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2018年1月

2018年1月31日 (水)

明日から。明日はあるか。

 昨日も書いたが、速いもので1月が今日で終わり。

  この数年、何をしていたのかと、はたと戸惑い、まるで玉手箱を開けた浦島太郎のような心境である。

  明日から、明日からで、数十年過ごしてきた。

が、気がつけば明日に期待できない歳になったことに戸惑っているのだ。

  なんとなく新しい明日があるようで、晦日と初日の切り替わる時が好きだった。

  明日から2月。

 明日から。

 

2018年1月30日 (火)

気がつけば、1月も終わり。

 気がつけば、1月も終わりである。

 例年にも増して、なんにもしないで時を過ごしてしまった。

 この1カ月、なにをしてきたのか一切実感がない。

 気絶でもしていたかのように、記憶がとだえているようで、うろたえている。

 先週末、原因不明の体調不調で、体力に不安を感じたたが、認知機能の老化も心配しなくてはいけない。

 「一月は行く」「2月は逃げる」と言う。

 2月は逃がさぬよう、心する。

 

 

 

 

2018年1月29日 (月)

ちょっと弱気に

 一昨日、土曜日の夕食、いつものことではあるが満腹を通り越して、食べたものが喉からでそうなくらいに食べ過ぎた。

 いやしい性分で、目の前の食べ物を残すということができない。

 このことろ鍋料理と、ホットプレートでの焼肉が連続していて、家内と息子は腹が満たされると、それ以上は食べようとしない。

 私はといえば、残った肉や野菜が無くなってしまうまで食べ続ける。

 満腹で、口から食べたものが出て来そうになるのもかまわず食べ続ける。

 とにかく、口がいやしいのだ。

 食い尽くして、腹がはちきれそうで気分が悪くなるのもいつものこと。

  いつもなら、腹がはち切れそうで、苦しくて、自分の口の卑しさを恨みながらも、横になっていれば、そのうちおさまってくる。

 しかし、一昨日はちょっと違っていた。

 いつもは感じない、吐き気のようなものを感じた。

 それで、早々に布団に入り横になっていたのだが、吐き気がおさまらない。

 吐いてしまおうとトイレに行くが、胃が突き上がってくるような強い不快感はあるが、嘔吐するまでにはいたらない。

 不快感が増し、トイレに行って、無理やり吐こうとするが、酸っぱい胃液がちょっとだけ出てるだけ。

 吐いてしまえば楽になると思って、そんなことを何度か繰り返していたのだが、深夜になって、胃を掴みあげられるような激しい不快感が襲ってきた。

 胃液のようなものを嘔吐。

 いっぺんに出ずに、何度もトイレに通うことになった。

 いつもなら、次の日になればおさまる話しだった。

 しかし昨日は、違っていた。

 早朝、吐き気で目が覚めた。

 トイレに駆け込むと、酸っぱい胃液のようなものが出るだけ。

 胃が飛び出しそうな気配である。

 いつもとは違った、経験したことのない不快感であった。

 それでも、吐いたことで少しお腹が楽になった。

 そのまま、布団に入り安静にしていた。

 すると、今度は便意。

 お腹が痛くはないのだが、便意を感じた。

 トイレに行くと、水様便。

 同時に吐き気。

 食べ過ぎのせいだけではないのではないかという不安に襲われる。

 ノロウイルスか?

 ネットで調べたら、それとは違うようにある。

 食べ過ぎとしか思えないので、暫く様子を見てから、それでも異常を感じたら病院に行こうと思って、布団の中で様子を見ていたら、そのまま眠ってしまっていた。

 目が覚めると、夜の9時。

 8時間以上寝てしまっていたようだ。

 結局、昨日は何も食べられなかった。

 果たして、今朝。

 吐き気はおさまっていた。

 さすがに、食欲はない。

 なんとか、正常になったようだ。

 そして一日経った。

 食欲は戻っていないが、大事にはいたらなかったようだ。

 体が丈夫なことだけが取り柄と自負していたが、やっぱり年には勝てないかと、ちょっと弱気になった昨日今日である。

 

