8月31日
8月31日という日には、なにか特別なものを感じる。
なぜか、ちょっと胸がきゅっと締めつけられる感じで、気持ちが落ち着かない。
今は、私野会社の決算日が8月31日で、会社の決算から見ると、大晦日に当たる節目の日。
会社の運営上、決算を黒字にしておきたいから、売上の不振な年は決算前に、慌てふためいて仕事をすることになる。
胸がきゅっと締めつけられるのは、そのせいでもある。
しかし、身体が8月31日に反応するのは、子供の頃の夏休みの終わりの日の思い出にあるような気がする。
遊び呆けていて、そのうちそのうちと思っている間に、長かったはずの夏休みの終わりが来る。
1週間前になり、そろそろ手をつけないと大変だとあせり始めるが、まだ1週間もあるさと、先のばしをする。
まだ大丈夫、まだ大丈夫で、3日前。
さすがに3日前ともなると、宿題にとりかかる。
それでも懲りずに、まだ3日あるさとぐずぐずしてしまう。
そして、31日を迎える。
もう、間に合いっこ無い。
ここまできて、やっと気合いが入る。
泣きたい気持ちで宿題をやって、最後はなんとか体裁をとりつくろって新学期迎えることができた。
そして、来年こそは毎日こつこつと宿題をやって、余裕をもって夏休みを終ろうと誓う。
しかし、懲りもせず次の年もまた同じことを繰り返す。
こんな記憶が8月31日を特別な日にしているのだろう。
それは遠い昔の記憶ではなく、先の見えてきたこの年になっても、変わることなく同じことを繰り返しているのだなあ。
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