我が家の猫 お手本のみたいに、枯れるように静かに死期を過ごしている
我が家には4匹の猫がいる。
いずれも、生まれて間もないころに捨てられて死にかかっていた猫たちだ。
その最長老「2代目かんたろう」が、何も食べなくなって、もう10日間になる。
一カ月前くらいから、食事の時間に餌のあるところに来なくなった。
大好きだった刺身をやっても、食べようとしない。
好物の「ちゅーる」をやってもなめようとしない。
「かんたろう」は17歳。
我が家近くの駐車場に、くつ箱のようなものに入れて捨てられていた。
生まれて1週間になるかならないかといった、生まれたばかりのような子猫でだった。
下痢をしていて、身体は糞尿にまみれていて、瀕死の状態だった。
寒い日で、このまま放置したら死んでしまうと、見かねて家内が拾ってきたものの、何日もはもたないと思っていた。
家内は、せめてきれいにしておくってやりたいと、お湯でからだをふいてタオルにくるんでやった。
あたためた牛乳をやスポイドで差し出すと、少しずつだが飲んだ。
長くは生きないだろうと思っていたのに、それから17年になる。
そのあと、結構やんちゃな猫に育ったが、それから5、6年目になるころ、次の捨て猫が我が家に加わってからは、その猫に遠慮してわがままをしなくなっていた。
その後、数年置きに2匹の捨て猫が来てからというものは、さらにおとなしくなっていた。
新人の猫たちが、年頃になると暴れ回るのと対照的に自己主張をしなくなっていった。
ききわけがよく、手間がかからなかった。
15歳を過ぎたころから、寝ていることが多くなって、いつか今日のような日が来ることを思うことはあった。
私は、親を看取って以来、自分の死に方について考えるようになった。
ちまたには、終活という言葉をよく見かけるし、週刊誌や雑誌では終末医療についての特集がひんぱんに組まれ、多くの書籍が出版されている。
飛石幸三医師や長尾和宏医師が終末期の医療についての多数の書籍を出している。
両氏の意見を簡単に説明すると、老衰死のすすめといった内容である。
高齢になって食事を受け付けなくなったら、胃ろうとか点滴とかで無理に栄養を補給しないことが、苦痛を感じずに寿命をまっとうできるという理論である。
彼らの書籍の中に、動物が寿命を迎えると、食事や水を摂らなくなり、いわば枯れるように死んでいく。
それが自然な姿で、胃ろうや点滴でか無理やり栄養や水分を押しつけられると、溺れてもがき死ぬようなものだというのである。
私は、数年前に両親を病院で看取った。
父も母も最後まで頭はしっかりしており、長期の入院ではなかった。
ただ、入院中の病院の中で私は、胃ろうや点滴を受けながら意識も無く、ベッドの中でただ呼吸をしているだけの人たちをたくさん見た。
その姿を見ているから、飛石医師や長尾医師の話を納得するのだ。
死期を間近に迎えた我が家の老猫「かんたろう」は、、そのお手本のように静かに最期を迎えようとしている。
、鳴き声をあげることも無く、静かに眠り続け、声をかけると、うっすらと目を開けるが視線は遠くをみつめている。
その姿は、まるで、私に道を示すように思える。
家内は大泣きするだろうが、私は褒めて見送ろうと思っている。
長尾和宏石飛幸三
平穏死を単純に言えば「枯れて死ぬ」ということです。枯れるとは、つまり、体内の水分含量が減っていくということです。人間は生まれたときには体重の約8割を水分が占めています。それが成人すると6割に減り、高齢者になると5割になると言われています。そして平穏死寸前には4割にまで減ります。人生とは水分含量の観点から言えば8割から4割へとゆっくりゆっくり減っていく、まさに「脱水への旅」なのです。
平穏死に至る経過のことをよ
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