  

 

 

 

 

2018年1月27日 (土)

野中広務さんがなくなった。 戦争経験のある政治家がいなくなっていく。

 野中広務さんが亡くなった。

 一般受けはしない政治家だったが、政治信念に真がとおっておられた方だった。

 正々堂々、憲法改正には反対しておられた。

 戦争を経験した政治家は、心の底から戦争反対を訴えていた。

 戦争経験をもつ人が、政治家に限らず、いなくなってしまう。

 安倍さんの憲法改正への発言は姑息だ。

 憲法改正が必用だと思っているのだったら、正々堂々と、どう憲法を改正するのかを明言してもらいたいものだ。

 

2018年1月26日 (金)

当地のうれしいニュース

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の延岡学園の、選抜(高校野球)出場が決まった。

 当地と生活圏を伴にする、隣の市の日向市の富島高校も同時に出場が決まった。

 宮崎県から2校。

 2校とも県北からの出場だ。

 日頃、あまり野球は見ないのだが、高校野球は別。

 さらに、地元の高校が出場となると、なおさらだ。

 2校の出場だと楽しみも2倍。

 活躍を祈る。

 もうひとつ、大相撲で、当市出身力士琴恵光関が、十両優勝するかもしれない大活躍をしている。

 昨日の時点で、単独トップ。

 残念ながら、今日、負けてしまったが、まだまだ、勝ち星数ではトップタイ。

 優勝しちゃえ!

2018年1月25日 (木)

アメリカの言うなり政権

 急転直下、安倍総理が平昌五輪の開会式に出席することを表明した。

 確か、安倍さんは出席しないといっていたはず。

 保守層の激しい反対意見を押してまで、なぜ出席するのだろうと思っていたら、トランプさんからの要請を受けてのことらしい。

 憲法改正も、アメリカさんのご意向をとりいれているのだろうなあ。

寒い

 寒い。

 挨拶は、全国的に「寒いですね」で足並みがそろっているようだ。

 国民全部が寒いと思っている。

 言われなくてもわかっていることなのに、なぜかワイドショーは「寒い」報道を繰り広げる。

 寒い映像をかき集めて、寒い寒いと朝の貴重な時間を割いて騒ぎ立てている。

 冬が寒くなかったら大問題だが、冬が寒いのは当たり前。

 挨拶代わりに、寒いですねと報道するのはいいが、寒い寒いだけで朝の30分を対やするのはいかがなものか。

 通常国会が始まって、憲法改正が現実味をおびている。

 憲法改正も、不正融資や、加計や森友も気になるのだが、寒いと相撲に国民の目を反らそうとしているのか。

 テレビはどなたを忖度しているのか?

 寒い。

 

2018年1月24日 (水)

94歳の佐藤愛子さん。14歳のすずきるりかさん。

  最近読んだ本で面白いと思ったのが、94歳のベストセラー作家・佐藤愛子さんの「90歳。なにがめでたい」と、中学生で小説かデビューした鈴木るりかさんの「さようなら、田中さん」。
 
  この2冊の影響で、書く気力が萎えていたブログを復活する気になった。
 
  面白いし、私の心に刺激を与えてくれた。
 
  それなのに、申し訳ないのだが、両書とも図書館で借りて読んだ。
 
  私は、余り小説を読む習慣がない。
 
  読むのは、テレビのワイドショーでさえとりあげるような話題になった本のみである。
 ワイドショーで騒ぎ立てているから、芸人のゴシップ記事を読むような、下衆な興味から読んでみたくなるだけなのだ。

 先日も書いたが、ワイドショーで話しを盛りあげているから、どんなに面白いのだろうと期待して読むのだが、面白いと思う本は少ない。

 私は、新聞の広告を見て、気になった題名の本を買うことが多い。

 大きな本屋さんがあったら、本屋さんに行って、立ち読みして内容を確かめて買えるのだが、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)では本屋さんは、イオンの中の本屋さんとツタヤくらいしかない。

