはわからない。
ちょっとだから、誰でもが知っているというほどの人気はないのだろうが、知る人は知っているという程度なのだろう。
さっそくアマゾンで調べてみると980円(+税)という手頃な価格だったので、速攻で購入した。
どういう本かというと、「カップ焼きそばの作り方」国内作家、代表的な海外作家、歌手やエッセイストといった「文豪」たちがかいたらどうなるかというものである。
「どの作家も自分だけの文体を確率しようと腕を磨いてる」のだそうで、その文体に注目して、文体を模倣して「カップ焼きそばの作り方」を書くというものなのだ。
夏目漱石、太宰治、三島由紀夫といった文豪にかぎらず、物書きはそれぞれに独自の文体を確率しているというわけだ。
目立たず、ひそやかにブログを書き綴っている私も、こう見えて(どう見えているかはわからないが)、文体を確立するという大層なものではないにせよ、多少は自分独自の文体(みたいなもの)気にしている。
いわんや物を書くことを生業としている人たちの文体へのこだわりは大変なものなのだいうことは理解できる。
そんな文豪たちの文体を模写して「カップ焼きそばの作り方」を書いてあるというわけだ。
文体の模写というのはどういうことか。文体に特徴があるということで私が一番に思い出すのは野坂昭如さんの文体だ。
野坂さんの文体は、文語体のようで、とにかく一文(センテンス)が長いくて助詞が無い。
最初読みづらかったが、読んでいると文章にリズムがあって読まされてしまう文体だった。
私は、あまり小説をよんで来なかったので、他の作家がどんな独特な文体をもっているのか思いつかなかったが、この本は文豪の文体をパロディー的に模倣しているというものだから、より文体の特徴がわかるだろうと思って本を購入してみたというわけだ。
果たして、アマゾンから届いた本を開いた。
まずは目次で100人の文豪の名前を眺めた。
まったく知らない名前もあったが、大半は知ってる名前の作家だった。
目次のとおりにいくと、太宰治、村上春樹、コナン・ドイル、ドストエフスキー、松尾芭蕉、田山花袋、大江健三郎、志賀直哉、と誰でも聞いたことがある作家の名前が並んでいる。
100人全部の名前を眺め終わって、私は、はたと気がついた。
名前は知っているけど、読んだことのある作家はごく少数なのだ。
太宰治は2作くらい。
村上春樹はまったく読んだことが無い。毎年ノーベル賞で話題になるので、一度図書館でノルウェーの森を借りてきたが5ページくらい読んで、自分にはあわないなと思って、そこでやめた。
コナン・ドイルは名前は充分存じあげているが未読。
ドストエフスキーは、高校生のときに図書館で読んでみようと思ったが、登場人物の名前が頭に入らずに、これまた数頁で断念。
松尾芭蕉は教科書に出ていた俳句しか知らない。
田山花袋は、中学か高校の国語の時間に「蒲団」を書いた作家として出てきたのを覚えているだけ。
大江健三郎は全8巻か10巻の全集を購入して一応全部読んだ記憶がある。
といっても自分から大江健三郎の小説が好きで全集を買ったわけではない。
大学の日本文学の教授が大江の研究者で、講義の中で「大江、大江」とやたら名前を連発していた。
私は、それまで大江健三郎の名前も知らなかったくらいで、もちろん大江を読んだことはなかった。
ただ、先生があまりにも「大江、大江」というのを聞いて、どんな小説なのだろうと興味をもたされた。
あるとき学校の近くの古本屋街をのぞいていたら、大江健三郎全集が格安で売られていた。
格安といっても、仕送りをうける身にはちょっときびしいが、1日に何度か行っていた喫茶店代を節約すれば買える値段だったので、その場で購入した。
下宿に帰って、さっそく読んでみたが、これが面白くない。
先生の話では面白い小説のように感じたが、私には文章が無機質に思えて、すんなり頭に入ってこなかった。
これまた数頁で挫折。
しかし、買ってしまっているもので、その後ヒマのつぶしようが無いときに読んで行った。
大江健三郎には、そんな思い出があって長くなったが、志賀直哉は「夜明け前」の教科書に出た部分だけを読んだ程度。
残りの文豪群も、名前は知っているが、その作品は読んだことのない人ばかり。
いろいろ小説を読み込んでいる人には面白いのだろうが、私には面白さがさっぱりわからない。
テレビの物真似だって、知らない人の物真似を見ても、似ているんだか似ていないんだかわからないと全然面白くない。
ただ、知らない人の物真似でも、デフォルメしてオーバーに表現しているから、面白さはほのかにはつたわる。
文体の物真似も同じことで、デフォルメして大袈裟な表現になっているから、「あ、この作家はこんな文章をかくんだな」というのはわかる。
著者が前書きで、「この本は軽く読んで、はははと笑って、ページを閉じた瞬間にすべてを忘れるような本を目指して書かれた。好むと好まざるとにかかわらず、どのページにも冗談が書かれている。ある種のくだらなさだけを書こうと、僕は決意していた。そういう類のものだ。」と述べている。
この前書きで、私は本を読み進める気力がたもてたというものだ。
評判になるだけの面白さは感じられた本であった。
本好きの方にはおすすめですよ。
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いつもお世話になっています、ブログも拝読させて頂いています。
突然失礼しますが、少し感想を述べさせて下さい。
表題の本ですが、私も読みました。と言っても書店でパラ読みですが…
引用されていた冒頭部ですが、あれからして村上春樹の文体のパロディですよね。個人的には、とても面白かった部分です。
…というより、「良くできている」と感じたのが、そこと最後の解説で、あとは大体「ふーん…」という感じだったので、買うのを止めちゃいました。カップ麺のことばかり書いてあるし(コンセプトからしたら当然でしょうが)。
面白い本だとは思ったんですけどね。
これからも、ブログを拝読させて頂きたいと思っています。よろしくお願いします。
投稿: 堀川敦雄 | 2017年7月27日 (木) 20時30分
面白そうな本なので読んでみたいと思います。
私も目が見えていたころは漫画ばかりで、文学的なものは最近になって読み出しました。
さて、私のブログは
https://blogs.yahoo.co.jp/gotohann
のあやまりでした。
失礼しました。
投稿: 藤按 | 2017年7月27日 (木) 23時26分
堀川さん。コメントありがとうございます。
ジョナサンさんのご主人ですか?
これからもブログを見ていただけるということで、緊張します。
ブログに書いた通りで、私は小説をあまり読んできておりませんので、どの部分が「村上春樹の文体のパロディ」というのがわかりませんのですよ(;ω;)
正体をあきらかにしてやっておりますので、あまり過激なことは書かないようにしていますが、意見の違うときは見過ごしてやってくださいませ。
投稿: johokan | 2017年7月28日 (金) 14時04分
藤按さんコメントありがとうございます。
おかげで、また、人のブログを見に行くようになりました。(ちょっとだけですけど)
藤按さんが引っ越したブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/gotohannもみました。
シンプルなデザインでいいですね。
投稿: | 2017年7月28日 (金) 14時07分