 取り扱い数が少ないので、新聞広告で書名が気になった本を探しに行っても、見つからないことが多い。

 それで、気になる本はネットで購入することになる。

 本が売れないから、出版社は自社の本を手にとってもらおうと、読者の興味をそそるような魅力的な書名をつけている。

 ネット書店が便利になって、つい書名に惹かれて衝動買いしてしまうのだが、買った本の半分以上が、立ち読みができたら買わなかっただろうなという状態だった。

 それで衝動買いはやめて、読者のレビュー(書評、評価)を見て買うようにしているのだが、それでも3割くらいはガッカリすることになる。

 それで、話題につられて地読んでみようかなという本は、図書館で借りて読むことにしている。

 図書館で借りることで不都合なのは、話題になっている本は予約がいっぱい入っている。

 下手をすると3カ月4カ月も待たされる。

 佐藤愛子さんの「90歳。なにがめでたい」は半年待った。

 私のようなヤツが多いから、図書館が出版不況を煽っていると言われるのだろう。

 ただ、図書館の役割も捨てたものではない。

 「90歳。なにがめでたい」と「さようなら、田中さん」は、読み終わったあとに同じ本を本屋さんで購入した。

 もう一度読んでみたいと思ったのと、私に感動を与えてくれた著者に対するお礼の気持ちである。

 体裁のいい話しをすれば、私は、立ち読みの代りに図書館を使っているのだ。(実際にはめったにないことで、こんな買い方をするのは一年に2、3冊のものである)

 久しぶりに気力がでてキーボードをたたいていたら、いつものごとく前置きが長くなってしまった。

 前述の2冊の本の作家は、片や94歳。片や14歳。

 両者の年齢が極端だ。

 94歳の佐藤愛子さんに人生を教わるのは自然で当然だが、14歳の女の子(失礼)だが「さようなら、田中さん」にも人生を教わった。

 そして私に、もうちょっと頑張ってみようかという気にさせてくれた。

 今年、年明け早々忙しい日が続いて、ブログを書かない日が続いたら、なんとなく気力が萎えて、書くことを苦痛に感じるようになっていた。

 ブログを書かなくなったもう一つの理由が、机の上が混雑しているせいでもある。

 もともと片づけは苦手なのだが、このところそれがひどくなっている。

 年をとると片づけができなる。
 
 すべてが面倒くさくなる。

 老人性のうつ。

 認知症。

 そんな言葉が頭をよぎる。

 まず、片づけができないのは老人性のものではないのか。

 根気がなくなったのも年齢のせいではないのか。

 もともと私は、だらしない性格だ。

 そのうち、そのうち。

 なんでも、後回しにして先送り。

 しかしときとして、やるときはやる。

 やる気をだしてやり始めたら、人よりちょっとすぐれているのだ、という自負心が支えだった。

 それなのに、気がつけば、1月も残すところ1週間だというのに、今月のブログ更新はたったの5回。

 気持ちが切れて、このままブログを縮小しようかななどと思っていた。

 そんな私に力をくれたのが、94歳の佐藤愛子さんと14歳の鈴木るりかさんだった。
 「90歳。なにがめでたい」は面白くて気持ちが明るくなった。

 そんな折、次によんだ本が「さよなら、田中さん」

 14歳の少女の、さらっとした文章が、なぜか私の鬱屈した気持ちをふっきらせてくれた。

 もう一人忘れていた。14歳の少女の小説は、瀬戸内寂聴さんに通じるものを感じたのだ。

 そこのところの深層心理の話しをするのは遠慮させてもらうが、とにかく久々に饒舌なとりとめのない話になった。

 佐藤愛子さん。鈴木るりかさん。瀬戸内寂聴さんに感謝。

2018年1月19日 (金)

小室哲哉さん。引退なんてするひつようはない。 職業に貴賤無しとはいうが賤しむべきは芸能レポーター。

 不倫疑惑が報じられていた小室哲哉さんが、音楽からの引退を表明した。

 週刊誌、ワイドショーはあいも変わらずに不倫報道にやっきになっているが、視聴者の多くは、不倫報道には辟易しているはずだ。

 小室さんが謝るべきは、奥さんであるKEIKOさんと、その家族のみ。

 その責任を認めて、憔悴しきって会見に応じる小室さんに対する芸能レポーターたちの態度をみていて、職業に貴賤無しとはいうが、芸能レポーターという仕事は、げに賤しむべき職業であるなと、つくづく感じている。

2018年1月18日 (木)

 「いきものがかり」に異変

「『いきものががり』に異変」

 ネットニュースの見出しに、思わず目がとまった。

 「いきものがかり」は、人気の音楽グループ。

 デビュー以来、次々とヒット曲を出し続けている人気グループだった。

 テレビドラマの主題曲や、CMソングで耳にする曲も多くて、年甲斐もなく私は、「いきものがかり」のファンであった。

 そんな彼らが、去年突然、「放牧宣言」と称し、活動を休止した。

 「『いきものががり』に異変」の見出しをみて、その「いきものがかり」に異変があったと思ったのだ。

 それで記事にしっかり目をやると、「『いきものががり』に異変」の見出しに続いて、「学校の動物飼育崩壊」とある。

 すぐに、このニュースの「いきものがかり」は、学校の動物の飼育係だということはわかった。

 しかし見出しに続く、「卵、食べれるんですか」教師が驚きの質問はどんな内容なのだろう。

 そんな興味で、記事を詳しく読んでみた。

 記事の内容は次の様なものだった。

 「子供の頃、学校で動物を飼育した経験がある方もいらっしゃるだろう。しかし、今、小学校や幼稚園など教育現場で飼育される動物に『異変』が起きていることをご存じだろうか。子供だけでなく教師も、動物の飼育に関する知識や経験がないため、ウサギは過剰繁殖し、けんかや餌不足で健康状態が悪化している」というのだ。

「増えすぎた結果、オス同士のけんかが多発したり、餌不足によって健康状態が悪化したりするなど、深刻な状態だった。」

 過剰繁殖しているウサギ小屋は、他にも多くの小学校でみられるそうで、「前に訪れた小学校で、狭い飼育小屋の中でウサギが約80匹にまで過剰繁殖している現場を目撃した」ともあった。

「ウサギは去勢手術をした後に別の小学校に譲るなどして徐々に数を減らした。」そうだ。

 面白かったのがニワトリの過剰繁殖のこと。

 「ニワトリも卵の放置から、ひながふ化しすぎることがあるという」

 ある小学校で、教師に「ニワトリの去勢手術をお願いできないか」と相談されたことがあったというのだ。

「卵を食べてしまえばいい」と答えたが、「食べられるんですか」と聞き返され、面食らったというから笑ってしまう。

 衛生面からの心配だったのだろうが、とれたての卵なんて、さっさと食っちまえば体に悪いわけが無い。

 なんとも、「いきものがかり」を育成する前に、教員の養成がカギになるのかもしれないというオチであった。

2018年1月16日 (火)

さよなら、田中さん

 昨日、中学生の小説家 鈴木るりかさんの「さよなら、田中さん」に触発されて、今年のブログを再開したと書いた。

 しかし、「さよなら、田中さん」を読み切ったわけではない。

 読み切るどころか、読んだのは、ほんの十数ページ。

 ほんの十数ページしか読んでないのだが、面白いと思ったのだ。

 昨日も言ったことだが、小説を読む習慣をもたない。

 新聞やテレビのワイドショーで話題になった本のみ、図書館で借りてくる。

 芥川賞や直木賞。

 最近で話題になる文学賞では、本屋大賞。

 ワイドショーで大騒ぎになっていたときのみ、どんなに面白いのかと、図書館に予約を入れる。

 そんな感じで、去年、十冊くらいの小説を借りただろうか。

 すべて、大ベストセラーになっている本なのに、読み始めてすぐに面白いと思う本は少ない。

 いやいや勉強をしていた学生時代のように、義務的に読んでいることが多い。

 こうやって書いていても、題名も思い出せなる本の方が少ない。

 この1年あまりで読んだ小説で、題名を思い出すもの筆頭は、お笑いタレントの又吉直樹さんの「火花」。

 200万部以上も売れ、映画化もされたようだが、読んでいて全然面白くなかった。

 最近テレビドラマ化された「陸王」も、なにが面白いのかわからなかった。

 大人気作家だという西加奈子さんの「サラバ」にいたっては、読み進めるだけの興味を維持できなかった。

 「羊と鋼の森」は、面白さがわからなくて、私は小説を読む力がないという嘆きをブログに書いたら、ピアノがわからない人には面白さがわからないですねという、やさしいコメントをいただいたことを記憶している。

 おそらく私の分析は正しくて、私には小説を読む力が劣っているのだと思うのだが、そんな私にとって「さよなら、田中さん」は出だしから面白いなと感じた。

 面白いなら、すぐに読み切るはずだと思われるだろうが、それを阻止しているのがスマホのゲームだ。

 今年、新年を迎えても、なにか気持ちが改まらないのは、このゲームのせいだ。

 依存症的な状態になっているのかもしれない。

 今晩は、スマホを封印して、「さよなら、田中さん」を読み終わることにしよう。

 

 

 

 

 

 

2018年1月15日 (月)

瞬く間に月半ば

 正月も、瞬く間に15日を過ぎてしまった。

 あれよあれよである。

 我が敬愛する池田先生から、ブログ更新の無いことを指摘されてからも久しい。

 元旦、2日、3日と、ブログの更新はしていなかったが、ブログは書いていた。

 テキスト入力に特化した「ポメラ」に、思いつくままの文章を入力していた。

 4日が仕事ははじめで、それを、まとめて整理してアップしようと思っていたのだが、葬儀に参列することになったり、年末にやっていたお客さんとの商談を再開して、そうこうしているうちに、成人の日の連休が来て、お客さんがその連休の2日を利用して契約したいということになった。

 そんなこんなで新年の1週間が過ぎ、そうなると3が日のことをブログに書くのも間延びするように思えて、ブログを書くきっかけを失っていたら、私が所有しているビルで水漏れ事故。

 いつも頼んでいる水道会社が対応してくれなくて、途方に暮れたが、悲嘆しているヒマもなく、かかりきってなんとか協力してくれる水道会社が見つかり、3日目になんとか今日、水漏れは止まった。

 そういうわけで、今日もブログを書くのを先延ばししようと思っていた。

 そんな私が、ブログを書くことになったのは、「さよなら、田中さん」という小説を読んだこと。

 「さよなら、田中さん」というのは中学生の小説家、鈴木るりかさんのデュー作。

 新聞で話題になっているのを見て、図書館で借りてきていたのだが、読まないまま返済日が迫っていた。

 もともと私は、小説を読むことが少なくて、新聞やテレビで話題になった本を図書館で借りて読む程度である。

 話題に引かれて借りてきても、最初の数頁読んで、興味を持てないまま返却することも少なくない。

 「さよなら、田中さん」も、読まずに返すことになるかもしれないと思いつつ読むことになった。

 ところが、びっくり。

 想像していた、中学生の小説ではなかった。

 読み始めてすぐに、とりこになった。

 仕事が入ってきて、全部は読めなかったが、広告のコピーと同じく、「この中学生の才能に嫉妬してしまう」ほどの才能を感じさせられた。

 それに触発されて、事務所を閉める前に「エイヤ」とキーボードを叩いている。

2018年1月 1日 (月)

2018 元旦

 2018 元旦。

 早朝に臼杵港よりフェリーにて八幡浜へ。

 あいにくの曇り空で初日の出は拝めなかったが、船中にて新年の計を立てる。

 丸々一年平成であるのは今年が最後の年。

 ひときわ感慨深い新年の計。


 

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